30:不敵交渉



今年の部員は、骨があるやつが多い。

合宿二日目を終え、未だ脱落せずに生き残っている人数は八割ほど。例年はこの辺りで半数近くが脱落するのを考えると、その違いは明らかだった。

今年からメニューの仕様が変わっているとはいえ、決して合宿内容が甘くなったわけではない。むしろ、ハイリスク・ハイリターンな特別メニューしかり、一日に走る距離数しかり、内容的に見れば、確実に厳しくなっている。
だのに、これだけの人数がまだ残っている理由は、ひとえに『彼女』の貢献があるからだろう。箱根学園自転車競技部の主将は、そう考えていた。

マネージャーの佐藤しおりは、元自転車競技の選手だったということもあり、入部したその日から即戦力のマネージャーだった。
雑用はもちろん、選手のフォームの直しや、自転車整備、練習内容までをも提案を出してきて、それが驚くほど的確なのだ。
自転車に関しては少しの妥協だって許さず、男くさい部の中でたった一人の女だというのに、そのことで媚びたり、仕事を他のマネージャーに投げたりしたことだって一度もない。

いつだって朗らかで、明るい彼女のお陰で、インターハイ前のピリピリした空気が良い具合に抜けて、皆適度にリラックスした状態でメニューをこなせるのだ。

彼女がこれから三年間、この部に与えてくれる栄光はきっと酷く大きいものになるだろう。そしてそれは、彼女を連れて来た『彼ら』の手柄でもあると言える。

彼らが、サイクリングに行くから部活をサボらせて欲しいと突拍子もないことを言い出したからこそ、彼女が今、ここにいるのだ。

……一列に並んだ、ギラギラと光る、野望に満ちた八つの目。

あの時の彼らの瞳の色を思い出し、主将は深く、ため息をついた。

「……で、今度は何なんだ」

目の前にあるのは、あの日と同じ目をした一年四人の姿だった。本日分のメニューを終え、クールダウンもしっかり済ませ、飯もたらふく食った。さあ、あとはたっぷりと旅館の温泉にでも浸かって今日の筋肉疲労をほぐそうかと思った矢先の呼び出しだ。

時刻はすでに今日のタイムリミットギリギリだが、彼らは、今のいままでペダルを回していたのだろう。汗も渇き切らない、息も整わないそんな状態で、決意の色だけを爛々と瞳に宿し、三年の部屋に訪ねて来たのだった。


前にも語っただろうが、主将は彼らの実力を認めている。けれど、行動があまりにも極端すぎるのが玉に瑕だった。

負けず嫌いな彼らの中で脱落者などもちろんいない。しかし、勝手に周回を増やしてメニューをこなしていたり、ゴールした後に他のコースを回ってみたり、帰って来ても空き部屋でひたすらトレーニングをしてみたり、旅館のおひつの中身が尽きるまで飯をお代わりしてみたりと、とにかく全てが規格外なのだ。

そんな彼らが自分を呼び出すのだから、よっぽどのことに違いない。けれど同時に、嫌な予感がして仕方がなかった。

「お疲れのところ、申し訳ありません。今日は主将にお願いがあって来ました」

話し出したのは、やはり一年のまとめ役である福富だった。
彼は、今の調子で伸び続ければ、来年の箱学エースとして活躍することは間違いがない。故に、部内での信頼は非常に厚く、何かを取り決める際も、意見がいくつかで別れたとしても結局は彼の意見が通る場合が多かったりするのだ。

はなから上に立つ者の貫録なのである、彼は。その実績があるからこそ、今、彼が代表して喋っているのだろう。

しかし、こちらも数十人の部員を取りまとめている主将なのだ。いくら福富の頼みとて、内容を聞かないことには、是も非もない。
話してみろと目くばせすると、彼は一度息を吐き、大きく吸って、こちらを見据えた。

「佐藤を、合宿中、自分たちの部屋に宿泊させることを許してください」
「……は?佐藤って、まさか、マネージャーの佐藤か」
「はい、佐藤しおりのことです」

当然のように言いきった福富に、主将は思わず頭を抱え、ガシガシとかきむしった。
本来なら、何をふざけたことを言っているんだと一蹴しておしまいだが、相手が福富だとそうもいかない。

なぜなら、我ら自転車競技部の時期エースである彼は、絶対不敗の鉄仮面で、冗談など万が一にも言わない男なのだ。
……つまり、この発言は彼にとって、『本気』ということになる。

また面倒な事案を持って来やがって。
こちとら、インターハイ前の作戦立てで頭がいっぱいなのだ。恨めしげに彼らを睨めば、自信満々だった彼らの瞳が、一瞬所在なさげに宙をさまよったのを見た。

どうやら、無鉄砲な彼らにも背徳的な感情はあるらしい。
そりゃあそうだ。たった一人の女を、周りが男だらけの部屋に泊めさせてくれだなんて、通常ならば絶対にオーケーなどされないだろう。
彼らはそれを分かっていて、ダメもとで自分の元へ来ている。

「仲良しこよしのお泊りごっこなら、インターハイが終わってからにしろ。そこでお前らが佐藤とどんなお楽しみをしようが、俺には関係ねえよ」
「……っ!今の発言、取り消してください!」

主将の発言に突然声を荒げたのは、それまで代表として話していた福富ではなく、ずっと黙ったまま佇んでいた新開だった。
驚きで彼を見やれば、主将相手に大きな声を出してしまったのに気がついたのか、すぐにハッとしたように口をつぐんでいたが、その目には非難の色が浮かんでいる。

「……すまん」

確かに、今のはこちらが悪かった。彼らが佐藤を性の対象としてではなく、大切な仲間として見ているのは知っているし、一部に至っては、半ば崇拝に近いような感情を持っていることにも薄々は気が付いている。

けれど、この大事な時期に無謀な話を振られるこちらの身にもなって欲しい。部の長だとはいえ、まだ十代も半ばの未成熟な青年だ。感情的になって、失言をすることだってある。

一度息をついて落ちついてから、どうしていきなりそんな要望を出してきたかの理由を問えば、彼らは顔を見合わせ、困ったように目配せしていた。まるで、言うか、言うまいか迷っているという、そんな視線だ。
そんな中、一人だけまっすぐとこちらを見つめていた荒北が、黙っている他の三人を尻目に、何の迷いもなくパクリと口を開いた。

「アイツを一人で真っ暗な物置か何かに閉じ込めてやれば、理由もわかるんじゃないスかね。面白いくらいビービー泣くんスよ。泣き顔がお好きなら、お勧めっスけど」
「馬鹿言え、女泣かせて楽しいわけがあるか」

ましてや、せっかく入ってくれた大事なマネージャーを故意に泣かせるだなんて。
なんて悪趣味なことを言うんだと荒北を睨めば、彼は肩をすくめて、不器用に少しだけ目をそらしただけだった。

……しかし、これで少し見えて来た。マネージャーの佐藤は、閉所か、暗所か、もしくはそのどちらもかの恐怖症を患っているらしい。
佐藤と特に仲のいい彼らは、何らかの形でそれを知り、それで彼女を恐怖から何とか守ろうとしてこんな行動をとったのだ。

自分たちだって、いっぱいいっぱいであろう、この合宿中に。

全く、どれだけ彼女に心酔したら気が済むのだ。吐きだしたため息に、一年共が期待の色を見せたのが分かって、叱咤するようにギッと睨みつけた。

「どんな理由だろうと、駄目に決まってんだろ。馬鹿言ってねえで早く寝ろ」

ばっさりと切り捨ててやれば、彼らは分かりやすい落胆の声を出し、ガクリと肩を落とす。

当たり前だ。男女同室など、認められるわけがない。もしこれで自分が要望を承諾したことが他の部員や、もしくは部外の者にバレようものなら、確実に伝統ある箱根学園自転車競技部の管理能力を問われる事態に発展するだろう。

「じゃあな」と冷徹な一言を投げかけて、主将は彼らに背を向け自分の部屋へと歩みを向ける。
てっきり反論のひとつでもしてくるかと思われた彼らも、自分たちの申し出の無謀を理解しているらしく、何も言い返してはこなかった。

明日もきっちり練習だ。今日擦り減ってしまった体力は、睡眠で補わなければならない。
すぐにでも襖を閉めて、彼らの存在をシャットダウンしてしまおうかと思ったのに、襖にかけられたその指は、何故か動かなかった。

いま、心にあるのは、大事なインターハイ前にこうも面倒事ばかり持ってきて悩ませてくれる後輩たちへの苛立ちだ。

これで彼らが口だけの選手なら、ただ無視してしまえばいいだけだったのに、あろうことか、彼らは誰よりも自転車に対して真剣で、そうして化け物のように速いのだ。

今年のインターハイのレギュラー決めのレースだって、気を抜けばその地位を奪われていた。激戦の末、なんとか勝ち取ったレギュラーの座。誰もが、最後の晴れ舞台に出場できるという喜びと同時に、迫りくる後輩たちからのプレッシャーに肝を冷やしていたのだ。

その彼らが、もっと速くなる為に必要だと判断し、手に入れて来たのがマネージャーの佐藤しおりだった。

けれど、自分たちは彼女との付き合いが短いので、彼女に関しての事や、ましてや過去のトラウマの話など、知る由もない。だから彼らがどうしてそこまで彼女に固執するのかも、未だにわからない。

わかっているのは、入部して間もない彼女の存在が、確実に部員の精神的な支えになりつつあるということ。
『今年の部員は、骨があるやつが多い』と表現したが、その丈夫な骨を作り上げる栄養剤が、他でもない彼女なのだ。

彼らに背を向けたまま、コホンと咳をする。別に喉の調子が悪いわけではない。仮にも王者箱学の主将が、合宿中に風邪をひくだなんて、そんな馬鹿な真似はしない。
ただ、彼らの気をこちらに向けさせたかったのだ。

「これは独りごとだが」

そう切り出すことで背中に複数の視線が集まるのを待って、そうして続く言葉を紡いだ。

「今夜からレギュラー陣と顧問でインターハイについての話し合いをする為、夜間見回りがなくなる。いいか、お前ら。監視は無くなるが、悪さはするなよ」

『監視はない』を強調し、そこでぴしゃりと襖を閉めてしまえば、薄い壁の奥で、彼らが静かに高揚しているのを感じてついつい笑ってしまう。
たとえ自分がどんなに禁止しようとも、頑固な彼らが勝手にことを実行に移すことなど目に見えて分かるのだ。それで問題が起きるくらいなら、最初から逃げ道をつくってやったって良いだろう。





**********





「おかえり。一年たち、何の話だって?」

部屋に集まっていた三年の仲間たちが、興味津々に顔を覗き込んできた。
ぐるりと見回せば、レギュラー陣は軒並み顔をそろえていて、あとは顧問がそろえば、本当にインターハイの話し合いが出来そうな雰囲気であった。

そう、本来ならインターハイの話し合いなど予定にはなかったのだ。
酷使した体を十分に休ませるのが、明日の体調の良し悪しに直結するからだ。けれど現実は、毎年合宿になればこうして夜は誰かの部屋に入り浸り、レースの作戦会議をしたりしているうちに寝てしまうというのがお決まりのパターンでなのだ。
だったら、ここはひとつ、正式に話し合いの場を設けてしまってもいいのではないか。

最後のインターハイ、最後の夏合宿。
本番前に、高ぶった心をさらに高みに晒すのは、悪いことではない。
咄嗟に出た嘘も、本当になってしまえば罪はないのだ。

緩んでくる口元に、皆がどうしたんだと首を傾げるので、所狭しと敷かれた敷布団の上にドカリと座り込んで、仲間たちの顔をぐるりと見回した。

「奴ら、あのメニューでは足りないそうだ。もっと増やして欲しいとさ」
「おっ生意気〜!じゃあ明日は盛大にしごいてやろう。コース巡回中に勝負でも仕掛けるか!オレ東堂担当な」
「じゃあ俺は新開かな、ぶっちぎってやる」

わいわいと、明日の地獄をもっと過酷にする計画を立てる、悪魔のような優しい仲間たち。
……見逃してやったのだ、これくらいの愛情は受け止めてもらわねば。
次々と酷い案を出す仲間たちに笑って、自分もその輪に加わった。





 
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