51:我儘な頑固者



何故だ。そう問うてくる視線には、いつも見せてくれる兄貴分的な優しさではなく、どこか疑心を感じているのであろう鋭さがある。
信頼する人から初めて向けられる眼差しとは、こんなに痛いものなのか。ついつい涙すらこぼれそうになったが、どうにか堪えて、震える声を吐き出した。

「レースに、復帰したいんです。そのための練習をしたいんです。……しかし、そうなると今まで通りのマネージャー業務が出来ません」
「ほう。つまりお前は、マネージャーの仕事が半端になるが許せと、そう言っているのか」
「……そうです」

答えた途端、主将の目が何かを見据えるように細くなり、呆れたような大きなため息をつく。それからガシガシと頭を掻いて、文字通り頭を抱えたまま、微動だにしなくなってしまった。

……怒ったのだろうか。
そりゃあ、そうだ。せっかく入ってきたマネージャーが、自分の練習をしたいからマネージャーなぞやってられない、と生意気を言ってきたのだから。
いくら懐が広い人だって、まちがいなく怒る。主将も、その例に漏れないのだ。

彼を失望させるのは辛いし、嫌われるのも恐ろしい。
けれど、どんなに怒られようが、何しようが、自分はもうレースに復帰すると決めてしまった。思い付きや、生半可な気持ちで来ているわけでは決してない。今日の今日で認められなくても、認められるまで交渉し続ける覚悟は、できていた。

「……お前たちの代は、いつも俺を困らせてくれるな」
「申し訳ありません」

額に手を置いた苦悩のポーズのまま独りごちた彼の心中を察して、思わず謝る。

確かに、今年の一年は逸材がそろっている分、自転車へのこだわりが強い頑固者が多く、上級生たちはいつだって彼らの教育に苦労していた。
その中でも一番割を食っていたのは、もちろん主将である彼なのだろう。

思えば、福富たちが自分をマネージャーにするためにサイクリングと称してサボったあの時も、夏合宿でしおりを男子部屋に泊めたいと騒いだあの時も、彼らの無理難題を聞かされ、頭を抱えたのは他でもない彼だ。
その上マネージャーまでもが仕事をボイコットしようというのだから、彼の苦悩は想像にたやすい。

やはり、今日の今日で説得は無理だろうか。ならば、また後日にでも説得することにしよう。
諦めかけたその時、いきなり視線をあげた主将のその目が、やけに楽しそうに細められたのが見えた。

「俺が怒るとでも思ったか?」
「……え?」
「おい!テメーらも顔あげろ。むさくるしい!」

彼の言った『テメーら』が誰を指すのかは、主将の視線が自分の背後へと向けられていたため、すぐに思いつく。
振り返れば、そこにはいつの間に集まったのか、部員たちがずらりと整列し、深々と頭を下げている姿があって。
それはまるで、しおりのレース復帰の為に、全員が主将に頼み込んでくれているかのような光景であった。

驚いて声も出ないしおりに、列の最前列に陣取って一際深く頭を下げていた一年の4人がパッと顔をあげ、彼女に『まかせとけ』とでも言いたげな顔をして、また深々と頭を下げた。

「オレたちからも、お願いします!挑戦しようと決意した彼女を応援したいんです!」

新開の、いつになく真剣なその声に、他の部員たちが呼応する。あっという間に男たちの声に埋め尽くされた部室。その光景は、傍から見ていて酷く異様で、けれど何より、温かかった。

……彼らが味方に付いてくれる。それだけで、何よりの勇気になる。


「っ主将、お願いします!」

彼らの姿に感化され、しおりも負けじと声を張り上げ頭を下げれば、それまで黙って部員たちの声を聴いていた主将が、先ほどよりも盛大なため息をつきながら、口を開いた。

「俺だってなあ、挑戦しようとするヤツの志を折るようなマネしねえよ。……佐藤」
「はい!」
「マネージャーのことは、気にしなくていい。自己管理はこの部の鉄則だ。お前は、お前のやりたいことをすればいい。それを反対するような野暮な奴は、この部にはいない。わかるだろ?」

彼が指差した先にいるのはきっと、しおりの夢を応援してくれる、優しい彼らの姿だ。
振り向いて、ありがとうを伝えたい。けれど、今振り向いたら、確実に泣いてしまう。主将の言葉に大きく頷いて返せば、途端に歓声が部屋中に広がって、酷い騒ぎになった。
そのことに怒鳴りながらも、苦笑する主将の表情は柔らかい。

「ったく、引退前まで我儘言いやがって。少しは労わってくれよ」
「すみません」
「……頑張れよ。俺だって、応援してんだ」
「はい!ありがとうございます!」

礼とともに、泣き笑いを向ければ、いつものように無骨で大きな手が、しおりの頭を乱暴に撫でてエールをくれた。



 
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