117:励ましのオランジェット



「はあ……」

二月十三日の夜。しおりは寮の自室に突っ伏して大きなため息を付いていた。
傍らに置かれた袋の中には一口大のチョコがゴロゴロと詰め込まれている。そのサイズと量を見てわかるように義理チョコだ。日頃の感謝を込めて、バレンタインに部員たちへの小さなチョコを用意していたのだ。

しかし今年はそれ以外にもチョコを用意しようかどうか悩んで、悩んで。決心のつかないまま、バレンタイン前日になってしまった。

これはいけないと、慌てて製菓用の割チョコを用意して寮の調理室に駆け込んだのだが、そこには同じように翌日の用意をしようと張り切っている乙女たちの熱気と甘い香りでいっぱいになっていて、とてもじゃないが入っていける雰囲気ではなかった。

この分だと、調理室はきっと朝まで満杯、フル稼働だ。

大体、こんなギリギリになって割チョコひとつ握りしめて来たしおりと、何週間も前から素材やラッピング用品の準備をしてきた彼女たちでは気合の入り方が違う。
無理に入って行っても、きっと邪険に扱われつまみ出されていたことだろう。

……これは揶揄ではなく、本当にそのくらいの迫力なのだ。

この時期の女の子たちはそれくらい燃えていて、自分の想いを実らせようと『本気』だ。
たいした決心もないしおりが入れるような空間ではなかった。

そうして仕方なく自室に逃げ帰ってきて、そしていま、自分の不甲斐なさに盛大に落ち込んでいるところだった。

「元気だして。良かったらこれどうぞ」

心配した同室の女の子が気遣いの言葉とともに、お菓子を出してくれる。
キラキラと宝石のように輝く、オレンジの砂糖漬けだ。輪切りのオレンジに半分チョココーティングされているのが可愛い。

これは、なんていう名のお菓子だったか。オラン…オランジェ……うん、何かそんな感じのやつだ。

お菓子作りが趣味の彼女は常から暇があれば和洋中様々なお菓子を作っているのでしおりもよくご相伴に預かっているのだが、横文字のお菓子は何度聞いても覚えられない。

いま出されたこれも彼女がバレンタイン用にと作っていたもので、バレンタイン前日は調理室が戦場になることを見越して保存の効くお菓子を一週間も前から用意していたらしい。

ちなみに、サラリと出してくれたがこのお菓子の調理にはかなりの手間暇がかかっている。先週末、彼女はこれを作るために一日中調理室に籠もっていたのをしおりも見ていたのだ。

少し手順を聞いてみたが、オレンジを砂糖漬けにするのに数時間、乾燥させるのに数時間、そこにチョコをかけ、個包装にしてラッピングまでするのにまた時間がかかっているとのこと。とてもしおりでは真似できない。

「いただきます」

ありがたく頂いてパクリと口の中に入れれば、上品な甘さのオレンジにチョコの苦味が合わさって酷く幸せな味がした。

……これを貰える男子は果報者すぎる。

自分のためにこれだけ時間をかけて料理を作ってくれた、と。きっとそれだけで貰う側は嬉しいのに、そこにこのクオリティも付いてくるとなるとそれだけでもう求婚したいレベルだ。

(それに比べて私は……――)

自分の傍らの。大量買いした大量生産の袋詰めチョコを見て、更に虚しくなった。

去年もこうだったし、今年も特定の相手など出来ていないのだから気にしなくて良いはずなのに、でも何故か今年はこれじゃ駄目な気がして落ち着かない。

「どうしよう」

時間もないし、作る場所もない。いや、例えそれらの問題がクリアできたとしても、お菓子を作って渡す決心すら出来ていない。
というかこんな覚悟でバレンタインに臨もうとか甘いことを考えている時点でダメダメなのだ。

思い悩むしおりに、同室の彼女は優しく微笑み温かな紅茶を淹れてくれた。そっと差し出されたそれに、しおりはお礼を言ってからカップに口をつける。お菓子で甘くなっていた口の中が紅茶の芳醇な香りで満たされ、温かさにホッとする。
贅沢だ。寮の一室でこんなに豪華なティータイムなんて、贅沢すぎる。

そうやって少しだけ肩から力の抜けたしおりに、同室の彼女は穏やかに語りかけた。

「別に、明日じゃなくても良いんじゃないかなあ」
「え?」
「ちゃんとしおりちゃんの気持ちがこもってれば無理に明日渡す必要なんてないんじゃないかな。日にちなんて、関係ないと思うなあ」

そう言うと、彼女はニッコリと可愛らしく笑って「だからこれ」と綺麗にラッピングされた小さな包装箱をしおりに差し出してきた。
置かれた箱に視線を落とし、それから目の前の彼女を見て、『これは?』と問いかけるように首を傾げる。にっこりと、彼女が笑って口を開く。

「しおりちゃん、いつも私と仲良くしてくれてありがとう!とってもとっても大好きよ!」

……ああ、さっき彼女は何と言っていたか。『気持ちを贈るなら日にちなんて関係ない』と言っていたのではなかったか。
優しい彼女は、まさしくそれを証明するために、きっと明日くれるつもりだったのであろう友チョコを今この場で渡してくれたのだ。

嬉しくて、胸がぎゅう、と苦しいくらいに締め付けられるのを感じた。気持ちを貰うとはこういうことか。痛いほど理解してしおりは思わず友人にガバリと抱きついた。

「ありがとう!私もだいすき。大好きよ!」
「しおりちゃん、苦しいよ〜」
「あ、ごめん。でも本当に感謝してるのよ。それに、今のでかなり決心固まったかも」
「ほんと?」
「うん!だからお菓子作る時はまずこのお返しから作る!待ってて!」

最後の一言に、友人は「えっ!?」目を丸くする。もちろん気持ちは嬉しいが、でもそれだと相手の男の子が浮かばれないのではないか。

けれどもそんな友人の思いをよそに、しおりの方は先程までの思い悩んでいた顔が嘘だったかのようにスッキリした表情だ。

――せっかく悩みが解決して元気になったようなのに、水を差すようなことはとてもじゃないが言えない。伝えられる勇気がない。

「ええと、なんというか。その……一番乗りしてごめんなさい」

すっかりいつも通りの雰囲気に戻り、いそいそと、眠る準備まで始めたしおりに、友人は彼女に聞こえない音量でお相手への謝罪を口にしたのだった。


 
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