111:そして広がるリツイート



「この馬鹿者!心配かけおって!!」

病室に響いた東堂の怒号に、しおりは苦笑しながら「ごめんごめん」と謝った。

土砂崩れの事故の後、駆け付けた救急隊員によって救助されたしおりはすぐに救急車に乗せられ病院へと搬送された。
当時は土砂崩れのショックで多少取り乱していたが、病院で手当をして、点滴を打ち、ぐっすりと寝たら目覚めたときには一瞬「なんでここに居るんだっけ?」と思ってしまうくらい、すっかり良くなっていた。

傷も小さな石や木の破片による切り傷と足首の打撲程度。これならすぐに帰宅できると思っていたのに、何故だかしおりは現在入院三日目であった。

それというのも、怪我自体は本当に大したことはなかったのだが、大寒波のなか冷たい雨風に長時間晒されていたせいで風邪をひいてしまったのだ。
一時は熱が40℃近くまで上がって、付き添いで泊まり込んでいた両親も肝を冷やしたそうだが、それもどうにか落ち着き、今はこうして友人たちからの見舞いを受け入れられるようにまで回復していた。

しおりは知らなかったのだが、あの日のレースはスタート後ほどなくして豪雨による中止が言い渡されていたらしい。
スタート地点、ゴール地点から運営車両が何台も出て、選手たちを回収しに走り回っていたそうだが、現場の混乱で丁度コースの中間付近を走っていたしおりを見落としていたそうだ。

なるほど、走っても走っても選手の姿が見えなかったわけだ。

自分の運の悪さを嘆いて息を吐く。
それでも、いまは純粋に土砂崩れから助かったことにホッとしていた。

この時の事故は大寒波が引き起こした事例として各メディアでも大きく取り上げられ、しおりもテレビのニュースで事故現場を上空撮影している映像を見た。
常緑樹の濃い緑で覆われた山の一部が崩れ、その眼下数十メートルにある何もかもを呑み込んで、それは緑の中を縦断する茶色の直線のように見えた。
カメラ画アップになった際おそらくしおりがいたであろう山道のアスファルトの様子も映し出されたが、道路はある一点を境に見事に土砂で潰され、転落止めのガードレールもなぎ倒されていた。

あれに巻き込まれたら、こんなちっぽけな命はひとたまりもなかった。
想像しただけでブルリと震えてしまう。それくらい大きな事故だったのだ。

……ちなみに、事故をかぎつけた地元のテレビ局が救助隊が到着すると同時くらいに現れて、しおりの救助開始から救急車搬送までを撮影していたらしい。

駆け付けた警察が配慮してシートで見えないように覆ってくれていたし、顔なんてもちろん映っていなかったが、そこはマスコミのプロ根性が光った。
シートの隙間や警察官の影からバッチリ撮っていたらしく、案の定その様子がその日うちにテレビで流されたのだ。

ぐったりとしている女の子を、同年代らしい男の子が抱きしめている。彼の口元はしきりに動いていて、どうやら必死で女の子を励ます言葉をかけ続けているようだとわかる。

彼女の身体には大きさの合っていないブカブカの上着がかけられていて、逆に彼は酷く薄着だった。吐く息が白いのを見れば現場が相当な寒さだと察せるのに、彼はただ彼女がこれ以上濡れないよう、凍えないようにと身を挺して守っているように見えた。

……どう見ても、そうとしか見えなかった。

その映像を病室で初めて見たしおりの衝撃と言ったら、そりゃあもう、頭を鈍器でガツンと殴られたようだった。
事故を聞いて千葉から慌てて駆け付けてくれた両親もこれには目を丸くして、母などは「あら〜若いっていいわぁ〜」と気の抜けたコメントをし、父にいたっては何やら寂しそうな視線を娘に向けるばかりだった。

しおりは恥ずかし過ぎてそれから今に至るまで一切テレビのニュース番組を見ていないし、ニュースになったらすぐにチャンネルを変えるかテレビを消すかしているのでそれから件の映像は一回も見てはいない。

しかし、ネットやSNS上でも密かに話題になっているらしく、ニュースやネットで事故の噂を聞きつけた知り合いたちから労わりの言葉と共に興奮したようなメッセージがわんさか届くのだけは勘弁願いたいものだった。








「コラ!聞いておるのかしおり!」

怒られて上の空だった思考がハッと戻ると、そこには腰に手を当てた東堂が怒り顔でしおりを見下ろしていた。その後ろでは部の潤滑剤、新開が「まあまあ」といつものごとく友人をなだめている。
窓際には福富と荒北がいて、小言が止まらない東堂に「ここをどこだと思っている。静かにしろ」だとか「東堂ウルセー」だとか文句を垂れていた。

――いつもの風景だ。私の大好きな風景。

戻ってこられて良かった、と自然と笑みが浮かんでくる。そんなしおりを見て毒気を抜かれたのか、東堂が呆れたように深いため息をついた。

「心配かけてごめんね。あと、色々ありがとう」

事故の日、しおりが巻き込まれたのをいち早く察知して動いてくれたのは他ならぬこの4人だ。
大会運営が呼んでいなかった救急車の手配をし、しおりが病院に運び込まれたことを両親や学校、部活に知らせてくれたのも彼ら。
毎日代わる代わるに具合はどうかと連絡もくれたし、しおりが熱にうなされていても部活のことを気にするヤツだとわかっていてその日の部活の様子も事細かに教えてくれた。

そして面会解禁日、こうして真っ先にお見舞いに来てくれている。
自分がどれだけ大切に思われているかを実感して、感謝してもし尽せない思いでいっぱいだった。

でもしおりだって、彼らを大切に思っている。きっと彼らと同じくらい、いや、それよりずっと強く大切に思っているという自負があるのだ。
現実に向き合うことすらできなかった自分を、地の底から引き上げ、目標を掲げて、挑戦させてくれたのは彼らだから。

――そしてまた、自分に新しい道を示してくれているのも彼らだから。

だから自分は彼らを支えたいと思う。彼らが大好きな自転車競技を支えたいと思う。
望むなら、彼ら選手が世界で活躍できるような。そんなマネジメントをしたいと願っている。

自他ともに認める自転車バカばかりだから、彼らはたぶんこの先何があったってペダルを回し続けるだろう。
プロになるか趣味で乗るかはわからないけど、彼らが彼らにとって過酷な選択をしたとき、ちゃんと自分の知識と力で支えられるようにしたいのだ。
今のままじゃ、全然足りないから。

「あのね、レースでの賭けのことなんだけど」

勇気を出して切り出した言葉に、4人の視線が一斉に集まる。いきなり緊張の糸が張り詰めたような雰囲気に、覚悟は決めていたのにしおりもドキドキと鼓動が早まるのを止められなかった。

賭けは、結果的に言えば大会中止になったのでドローなはずだが、東堂は首位でゴールし、しおりは出来なかったという点を踏まえれば完全にしおりの負けだ。

東堂が勝った際、しおりは『留学について前向きに考える』ことになっている。あくまで『前向き』というだけで、強制力なんてない、あるのかないのかわからない賭けだ。

全く、彼らは甘すぎなのだ。
過保護で優しい、大切な友人たちにしおりはまっすぐと視線をぶつけた。

「留学行ってみたい。世界を見てみたい。そのチャンスがあるなら、私やってみたい」

一気にまくしたてれば、ああ、言葉に出してしまった、と今まで隠してきた感情もどっと溢れてくる気持ちになった。
じんわりと目の奥が熱くなる。それでも視線をそらさない。
そらしたら、彼らの真摯な気持ちに背いてしまうようなそんな気がして。だから絶対前を見るのをやめなかった。

「そんな泣きそうな顔をするな」
「だって、」

福富の言葉に軽くかぶりを振って答える。

だって、この選択をするということは、自動的に来年のインターハイでその場にいられないということなのだ。

マネージャーを始めた当初は彼らが『てっぺんを取る』ことしか考えていなかった。彼らが見せてくれる『てっぺん』を、隣で一緒に見るのが夢だった。
そして競争率の高い箱根学園の自転車競技部で彼ら4人がレギュラーとしてインターハイに出られるチャンスは、あと一回しかない。
来年しかないのに。

自分はその約束を破って自分の夢の為に外国に行こうとしている。
なのに、それを誰も責めないのだ。
応援して背中を押してくれるのだ。

全く罪悪感がないなんて、とてもじゃないが言い切れなかった。

すると、後ろで聞いていた新開がコロコロと笑う。

「おっ?おめさんオレたちを甘く見てんな?おてっぺんを見せてやる機会なんていくらでもあるぞ。大学でも、社会人になってもな」

そうして彼は茶目っ気たっぷりなウインクを向けてくれた。

「もちろんしおりがマネジメントで一人前になれば、世界のてっぺんだって見せてやれる」

続けた福富の言葉に、嘘や冗談を言っている気配など微塵も感じられなかった。

「らしくもねえ、辛気臭ェ顔してねえで行ってこい」

乱暴に聞こえる荒北の声が自信をくれる。あまり人を褒めたりしないこの人にここまで言ってもらえるなら大丈夫なんじゃないかって思ってしまう。

「だから行けよ、しおり。お前はどこにいたって俺たちのマネージャーだ!」

一体何様なんだと言いたくなるほどの東堂の自信満々な物言いに、それでもポロリと涙がこぼれた。
各々に口にして、背中を叩いてくれる。応援してくれる。
しおりは大きくうなずいて満面の笑みを見せた。

この人たちに返せるのは、自分のやりたい事を精一杯頑張ることだと思った。



***********





後日、順調に回復し退院したしおりはさっそく巻島に電話を掛けた。もちろん留学の意志をピエール監督に伝えてもらう為だ。
数回のコールのあと耳元で「もしもし」と覚えのある声が聞こえてきた。

「もしもし、佐藤です。いまって時間大丈夫かな?」
「……ああ、ちょっと待ってな」
「えっ、いや。取り込んでるならまた後で掛け直……――」
「『例の件』だろ?聞くから」

有無を言わさない態度で押し切られては、しおりも黙るしかなかった。電話越しでゴソゴソ音がして、それから周りが静かになる。

「邪魔してごめんね……?」

頃合いを見計らって謝れば、静かになった電話口の中、彼がクハッと笑った声が酷くクリアに耳元に響いた。

「してねーって。で?どうするか決めたのか」

喋り下手、というわけではないがお喋りでもない巻島は、その性質故によく相手の話を聞いてくれる。いまも留学の決心が鈍らない内に、と掛けた電話の意図を読み取ってくれたのだろうか。無駄話はなしで、すぐ本題を振ってくれた。

「うん。色々考えたんだけど、挑戦してみようかと思って」
「そうか。親御さんは何て?」
「驚いてたけど、応援してくれるって」
「へえ、良かったッショ」

電話口で巻島が柔らかく笑った雰囲気があって、しおりも口の端を緩める。

……ライバルという所をなしにしても、これは東堂が電話を掛けたくなる訳だ。

淡々とした話し方だが、相手の言葉を受け入れ、相手を考えて簡潔に伝えてくれるのがわかるのでついあれもこれもと話したくなってしまうのだ。

今の所、そんなことを言ってくるのはしおりと、東堂だけらしいが。
けど、「やっぱり箱学はおかしいッショ」と言われたのは不満で仕方がない。総北だって随分と個性的だと思うのだ。その辺はお互い様だろう。

「じゃあ留学手続きや資料の話なんかは後で監督から電話してもらうッショ」
「うん、ありがとう。寒い中外に出て貰っちゃってごめんね。風邪ひかないように暖まってから帰ってね」
「……オレ外に出たなんて伝えたか?」
「上着着る音してたし、扉の開閉音も聞こえたよ。まだ部室だった?後ろが賑やかだったからやっぱり邪魔しちゃったよね。ごめんね」
「ハハ、敵わねえなあ。でもまあ、お前なら確かに留学してもうまくやれそうだわ。……変な奴だけど」
「巻島くん!!」

怒って声を上げれば、楽しそうに笑う声が聞こえる。彼が声を上げて笑うなんて珍しい。少なくともしおりは聞いたことも見たこともなくて、いま彼は電話越しでどんな顔をしているのだろうかと本気で考えこんで、途中からそんな自分が馬鹿らしくなって釣られるように笑ってしまった。

「頑張れよ。もうアイツらから言われ飽きてるかも知れねーけど」
「え、どうしてそう思うの?」

巻島は、留学の件で東堂が怒り狂った様子を見ていたはずだ。
だったら普通は部員に反対されているとか思わないだろうか。

「だってお前……――」

――あんな過保護なヤツらが目に入れても痛くないほど可愛がってるお前のやりたい事に反対なんてすると思うか?

そっちのほうが想像できねえよ、と笑う巻島に、しおりは思わず言葉を失う。

端から見るとそうなんだ。
端から見てもそうなんだ。

それがどうにも恥ずかしくて、でも嬉しくて。

「ありがとう、巻島くん」

言いながら、頬が緩んでしまうのが止められなかった。



 
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