15:目隠しをほどいて



連れて来られた部室の前でしおりは足を止めて固まっていた。
ピチピチのサイクルジャージに、レーパンの男たち。軽さを追求したロードバイクが所狭しと置いてあるこの空間は、どう見たって自転車競技部の部室前だ。

しおりが一番避けてきて、一番来たくなかった場所。
まさか、この為だけにあんな迫真の演技までして自分をここに連れて来たのかと一瞬だけ疑心暗鬼に陥ったが、すぐに首を横に振って疑う気持ちを振り切った。

彼はそんな人ではない。
確かめたくて隣を見上げると、彼はそんなしおりの心を察してか、部員が多く集まる部室入り口ではなく、建物を大きく迂回した反対側へと彼女を誘導していった。

そちら側にあるのは、併設されたトレーニングルームと、選手層の厚い部員全員分のロードバイクを収納できる程大きな収納庫。それに、各々の自転車を整備できる整備室だ。

実際に見たわけではないが、熱心な勧誘が毎日ペラペラと部活のことを話すので覚えてしまったのだ。決して、興味があったから覚えたわけではない。決して。

頭の中でそんな言い訳をしていると、しおりの手を握っていた新開の手がパッと離れ、彼が一人で先行して歩きだした。こんなところで一人になるのは不安で、付いて行こうとすると、彼はそれを拒む様立ち止まり、大きな手のひらでもって、しおりの目の上を覆った。

暗闇は怖い。いきなり途切れた視界に思わずビクリと肩を震わすと、彼は一瞬迷ったようだったが、それでも目を離してくれなかった。

「ごめん、怖いな。オレが良いって言うまで、目閉じていられる?」
「どうしても、開けちゃ駄目?」
「今だけ。ほんのちょっとだけだから」
「……わかった」

離れて行く彼の手のひら。それを合図に、しおりはぎゅっと目をつむった。くしゃりと頭をなでられたのは、多分彼の言う通り大人しく視界を閉じた自分への無言の称賛だ。

何やかんやで女の子には優しい新開が、しおりに恐怖を我慢させてまで目隠しを強要するのにはきっと理由があるはずだ。

早く、早く。
ドクドクと、嫌に脈打つ心臓の不安げな鼓動を感じながら待てば、目をつむった瞼の上から、また手のひらの感触を感じ、彼が戻ったことを彼女に教えていた。
「いいよ」と合図する低い声に、しおりは矛盾を感じて眉をひそめる。

「……新開くん、これじゃ目を開けたって見えないよ」
「うーん。実は、まだ迷ってるんだ。これを見せて良いのか、どうか」
「私に見せたいものなんでしょ?」
「ああ、見せたい。でもさ、嫌われるかも知れないと思うと、怖いんだ」

「憧れの人だから」と、そう言った新開の手が、微かに震えている。彼もそのことに気が付いているのか、弱々しく、強がりな笑い声が背後から聞こえた。

彼が何を隠しているのか、何を見せたいのか、全く見当もつかない。ただ、この手が自分に見せる為に何かを一生懸命用意したのだけはわかる。

だったら答えはひとつだ。
しおりは、新開の手の上に自分の指を重ねた。

「何があったって、私は新開くんを嫌いになんてならないよ」
「しおりちゃん……」
「ただ、予想ではちょっと刺激が強いみたいだから、ショック受けてたら慰めて、ね?」

茶目っ気たっぷりに笑って見せれば、新開もやっと安心した様に、強張っていた肩の力を抜いたようだった。

目の前から、大きな手が退いて行くのがわかる。瞼の裏から夕焼けの色が透けて見えて、綺麗だった。
期待と、不安で胸が張り裂けそうなくらいドキドキしている。

ゆっくりと、瞳を開けたそこにあったのは――……









「……ら、ぴえーる?」

見慣れた、けれど懐かしい。
それはしおりの愛車のロードバイクであった。

彼女に表情はない。ただただ、夕焼け色に染まった自分の愛車を、その大きな眼で焼きつけるようにして見ている。そうして吸い込まれるように近づいて行くと、メンテスタンドで釣りあげられた車体に、ゆっくりと手を伸ばした。


――白い車体に、鮮やかなブルーのロゴが入ったロードバイクだった。
キッズ用の自転車から買い替える時、サイクルショップで見つけたこの車体に一目ぼれして、毎日親に頼みこんで買ってもらったのだ。

それからはどこに行くのも一緒で、一人と一台で、いろんな景色を見て回った。辛い時も、嬉しい時も、いつもこのラピエールに飛び乗ってひたすらに漕ぎまくったし、レースのゴールだっていつも一緒だった。

思い出ばかりの自転車だ。
思い出しか詰まっていない自転車だ。

フレームをひと撫でした瞬間、しおりの目からボロボロと涙があふれて止まらなくなった。

「わ、たしのっ……ラピエール!!」

深く沈んだ思い出の泥をかき混ぜるように、押しとどめていたしおりの記憶が一気に蘇ってくる。

あの傷は、乗りたての頃に転んだ時のものだ。あの傷は、レースで他の選手のバイクと接触して出来たもの。そしてあの一番大きな傷が……あの日の事故で付いたものだ。

こんなになってまで、支えて守ろうとしてくれたラピエールを、自分は自転車に乗れなくなった悲しみから、触ることすらせずに、物置の奥にしまい込んだのだ。

泥だらけだったはずだ。サビついてもいただろう。
なのに、どうしてこんなにピカピカなの?

その答えは、今後ろで満足そうに微笑んでいる彼が持っている。目が合うと、両手を広げ、「慰めようか?」なんて茶化してくる。
しおりは涙でいっぱいの瞳を細め、幸せそうに愛車のフレームに頭をもたれさせた。

「だめ。いま、この子で手いっぱいなの」
「そりゃあ残念だ」

嬉しそうに肩をすくめた彼が、照れを隠すように後ろを向く。大きくて優しい背中。
それを見ていたら胸にムクムクと悪戯心が湧き上がり、不意打ちとばかりに抱きついてやった。




 
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