119:ホワイトデーの猛獣使い



「おい、ちょっとツラ貸せ」

突然ズカズカと教室に入ってきた凶悪面に、クラスの大半の生徒が何事かとどよめき震えあがった。皆が視線を向けた先には不機嫌を隠そうともしない荒北の姿。ドスの利いた低い声でよもや一般人とは言えないセリフを吐きながら彼が歩き出せば、クラスにいた生徒たちがサァッと彼に道を譲るように左右に退いた。その様子はまるで十戒のモーセのようだ。
……ただし、クラスメイトたちが目の当たりにしていたのは奇跡ではなく恐怖だが。

大股歩きの荒北の足が、目的の人物らしい少女の前でピタリと止まる。
けれど彼女はこのピリピリとした雰囲気に気づいているのかいないのか、未だ呑気に席に座ったまま、ガサガサと自分の鞄の中の整理をやっているところだった。
彼女の机の上には数個のラッピングされた小さな箱が並べられていて、どうやらそれをしまおうとしているらしい。
その小箱たちが何を意味しているか、誰が渡したのか。そんなこと、今日の日付を考えれば簡単なことだった。

3月14日。ホワイトデー。

荒北も先月、バレンタイン菓子をしおりから貰っていたのだが、その彼の手にお返しの品は握られていない。それは彼がお返しを面倒くさがったとかそういうことではなく、買うに買いに行けなかったやむを得ない理由があったからだ。

あの日貰った袋一杯の手作りパワーバー。そのお返しを考えたとき、菓子類のような消え物ではどうにも味気ないだろうと考えたのだ。けれど形に残るものを贈った所で、本人が気に入らなければきっと扱いに困るだろう。

だからこそ、荒北はしおりに欲しいものを聞きだしてから渡したかったのだ。

しかし、意気込んでバレンタインデーが終わった直後から彼女に欲しいものの聞き込みに行っても、彼女はそのたびに『いらない』とニッコリバッサリ切り捨てて、どうしても貰う気になってくれない。
というのも、彼女が言うには普段世話になっているお礼という名目であげたのだからお返しなどいらない……ということらしいのだが。

それを言うならホワイトデーのお返しだって一緒ではないか。
荒北が何度も普段の礼として渡したい。ホワイトデーは関係ないと言っているのに、彼女は頑として首を縦に振ってくれず、結局そんな攻防を何週間も続けているうちに当日になってしまったということなのだった。

彼女がそこまでの信念をもって誰からもお返しを受け取らないのならば、荒北だって無理やりにでも納得してあきらめる他はない。

けれど、荒北がお返しを渡すことは無理なのだとほぼ諦めかけていたホワイトデー当日の今日。彼はとんでもないものを見てしまったのだ。

それは、しおりが福富をはじめとしたいつもの三人からお返しを貰っている現場だった。しかも何の因果なのか三人分全ての現場を、ばっちり一部始終。

例えば、福富は朝練の前に一番乗りで渡していたし、新開はしおりと廊下ですれ違った時にさりげなく渡していた。
東堂に至ってはわざわざ教壇前にしおりを立たせて皆の前でカッコつけて渡そうとしたらしいが、嫉妬した他の女子たちに「私たちのお返しも早く頂戴!」と揉みくちゃにされて、連れていかれる間際に慌ててしおりに箱を手渡すハメになるという、見なくとも良い場面まで全て見てしまった。

当の彼女も、流石に自分の為に用意されたプレゼントを断ることは出来なかったらしく、少し困ったような表情をして、それでも彼らからの贈り物を笑顔で受け取っていたように見えた。

……荒北の分は、買う前から受け取り拒否なのに、だ。

戦略負けした気がしてならない。自分もうだうだ悩んだり彼女に確認を取りに行ったりしないで、勝手に購入して渡してしまえば良かった。
そんな後悔と、モヤモヤで一杯な気持ちを発散するにはどうしたら良いか。それはもちろん、ぐじぐじと悩まずに直接本人に文句を言うのが一番手っ取り早いに決まっている。

ということで冒頭の通り、彼は怒り心頭で彼女の教室へと乗り込んだというわけなのだった。

けれども荒北の怒りを感じて怯えているのは周りの生徒ばかりで、肝心の彼女は平然とした顔で自分に睨みを利かせている荒北を見上げていた。

「荒北くん、カオ怖い」
「誰のせいだと思ってんだ」
「まあ言いたいことはわかるけどさ」

今しがた、お返しの箱をしまい込んだ鞄をポンと叩いて苦笑しつつしおりが言う。流石の彼女もその辺の不平等についてはちゃんと考えてくれていたらしい。

やっと受け取る気になったか。彼女の態度に、荒北のささくれ立ってすさんだ心情が、幾分和らいだ。

まあ、確かに戦略負けはしたが、彼らが先に渡してくれたおかげで常なら受け取ってくれなかったはずの贈り物を彼女が受け取ると決断してくれたのだからこれで御の字か。渡すのが少し遅れるが、渡せないよりかはマシだろう。

「それじゃ、何が欲し……――」
「あ、それはいらない」

荒北が改めて欲しいもの尋ねようと口を開いた瞬間、彼女が笑顔で言い切る。

二人の間の時間が止まった。
二人の動向に聞き耳を立てていた教室内の空気も止まった。
おいおいそこは素直に欲しいものを言っておくべきだろう、と、そこにいる誰もが思っていた。

三月半ばの教室内の空気は、外気温以上に冷え込んでいる。
通常なら浮かれ気分満開なホワイトでハッピーな日のはずなのに、何故こんな一触即発の雰囲気に飲み込まれ、巻き込まれなくてはいけないのか。

きっと、クラスメイト達みながそう声を上げたいであろう。けれど、ただでさえ凶悪な荒北の顔面に青筋まで浮かんでいる今日この頃。今この瞬間にも彼の堪忍袋と血管の切れる音が聞こえてきそうで、怖すぎて誰も何も発することなど出来ないのが現実だった。

「……一応聞くが、理由は?」

不自然に口端を上げて、荒北がしおりに問う。ここで下手な返しをしようものなら、たぶん二、三人罪もない同級生たちが病院送りになるだろう。
もちろん、彼女以外の誰かがだ。

頼むから余計なことは言わないでくれよ、とクラスメイト達が祈る中、彼女はへらりと緊張感なく笑って、答えた。

「だって荒北くんには他のこと頼みたいから」
「……他って」
「あのさ、今週の日曜って空いてる?一日付き合って欲しいんだけど、それがお返し代わりとかじゃダメ、かな?」

プシュウ。

……あ、空気が抜けた。

何ともあっけなく時限爆弾が解除され、それによって一気に弛緩した空気に、クラスメイトからも安堵の息が漏れた。

そこから目に見えて機嫌の直った荒北は、しおりと休み時間中ずっと日曜の待ち合わせ場所だ時間だの話をして、そして授業の予鈴と共に何事もなかったかのように穏やかに去って行った。

けれど彼の居なくなった教室には未だ微妙な空気が流れている。
だって、いきなり獰猛な猛獣が入ってきて少女を標的にしたかと思えば、あれよあれよという間に少女に手なづけられて、最終的には上機嫌で帰って行ったのだ。
もしかすると自転車競技部にとってはこの目まぐるしさが日常なのかもしれないが、一般人の自分たちはそうではない。心臓が半分止まりかけたような顔をしていたヤツだっているのだ。そんなに急には立ち直れない。

だからいま、教室内で平常運転中なのは、今週末の予定でも書きこんでいるのだろう。スケジュール帳を取り出して鼻歌交じりに手を動かしている猛獣使いの彼女だけだった。

「ん?どうしたしおり、嬉しそうだな?」

そこに帰ってきたのは先ほど女子達にホワイトデーのお返しをねだられて拉致されていた東堂だ。お返しついでに熱狂的なファンたちに身に着けていた私物をむしり取られたのか、いつもバッチリ決まっているヘアスタイルや服装がいささかよれているようだったが、ちやほやされて悪い気はしなかったのだろう。こちらも至極上機嫌な様子だった。

互いに和やかな様子の二人。実に微笑ましい光景だが、それを見たクラスメイトたちは何故かまた別の意味でヒヤヒヤしはじめていた。

一年のころからクラスも、部活も一緒の東堂としおりは傍から見ても仲がいい。しかし仲が良すぎるがゆえに、東堂の彼女への執着が変な方向へ行っているのだ。
休憩時間も昼休みも、可能な限り彼女と一緒に行動しているのはもちろん、彼女が自分の知らない男子生徒と話しているだけで今のは誰か、どういう関係かと問いただし始めるし、彼女に恋心を抱く輩が告白しよう呼び出そうものなら自分も付き添わせろと無茶苦茶なことまで言い出す始末だ。

それが彼の恋心ゆえなのか、親心ゆえなのかは判断付きかねるが、つまり、東堂は自分以外の男が彼女とどうこうなるのが許せないらしい。

そんな彼が先ほどの荒北としおりのやりとりを……もしくは彼らの週末の逢瀬の予定を知ってしまおうものなら、それこそ非常に面倒くさいことになる。

頼むから、余計なことは言ってくれるなよ。クラスメイトの満場一致の祈りの中、鳴り響いた本鈴と共に入ってきた教師の姿に、教室内はやっと本当の安寧を手に入れたのだった。



 
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