39:変わらないもの、変わる人



久々に帰って来た地元は、はっきり言うと何も変わっていなかった。
それもそうだ。離れていたとは言っても、一学期の間だけ。そこまで様変わりするような期間ではない。

けれど、箱根学園高校に入学し、新しい環境と、自転車競技部関係で始終バタバタしていたので、先日、両親からの連絡が入るまで、地元のことを思い出すことすら忘れていたのだ。

……ちなみに、夏のインターハイで我が箱根学園自転車競技部は、見事王座を死守し、優勝に終わった。

来年も、めでたくひとケタ台のポジションだ。そしてそれは、全国全ての学校に追われざるを得ないポジションでもある。

引退まではまだ少し日があるが、主力の三年生の抜けた穴を、ここからどうやって最高の形に持って行くか。それを考えるのが、マネージャーであるしおりの仕事である。

負けることは許されない。
負けないチームを作らなければいけない。
まだ夏のレースが終わったばかりだというのに、もう緊張している。

けれど、その押し潰されそうなプレッシャーと同時に、レースを楽しみにしている自分がいるのも、事実だった。

電車を降り、プラットホームの固いコンクリートを踏みしめる。途端、夏のむわりとした熱気に襲われて、キンキンにクーラーの効いた車内が恋しくなったが、今日の目的地は確かにここなのだ。
嗅ぎ慣れた地元の匂いが、それを教えてくれている。今さらどこにも引き返すわけにはいかず、灼熱の地を進み始めた。

さほど広くない駅内を歩き、家から最寄りの改札口の方の自動改札機前でカード乗車券をかざす。ピ、という電子音と共に、無事に改札口が開いたのを確認して、しおりはそろりとそこを抜け出た。

「あ、来た来た。しおり!」

呼ばれて顔を上げれば、そこには見慣れた中年の男女がニコニコしながら自分に手を振っていた。もちろん、彼女の両親である。
ただ、名を呼んで、目が合っただけ。
この16年間で幾度となく繰り返された、そんな他愛もないやりとりなのに、彼らはそれだけで酷く嬉しそうに破顔して、彼女がそちらにたどり着くのが待ちきれないという様子で近づいて来た。

「おかえり!大変だったでしょ」
「随分日に焼けたなあ。それに、少し大人っぽくなったんじゃないか?」

帰省用に荷づくりした大きめのカバンを有無を言わせない様子で彼女から奪い取り、両親が笑う。そんな彼らに、しおりは「変わらないよ」と苦笑して、右肩からずり落ちて来ていた輸送袋を元の位置まで掛け直した。

そう、何も変わらない。だって、彼らの元から離れてまだ数か月しか経っていないのだ。
地元の風景が、数か月じゃ変わらないのと一緒で、人だってそう簡単に変わるものではない。

背の高さだって、髪の長さだって。体重は、この夏で少し減ったけど、それだって誤差の範囲だ。

相も変わらず勝気で、意地っ張りなこの性格も、落ちつくどころか自転車競技部に入ってさらに加速してしまったように思う。

……ほら、あなたたちの娘は、昔から何も変わらない。

そうでしょう?と同意を求めれば、両親はやけに優しい目で愛娘を見つめ、そうして何も言わずに、彼女の背に優しく腕を回してきた。

肩にかかった、愛車のラピエールが輸送袋の中でカチャリと音を立てる。固いその車体が当たっているだろうに、彼らはそんなことなど微塵も気にしていないように腕の中の彼女の頭をなでてくれた。

「……乗り切れたのね。おめでとう」

その言葉に、しおりは、ああ、そうかと気が付いた。

あれだけ拒み続けた自転車に自分がまた乗れるようになったのは、箱根の自転車馬鹿たちによる様々なお膳立ての結果であった。じわじわと誘惑され、ほだされて、攻められて。長い時間をかけて、やっと元の鞘へ戻ったわけなのだが、この数カ月を離れて過ごした両親にとっては違うのだ。

彼らは、自転車競技部の面々がどんな手を遣って自分にアタックしてきたかを、何も知らない。
知っているのは、あの事故のショックで自転車を辞めたはずの娘が、昔のように愛車を大事に抱えている事実だけだ。

生きがいだった自転車を奪われて荒んでしまった娘の姿を一番近くで見て来たからこそ、彼女の前向きなこの変化が、大きなものだと感じたのかもしれない。

……数か月じゃ、変わらない?

違う、変わっていないのではなくて、変わっているのに気が付かないだけだ。
よくよく見れば、両親だって、ほんの少しだけ白髪が増えていた。それを本人たちに言ったら、きっとぷりぷりと怒りだすだろうから、言わないけど。

両親の腕を取り、真ん中の特等席を陣取る。ぐいぐい引っ張れば、両親は「困った娘だ」なんて嬉しそうに笑いながらもされるがままだった。

話したいことが、沢山ある。
全部、全部聞いて欲しいのだ。数カ月分の軌跡を。自分を救ってくれた自転車馬鹿な彼らの話を。

今日も真っ青な空が頭上の全てを明るく覆って降り注いでいる。過去を捨てたくて飛び出してきた地元の風景は、あの頃と変わらずそこにあって、そして変わらず、愛おしかった。


 
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -