3:切れない縁



入学から一週間程がたち、ようやくこの新生活にも慣れて来たこの頃。しおりは、新たな悩みを抱えていた。

「……どうして東堂くんがいるわけ」
「食事は皆で囲った方が楽しいからに決まっているではないか」
「んなこと聞いてないわよ!どうして他の男子達と食べないのかって聞いてるの!」
「誰と食べようがオレの勝手だろう」

なあ、と話を振られた女友達が微かに頬を染め、まんざらじゃなさそうに頷く。ダメだこれは。完全にペースに巻き込まれている。しおりは深くため息をつき、仕方なく、自分の席を東堂達とくっつけて座った。

悩みの原因は他でもない、この隣の席のクライマー、東堂の存在だった。
入学日の一件以来、自転車競技部と関わりを持ちたくないしおりは前にも増して彼を避けていたのだが、どうやらその行動が『皆に愛されるオレ』を座右の銘にする東堂の闘争心に火を付けたらしく、毎日毎日、追い回されていたのだ。

普通の人なら、故意に無視したり、目があっただけで露骨に嫌な顔をすれば自然と離れていく。
けれど彼にはそんな嫌みだって通用しない。自分を認めてくれるまで食らいついてくるのだ。
自分の前にそびえたつ壁があると燃え上がるのはクライマーの性なのだろうか。昼休みだというのに、仲の良い男子生徒の所にも行かずにしおりの女子グループに混じって弁当を食べようとする東堂を見て、そう思った。

明らかに不機嫌なしおりなど気にせず、東堂は女の子達に自分の武勇伝などを聞かせて楽しんでいた。
人の自慢話など聞かされたってちっとも面白くないが、彼は入学当初からその破天荒さからあっという間に人気者になり上がった目立つ男だ。ついでに言えば、ナルシストなだけあって、顔もちょっとだけ良い。平均以上の顔はしていると思う。

そんな男の自慢話なのだから、ミーハーな女子たちはキャアキャア言いながら聞いてしまうわけだ。くだらない。

自分のお弁当箱をパカリと開けると、延々しゃべり倒していたはずの東堂が突然、目を見張って弁当箱の中身を食らいつくように見て来た。

「お、おお!?筑前煮にアジの竜田揚げにほうれん草のおひたし、それに出し巻き卵!ご飯は炊き込みだと!?しおり!これは一体だれが作ったのだ!」
「はあ?私の寮のルームメイトだけど。料理が趣味で毎朝作ってくれるのよ」
「ほほう、それは素晴らしい!味も申し分ないな。うーむ、この煮物のダシの利かせ方が何とも……」
「勝手に食うな!」

いつの間にかおかずに箸を付けていた東堂から弁当を取り返して叫べば、クラスからはまたやってる、と笑いが起こる。和やかな昼休みの風景。しかし、しおりにとってはこれも問題だった。
追いかける東堂と、追いかけられるしおり。言い合いが尽きない隣同士の二人は、いつの間にかセット換算されてしまい、名も知らぬ他のクラスの生徒からも「ああ、あの二人ね」なんて言われる始末だった。非常に不服である。

自転車になんて、これ以上関わりたくないのに、どんどんドツボにはまっている気がしてならない。けれど、同じクラスの、隣の席の、しかも心臓に毛が生えたような精神力を持ったこの男を振り切れる方法が、どうしても思いつかないのだ。

(なんで私がこんな目に!!)

むしゃくしゃして、お返しとばかりに東堂の弁当おかずをサッと奪って口に放り込む。「ああっ!」と悲痛の叫びをあげる彼を無視して咀嚼すれば、口いっぱいに広がる和食の素朴な味わいに、思わず目を丸くして彼の弁当を見た。

やけに綺麗に盛りつけられたおかずの数々。男の子なので量が多く、彩りの美しさが尚更に目立っていた。もちろん味だって美味しい。今つついたものとは違うおかずに手を伸ばし、パクリと口に含めば、それもまた手足をバタバタさせたくなるくらい美味だった。

「何これ、美味しい!東堂くんこそ誰にこんな豪華なお弁当作ってもらったのよ。どこかの旅館の料理みたい!」
「旅館仕込みだから当然だろう。全部オレが作った」
「……へ?」
「実家が旅館をやっているのだ。料理も掃除も、接待だって一通りは出来る」

しれっと言った東堂に、クラスの女子たちが黄色い歓声をあげる。
そりゃそうだ。顔もそれなり、性格も良くて、温泉地箱根の旅館の息子なのだから、彼と結ばれれば将来は安泰だ。

今度家に招待して!なんて言う女子にも「格安にしてやるから是非来てくれ!」なんて、ちゃっかり商売をしているし。こういうソツのないところが、人気の秘訣なんだろうな、なんて思いながら、騒がしいクラスの中で一人黙々と同居人の作ってくれた弁当を食べていた。
ああ美味しい。やっぱりこの味が最高だわ。

そうやって昼休みの時間が中ほどまで過ぎた頃、結構な量の弁当を食べ終えた東堂が、思い出したように「そういえば」と話しだした。

「来週から自転車部の奴らと昼を食うので、もう一緒できないのだ」
「えー、嘘!東堂くん、行っちゃやだよー!」
「うむ。ミーティングも兼ねているから、どうしても外せんのだ。寂しいとは思うが、どうか悲しまないでくれ」

カッコよく決めているつもりであろう東堂が、目頭に指をやり、涙をこらえるようなしぐさをする。……お前はいつの時代の劇団員だ。
思わず、心の中でツッコミを入れた。

しかし、そんなクサイ演技にもうっとりとして、本気で残念がっているのは、しおりの友人たちだ。何故だ。この男のどこが良いのか、自分にはまったく理解ができない。

「東堂くんがいないお昼とかすっごく寂しい〜!ね、しおり?」

いきなり振られた話題に、しおりは思わず鼻で笑って残りのお弁当おかずをポイと口に放り込むと、よく味わうように咀嚼して、ゴクンと呑み込んでから口を開いた。

「来週と言わず、明日からでもどうぞ」
「む、いいのか?」
「良いも何も、これで静かにご飯が食べられるんだから私は大賛成よ」
「何を言っているのだ。しおりも一緒に行くのだぞ」
「……はい?」

何を言っているのだ、はこちらのセリフだ。どうしてそういうことになったのかすら分からない。
あまりに突拍子もなさすぎていつものように反応できず、目を白黒させていると、東堂は自慢の笑顔をニカッとこちらに向け、親指を立てた。

「自転車部の奴らには、マネージャー候補だと言ってあるから安心しろ!しおりが明日でも良いというのなら、皆にそう伝えて」
「だから勝手に決めんなって言ってるでしょ!!!」

胸倉を掴んで振り回せば、昼飯を食べたばかりの東堂がうぷ、と口元を押さえるような動作をしたので咄嗟に離した。教室の床にへたり込んだ東堂の髪は、揺さぶられたことで乱れ、悲惨なことになっている。
必死で込み上げてくるものを押しとどめた東堂が涙目で顔を上げると、その顔は微かに青い。
自業自得だ。この男は、ちょっと痛い目を見る必要がある。

「とにかく、私は自転車部の人たちとお昼なんて食べないし、マネージャーもやらないからね」

言い捨てて、逃げるように教室を出れば、友達は薄情にも追ってこなかった。大方東堂の介護でもしているのだろう。友達よりも男を選ぶのかと、少し腹立たしかったが、実は少しホッとしていた。

必死に断ち切ろうとしている自転車との縁がまた繋がってしまうのが怖くて、泣きそうだったのだ。捨てたはずなのに、あきらめたつもりだったのに、自転車の方が自分を離してくれない。
自分はもうその期待に応えられないのだ。お願いだから、もう手を離してほしい。

私の栄光の色は、いつだって白だった。

けれど、挫折の色も同じ白だと知った時、私は自転車からきっぱり足を洗ったのだ。





 
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