56:ひたむき、まえむき



箱根学園自転車競技部は、新入部員の勧誘をしない。
何故ならわざわざそんなことをするまでもなく、インターハイ王者というありあまる程の知名度で新入部員がわんさかと入ってくるからであった。
自転車経験者で高みを志す者から、全くの初心者まで、さまざまな顔ぶれがこの部に集う。

そう、集うのだ。この部室の中に。
――集いすぎて、ぎゅうぎゅうになるくらいに。

「うわあ……」

今日最後の授業が終わり、そそくさと部室に向かったしおりは、そこに広がっていた光景に思わずそんな声をあげてしまった。
多分、すべて入部希望者たちなのだろう。部室棟の前が見渡す限りの人の波で埋め尽くされていたのだった。

箱根学園では入部願書を直接、部に提出する決まりになっているため、毎年人気のある自転車競技部は願書申し込み開始の2〜3日は部室が混雑するという話を前もって聞いてはいたのだが……これは予想以上だ。

どこか不安げな、けれどこれからの生活に期待を持った初々しい表情の生徒たちが、ひっきりなしにぎゅうぎゅう詰めの部室から行き来している姿は、なかなかの圧巻だった。

「おお、今年もすごい数だな!去年よりも多いんじゃないか?」

そうやって、この異様な光景を前にして嬉々として声をあげたのは隣にいた東堂だった。しおりが入部したのは夏だったので知らなかったのだが、そういえば、彼は去年この混雑を経験しているはずだ。

「去年も提出大変だったでしょ」

聞けば、彼は視線は溢れかえる新入生たちの波に向けたまま、軽く首を横に振って「いや、全然」と予想外の答えを口にした。

「オレは春休みから部活に来ていたクチだったからな。早い段階から先輩に入部用紙をもらって、提出していたのだ」

だから去年は混雑する部室を横目に先輩たちと山をのぼっていた、と他人事のように話す東堂に、しおりはなるほど、と感心する。

そういえば、今年も春休みから練習に来ている子たちが何人かいるのだが、昨日の時点で入部者一覧に名前があったので、彼らも同じ手を使ったのだろう。

だとしたら、彼らも今頃、去年の東堂と同じくこの惨状を横目に走りに行ってしまったに違いない。

かくいう東堂も、この状態の部室の中に入る気はないらしく、おもむろに制服を脱いだかと思えば、中に着込んでいたサイクルジャージ姿で意気揚々と自転車置き場の方へと去って行ってしまった。

(……でも、私はそうはいかないのよね)

何故なら今日は週に一度のタイム計測日なのだ。しおりはこれから、部室においてある記録用紙が入ったバインダーを取りに行かなければならないのだった。
部員の大体の記録は覚えているのだが、正確なタイムとなると流石に把握しきれていない。コンマ一秒の差が、一体どこでついたのか。何が要因だったのか。それを知るために、やはり過去の記録は必要なのである。

だから、この人の波に突っ込んでいくのが嫌だからと言って、それを放棄することなどできない。

本日の対象者はオールラウンダー組である。
福富や、荒北も待っているはずだ。さあ、行こう。

意を決して部室の入り口に近づこうとすれば、そこに、今まさに部室の中に入って行こうとしている見知った顔を見つけ、しおりは先ほどの息をのむ決意も忘れ、あっと声をあげてしまった。

「泉田くん、黒田くん!」
「あ、佐藤先輩!こんにちは!」

しおりの声に反応し、律儀に深々と頭を下げたのは泉田という少年だった。近づけば、目が合ったもう一人の少年、黒田も「ちわっす」と軽く会釈で返してくれる。

彼らは先に話した、春休み頃から練習に顔を出している一年生で、もちろんロード経験者だ。東堂の話を聞いて、春休み組は皆前もって入部届を提出しているのかと思っていたが、彼らの手の中に握られている入部用紙を見ると、どうやらまだだったらしい。

便利な裏ワザが使えるなら、そうすればよかったのに。

まさか先輩たちがその裏ワザ入部の仕方を教えなかったわけではないだろうと首を傾げれば、しおりの困惑に気が付いた黒田が、泉田を指さし、迷惑そうに息をついてみせた。

「コイツが今日提出しようってうるさくて」
「だ、だって!提出書類はキチンと受付開始日に出さないとフェアじゃないだろう?」

黒田に嫌味たらしく言われて狼狽える泉田。そんな泉田に、しおりは彼らしいな、とクスリと笑みをこぼした。

春休みから練習を見ているが、彼の走りは非常に真面目であり、堅実である。自転車経験者だが、凝り固まった変なプライドもなく、誰からのアドバイスも素直に聞くため先輩たちからも可愛がられていた。つまり、彼のあの真面目な走りは、彼の性格から来ているのだ。

そして、そんな彼に付き合って割を食っている黒田の走りは才能に満ち溢れた自信のある走りであった。これもまた、彼の性格をよく表していて、彼の自信は周囲の雰囲気を引っ張っていける程の力を持っていると感じていた。

努力次第で、彼らはどこまでも強くなるだろう。まだ彼らの走りを見て間もないが、しおりは彼らに、そんな期待を持っていた。

「ねえ、私も一緒に行っていいかな。この人の多さじゃなかなか入れなくて」
「もちろんです!じゃあボクたちの間に入ってください」
「え、後ろで良いよ。ついていくから」
「ダメですよ!佐藤先輩が潰れてしまいます!ボクらでスペース作りますから!」

そうして半ば強引に間に押し込められ、泉田を先頭にして部室へと入っていく。
いつも以上に熱気であふれた部室内は、中に入ると外から見ていた以上に混雑しているようだ。彼らがスペースを作ってくれているのは本当なようで、圧迫感もなく苦しくはなかったが、それでも性別の違いがあるとはいえ、後輩に守られているというのは何だか非常に情けない気がして落ち着かなかった。




 
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