5:不良は人がよろしいようで



「しおり!いい加減に諦めろ!!」
「東堂くんが諦めてよ!」

バタバタと廊下を走る二つの音に、皆がやれやれといった感じで道を開ける。それに申し訳なさげにしおりがごめんね、と手を合わせると、彼らは苦笑いで「がんばれ」と声をかけてくれた。

こんな生活が始まったのは、間違いなく今後ろから追いかけてきている東堂にマネージャー候補扱いされた日からだった。
断っても、断っても、彼はしおりと目が合う度にマネージャーになれと迫ってきて、しおりが逃げだせばそれを追いかけてくる。

授業の合間だろうと、昼休みだろうと、放課後だろうと関係ない。東堂がしおりを見失うか、授業や部活が始まるタイムリミットまで追いかけっこは続くのだ。

幸い、一度だってまだ捕まったことはない。捕まれば自転車競技部の部室に引き摺って行かれるのは分かり切っているから、しおりの方は必死なのだ。

「こらあ!東堂、佐藤!廊下を全力疾走するんじゃない!!」
「「すみませーん!」」

もう教師にも怒られすぎて、謝罪が二人綺麗に重なってしまう。どこからどう見ても仲が良いようにしか見えないし、相変わらずコンビ扱いもされるが、しおりにとってはそれが不服でならなかった。

良く見て欲しい。時間も日にちも問わず人を追いかけまわしてくるなんて、これはいじめだ。

お昼休みに食べようと思っていた、同居人が作ってくれたお弁当は、昼休み中盤になった今もフタすら開けられずに、疾走するしおりの手の中にある。
午前中の授業をみっちりと受け、ただでさえおなかが減っているなのに、この運動はなおさら空腹に響く。

ぐう、と悲しげな音を上げる腹に、もうこの辺で隠れてやり過ごそうと、曲がり角を曲がった直後に窓から校庭へと飛び降りた。
最近習得した、東堂から逃げるための有効手段だ。もともと身体能力は人並み以上にあるので、このくらいなら朝飯前……のはずだった。

飛び降りた眼下に、人の気配を見るまでは。


世界がスローモーションに変わる。
校舎の壁に寄り掛かるようにして座りこんでいたのは、一人の男子生徒だった。今時リーゼントの、凶悪な顔つき。いきなり空から降ってきたしおりの姿に、細い目を驚いたように見開いて固まっていた。

「やばっ」

このまま足をつけば、間違いなく男子生徒を踏んでしまう。一瞬の躊躇で伸ばした足を引っ込めると、しおりの体は、空中でぐらりと体勢を崩した。

迫る地面が、落ちる視界が。滑落した時に見た風景と重なって、恐怖で身動きが取れなくなる。

「ンの、馬鹿!」

なし崩しに地面に急降下するしおりの体を、男子生徒の手が引き寄せて、抱きしめた。
体をクッションにするように、地面としおりの滑り込ませ、衝撃をすべて受け止める。

襲ってくると思っていた衝撃は、一切感じなかった。けれど、痛みとは全く別の恐怖で、しおりは動けなくなっていたのだった。

「おい、怪我ねェか」
「……」
「オイ!!」
「私の、あし」
「アぁ?」
「私の足、大丈夫、ですよね?」

頭を駆け巡った事故の記憶。そんなフラッシュバックのせいで、情けなくも体が震えていた。
足なんて、もう使い物にならないのだから心配する必要だってないのに。心配した所で、ペダルを思いっきり踏める足は戻ってこないのに。

自分でもおかしなことを言っているとわかっている。けれど、こればっかりはどうしようもない。自分の人生の在り方を百八十度変えてしまった事故のトラウマを、いまだに克服することができないのだ。

あの事故を境に、大好きだった遊園地の「落ちる」系の乗り物はすべて駄目になったし、ひとりきりで暗い部屋で寝ることもできなくなった。

呼吸がうまくできない。苦しい。
だから、東堂になんて、自転車になんて関わりたくなかったのだ。こんな苦しい思い、もう、したくなんてないのに。もう、泣きたくなんてないのに。

「……太ェ足だな」

不意に、頭上でボソリとそんな声が聞こえて、しおりは思わず顔を上げた。
そこには先ほど自分を助けてくれた男子生徒が、下敷きになったままの状態でしおりの足に視線を向けていた。
別にいやらしい視線で、とかではない。ただしおりが足が、足がと騒いだので見た。ただそれだけだった。
その証拠に、その発言をした直後、彼の視線はしおりの足からスッと外れた。

「そんだけ太けりゃ、頑丈ダロォ。何ともねェよ」

何の事情も知らない彼に放った、支離滅裂な言葉。なのに、彼は馬鹿にもしないで答えてくれた。
あまりのことに呆けていると、彼はしおりの頭をかばっていた腕を離すと、その手でぐしゃりと彼女の髪を撫でた。

今時リーゼントの、凶悪な不良面。けれど酷く優しいその手つきに、ホッとする。次の瞬間交わった視線に、しおりが口の端を上げると、彼はハッとしたようにしおりから手を離し、いささか顔を赤く染め、「早く退け!」なんて不良らしい荒々しい口調で怒鳴った。

「重いんだよ!」
「ああっ、そうですよね。ごめんなさい!」
「え、いや。重くはねェけど、今のは言葉のあやってヤツで……」
「え、おも…くな?」
「ダァア!いいから退け!!」

男の上にいつまでも乗っかってんじゃねえ!襲うぞ!
なんて一喝され、しおりは少しだけポカンと口を開けた後、すぐに真っ赤になって彼の上から飛びのいた。

ダラダラと変な汗が出る。今まで男子ばかりの中で練習やレースをしてきたから、どうにも自分が女扱いされることに慣れていなかったのだ。誰よりも男勝りで、自転車に夢中だった中学時代。周りの男子たちも自分を女友達扱いだったから、恋愛だ、性行為だというワードとは無縁だったのである。

「ち、違うんです。そんなつもりでは……あのっ」

髪を長くしたのも、自分磨きに力を入れるようになったのも、自転車のことを忘れて普通の女の子になろうとした結果なだけだ。そんな、性急に男女の青春だなんだに足を踏み入れようなんてこれっぽっちも思っていなかった。
パニックで涙目になりながらどう説明したらいいのかと慌てていると、今しがたしおりが飛び降りた窓から、よく聞きなれた大声が聞こえてくるのが耳に入り、しおりの体はピタリと硬直した。

「しおり〜!どこだ!今日こそ逃がさんからなあ!!」

バタバタと走り回る足音に、騒々しい声。もちろん東堂だ。
まだ探していたのか、とそのしつこさにはほとほと呆れるが、フラッシュバックで本調子でない今、彼に見つかってしまえば逃げ切れる自信がない。
ギュッと体を小さくし、目立たないように息をひそめる。それでも開いている窓の外を覗きこまれれば一発だろう。眉を寄せれば、その様子を見ていた不良の彼が「誰アレ。彼氏ィ?」と尋ねて来た。

「違います。ただのクラスメイト」
「ふうん、じゃあ問題ないねェ」

何が、と問い返そうとして、強い力に引っ張られて体がそちらに引き寄せられた。
押し籠められたのは、今しがた離れたばかりの彼の胸の中。校舎に背を向けるように座っている彼にくっついていれば、体格差で確かにバレない。バレないだろうけど。

「なあ、そこの人!髪の長い女がこちらに逃げてこなかっただろうか?」

絶妙なタイミングで東堂の声が聞こえ、しおりはビクリと体を震わせた。口から心臓が飛び出してしまいそうで慌てて口元を両手で押さえれば、不良の彼はさらに強くしおりを引き寄せ、顔だけを後方に向けて面倒くさそうな声を出していた。

「髪のなげェ女なんかそこら中にいるダロォが。知らねェナ」
「ふむ。そうか、わかった!ありがとうな!」

まさか、女のしおりが窓から外に逃げるということは考えなかったのだろう。東堂は、ろくに探しもしないまま意外にもあっさり引き下がり、また騒々しい声を上げながら行ってしまったようだった。

完全に足音がしなくなったところで、しおりは押さえていた口元を離し、ハア、と大き息を吐く。とんでもない目に遭った。ぐったりしながら顔を上げれば、不良の彼と目があって困ったように眉を下げた。

「ごめんなさい、ありがとうございます」
「べっつにィ」

ぶっきらぼうに言った彼の手が、しおりの背から離れていく。
大きな手だ。節立っていて、ゴツゴツしていて、自分の小さな手とは大違いだ。それに背だってかなり大きい。細身ではあるが、しおり一人をすっぽりと覆い隠してしまうくらいには男らしい体付きをしていた。

生きて来た年数は同じくらいなのに、男と女でこうも変わってしまうのだ。抱きしめられた時、服の下にしなやかな筋肉の硬さを感じたから、もしかしたら何かスポーツをやっていたのかもしれない。

人の筋肉の付き方を見てしまうのは、選手時代の癖だ。ここにこういう筋肉がつくには、この人はどんな練習をどのくらいしてきたのだろうと無意識に考えてしまうのだ。
マジマジ見ていると、白目がちな三白眼でギロリと睨まれ、しおりはごまかすようにえへへ、と笑って頬を掻いた。

「用は済んだろ。とっとと行けよ。面倒クセェ女」
「あ、面倒ついでにお願いがあるんですが」
「……何」

ここで、無下に「駄目だ」と言わないのがこの人の優しさだ。強面だけど。ガラも悪いけど、悪者になり切れていないような雰囲気がある。
本当に怖い人なら、窓から飛び出してきた女を咄嗟に助けようなんて思わないし、追われている理由も知らず、かくまってくれたりもしない。
言うなれば人の良い不良だ。矛盾しすぎて、なんだか笑えるけど。

「あの。ここで、お弁当食べても良いですか?」

東堂に追いかけまわされて、もう昼休みの大半が終わってしまっている。今から教室に戻ったって、大体のクラスメイトはもう昼食後のまったりした時間を楽しんでいることだろう。そんな中でまだ箸を付けていない弁当を広げる勇気はない。けれど、だからと言って一人で食べるのも寂しいのだ。いつか東堂が言っていたように、食事は誰かと食べる方が美味しいから。

お願い!この通り!と、必死で頼むしおりに、彼は大きくため息をついた後、一言「物好きなヤツ」とボソリ呟いた。

「え?なにか言いました?」
「なんでもねェ。弁当でも何でも勝手にすればァ」
「っ……!ありがとうございます!」

やったあ、と嬉しそうに頬を染め、いそいそと弁当包みを開け始めるしおりに、彼は照れたように顔をそらした。

同居人の作ってくれたお手製弁当。本当はゆっくりじっくり味わいたいが、昼休みの残り時間が少ない為、もったいないが急いで食べる。うーん、それにしても美味しい。今日はぎりぎりまで走り回っていたせいで、特におなかがすいていたので、尚更美味しく感じる。しおりは食の幸せにほっこりと頬を緩めた。









結局、しおりが弁当を食べ終えたのは午後の授業の予鈴が鳴る頃だった。律儀にもしおりが食べ終わるまで隣にいた不良少年は、これまた律儀にもしおりが弁当包みを片づけ終わるのを見計らって立ち上がり、窓から、ではなく少し歩いた所にある非常口から校舎に入った。
てっきり彼も窓からあの場所へ出たのでカギが開いていたのだと思っていたのだが、違ったのだろうか。真面目にもドアから出入りする不良にしおりが腑に落ちないような顔をしていると、彼は呆れたようにため息をついた。

「女なんだからサア、もうちょっと考えろヨ」
「何がですか?」
「……水色水玉パンツ」

お前が窓から飛び降りた時に見えたんだ、とのたまう不良に、しおりの顔がカア、と熱くなる。
逃げることに必死でそこにまで気が回っていなかった。というか自分はパンツを男子に見られすぎではないだろうか。
羞恥で震えれば、その顔がよっぽど可笑しかったのか、彼はブッと吹き出すと、こちらは笑いを堪えて肩を震わせていた。

教室へ向かう二人の足取りは並んでいる。階段を二階まで上り、一年教室がある三階にまで来たときに、しおりはこの人はどこまで付いてくるつもりだろうと首をかしげた。

東堂の件があるので、しおりの身を案じて送ってくれているつもりなのだろうか。流石に授業中までは追いかけてこないので心配はいらないのだが、この不良、よっぽどのお人よしだ。

自分の教室まであと数メートル。もう大丈夫だから、と言おうと振り向けば、彼は丁度しおりの隣の教室の扉を開けている所だった。
驚きすぎて一瞬動けなくなると、彼は自分の方を見ているしおりの視線に気がついたのか、ニヤリと口端を上げ、意地悪く笑った。

「あァ、それと。俺見ての通りお前と同い年だから敬語使わなくてイイゼ」

ヒラヒラと手を振り、隣の教室に消えていく不良少年。

「先に言ってよ!!」

しおりの叫びが、授業開始三分前の廊下に響き渡った。


 
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