79:リザルトライン



そんな中、不意にニュッと長い腕が集団の中から天に向かって突き出された。誰よりも高い身長に、細く長い手足。それをブンブンと大きく振りながらアピールしてくる姿は非常に目立つ。

「しおりせんぱーい!」

早く当ててくれと言わんばかりに声まで出し始めた葦木場に、皆が一斉に彼の方を見た。なのにそんな視線には気が付いていないとでも言うかのように、葦木場の瞳はまっすぐとしおりだけを見ている。
まるで構って欲しくて仕方がない子犬のようだ。……まあ、少々体が大きすぎるような気もするが。

苦笑しながら発言を促せば、葦木場は待ってましたと言わんばかりに今配ったばかりのコースレイアウトのプリントを指さして見せた。

「これ、どうして所々黒い線が入ってるの?」

言われて、それまでチーム編成に目が行っていた部員たちがコースの方に目を落とすのが見えた。全長50キロメートルのコース上。その数か所に、確かに道を区切るような形で線が引かれている。
……まさか葦木場が一番に気が付くとは思っていなかった。
驚きを隠すことも出来ずに彼を見ていれば、隣にいた泉田が慌てたように「こら!」と葦木場の口を塞いだ。

多分、あまりにフレンドリーすぎる葦木場の口のきき方に気を揉んだのだろう。いつだって礼儀正しく、真面目一辺倒な泉田はどんな時だろうと先輩への敬意を忘れない。もちろん、マネージャーのしおりにも、だ。
自分が悪いわけでもないのに「申し訳ありません!」と頭を下げてくるもので、こちらの方が恐縮してしまった。

「いいよ、大丈夫。シキバのそれは昔からだから」

そう。葦木場は昔からこうなのだ。
先輩、先輩と付いて来てはこれでもかというくらい甘えてくる。どうやら天然らしく、何の脈絡もなく突拍子もないことを言ったり、空気を読まずに発言したりもするが、そういう裏表のないところが彼の良い所だ。

――しおりが自転車に乗れなくなってふさぎ込んでいた数年前。他の部員たちが空気を読んで話しかけてすらこなかった時に、心配して追いかけてきてくれたのは『彼ら』だけだった。
我武者羅で、しつこくて。でも何とか元気づけようと必死になってくれるその気持ちがとても暖かくて。

葦木場は可愛い後輩である前に、恩人だ。だから、いまさら気にすることでもないし、むしろ急に敬語なんて使われたら、こちらの方が戸惑ってしまう。
あっさりと後輩の無作法を許したしおりに、泉田はまだ腑に落ちないような表情をしていたが、しぶしぶといった風に葦木場の口から手を離した。



逸れてしまった話の筋を戻すように、しおりは自分の持っていたプリントを皆の方に向ける。そうして葦木場が指摘したコース上の黒線を指さして、それを自分の指でなぞってみせた。

「これらを通過した順位ごとにポイント加算していきます」

用意したのはみっつのポイントだ。ファーストリザルト、山岳リザルト、そしてゴールライン。これを定められたチームで超えていく。そう説明した途端に、皆の表情が緊張したように引き締まるのが見えた。

……そう。これはインターハイと同じレース形式なのだ。
今年の合宿はインターハイを想定した模擬レースをしてもらう。一日ごとにチームを変えて順位を競い合うことで、レギュラー陣にはどんなチームが相手だろうと瞬時に対応できるようになってもらうつもりだ。

部員が多い箱根学園だからこそ出来る練習。チーム力に不安が残る今年の箱根学園には、これしかないと思ったのだ。
それに、これは主将にも言っていないのだが、しおりはインターハイに出場出来なかった選手たちにもインターハイの空気を感じ取ってもらいたいと思っていた。

このレースは、戦略次第では全国トップクラスの実力を誇るレギュラー陣から勝利を勝ち取ることだって出来る模擬レースだ。皆に感じて欲しい。レース中の胸の高鳴りを。リザルトラインを一位で通過するあの快感を。

「あの……ポイント制のレースということは、勝てば何か特典があるんですか?」

聞いてきたのは後輩の黒田だ。普段なら下手にでしゃばったりなどしないし、現に今までの説明中もただただ静かに聞いていたのだが、どうやらここで自分が発言しないとまた葦木場が好き勝手を言い出すと判断したらしい。泉田も、黒田も面倒見の良い良い先輩になる。そして、苦労性な先輩にも。そんな彼に大きく頷いて、しおりは続けた。

「もちろん。せっかくレースするんだから、勝者にはご褒美がないとね」

自転車好きの彼らなら、インターハイを想定した模擬レースというだけでも燃えるだろうが、さすがに4日間レースのしっぱなしではやはり精神的に疲れが出る。だから彼らのやる気向上の為に、1日の中で最もポイントが高かった者へ特典を付けることにしたのだ。

「といっても物やお金はあげられません。その代わり、私が練習終わりにひとつだけ。一位の人の言うことを何でもききます」

個人練習を見て欲しい、でも。疲れた体にマッサージを一時間、でも。
頑張った選手の為に、自分に出来ることならなんだってするつもりだ。

我ながら良いアイディアだと思ったのに、その発言をした瞬間、皆の動きがピタリと止まったのが見えた。質問した黒田も、横にいた主将も、しおりを凝視したまま真っ赤になって口をぽかんと開けている。

何だろう。この反応は。
助けを求めるように同期の東堂たちを見れば、彼らは他の者とは反対に真っ青な顔をして頭を抱えてていた。

……そんなに変なことを言っただろうか。
異様な雰囲気の中、変わらないのは葦木場だけで。無邪気にはしゃいで、自分の願望を口にしていた。

「じゃあじゃあ!オレが勝ったらしおり先輩一緒に寝てくれる?!」
「えっ」

てっきり、マネージメント関係のお願いをされるものだと思っていたのだが、よく考えればそういうお願いも、叶えられるお願いであることには変わりない。
発言してしまった手前、断るなんてことも出来ないのでおずおずと頷けば、部員たちは一気に浮足立って雄叫びのような太い歓声を上げていた。

……喜んでくれるのならば良かった。けれど、もしかしたらご褒美の方向性を間違ってしまったかもしれない。
賑わう合宿一日目。一人ひそかに後悔をしたのだった。





 
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