28:つかの間貢献賞



寝入ってしまった彼女を運んで来たのは、荒北の部屋だった。

本当は、このまま彼女の部屋に送り届けてしまおうかとも考えた。だが、一人を怖がる彼女がもし夜中に目覚めたら。そう考えるとあまりにも気の毒で、どうしても一人には出来なかったのだ。

暗闇の恐怖に怯える彼女の姿。あんなもの見せられて、放っておけるわけがない。
だったら、いっそ自分の部屋に連れて来た方が安心だと思ったのだった。

もちろん、荒北としおりの二人きりという訳ではない。そんなことをすれば、彼女を可愛がっている部の先輩たちはおろか、同期にまで袋叩きにされることだろう。たとえ、その夜に何もなくても、だ。

幸い、そんなことにならないように部屋は二人部屋になっていて、荒北の相方は福富である。堅物で有名な福富が一緒であれば、たとえ何かの拍子にしおりが男部屋で寝ているのがバレようが、きっと大事にはならない。
それくらい、福富への信頼は絶大なのだ。


ということで、彼女のことを同室の福富にも断っておかなければならないのだが、体調管理第一の彼の事だ。夜中の12時をとうに回ったこの時間ではきっと寝ている。

そう構えて自室に繋がるふすまの前に立てば、そのわずかな隙間から電灯の煌々と光が洩れていて、荒北ははて、と首をかしげた。

……まだ起きているのか。珍しい。

まあ、寝ている所を叩き起こすよりは良いかもしれないが。荒北は、別段気にすることもなく、引き戸のヘリに指をひっかけ行儀悪く足で扉を開け放った。

「福チャアン。コイツ廊下で寝ちまったからココで……――」

そこで、荒北の声がピタリと止まる。
ひらけた視界の中にいたのは、もちろん福富だ。彼の部屋なのだから、それは当然だろう。風呂に入った後なのか、浴衣姿が案外様になっていた。

それだけならば、問題はない。けれど現実、『それだけ』ではなかったから困るのだ。

そこには同じく浴衣姿で、別室であるはずの東堂と新開の姿があった。
今朝配られた合宿用メニューのコースを確認していたのだろう。地図を広げたまま、突然現れた荒北にぽかんと視線を投げかけて来ていた。

静寂が、室内を包み込む。ややあって、彼らの目が荒北の腕の中にいるしおりの姿を捉えると、皆荒北が登場したときとは比べ物にならないほど驚いたようで、口が半開きになっていた。

「失礼しましたァ」

荒北がくるりと体を方向転換させ、元来た道を帰ろうと踵を返すと、それまでことの展開に茫然としていた東堂が、ものすごい勢いで荒北の腕に掴みかかって来た。

「ちょおおお!!おまえ、荒北!!しおりを!しおりをどうするつもりだあああ!!」
「うるせえ!ご近所迷惑ダロが!!」

下手に騒げば他の部屋の奴らにしおりがここにいることを悟られてしまうかもしれないし、何よりやっと眠りに着いた彼女が起きてしまう。
ぎゃあぎゃあとまとわりついて来る東堂を足蹴にして、何とか彼女を守った。

「おーい、靖友こっちだ、こっち」

不意に気の抜けたような声をかけられそちらを見れば、いつの間にか敷いたのだろうか。新開が綺麗にセットされた布団を指差し、手招きをする姿が見えた。
……新開のくせに、気が効くじゃないか。
礼もそこそこにしおりの体を布団の上へと降ろすと、部屋にいた男どもが、ぞろぞろと集まって彼女を覗きこみ始めた。

「……おお、これはなかなか!」
「絶景だな」

嬉しそうに声を上げる助平たちにつられて彼女を見れば、上から見下ろした彼女は、半袖に、丈の短いハーフパンツ姿で、夏だから仕方がないのかもしれないが、直視するにはいささか肌の露出が多いようだった。

いくらその気がないとはいえ、ここにいるのは健全な男子高校生四人だ。めんどくせえと舌打ちして、彼女の体を隠すように肌掛け布団をかけてやれば、新開が「紳士だな」などとからかうように言って来たので、蹴り飛ばしてやった。


……しかし、こんなに騒いでも起きないとは。

改めて、死んだように眠る彼女の寝顔を覗きこむ。まだ一日目とはいえ、のしかかる疲労はそれだけ大きいのだろう。こんな小さな体で、休む間もなく働いて、働いて、働いて。
だのに、疲れただとか、もう嫌だだとか、そういうネガティブな発言を一度だって吐かないのだ。彼女は。

それどころか、誰よりも笑って元気でいる。
自分との戦いという面が大きい過酷なメニューの中、何度彼女の明るさに励まされたかわからなかった。

自分たちの姿を見つけると、仕事の手を止め、頑張れと大きく手を振ってくれる彼女の姿。それを見ると、まるで彼女が透明な旗を振りながら『ここがゴールだよ』と教えてくれているような錯覚がして、萎えかけていた心が、棒のようになった足が、また命を噴き返して力が湧いてくるのが分かるのだ。

あれがなければ、途中で挫折した部員が続出しただろう。
けれども、これだけ過酷なメニューの中、今日脱落者したのは、まだ体の出来ていない、一年の数人と、特別メニューでマネージャーチームに負けてノルマ増加した何人かだけだったらしい。

今年の箱根学園は根性があると、先輩が喜んで笑っていたが、その根性の源は、間違いなく彼女だ。そうやって他人に元気を与える分、体力の消耗も激しいのかもしれないと、ふと思った。


さて、このまま間抜けな寝顔を眺めているのも面白い。……けれど、本題はこれからだ。

張り付いていた視線を彼女から外し、顔をあげて福富に目をやると、彼はいきなりのしおりの登場に未だ戸惑っているらしく、彼女の寝顔を見つめたまま固まってしまっていた。
彼の意識をこちらに向ける為に、荒北は「福チャン」と名を呼ぶ。やっと視線を上げた福富にニヤリと笑いかけると、緊張感も何もない調子で、交渉を始めた。

「コイツ、合宿の間ここに泊まらせてもいーい?一人になるのと、暗いのが怖いんだってサ」
「いや……だが、だからといって男女が一緒の部屋というのは倫理的に、」
「……怖いからってさ。自販機の明かりの前でうずくまってんの。なのに、心配させるから先輩たちには言わないでって、泣いて頼むの。……馬鹿だよなあ。」

その時、福富が黙り込んだのは、勝手な行動をする荒北に怒っているから……ではなく、提示された選択に迷っているからだった。

彼がしおりに滅法甘いのは、部にいる奴らなら誰でも知っている。どんな時でも無表情の鉄仮面が、彼女の前では仮面がズレズレになっているのだ。
そんなしおりが困っているのを知って、福富が黙っていられるはずがない。

本来なら弱みを人に知られることなど彼女にとっても不本意だろうが、こうすることでしか、マニュアル男の心を揺さぶる術がないのだからしょうがなかったのだ。

「どうするゥ?」

畳みかけるように問えば、福富の目が荒北の瞳を捉え、次いでまたしおりの寝顔へと泳いだ。
頬には、涙の跡がある。目尻を擦ったのか、少し赤くもなっている。

これを見て、断るような男はいないだろう。もちろん、福富とて例外ではない。考え込む為に目をつむった彼が、諦めたように大きく息を吐くのが聞こえた。

「……わかった。明日、主将に相談してみよう」
「「やったー!!」」
「なんでオマエらが喜ぶんだよ!」

枕や座布団を投げて喜ぶ東堂と新開に思わずツッコミを入れるが、マイペースな彼らはやっぱり聞いていないらしい。バタバタと部屋を出て行ったかと思うと、すぐに自分たちの部屋から布団を一式持ってきて、当然のようにしおりの隣に並べ始めた。

「しおりが寂しくて泣かないように一緒にねてやらねばな!ほら、フクも早く来い」
「う、うむ……」

まんまと乗せられた福富も、照れながらしおりのそばに布団を並べる。男たちがぐるりと少女を取り囲んで横たわるその光景は、なかなかに異様で、滑稽だ。

怖がりな彼女にぴったりと寄り添って、そうして飽きずにまた自転車の話をしている。
……馬鹿だ。間違いない。こいつら全員、馬鹿だ。

そんな能天気な彼らを横目に、荒北はひとり、風呂に入りに行く準備をしていた。
さすがにこの汗まみれの体で布団に横になるわけにはいかない。
誰もいない広い風呂を満喫して、自分が帰ってくる頃には、きっと皆ぐっすり夢の中だ。そうしたら、彼女にひっつく馬鹿たちを順々に引き剥がして、自分が隣を陣取るのだ。

起きた時の文句など聞かない。なんたって、彼女をここに運んで来たのは自分なのだ。

数時間だけの貢献賞。
勝手に貰ったって、大した罪にはならないだろう。


 
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