122:進め



空港に到着したしおりを出迎えたのはフランスで暮らす寮の管理人であるローラン夫妻だった。
彼らは到着ゲートを出てきたしおりを見つけるなり歓声を上げながら飛んできたかと思うと、熱烈にキスしてハグしてもみくちゃにして、しおりに愛の国とは何たるかということを全身全霊で教え込んでくれた。

空港からは車で移動して、向こう一か月暮らすための寮に案内される。
寮に着くと、しおりが今日到着するというのが伝わっていたらしく、今度はしおりと同じく短期留学中の学生であろう若者たちが4人ほど、彼女の所にわらわらと集まって来て、またもみくちゃの大歓迎を受けた。

彼らは夫妻がしおりに寮内を案内している間もくっついて来て、珍しい毛色の東洋人を上から下まで遠慮もなく見つめては、隙を見て話しかけてきた。
ニホンのどこから来たのかとか、何歳なのかとか。あと恋人の有無や好きなフランス料理についても。

彼らは答えきれないくらいの質問をひっきりなしによこしては、まるで十年来の友人かのように気さくに語りかけてきて、そしてしきりに街へ遊びに行こうと誘ってきた。
どうやらこの寮、そうとう人懐っこい人種が多いらしい。
来る前はなじめなかったらどうしようと少し心配していたが、この様子なら大丈夫そうだ。

『貴方たち!しおりは長旅で疲れているんだから少し休ませてあげなさいな!』

見かねたローラン夫人が寮生たちをいさめれば、興奮気味だった彼らはハッとしたように動きを止め、目に見えてシュンとした様子で『しおり、ごめんね。そうだよね疲れてるよね』と落ち込んだ声を出した。

……まるで元気な子犬の群れ親犬にが怒られた時のようだ。
揃いもそろって耳としっぽが垂れているような幻覚が見える気さえする。
こうなると相手は厚意で言ってくれていたのに悪いなあという気分になってきて、ついつい口を出してしまった。

『ええと、あの。ありがとう。私は飛行機でたっぷり寝ましたし、疲れは平気です。よろしければ後でぜひお願いします』

たどたどしいフランス語で答えて頭を下げれば、図体の大きな子犬の群れが一斉にこっちを向き、瞳を輝かせてしおりに詰め寄ってきた。

『本当!?じゃあまずは日用品のお店を案内するよ!それとブーランジェリー!』
『洋服は?買い足すなら私がおすすめの所連れて行ってあげる』
『カフェも行きましょ!いいところ知ってるの!』
『せっかく来たんだ、観光も行かなきゃ!どこ行く?凱旋門?ルーヴル美術館?シャンゼリゼ通り?』
『近くに大きな公園があるんだ!のんびり散歩するのに最高だよ!』

「ええっと……あのぅ……」

まだ慣れていない言語で早口にまくしたてられたのでほとんど理解できず、しおりは思わず日本語でたじろいだ。
聞いたことのある単語や固有名詞が聞こえるから、たぶんお店とか観光地の話だ。そこに連れて行ってくれるという話だろうか。

思わず隣にいたローラン夫人に助けを求めると、夫人は【それみたことか】とあきれ顔をしている。

『とあえず、しおりが行きたいところに行ってみたら?夜は歓迎パーティーするから8時に帰って来てね』
『はい、ありがとうございます』
『ちょっと強引だけど、いい子たちだから。きっと楽しいわ』

頬に優しくチュッチュとキスされ、若者たちの方へと背中を押される。と同時に待ち構えていた彼らにがっちりと腕を組まれ、あれよあれよという間に外へと連れ出されてしまった。

『だから!そっちは後で良いでしょ!まずはこっち!』
『いーや、ここは外せないね!君こそ後でにしてよ!』

(……ああ、来ちゃったんだ)

まだこれからどこへ行くかで言い争っている彼らの声を他人事のように感じながら、しおりはぼんやりと考えていた。

あまりの歓迎っぷりに頭は付いて行っていなかったが、アジア人とは違う容姿や、スキンシップの多さを見ていると、ようやくここがフランスなのだと実感してくる。

……ここが憧れの地。小さいころから、何度も夢見たロードレースの本場。
自分はここで何を見て、何を知り、そして何が学べるのか。考えただけで、胸の高鳴りが抑えられなかった。

揉めていた若者たちの会話は、どうやらカフェでしおりを質問攻めにする算段に決まったらしい。今度はどのカフェに入るかのバトルが始まろうとしているのを見て、なんだか箱根の見知った男たちの賑やかさを思い出してしまってクスリと口端を上げた。

『ねえ!』

しおりは、彼らの後ろ姿に声をかける。
自分はこのために大事なものを日本に残してきた。やりたいことの為に、最後のインターハイを見ないで、ここに来た。

――憶するな。前に進め。

皆の声が、聞こえた気がした。

『私、行きたいところがあるの!』

鞄から取り出した資料を見せて、赤で丸の印をつけておいたところを指さす。
それは、周辺の自転車店やチームの本拠地、フランス滞在時に開催されるレースをピックアップしてまとめたものだった。

滞在中はずっとピエール監督の知り合いが運営するチームに、マネジメントのノウハウを教えてもらうことになっている。でも、自分でもフランスならではの自転車競技のことを知りたくて色々調べていたのだ。

おそらくローラン夫妻からしおりの留学理由までは聞いていなかったのだろう寮生たちは、いきなりそんなものを見せられ、酷く驚いた顔をしていたが、皆しおりの表情を見て、彼女が『学びに来た』ということを理解したらしい。

やがてはしおりの行きたい場所へ行くためにどんなルートで回ればいいのかを議論しだして、次の瞬間には手を引いて案内役を受け入れてくれた。

ああ、いい人たちだ。
しおりの目が細められる。強引だけど、勢いもすごいけど、ローラン夫人の言う通り『いい子たち』なんだ。

彼らが紹介してくれたフランスのおしゃれなお店も、おいしいパン屋も、素敵な観光地も、もちろん興味はある。でも、何を一番に取りたいかというと、やっぱりこれしかないのだ。

――世界で大暴れしてこい。箱学のじゃじゃ馬。

耳の奥で聞こえた声が、どうしようもなく力をくれる。
頑張るよ、頑張るから。

荒北くんも頑張れ。
心の中で強く祈って、フランスの街を一歩踏み出した。






**********





街を練り歩き、帰宅後は約束通り歓迎パーティーをしてもらう。
といっても、あちこち歩き回ってお腹がペコペコの若者たちがローラン夫人が作ってくれた料理を貪り馬鹿騒ぎをするという、もはや誰が主役なのかわからないパーティーだった。
けれど、しおりとしては主役に据えられて肩肘張るよりはずっと楽だと思った。思い切り楽しんで、笑って、気のいい仲間たちと話をする。

そうして無事にパーティーが終わる頃には、流石のしおりもヘロヘロになっていて、片づけを終え、ようやく自室に戻った時にはとっくに深夜を回っていた。

シャワーを浴び、ふかふかなベッドに倒れこんで、それでやっと息をつく。
体力はある方だと自負していたが、初めての飛行機での緊張と寝不足。なれない土地を歩き回ったことで、思った以上に心身ともに疲れていたらしい。
久しぶりに感じるずしんと来る頭の重みと倦怠感がベッドに染み込むように溶けて行って、もう指一本すら動かしたくない気分だ。

――このまま眠ってしまいたい。

自然と下がってくるまぶたを欲のままに下ろせば、途端に心地良いまどろみが体を包む。
明日は実習の受け入れ先へ挨拶に行かなくては。言葉でのコミュニケーションは片言のフランス語と英語まじりで心許ないから、できるだけ現場を見せてもらって、出来るだけ技を盗ませてもらおう。

眠りに落ちる寸前に部の皆のことが頭をよぎり、なんだかとても懐かしくなって、スマホで日本の時刻を調べてみた。

……時差が八時間だから、今頃は合宿場での練習が始まっている時間だ。

朝ごはん、みんなきちんと食べられたかな。
練習がキツすぎたり、物足りなかったりは感じてないかな。

なにかあったらすぐに連絡をくれと葦木場には頼んであるが、いまはまだ何も受信していない。
そりゃあ練習が始まって間もないので便りがないに越したことはないが。どうしても気にしてしまうのはマネージャーとして、片時も目を離さないように箱学自転車競技部を見てきたからだろう。

今までなら、三日でも練習を見られないだけで何か言いようのない不安に駆られていた。
それが、今回は一ヶ月だ。その間で重要な合宿も、インターハイも参加できずに誰かからの報告を待つしかない。
それでも次第にまぶたが落ちて来るのは、疲れているせいだけではないのだろう。

(信頼してる。信用してるから、大丈夫だよね)

思い浮かぶのは、自転車競技部の最上級生としてすっかり頼もしくなった四人の顔で。
任せろと胸を張る彼等の笑顔を思い出していたら、安心して途端に眠気が襲ってきた。

もう不安は微塵も感じない。
だって、自分はいなくとも、自分と志を同じくする彼等がいるのだから。

心地よいまどろみに抗うことなく、しおりは意識を手放したのだった。






 
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