24:罪作りな少女



車輪が回る夢を見た。

最初は一台だけだった自転車が、瞬きをする度にどんどん増えて、最後には目の前の景色全てを埋め尽くすほどになる。それがどんどん自分に迫ってきて、通り過ぎては、また現れる。まったく現実味はない夢だった。

ただひとつリアルなのは、空気抵抗がもたらす風切り音だ。一台だけでも、本当に自転車が出しているのかと驚くくらいの音がするのに、幾重にも重なればまるで巨大な怪物が地を這って動き出したかのような音になる。

迫っては消え、また迫っては消えを繰り返すだけの夢。
彼らが目の前を通り過ぎるたびに、何だか置いて行かれているような感覚がして、寂しくなった。

けれど、仕方がない。自分はどうあがいたって、あの集団の中には戻れないのだ。

視線を伏せようとした瞬間、数え切れないほどの自転車と、選手たちの集団の中に、一瞬だけ箱根学園の名を背負った同級生たちの姿を見た気がして、思わず声をあげた。

『やだ、置いて行かないで!私も、私だって皆と一緒に走りた……――』












「しおり!」

肩を揺さぶられ、しおりはハッと目を覚ました。
あまりにも夢の中に入り込んでいた為に、一瞬自分のいる場所がわからくて焦る。慌てて顔を上げると、そこは夕刻色に染まった教室で、人もまばらなその空間は本当にここが現実なのかどうかすら疑わしくなるくらい幻想的だった。

六限の、現国の授業はいつ終わったのだろう。ホームルームは?起立と礼すらした覚えがない。
頭はまだ正常に働いておらず、ボーッとする思考で自分を呼んだ声のした方に視線をやれば、それが隣の席の自転車競技部の部員、東堂のものであったのだと認識して安堵した。

「……なんだ、いるじゃない」

てっきり、彼も自分を置いて行ってしまったのかと思ったのに。そこまで言おうとして、そうだ、先ほどのは夢なのだったと気がついて口をつぐんだ。

てっぺんにつれて行ってくれると言った彼が、自分を置いて行くはずがない。ただの夢だ。言い聞かせて、東堂を見れば、彼は「寝ぼけているのか」といつもの朗らかな声で笑う。
そのやかましさが、ここが現実だと教えてくれているような気がしてはにかめば、東堂はそっとしおりの前髪に指を通し、それをかきあげてきた。

「寝ぐせがついているぞ」
「え、やだ。これから部活なのに。直りそう?」
「どうかな」

何度も撫でつけてくる感触が、この寝ぐせが相当のやっかい者であると語っているようでため息が出る。
流石に寝ぐせ全開の頭で部活になど出られないから、水で濡らしてみて、それでもダメならピンで止めてしまおう。
そんなことを思いながら、東堂のされるがままになっていると、髪の毛を触られる感触にまたうとうとし出してしまった。重くなる瞼にあらがえず目をつむれば、東堂の手の動きがピタリと止まる。
心地よい感覚がなくなって、しおりは非難がましくゆっくりと目を開けた。

「しおり、寝ていないのか?隈が酷いぞ、それに」
「やめて、それ以上は言わないで」

彼の言わんとしていることはわかっていた。そんなことは、当の本人が一番よくわかっているのだ。
最初は気のせいかとも思ったが、最近特にそう感じるし、こうして他人にすら指摘されてしまったので、どうやら間違いではないらしい。

……そう。
自分の肌荒れが、酷いなんてことは、わかっているのだ。

無理はするなと新開に言われたものの、今はインターハイ直前の大事な時期である。練習はもちろん、夏休みが始まってすぐに計画されている強化合宿の準備や、部員の個人データの収集で十分に休みをとる暇もなく、色んな疲れが溜まって肌に出てしまっているのだった。

しかし、疲れているのはきっと部員全員が同じはずだ。自分だけが肌荒れするほど疲れたから休みます、なんて言えるわけもない。
机の上に出しっぱなしのまま放置された教科書と、授業中に作成していたマネージャーノートをいそいそとカバンの中にしまい込み、ガタリと席を立った。

「お待たせ」

そう言って、先に自分のカバンを持って待っていた東堂に目をやる。
すると、彼の顔を見た途端、しおりはふと、重大なことに気がついてピタリとその動きを止めた。

「東堂くん、肌綺麗ね」
「む?なんだ、当たり前だろう!このオレが肌荒れなどしては、ファンの女の子たちに心配させてしまうではないか!毎日三食バランスの良い食事と、十分な睡眠、適度な運動をだな…!」
「……ムカつくくらい綺麗ね」

自分より少し高い位置にある顔を、両手で掴んで固定したまま引き寄せる。むきたてのゆで卵のようにつるつるで滑らかな肌触り。きめ細かな肌。彼には彼なりの努力があるのは分かっているが、それでもこの差は、腑に落ちない。

「化粧水何使ってるの?洗顔は?ねえ、教えなさいよ」
「ちょっ…ち、近い!しおり、近すぎるからっ!」

今にもキスしてしまいそうな距離に、東堂が慌てて顔を逸らそうともがく。けれど、思いのほかガッシリと掴まれているらしく、視線すら逸らせなかった。

眼前に迫る、少女の顔。
ああ、まつげが長い。唇がピンク色だ。いつもは前髪のせいで全貌が見えないが、今日は頑固な寝ぐせのせいで前髪が浮いて、大きな目が丸見えだ。勝気な瞳は綺麗な二重で、黒目も大きい。
まるで絵に描いたような美少女が、自分に迫ってきている。

「う、うあああああ!しおりに襲われるぅううううう!」
「……お前らナニやってんノォ?」
「あっ、荒北くん、福ちゃん!」

廊下からかけられた声に、それまで頑なに力を入れていた手を急にパッと手を離し、しおりが振り向く。嬉しそうに二人に駆け寄り、寝ぐせのことを指摘されると、照れたように笑っていた。

けれど残された東堂はそれどころではない。心臓が、まだバクバクといっていて、まともに話せるような精神状態でもなかった。

女の子は好きだ。しおりの事も好きだ。だから自分の美貌と魅力をアピールしまくるし、目が合えば自分から迫る。けれど、いまこの瞬間、気がついたのだ。

……自分は、迫られるのに弱いらしい。

力が抜けて、その場にヘタりこんだ東堂に、しおりが何食わぬ顔で「早く行こうよ」なんて部活の誘いをかける。そうだった、彼女は誰よりも鈍いのだ。自分がどんな容姿をしているかも、どんな魅力を持っているかも全くわかっていない。だから無防備にこんな行動をとったりするのだ。

これは、勘違いされたってしょうがない。
好きになられたって、文句は言えない。

よたよたと立ち上がり、三人の待つ廊下へと足を進める。顔がまだ熱い。しおりの顔がまともに見れない。

「ウゼエ顔してんなよ」

荒北がボソリと言ったその言葉に、返す言葉さえ見つからなかった。


 
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