64:心配性はどちらか



長い髪が揺れるのを見ていた。
彼女の動きに連動するその髪は、働き者のその人に合わせるように、いつだってひっきりなしにピョコピョコと視界の端で揺れていた。

ロングヘアーの女など、別段珍しくもない。街中でも、学校でも、見る人見る人こぞって髪を伸ばし、パーマをかけたり色を染めたりしてお洒落の幅を楽しんでいるからだ。

けれど、彼女のように地毛の黒髪をそのままの形で伸ばしている人物というのは、ロングヘアー女子の全対数から見てもそう多くない気がする。
どこか誰かが話していた内容によれば、黒髪ロングと、ショートヘアーは女子の中で敷居が高いんだとかなんとか。女のお洒落についてはこれっぽちも分からないが、とにかくそれらの髪型は人を選ぶものなのだそうだ。

――腰まで伸びた、まっすぐな黒髪ロング。手入れもかなり大変らしい。

そんな、お洒落に目がない女子たちが迂闊に手を出せない髪型を平然とやってのける彼女の髪は、いつだって、どこにいたって酷く目立つ存在で。遠くからでも、人ごみの中からでもすぐに判別できるその黒髪ロングは、彼女の特徴であり、シンボルでもあると、そう思っていた。






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「荒北くん、ボトルの中身入ってる?」
「スポドリとミネラルウォーター1本ずつだろ。入ってる」
「補給食はどう?足りてる?」
「だーかーらー、ダイジョウブだっつの!バー2本に、グミ1袋、ジェルも1袋。オメーに言われた通りにちゃんと持ってる」
「そうだよね、うん。大丈夫だよね……」

そわそわと、落ち着かない様子であれこれと世話を焼いてくるマネージャーに、荒北は息をついた。

……時は5月の半ば。部内はすでにこの夏のインターハイモードになっている。選抜選手が誰になるのかを決めるための激しい争いが毎日行われている、そんな週末のことだった。

箱根学園のサイクルジャージを身にまとい、自転車に跨ってはいるが、荒北たちが今いるのは部活の練習場ではない。そこは、まごうことなくロードレースの会場であり、彼はそのレースに参加する選手の一人であった。

通常であれば、2年のこの時期と言えばインターハイ選抜の準備に向けて体を調節する時期である。何故なら、この箱根学園自転車競技部の過酷な練習をこなしてきた2年であれば、実力次第では選抜の6人に選ばれる可能性があるからだ。

しかし、あくまでそれはロード経験者の話。
1年の半ばごろに初めてロードバイクに跨った荒北は、先日行われた第一選抜で早々に外されてしまっていた。

その理由は、タイムのせいではない。
むしろ荒北の走りは、タイムだけでいえばかなりいい所まで来ていたのだ。人の数倍ペダルを回すという、彼の血の滲むような努力の証である。

では、何故選抜から漏れたのか。
それを裏付ける決定的な理由がひとつあったのだ。




――彼には、レース経験が少ない。



いくら練習でペダルを回そうが、良いタイムを出そうが、実際のレースの臨場感や緊張感、思考と体力のぶつかり合いを経験しなければ、継続した好記録など残せはしない。

なので皆がインターハイモードのこの時期、荒北だけは、平日は部活に勤しみ、週末になるとレースに出まくるという過酷な練習をこなしているのであった。





もう何か月も、まともな休みを取れていなかった。

毎日毎日、ただひたすらにペダルを漕ぎ続けることで体力を削り、レースで精神力を削られて、寝て食べて多少の体力を回復するという日々を送っている。

休みも体調管理のうちのひとつだとわかっていないわけではない。ただ、つるんでいる周りの同期が皆選抜候補に挙げられる程の実力を持ち、コーチやマネージャーの指導の下、現在に至ってもメキメキと実力を伸ばしているという事実に焦りを感じているのだった。

何年も自転車に乗り続けている男たちと、自分の実力差が明らかであるのはわかっている。
けれど、自転車を始めたときに決意した『てっぺんをとる』という目標を達成するためには、彼らに一刻も早く近づく必要があった。

奴等となら、てっぺんを一緒に見れる気がするんだ。
奴等となら、てっぺんをアイツに見せてやれる気がするんだ。

だから、誰に何と言われようと荒北はペダルを回すことをやめない。
これには無茶は絶対反対派のしおりも思うところがあるらしく、いつだってオーバーペースの荒北にブツブツ言いつつも、決して意固地になってやめさせようとはしなかった。



(……しかし、だ)

荒北は、そこで少々表情をしかめてしおりの方を見た。

彼女は、練習をやめさせこそしないが、その代わり非常に甲斐甲斐しく世話を焼いてくるのだ。あれは大丈夫か、これは持ったかとひっきりなしに問われ、しきりに体調を気にしてくる。
何度大丈夫だと言っても、それでも不安そうな瞳の色を揺らし、心配そうな視線をこちらに投げかけてくるその姿に、正直気負いを感じていた。

彼女の行動が、何を言っても練習をやめない自分への配慮だということは分かっている。
自転車で無理をして、思い切り踏めなくなった自分の二の舞にならぬようにと気を遣ってくれているのだということだって。

けれど、先にも言ったが、今はインターハイ選抜で部内が非常に慌ただしく、雑用係の1年や、マネージャーたちは、選手のタイム測定にトレーニング補助にと大忙しであるのだ。

そんな中、マネージメント能力の高さで選手層からの確かな信頼を得つつある彼女がインターハイに全く関わることもない部員のレースの付き添いに来ているなど、本来ならばあり得ない。
主将たちをどう説得したのかは知らないが、現に彼女は今ここにいて、自分ひとりだけの為に、サポート用の荷物を大きなショルダーバッグの中に抱え込んでいるのであった。

彼女の目が、チラリと腕にはめられた時計に落とされる。重力に従って肩からサラリと落ちた髪を、面倒臭そうに耳にかけ直していた。

相変わらず、目立つ髪だ。ここに来るまでも、すれ違う何人かが風でなびくその髪に目を奪われ振り返っていた。いつもは部活中には邪魔になるからとひとつ結びにしているそれが、今日に限っては束ねられていない。

口を開けば自転車自転車とうるさいばかりの彼女だが、黙っていればそれなりの容姿をしている。現在進行中でチラチラと視線を向けられている彼女の危機感のなさに息をついてから、せめてもの目隠しに、と自分のタオルを彼女の頭にかけてやった。

「オレがゴールするまでかけてろ」
「えっ、大丈夫だよ。今日曇りだし」

どうやら彼女は頭にかけられたタオルの意味を日よけ対策のアイテムくらいにしか思っていないらしい。……違う、そうじゃない。けれど、鈍すぎる彼女には荒北の思惑など逆立ちしたって伝わらないだろうから、あえて伝えようとはしなかった。

「数十年後にシミだらけの顔になっても良いなら取ればァ?」

言えば、彼女は慌てて「お借りします」とタオルを深くかぶる。先日妹たちがこの時期は曇りの日でも紫外線が多いだなんだと騒ぎ立てながら日焼け止めクリームを塗りたくっていたが、どうやら彼女にもその辺の知識はあったようだ。

長髪の日本人形のような姿から、一気にほっかむりの間抜け面になった彼女を鼻で笑えば、彼女は不服そうにしながらも、頭の上のタオルは取らなかった。

――さあ、スタート30分前だ。そろそろロードバイクのメンテナンスをしてスタート地点に移動しなければいけない。
すぐ横のガードレールに立てかけておいたビアンキのハンドルを持って準備をすれば、彼女もパッとマネージャーモードに切り替えて踵を返した。

「じゃあ私、給水所で待ってるから」
「おう、頼むワ」
「無理は駄目だからね」
「心配しなくても、死ぬほど回してやるよ」

荒北が人の言うことを素直に聞くタマではないことを、しおりはよく知っている。彼はこのレース、無理をするだろう。回して回して、それこそエネルギーが空になるまで走り続ける。曲がっているようで、酷くまっすぐな、それが彼の走りだと、最近ようやく見えてきたのだ。

「すぐ行くから、待ってろ」

言われた言葉にうなずいて、各々の持ち場へと進むために足を踏み出した。


 
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