18:王者のマント



高校一年からみた三年というものは、尊敬すべき存在であり、同時に否応なしに畏怖する対象でもある。これが社会人であれば、ひとつやふたつの年の差など誤差に等しいが、未成年の学生という狭い世界で生きる少年少女たちの中では1年の差は絶大だ。

特に、上下関係が厳しく管理されている体育会系の部活ではそれが顕著に見られる。
先輩の言うことは絶対であり、決して逆らったり、機嫌を損ねるような態度を取ってはいけない。

それが暗黙の了解であり、絶対に崩れない不変の歴史であった。






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3年教室の前で、数人の下級生が一列に横並びになっていた。

彼らの前には、腕組みで難しい顔をしている自転車競技部主将の3年生がいる。体格の良い男たちがそうやって並んでいるだけでかなり目立つ光景だが、見られることに慣れている彼らは、誰ひとりとして自分たちに向けられる好奇の視線を気になどしていないようであった。

「東堂に新開、お前は最近入った荒北だな。それに……福富、お前もか」

主将の鋭い瞳が、彼らのひとりひとりに向いて睨みを効かす。淡々としゃべっているように見えるが、その目の奥には確かに怒りの色が見えて、彼らはひそかに身を固くした。

自分たちのしていることが、危ない橋渡りだということは分かっている。けれど、今やるしかないのだ。

先輩からの重圧という重い空気の中、口を開いたのは自転車競技部1年のまとめ役である福富であった。

「今回のことは、完全に我々の我儘です。ですが、今日一日だけ、部活の休みを頂きたいのです」
「てめえら、今がどんな時期だかわかってんのか」
「……先輩方のインターハイ前の、大事な時期です」
「そうだ!泣いても笑っても、3年の俺たちはこれで最後なんだよ!そんな俺達のアシストもしねえで、お前らは自分勝手に休みをくれときた!」

苛立ったように語尾を荒げた主将に、廊下の空気がピリピリと揺れ、その迫力に思わず誰しもが息を呑む。
自転車競技部の主将といえば、これまで何度もインターハイという大舞台で優勝して来た箱根学園の顔ともいえる人物だ。だからこそ、三年間してきた努力も、優勝への思い入れも、誰よりも強く持っている。

ロードレースは、よりペダルを回して練習してきた選手が勝つ。だから、彼らは一日の練習だって無駄には出来ないのだ。

7月上旬。夏本番の季節。もう時間がない3年生たちは、ただ着々と迫りくる終焉を前に、レースのことだけに集中している。一日中、勝つことだけを考えたい。本来なら、他のことでなど、頭を悩ませたくなかったのだ。

息を吐き、もう一度自分に歯向かってくる後輩たちを見た。

少々ナルシストの気があるが、山道にかける意気込みは人一倍の東堂尽八。
普段飄々としているのに、ゴール前の直線で闘争心むき出しの本性を発揮する新開隼人。
口は悪いが、実は誰よりも努力家で、自転車を始めたばかりだというのにものすごい勢いで成長している荒北靖友。
そして、1年のまとめ役であり、絶対的な実力を持つ福富寿一。

この誰もが部活動に対して非常に熱心であり、真剣である。主将自身、新入部員の中でも特に骨があると思っていた彼らからのいきなりの申し出に、怒りもあるが、戸惑いも感じていたのだ。

彼らの視線は自分を捉えたまま微動だにしない。その目に宿っている光の強さは、もはや懇願の色ではなく決意の色だ。
きっと自分がいくら駄目だと言っても、彼らは勝手に自分の道を突き進むのだろう。

……とんだ新入部員が入ってきたものだ。

けれど、実力のある奴らは皆、往々にして多少ブッ飛んでいるものなのかもしれない。

「いいぜ、許可する。ただし収穫もなしで帰ってきたらただじゃ済まねえと思え!」

答えた瞬間、彼らの表情が明るくなり、「ありがとうございます!」と一斉に深々と礼をしてきた。顔を見合わせている彼らの頭には、共通の決意があるのだろう。ついには居ても立っても居られないというように駆けだした東堂を、追いかけるような形で新開と荒北も走り出した。

酷く、青臭い青春だ。がむしゃらで、無鉄砲でもある。

自分達も2年前はこうだっただろうか、と思い返して、いいや、自分達は先輩に歯向かうことなどしなかったと思い出して、彼らの無謀さ加減に苦笑いした。

「主将」

呼ばれて目をやれば、福富が、自分をまっすぐに見ているのに気が付き、面食らう。てっきり全員が去って行ったものだと思ったのだ。

どんな時だって表情の変わらない鉄仮面。今だってそうだ。射るような真剣な瞳で、瞬きもせずにこちらを凝視している。

何を言われるのか。しばし黙って待っていると、彼はややあって右手をトン、と自身の心臓の前に置くと、強い口調でこう言い放った。

「すべては、我ら箱根学園自転車競技部が王者たるために」

言うが早いが、彼もきっちりと一礼して同期が走り去っていた方向へと駆けて行く。それを見て、主将は一瞬呆けた後、徐々に込み上げてくる笑いを堪えることができなかった。

馬鹿だ、あいつら。大馬鹿だ。
自分も大概だが、あいつらの自転車馬鹿っぷりは筋金入りらしい。

部活の為に、部活をサボるのだ。彼らは。
それが何を意味しているのかは分からない。だが、その答えはきっと、彼らが自ら見せてくれるのだろう。

「良い度胸だ、1年。見ててやろうじゃねえか」

絶対不敗の上下関係。それを突き破ってくる彼らの根本にあるのは、自転車の事ばかりだ。
今年のインターハイしか目に入っていなかった自分達。来年、再来年のレースのことまで考えている後輩達。

時は十分に満ちている。どうあがいても、世代交代の時期はやってくる。
先輩後輩という立場は未来永劫変えられはしないが、せめてその時は、彼らに自分たちで勝ち取った王者のマントを譲り渡してやろう。


 
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