34:飛び出す影の行く先は



「こりゃまた、すごい数だな」

合宿3日目、特別メニューのスタート地点は、ロードバイクに跨った部員たちで大わらわだった。
その人数は、どう見繕っても裕に20人はいる。レースに参加せず、コースを眼下に高みの見物としけこんでいる新開が、ひゅう、と口笛を鳴らして見せた。

参加層は、今までギリギリでノルマをクリアして来た一年生から、レギュラー候補だった三年生まで様々だ。
大方、今日なら合宿練習の最終日であるから、多少無理をしても明日への影響がないということなのだろう。
しかし、決して楽がしたいからダメ元でレースに出るわけではなく、この合宿中で自分がどれだけ成長したかの実力を図るために参加しているという雰囲気だった。

早起きのセミが、朝の挨拶とばかりにジリジリと鳴き喚いている。そこにあるのは、ただでさえ暑苦しい真夏の空気をより熱くする、彼らの闘志である。
そんな中、特に異様な空気を放っているのが、スタート地点後方にいる、1年の福富と、そして、しおりの存在だった。

スタートまであと5分ほどある為、皆おのおのに喋ったり、ストレッチで体を動かしている。だのに、あの二人だけはその場に佇んだまま、微動だにしないのだ。
ピリピリとした空気が、丘の上にいるこちらにまで伝わってくるようだ。新開は波乱の予感に思わず口端を上げた。

「誰が勝つと思う?」

問いかけた先にいたのは、新開と同じくレースに参加しない、東堂と荒北の二人だ。転落防止のガードレールに寄り掛かって、遠くに見える、人形程の大きさの部員たちの姿を見つめていた。

「決まってんだろォ、福チャンだ」
「そうか?オレは断然、しおりだな!何せ1対5なのだ、いくらフクでもあれだけ数を揃えられては太刀打ちできんだろう!それにしおりは前日も6人ごぼう抜きを成し遂げるほどの実力があるからな、その辺も踏まえると」
「東堂ウゼエ」
「ウザくはないな!」

いつも以上に喋る東堂に、放っておけばいいのにそれにいちいち返す荒北。何気ない光景に見えるかもしれないが、本当のところは、そうでもしていないと、この内に湧き上がってくるワクワクした感情を誤魔化すことができないというのが正解だろう。

次期エースを約束された男、福富と、引退するまで不敗記録を生み出していたしおりの真剣勝負。
こんなレース、もう一生かかったって見ることができない。だから、新開自身も、期待で胸を高鳴る胸を抑えることができなかった。

「スタート30秒前!」

かかった合図に、部員たちのざわめきがピタリとやんだ。
着々とカウントダウンがなされる中、もう無駄口を叩くような輩はいない。今彼らの頭にあるのは、誰よりも早く10キロ先のゴールラインを駆け抜けることだけだ。

「サン・ニ・イチ……!」

乾いたスターターの発砲音で、集団が一斉に飛び出していく。獲物を狙う大蛇のように、ゆっくりと動き出した塊が、徐々にスピードを上げて列を形成して行く様子が、この地点からだと良く見て取れた。

中でも、ひと際目立ってスピードを上げ、集団の先頭へとあがっていく影がふたつ。
重厚感のある黒い車体のジャイアントは、まさしく福富の愛車だ。
そして、もうひとつ。大きな体格の男たちの中、すり抜けるようにして前へ前へと進んでいく、真っ白な小ぶり車体のラピエール。
それを目にした瞬間、その場にいた誰もが数秒、ポカンと口を開けたまま動けなかった。

「お……おい、あれはしおりか?どうして先頭切って走っているのだ?」

真正面から戦って福富に勝てるような実力者は、この箱根学園自転車競技部にはレギュラー陣の数人しかいない。もちろん、しおりだって、いくら過去に数々の栄光を手にした選手だったとはいえ、その例には漏れないであろう。

だから、てっきり、彼女はエースとしてマネージャーチームの最後尾を走るとばかり思っていたのだ。しかし、現実彼女は福富の隣にピタリと張り付いて集団を率いている。

どんな作戦が彼女の中にあるのかはわからない。ただ、待ちきれない。早く勝負がしたいと、そんな高揚した感情が、全身からあふれ出ているのが見えるような気がして、思わずゾクリと身震いをした。

……昔からそうだ。
彼女のあの走りを見ていると、自分は無性に走りたい衝動に駆られるのだ。

無駄のない変速で、風のように進む体。どんなにブランクがあっても、彼女の体の中に染み込んでいる技術が自然と体を動かしているのだろう。

そして、レースに対するあのモチベーションの高さだ。いくら強い選手がいようが、過酷なコースだろうが、彼女は決して諦めることをしない。
前だけを見て、ゴールだけを夢見て、突き進んでいる。
目を爛々と輝かせ、自転車に乗れる喜びを噛みしめて、笑っているのだ。

そんな姿に、周りの選手たちは揺り動かされ、彼女の小さな背中を追いかける。懸命に漕いで、近づこうとして、それでも遠くなっていくその背中に、酷く羨望するのだ。

……そう、今の自分のように。

不意に、福富と目が合ったしおりが目を細めて笑うのが見えた。
実に楽しそうで、幸せそうな表情だ。それは長年のライバルと走っているからこその至福の顔で。
他の者では、彼女にそんな表情をさせることなど出来はしない。分かっているから、尚更チリリと胸が焦げた。

「羨ましい」

ボソリと呟いた東堂の言葉。振り向けば、彼は珍しく苦々しい顔をして二人のレースを見つめていた。見れば、その隣にいる荒北も、歯がゆそうに顔をしかめているのが見て取れた。

……なんだ、彼女の隣を走れることに妬いているのは、自分だけではなかったのだ。

ただ、今だけは。およそ2年もの間、彼女を待ち続けたライバルである彼にその特等席を譲ろうではないか。
楽しそうにレースに挑む、彼女のがむしゃらな姿を目に焼き付けた。


 
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