62:一位と二位の男



場内アナウンスが、選手たちが続々ゴールしていることを伝えている。
そんな中、しおりはゴールから少し離れた辺りで、息を切らせて彼の姿を探していた。

今日、間近で見たレースの感想を言うならば、自分に言えるのは「すごい」の一言だけだ。
何せ今回の優勝者は、前年度の記録を1分近くも塗り替え、あまつ大会のタイムレコードまで出してしまったのだから。

高校生という、まだ成熟し切っていない体のどこからそんな力が出るのかと、不思議に思ってしまうほどの走り。目に焼き付いたゴールスプリントに思わず鳥肌が立つのを止められなかった。




――激闘の末、優勝を決めたのは千葉・総北高校の選手であった。

今まで表彰台で名前を見たことのない、無名の選手だ。と言っても、名が知れていないだけで彼にはちゃんと名前があるのだが。

『巻島裕介』

それが、あの独特なのぼりを見せる彼の名前だ。
遠くからでもやけに目立つ、鮮やかな緑色の髪をしたその人。ストイックな性格らしい彼は、ゴールラインを超え、自分の勝利を確信しても、ささやかなガッツポーズを見せただけだった。

そして次点で、箱根学園の東堂尽八がゴールラインを超える。去年のインターハイ覇者の箱根学園の選手であり、自身もクライマーとしてそれなりの知名度がある選手だ。ゆえに、今大会で最も注目されていたのだが、健闘むなしく、前を行く巻島に僅差で追いつくことが出来なかった。

これには観客たちも大層驚いていたようだったが、良く考えてみれば、結果が僅差だったということは彼もタイムレコードを大幅に塗り替える実力を持っているということなのだ。

……彼は、自分自身を誇っても良いはずだった。いつものように、ベラベラと自身の実力の素晴らしさについてを語ればいい。

けれど、ゴール後の彼はその表情を隠すように地に顔を伏せ、決して顔をあげようとしないまま、降車位置の方へと消えて行ってしまった。

それがロードレースにおける一位と二位の格差だ。英雄と呼ばれるのは、いつだって優勝者なのである。
そこまでの道のりでどんな激闘を繰り広げようと、讃えられるのは優勝者だけ。

数多のレースを経験してきたしおり自身も、そのことをよく知っていたので、力なく去って行った彼の行動に、胸が詰まって苦しかった。






落ち込んでいるだろうか。あれだけ練習して、自信を持って臨んだレースだったのだから意気消沈はしているに違いない。
泣いてはいないだろうか。プライドの高い彼は、部活での練習でだって先輩に負けると人知れず悔し泣きをしていたから、もしかしたら今だってそうかもしれない。

そんなことを思いながら、とにかく力を出し切って疲れ果てているであろう彼と合流しようと、彼の姿を追うようにコース沿いを走った。

それなりに重量のある荷物の入ったカバンが、振動でガタガタと揺れる。参加者が多い分、ゴール後の降車位置を遠くしてあるようだ。なかなか見えてこない白いユニフォームの背中に、しおりの息が上がり始めた。

いつだってハツラツとしていて、皆をにぎやかにしてくれる彼は、以外と甘えたり弱気になるところを見せない人だ。
もしかしたら、今彼の元へ向かっていることさえ、弱みを見られることを嫌がる彼からしたら迷惑なのかもしれない。

それでも自分は今日、彼専属のマネージャーなのだ。
嫌がられたって、迷惑がられたって、マネージャーとしての仕事はきっちりこなさなければならない。予想外の激闘にカラッポに近い状態であろう彼の体にエネルギー補給のジェルを突っ込み、その傍らでクールダウンのストレッチをさせなければならない。

落ち込ませるのはその後だ。
行くしかない、と、心に決めて目の前に続いていくコンクリートの一本道を頼りに彼の姿を探した。





キョロキョロと彼の姿を探していると、丁度ゴールから200メートル程離れた辺りで、誰かが騒いでいる声が聞こえてくるのに気が付いた。
ギャアギャアと言い争うような声……いや、よく聞けば、一方が捲し立てるように騒いでいるだけのようだ。

よく通るその声。古めかしい、独特の言い回しにも聞き覚えがあって、しおりはまさか、と声の方へ近寄って行った。

レースの為に増設されたテントの傍らで、その抗争は起きているようだ。恐る恐ると覗き込んでみれば、どうやら、彼女の予想は大当たりのようだった。

「っ大体!何故あのフォームでオレより速いのだ!ありえん!」
「現実見ろッショ、カチューシャ。お前は二位で、優勝はオレだ」
「うるさいタマ虫!!」

そこには今にも地団太を踏みだしそうな程怒り心頭な東堂と、それを面倒臭そうにあしらっている巻島の姿があった。
まるで小学生の言い合いだ。てっきり落ち込んでいるかと思って心配していたのに、あろうことか他の選手に食って掛かっているだなんて思ってもよらなかった。

頭を抱えながら二人の元へ近づくが、東堂のあまりの声の大きさで人の気配にすら気が付かない二人は、延々と幼稚な言い合いをしている。

「はい、そこまで」

険悪な空気を断ち切るように、ポン、と二人の肩を叩けば、まさか人がいるとは思っていなかった彼らの肩がビクリと震え、ほぼ同時にしおりの姿を捉えた。
こちらに目を向ける二つの視線。それらに代わる代わる視線を返して、詰め寄っていた彼らの距離を、手のひらで押して強制的に離した。

「お疲れさま東堂くん」
「しおりっ、オレは……!」

言いたげに、口を開いた東堂の頭に手を置く。汗で湿った感触がする。毎日時間をかけてセットしていると言っていた自慢の髪にも、ヘルメット痕が付いていた。

わかっている。自分の見た目に気を遣う彼が、なりふり構わず打ち込めるのは自転車に関わった時だけだということを。
今日だって、彼は全力で走ったのだ。目の前に突然現れたライバルに戸惑いながらも、ペースを崩さず走り切った。この汗が。ボロボロになった体が、その証だ。

それをわかっているから、責めたりなんてできない。
慰めるように、何度も髪を撫でてやれば、彼は不意にこらえきれなくなったようにグッと眉間にしわを寄せ、泣きそうな顔を誤魔化すようにしおりの肩口に顔をうずめて、動作を制止してしまった。

巻島に食って掛かったのは、ただの八つ当たりだ。巻島のせいではない。
自分の力が至らなかっただけということを、彼自身が一番よく知っていて。それでも涙を見せまいと強がる姿に、しおりはくすりと笑いながら、慰めるようにその肩を優しく叩いた。




 
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