66:スキンシップが近すぎる



ヘロヘロと、自転車を操作する力もないといったようにコース脇にそれていく彼の姿を、しおりは必死で追った。

……勝った、勝ってしまった。
まだロードバイクに乗り始めて1年の彼が、大きいとは言えないレースとはいえ、優勝してしまった。

福富たちに自慢しなければ。この目でその勝利を見たと。
主将たちに伝えなければ。彼がここまで成長したのだと。

それより何より、彼に……荒北におめでとう、と伝えなければならない。

人ごみをかき分けて彼の元へと急ぐ。汗だくの彼が、何かを探しているように辺りを見回しているのが見えた。激しい運動と、優勝という興奮で高揚したいい顔だ。グレていた1年前の姿とは、似ても似つかない。大きく手をあげ、彼に気づいてもらおうと叫びをあげた。

「荒北くん!」

途端、弾かれたようにこちらを振り向いた彼の顔が、しおりを見つけて緩んだのが見えた。見栄っ張りな彼は滅多に自分の高揚を人に晒すことをしなかったが、どうやら今日はそれを隠すことすら出来ない程興奮しているらしい。

軽く手をあげ、頭上でしっかりと拳を握る。

『獲ったぞ』

そう言いたげに、嬉しそうに顔をゆがめた荒北に、しおりもまた、表情が緩んでくるのを抑えられず、自分も同じように拳を握って、掲げてみせた。

彼まであと少し。人の波に揉まれるしおりに彼の手が伸びてきて、それを掴もうと精一杯手を伸ばせば、やっと触れた指先を伝って、力強く引き寄せられた。
すると、あんなに苦労した混雑が、嘘のようにスルリと抜ける。同時に近くなった荒北に、しおりは顔をあげて、満面の笑みを向けた。

「あーあー、髪の毛グッシャグシャだぞ」

苦笑しながら、荒北がしおりの髪をすく。そりゃあ、髪を結ってもいなければ、この人ごみの中を抜けてきたわけだから、多少乱れてしまうのは仕方がない。それより、これでは立場が逆だ。

掴まれたままの彼の手を、くい、と下方向に引く。自然と上半身の位置を下げた彼の顔が、いつもよりずっと自分に近くなった。驚きで目の見開かれた彼の、その頭に掌を乗せ、形の良い頭のラインに沿って大事に撫でる。相変わらずサラサラで、クセなんて全くつかない彼の髪。それを撫でた意味は、彼がしおりの頭を撫でた意味とは違う。

「優勝おめでとう」

そう。頭を撫でて、褒められなければいけないのは、彼の方。
やっと伝えられた一言に、しおりが笑顔を向ければ、荒北はそこでようやく浮かれ気分が正気に戻ったらしい。頭を撫でた彼女の指が自分から離れた瞬間、真っ赤になりながら、バッと前かがみの上半身を元の位置に戻した。

「〜〜〜っお前なあ!」

こんなに人の多い場所で、なんてことをするのかと荒北が声を荒げれば、彼女はその意味すらわからないらしく、キョトンとした顔でこちらを見上げていた。

馴れ馴れしい箱学の彼らに影響された彼女のスキンシップは、時たま酷く過激だ。それに、彼女自身に危機感が足りないのも、ここまでの付き合いでわかっている。
だからこそ仲のいい荒北たちが彼女に不貞を働こうとする輩を牽制したり、排除する役目を担うのは当然の流れだったのだが……――

ふとした瞬間、彼女から向けられる好意にものすごく心を乱されるのだ。

彼女にその気がないのは知っている。自分たちを仲間だと、兄弟のような存在だと思って接しているからこその行動だとも。もちろん自分たちだって彼女の存在を大事に思っている。

けれど、それが必ずしも彼女と同じ感情というわけではないのを、彼女はきっと知らないだろう。

こちらがどんな感情を持っているかも知らないで、普通じゃ考えられないパーソナルスペースに入り込んできては、こうやってのんきに笑顔を向けてくる。
自分などはこうして危機感の薄い彼女を叱れるのでまだいい方だが、他の三人などは目に見えて彼女のミリョク、というやつにやられて宝物でも見るような瞳の色を隠しもしないから、見ているこっちが恥ずかしくて目も当てられない。

「荒北くん?」

眼下でキラキラ目を輝かせながら見上げてくる彼女の姿に、なんだか気恥ずかしい感情が胸の奥からのぼりつめてきそうで、グッと息を詰めた。

……違う、違う。オレはそんなんじゃない。
そんな感情にうつつを抜かす余裕など、ない筈だ。言い聞かせて、わざと彼女から目を逸らした。

「表彰式、終わったらすぐ帰っからァ……」
「準備しとけばいい?」

まるで考えを読んだように返してくるしおりの言葉に、荒北はコクリとぶっきらぼうに頷いた。元より彼女は、荒北が帰ってからまた回すだろうと予想していたのだ。
恋愛云々には鈍いくせに、自転車関係となると驚くほど鋭くなる彼女のカンには恐れ入る。

本当は表彰式など出ずにこのまま真っ直ぐ帰ってしまいたかったが、それでは自分に負けた選手たちへの冒涜になると、彼女に怒られることは目に見えていたのでやめた。

まあ、表彰台のてっぺんを飾るということは、自分の顔を売るのにも、箱根学園の実力を見せつけるにも、いい機会だ。参加しておいても損はないだろう。

すぐ帰れるようにロードバイクを取りに行ってくると、また人ごみの中に消えていく彼女の後姿を目で追った。
揺れる黒髪が、波にのまれて消えていく。微かに見える頭部は人ごみに押されて悪戦苦闘しているようだ。進もうとしては人にぶつかり、ペコペコと謝罪するように頭を下げてはまた少しだけ進む。

「ほんっとに、」

――不器用なヤツ。
表彰式まではもう少し時間がある。苦笑してから、彼女を助けるべく自分も人の波に分け入っていった。




 
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -