63:負けないし、譲らない



その体制のまま今度は巻島に向き直る。
少し、タマ虫色の髪が伸びていた。けだるげな瞳は相変わらずで、けれどもその目が以前より自信に満ちた良い色をしていることに、しおりは口元をほころばせた。

「巻島くん、優勝おめでとう。すごく速くなっててビックリしちゃった」
「サンキュー。つかお前、箱学のマネージャーかよ」
「あれ?言ってなかったっけ」
「言ってねえッショ」

目を合わせ、吹き出すように笑いあう、たったそれだけの会話。けれど、その『それだけ』の会話に酷く動揺した男が一人。

「なっ……え?」

今までしおりの肩口に顔をうずめて鼻を鳴らしていた東堂が勢いよく顔をあげ、楽しそうに笑いあうしおりと巻島を交互に見やる。そうして、信じられないとでも言いたげに口をパクパクとさせて、何か言おうとするが、出てくるのはいつもの軽快な言葉たちではなく、今の彼の動揺を表しているかのような短い文字の羅列ばかりだった。

箱学マネージャーであるしおりと、千葉総北高校の彼。
全く関わりがない筈の彼らが、どうしてこんなに仲睦まじく会話をしているのか。

今の東堂の頭の中といえば、そんな疑問でいっぱいであった。

確かに、箱根学園自転車競技部は、練習の一環でたまに県外遠征などをしたりするが、彼女が遠征中に自校の選手以外と接触しているのを見たことなど、一度だってなかったのだ。

けれど現実、目の前の二人は意味ありげな言葉を交わしあい、楽しそうに会話をしている。
この二人の関係は何なのか。どこで知り合ったのか。いつからなのか。

考えだしたらキリがなくて、ぐるぐると回る思考にめまいを起こしそうになると、それに気が付いた巻島が、可笑しそうに「クハッ」と吹き出すのが聞こえた。

「別に心配するようなことは何もないッショ。ただ前にちィっと勝負しただけだ」
「勝負!?勝負だと!オレだってまだしたことないのに!どういうことだ、しおり!」
「どういうことだって言われても……」

巻島と勝負した、昨夏の終わりの里帰り。
ひたむきに、ひたすらに努力している彼に感化されて、ついついしおりから勝負を挑んでしまったのが始まりだった。

あの時の巻島といえば、自分の走りに自信がなく、それでも意志を貫くとは言っていたものの、どこか迷いのある走りだったのだが、今日のレースではその迷いが一切なくなっていた。

これがオレの走りだと言わんばかりに、見せつけるようにロードバイクを左右に大きく振ってのぼっていくあの姿。
真剣勝負中だというのに、ただひたすらレースが楽しいと、のぼりが好きだと語っているような表情に、前以上に心が高鳴ったのを感じた。

(楽しかったなあ)

そうやってつい思い出し笑いをすれば、そんな仕草さえも東堂の癪に障ったらしい。彼はふてくされたように口を噤み、むっつりとした表情のまま、そこが自分の定位置だとでもいうようにまたしおりの肩もとに顔をうずめた。

「甘えんぼ」

彼の様子に、しおりは苦笑して言い放つ。

……何とでも言え。オレはアイツに勝てればいい。
これはチームメイトの自分だから。同級生の自分だから許される距離だ。巻島にだって出来ないだろう。

うずめた肩口の隙間から、視線をあげて目の前の男を睨みつければ、巻島は呆れたように肩をすくめ、向けられた嫉妬の視線を交わすように、スッと目を逸らした。

「マネージャーも大変だな」
「まあ、それなりにね」

とは言っているものの、彼女は嫌そうな素振りを一切見せない。きっとそれが許されるくらいの信頼関係が彼らの中で出来上がっているのだろう。
箱根学園の自転車競技部ではこの程度のスキンシップは日常であり、そして、彼女に対する独占欲がむき出しになっていることも、日常なのだ。

まるで宝物のように。その宝物に触れるだけで、敵意丸出しで歯向かってくる。
その様子が感情豊かな子供そのもので、思わずククッと喉元で笑えば、東堂からの敵意がより一層濃くなったのを感じて、可笑しかった。

面倒事は嫌いだ。けれど、面倒なことになるとわかっているのに、これをからかいたくなるのは何故だろう。
ビリビリと向けられる視線を無視して、対面するマネージャーの彼女に照準を合わせれば、その人は今自分のすぐ近くで静かに起こっている悶着に全く気が付いていないという風に、無邪気な笑顔をこちらに向けていた。

「なあ、また勝負してくれよ。今度は負けねえから」

わざと東堂を挑発するように意識して、彼女に話しかける。瞬間、彼のピリピリしていた空気がより一層鋭くなって、突き刺さってきた。何も知らない彼女が安易に頷き、連絡先交換をしておこう、などと携帯電話を取り出せば、彼の嫉妬のボルテージはもううなぎのぼりのようだ。

それを無視して、巻島も自分の携帯電話を取り出してパチリと開く。

「送るッショ」
「オッケー。受信するね。ええと、赤外線赤外線…――」
「早くしろショ」

――邪魔が、入る前に。




彼女の赤外線受信の準備が整う。こちらに携帯を向けてきたので、巻島もそれに合わせて自分の携帯を向い合せた。

『受信:33%』

一瞬でそう表示された画面に、これならすぐに送信完了できると安堵した、その瞬間。




「なっらーーーーん!!」

突如、今まで黙っていた東堂が二人の間に入り込み、それを邪魔してきた。

「ならん!させんぞ、タマ虫ィいい!!」
「あー!ちょっと、東堂くん何するの!」

東堂の突然の暴挙で受信を邪魔されたしおりの携帯画面には、案の定受信エラーの文字が表示される。きっと今頃、巻島の方も送信エラーになっているだろう。

やり直ししよう。

そう言おうとして巻島の方を見れば、見上げた彼の顔が引きつっているのが見えてしおりはおや、と首をかしげた。

送信エラーになっただけで、そんなに驚くだろうか。それとも、いま東堂がいきなり出てきたことに驚いて携帯を落としてしまったとか。
だったら大変だ、と慌てて巻島の手元を見れば、その長い指の中にはしっかりと携帯電話が握られている。なんだ、良かった。携帯を落として壊してしまったのではなかった。

しかし、ホッとしたのもつかの間。彼が顔をしかめた理由を、しおり自身も目撃することになる。

『送信完了しました』

巻島の携帯ディスプレイに表示された文字。その先にあるのは、他でもない東堂の携帯で。
しおりは一瞬で、自分に送られるべきデータが東堂の携帯に送られたことを知ったのだった。

「わーっはっは!タマ虫よ!しおりと連絡が取りたいのなら全てこの東堂尽八を通してもらおう!どーれ、お返しに、ひとつオレの連絡先も送ってやろう」
「げェッ、いらねえッショ!」
「何故だ!オレの連絡先など、女子がどうしても欲しいと泣いて懇願する程のレアなのだぞ!」
「知らねえよ!」

高笑いしながら、ものすごい勢いで巻島のメールアドレスに自分の連絡先を打ち込んでいる東堂の行動は、まごうことなく、巻島への嫌がらせだ。

というか、巻島と連絡を取り合うのに東堂を通さなければいけない意味が分からない。
過保護な父親か何かのつもりなのかと、ため息をついて巻島に謝れば、彼は脱力した様子で「別に良いッショ」と自分の携帯をパチリとたたんで手のひらに収めた。

どうやらこの状況で再度連絡先交換に余力を費やす精神力は残っていないらしい。かく言うしおりも、この状況で下手なことをしてまた東堂が騒ぎ出すのを聞くのは本望ではない。
必要なくなったらしい自分の携帯をかばんに仕舞い込んだ。

目の前では相変わらず東堂が必死になってメールを打っている。
その様子を二人で見つめていれば、やがて巻島の携帯がバイブレーションし、彼はカチリと携帯のディスプレイを見てから、また吹き出した。

「何、東堂くんから?失礼なこと書いてなかった?」
「いや、こういうのキライじゃないッショ」

面白そうに、また携帯を閉じた巻島に、首をかしげる。
……どういうことだろう。
嫌がったふりをしていたけど、本当は、東堂と連絡先を交換できるのが嬉しかった、とか?

それならなるほど、納得できる。
他校に切磋琢磨できるライバルが居れば、その分成長できるものなのだ。

今日は巻島の勝利で終わったものの、実力でいえばほぼ互角。この二人がこれからも互いを意識して勝負するのであれば、好敵手になることは間違いないだろう。

巻島も、そう感じたのだ。
だから彼からの嫌がらせに近いメールにも「嫌いじゃない」などと前向きに答えられたのだ。そうに違いない。

「良かったね!」

思わず巻島に言えば、彼はきょとんとした顔で不思議そうにこちらに目を向けてくる。
……あれ?嬉しいんじゃないの?

じゃあ何が書いてあったのかと、また口を開こうとすれば、丁度遠くで表彰式開催のアナウンスが流れたのが聞こえてきた。
ここにいる二人は、間違いなく表彰台の上二段を飾る人物だ。早く行かなくては、と連れ立って歩こうとすれば、東堂はしおりの手を引いて、グイグイと歩きだしてしまった。

「えっ、ちょっと!巻島くんは……」
「別に一緒に行く必要などないだろう。ほら、行くぞ」

それでも、一緒にいるのだから一緒に行けば良いではないか。焦って巻島の方を振り返れば、彼も彼で急いだ様子もなく、ボトルの飲料水をあおってのんびり支度をしているようだった。

「巻島くん!またあとでね!」

せめて挨拶だけでも、と叫んだ声に、巻島が応えるように軽く手をあげた。





**********





去っていく、箱根学園の少年・少女の姿を見送り、巻島は先ほど件の少年から届いたメールをもう一度見返した。
件の彼女はこの内容について何か重大な勘違いをしているようだが、まあ良いだろう。

メールには、激情しながら打ったとは思えない程きっちりとした文面が打ち込まれていた。
彼の……東堂の性格なのだろう。名前、メールアドレス、電話番号。どれも一目でわかるように改行されていた。

そしてスクロールした、文面の最後。そこに並んだ文字の羅列に、巻島は可笑しそうに、口端をあげる。

『負けないし、譲らない』

それは一体、レースのことか、彼女のことか。
どっちだろうな、なんて少し笑って、自分も表彰式の会場へと歩き始めた。



 
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