115:葦木場拓斗のお手伝い



クリスマスが終わり、実家で年越しを迎える。年に数度の帰省にあたり、普段できないからと一人娘をベタベタに甘やかしてくる両親に苦笑しながらも、しおりは正月休みを満喫して箱根学園へ戻った。

ちなみにクリスマスパーティーの終わりに4人にこっそり渡した手作りのパワーバーは、彼らが帰った途端に寮生たちに見つかり奪い合いに発展したらしい。
その日から数日間、連絡先を知っている男子寮生たちからわんさか「うまかった」とメッセージやら食べている写真やらが送られてきて、どういうことかと聞いてみたら、そういうことらしい。

たまに写りこんでいる、パワーバーを取られて恨めしそうにしている4人の表情があまりにも面白くて、思わず帰省の電車の中で吹き出しそうになってしまった。

その後、それぞれから『帰ってきたらまた作ってくれ。今度は見つからないように食べる』と熱いメッセージが届き、好みの味や固さのリクエストも貰えた。

……当初の予定より多くの人から感想が来たのは予想外だったが。




一週間ぶりに戻ってきた箱根の町は、年末よりも少しだけ雪が多くなっているようだ。まだ午前中の為か空気もキンと冷え切っている。肺一杯に吸い込んで吐き出せば、息がふわりと白く広がり、宙へ消えていった。

いつの間にかずり落ちてきているリュックを背負い直し、重いキャリーケースをガラガラと引いて歩き出す。

向かうのは自転車競技部の部室だ。別にマネージャーの仕事をしようというわけではないが、学生寮の解放は午後からなので、少し時間をつぶさせて貰うだけだ。

……そりゃあ、行ってみてホコリがたまっていれば掃除もするし、連絡ノートに誰かの記入があれば目くらいは通すけど。
あと、備品で足りない物があればチェックもしたいし……あ、そうだ。あと二か月で推薦組の中学生たちが体験入部で部活に参加してくるからメニュー作りと入部届の印刷もしておかないと。

ここまでやっても、彼女の中でこれはマネージャー業ではなく佐藤しおりが個人的にやりたいこと、という認識だ。
頭の中でやることを整理して、それが2桁の大台に乗ったところで部室に着く。たくさんの自転車止めが設置されたアスファルトの地面が雪に覆われているのを見て『雪かきでもしようか』なんて考えながら部室のドアノブに手をかけた瞬間、思い出した。

(あ、カギかかってるんだった)

いつもはこのくらいの時間だと誰かしらが居るのですっかり失念していた。腕に来るであろう施錠された扉の反動に身構えれば、どういうわけか抵抗もなくするりと開いた扉に一瞬あっけにとられてしまった。

掴んでいるドアノブに目を向ける。いつもダイヤルキー式の南京錠がかかっている部分に鍵はない。自転車競技部では開錠した人が南京錠を指定の鍵置き場に置き、最後まで残っていた人が施錠をして帰るというルールになっているので、普通に考えれば中に人がいるということになる。

けれど、今は冬休み中だ。学生の多くが寮生で、インターハイ常連校のとして名を馳せている自転車競技部員は通学時間などの関係からことさら寮生活の者が多い。だから彼らが返ってくるのは寮が開く午後からだ。こんな時間にいる部員なんて……――

「寒いよー、はやく閉めてー」

のんびりした口調で話しかけられ、鍵に向いていた視線が部室内へ吸い込まれる。モコモコのダウンジャケットに、マフラー、帽子。完全防寒されたその格好でベンチに腰掛け、部室の電気ストーブに手をかざしている。

「……シキバ?」
「へへ、寒かったでしょ、どーぞ!」

ヘラヘラと笑いながら葦木場はしおりの場所を開けるように横にずれた。どうやら、一番熱が来る暖かい場所を譲ってくれようとしているらしい。自分が一番乗りで獲得した場所なのに。何ともいじらしい後輩だ。しおりは開け放していたドアを後ろでに閉めて、勧められるがままに葦木場の隣に腰を下ろした。

ストーブの電熱線が真っ赤になって熱を吐き出している。じんわりとした温かさにホッと息を吐くと、隣で葦木場がクスリと笑った気配がしたのでそちらを見る。するとやっぱり彼は笑っていて、身長差の関係で思い切り見下ろさなくてはいけない小さな先輩にニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべていた。

……何がそんなに嬉しいのだろうか。
中学の時から変わっていると思っていたが、高校になっても変わっていることが変わらない。

しかし、こんなマイペースな彼ではあるが、それでもしおりがモノ言いたそうな顔をしていたのに気が付いたらしい。しおりが口を開く前に「寮が午後から開くの、すっかり忘れてたんです」と薄情して、照れたように頬を掻いていた。

「でも、しおり先輩に会えるなんてラッキーだったなあ。先輩も開寮時間忘れてた感じ?」

首を振る。もちろん横に。

「部室の掃除とか、しようかと思って。でも……必要ないみたいね」

しおりが部室の中を見回しながら言う。だって、一週間も空けていたのに部室の中はホコリっぽくもなく、散らかっているわけでもなく、綺麗な状態だったのだ。これから手を出す必要などない。

「暇だったからオレがやっちゃいました。だから、ねね、ちょっとお喋りしません?」

もちろん断る義理などどこにもなくて頷けば、葦木場は嬉々として一気に話しかけてくる。
お正月はどうだったとか、どこにお参りに行っただとか。
もともと彼もしおりと同じく千葉出身であるため、地名を出すたびに「それってあそこでしょ」と具体的な返答が返ってくるのが何だか新鮮だった。

そう言えば、彼との付き合いは長いがここ最近は何だかんだと忙しくてこんな風に2人で話していなかった気がする。数週間前、もっと遡って数か月前の話題までもを、聞いて聞いてとねだって子犬のように甘えてくる後輩の様子に、今までちょっと悪いことをしていたなあ、と思ってしまった。

そこでお詫びに何か……と考えて、ふと思いついて背負っていたリュックの中を漁る。なになに?と興味深げに覗き込んでくる葦木場の目の前にそれを差し出すと、彼は一瞬キョトンとした顔をして、そして次の瞬間には目をキラキラと輝かせて顔をほころばせていた。

渡したのは例の手作りパワーバーだ。実は、正月休みの間もみんなからの意見を参考にして少しずつ試作していたのだ。今日持っているのはレシピづくりに協力してくれた寮の同室の友達にも食べてもらおうと実家で朝作ってきたものだった。

「まだ試作だけど、良かったら」
「えっ、え〜〜!!これってアレでしょ?!クリスマスにみんなが寮で騒いでたやつ!」

オレ騒ぎ疲れてすぐ寝ちゃったからちょっとも食べられなかったんだー!と当時の悔しさを熱弁する葦木場の目は、それでも目の前のパワーバーに釘付けだ。

しおりの手から受け取って、ラッピングをいそいそと外してパクリと一口噛り付く。それだけだと甘すぎるだろうから、まだ口をつけていない水のペットボトルも一緒に渡すと「おいしー!ありがとー!」と幸せそうな笑顔が降って来るので、見ているこちらまで嬉しくなってしまう。

食べるのに夢中になっている葦木場を眺めている途中、ふとリュックについていたキーホルダーが手に触れた感覚がしてそちらに視線を落とした。
クリスマスに荒北がくれた、しおりの愛車のラピエールのフレームを改造して作った一点物だ。
何度見ても嬉しくて、懐かしくて、涙が出そうになる。

そういえば、これをくれた荒北もパワーバーを皆に取られて愚痴のメッセージをよこしていた。良くも悪くも庶民的な彼は、その強面に関わらず部内ではいじられやすい存在で、クリスマス後のパワーバー騒動でも真っ先に狙われたらしい。

『オレの取り分』と題されたメッセージと共に添付された画像には、五本包んだうちの一本……しかも三分の一程度しか映っておらず、気の毒だが笑いをこらえることが出来なかった。

(皆にもまた作るけど、荒北くんには少し多めに入れようかな)

指でキーホルダーを撫でながら思いにふせる。

(これのお返しにしたいのもあるし、今度は味わって食べて欲しいし、お礼も言いたいし)

クリスマスパーティ後にこっそり4人を呼び出して、包みを渡したときに彼が見せた表情が忘れられない。他の三人が見るからに嬉しそうに喜んでいるのに、彼だけは静かに袋の隙間から中身を見つめ、大切な、貴重品でも受け取ったかのような、そんな顔をしていたのだ。
あまりに大切そうに見ているから、もしかしたら食べてくれないまま保管されるかもしれないと思ったほどだ。
まあ、そんな考えは杞憂で終わり結局みんなに奪われながらも食べてくれたみたいだけれど。

「……かわいい」
「え?」

急に話しかけられ、しおりはハッとして聞き返す。すると葦木場はパワーバーの甘味が付いた唇をペロリと舐めとると、もう一度「かわいい、先輩」と穏やかな口調で言った。

「前から可愛かったけど、ちょっと前から凄くかわいい。クラスの恋バナしてる女の子たちみたい」

――気が付くと頬染めてポーッとしてて。たまに幸せそうに、くすぐったそうに思い出し笑いしてる。

「当たり?」

覗き込んでくる後輩に、しおりはすぐには答えられず、たっぷり考え込んでから「……わからない」と弱々しく呟いた。
予想外の答えに、葦木場はキョトンとしてしおりを見下ろしている。

「ええー、それで自覚ナシって重症ですよ」
「だって……」

だって、本当にわからないのだ。しおりの中で親しい男子というのは数人いる。みんなそれぞれ大事だし、大好きだとも思う。確かに、以前と接し方のベクトルが違ってきている人物は若干名いるけれど。

自分が恋をしていると認められないしおりがウンウンと唸っていると、葦木場が明るく「じゃあ、こんなのはどうです?」と提案してきた。
何かと思って葦木場を見る。すると彼は、ニッコリ笑ったまま、突然グッとしおりの顔に自分の顔を寄せてきた。ピントがぼやけるほど近くに葦木場の顔がある。

「……ええと、なに?」

後輩の行動の意味がよくわからなくて首をかしげると、葦木場は苦笑しながら離れて行く。

「教えて欲しい?」
「ぜひ」
「じゃあ、ヒント」

――今の、誰が相手ならドキドキします?

問われるがままに、一番最初に思い浮かんだ相手で想像してしまう。
目が合って、腕をひかれて触れそうなほど近くに引き寄せられる。鋭くて熱っぽい目がこっちを見ていて、それだけで胸の奥の方がキュッと痛んで。
……とてもじゃないが平穏な気持ちじゃいられない。

「しおり先輩、しおり先輩」

呼ばれて、やっと妄想の世界から抜け出せた。ハ、ハ、と上がってしまった息を整えるように呼吸すれば、葦木場に顔が赤いことを指摘されて慌てて頬を手で覆った。

「目も潤んでますよ」

笑っている後輩をしおりは恨みがましく睨む。

……今日の葦木場は意地悪だ。
その通りに伝えれば、彼は悪びれもなく「そりゃそうですよ」と返してきた。

「昔からカッコよくて可愛い大好きな先輩が、これだけ動揺しちゃうんだもん。オレだって嫉妬しますって!」
「え、へ……?」

大威張りで言い切った葦木場に、しおりは事態が呑み込めないまま、とりあえず聞き取れた『大好き』という単語に対してヘラリと不格好な笑みを返した。

……今の『大好き』は親愛の意味の大好きで間違いないのよね?
柄にもないことを考えたせいで、なんだか訳がわからなくなってきたが、たぶん合っている。

「ありがとね、シキバ」

礼を言えば、葦木場は何とも言えない苦々しい顔をして、けれどやがては諦めたように息をついて笑ってくれる。

「……これは、先輩のお相手さんは大変だ」

そっと呟いた一言は、外で吹きすさぶ北風の音でかき消され、誰にも届かずに寒空の中に溶けて消えていった。


 
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