53:超えたい



しおりから復帰レースの情報を聞いた翌日の部活終わり。福富は寮の部屋にいつもの自転車競技部同期の3人を集めると、彼らに昨日のあらましを話した。

彼女が復帰レースを決めていること。そして、それが全国屈指の大きなレースだということ。

それを聞いた彼らの反応といえば、やはり昨日の福富と同じく微妙なものであった。
皆、彼女の過去を知り、トラウマを知り、様々な苦労をした上でここにたどり着いたことを知っているからである。

参加者数が多く、選手同士の接触事故も多発するであろうレース。そんな危険性が潜むレースで、もしまた落車でもして数年前と同じ末路をたどってしまったらと思うと、とてもじゃないが手放しには応援してやれない。

必死で乗り越えてきた彼女のその努力が、泡となって消えるのが。また自転車嫌いの彼女に逆戻りしてしまうのが、怖い。
本当は全面的に応援してやりたいが、彼女が大切だからこそ危険を冒して欲しくないというのも彼らの本音なのであった。

皆がどうしたものかと考え込む中、不意に東堂が「しおりは」とポツリつぶやいたことで、他の者たちが彼に顔を向ける。

「しおりは、そのレースに何か思い入れでもあるのだろうか」
「思い入れ……というと?」
「いや、な。レースのことに明るいしおりならば、そこにどんな危険があるかくらい把握している筈だろう」

大きなレースで何度も優勝したことのある彼女ならば、なおさらだ。
特にレースの先頭集団は、もっとも効率の良いコース取りをしようとハイスピードを保ったまま選手たちが密集するために、接触事故が多いのだ。

そんな死闘を幾度となく潜り抜けてきた彼女だからこそ、来月末のロードレース・カップが復帰最初のレースとしてふさわしくないことだってわかっているはずだ。
周りは練習に練習を重ねてきた強者ぞろい。一方のしおりは、2年間のブランクに加えて、膝に爆弾まで抱えている。
大会まではあと一か月と少し。その期間に詰め込んだ練習程度では、走り切るどころか波にのまれてリタイアが関の山というのが普通の考えだ。

「わかっている筈なのに、それでも執着している。だから、しおりにとってそのレースには何か特別な思い入れがあるのかと思ったのだ」

そう続けた彼に、皆はなるほど、と膝を叩いた。

例えば、人生で最初に参加したレースだとか。例えば人生で最初に優勝したレースだとか。
自転車競技の経験が長くなればなるほど、そういう思い出深いレースが自分の中で増えていくのだ。しおりだって、その例には漏れないだろう。
あくまでこれは、東堂の思い付きによる予測だ。何の根拠もない。

けれども、その言葉に反応した人物が……二人。
彼らは何かを察したように、ハッとしたように顔を見合わせ、そうして、息をのんだ。

「寿一、もしかして」
「ああ。そうだ。『あの日』と同じコースだ」

言うと、福富は自身のバッグの中からファイルを取り出し、沢山のメモやら切り抜きやらが詰まったページをおもむろにめくり出す。そしてすぐに行き当った目的のページを、自分の中で一度確認するように見つめ、三人に見せた。

「ここが、来月末のロードレース・カップの開催地だ。……しおりが2年前、最後に出場したコースが入っている」

添付されている大まかな地図を指でなぞり、福富が口を真一文字につぐんだ。それは、間違いなく彼女の人生を変え、彼女の居場所を奪ったコースである。彼女は、そこを走ろうというのだ。
まだ癒えてもいない、トラウマを抱えたままで……――

『私も過去を超えたいの』

昨日、そう言った彼女の言葉が福富の頭の中をよぎって消えた。
とんでもない度胸だ。いくら心が強くたって、普通ならその答えに至ることすらしないだろうに。

……けれど、知ってしまったならば、応援しないわけにはいかない。
彼女が超えたいと強く思っているのなら、這い上がりたいと思っているなら。何度でも引っ張りあげてやるのが、仲間なのだから。

「しゃーねェな。うちのじゃじゃ馬マネージャーの門出、オレらで盛大に後押ししてやろうじゃないの」

冗談めかして言ったのは荒北だ。彼らは互いに目を合わせると、にやりと口端を歪め、高らかに賛成の声をあげた。


 
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -