102:Mr.ピエール



総北高校に着くと、校門前で出迎えてくれたのは巻島裕介その人だった。バスを降りたしおりの姿を見つけ塀に寄りかけていた体を起こす。
バス停から手を振るしおりに軽く手を上げて返して……と、そこまでは和やかな雰囲気だったのだが、しおりのその後ろに見知ったカチューシャ頭を見つけた瞬間、彼が「げっ」と心底嫌そうに顔を歪めたのが見えた。

「なんだ巻ちゃんその態度は!しおりの時と全然違うじゃないか!」
「……ウルセー。なんでお前に親切に接しなきゃならねえんだよ気色悪いだろ。ってか手帳受け取りに来るだけなのにどうして付いてきてるッショ東堂」
「当たり前だ!しおりを一人で敵陣に送り込むことなど出来ないからな!」

誇らしげな東堂に生返事をしながら、巻島がしおりを見る。『コイツ何回も一人で乗り込んできてるぞ』と言いたげな表情に、しおりは苦笑いしながら顔の前で手を合わせ小さく謝った。
しかしまあ、巻島にしても彼女が総北高校に来ていたことを東堂に知られるのは非常に面倒なのだろう。これ見よがしにため息を付いてから、すぐに本題に入るように、しおりの方へポンと手帳を渡してくれた。

「これで間違いないか?」
「っありがとう!うん、間違いなく私のだよ」

受け取ったそれをパラパラとめくり、中身を流し見して確かめる。大事な手帳がやっと戻ってきた。ホッとして、大事に胸の中に抱え込んだ。

「あ、今日金城くんたちはいる?」

聞けば、巻島が頷いて部室の方を指差す。ここに来たのは手帳の受け取りという名目ではあるが、せっかく来たのだから軽く挨拶くらいはしておきたい。お邪魔にならないように顔を見せるだけ……と思っていると、今まで友好的に部室へ案内しようとしてくれていた巻島が、急に何かを思い出したように息を呑んだ。

「やっぱダメッショ、今日は……――」
「あー、そっか!無理言ってごめんね。よろしく伝えておいて」
「ん、悪ィな」

済まなそうに謝る巻島に、 不行儀だったのはこっちの方なのに、と恐縮してしまう。
そりゃあライバル校の部員が頻繁に来ているのをよく思わない人だっているだろう。田所くんがいい例だ。身内とそれ以外との接し方がハッキリとしている彼は、レースであろうと、街でばったり出くわそうとグッと口を噤んであまりいい顔をしてくれない。

残念だけど大人しく帰ろう。今帰れば部活の片付けくらいは手伝えるかもしれないし。
東堂に目で合図して、今しがた乗ってきたバスの停留所へと踵を返すと、唐突に突き抜けて明るい調子の声が聞こえてきて、しおりたちはパッとそちらを振り返った。

「手帳の持ち主、無事見つかったのデスカ?」

ずんぐりとした体型の、朗らかそうな中年外国人。その姿には見覚えがある。ニコニコしながら巻島の背後から歩いてきたその人に、しおりは慌てて姿勢を正してペコリとお辞儀をした。

「はじめまして!箱根学園自転車競技部の佐藤です!いきなりお邪魔してしまって申し訳ありません!」

笑顔の中年男性とは逆に、巻島はやっちまった、という表情をして、東堂に至ってはキョトンとしている。

「……誰だ?しおり」

流石に声は潜めたが、しおりの肘をつついて聞いてくる東堂に、彼女はクワッと目を見開いて口を開いた。

「ッ〜〜なんでよ!巻ちゃんばっかり見すぎなのよ東堂くんは!!総北のっ……――」
「ドウモ!総北高校自転車競技部の監督してます、ピエールと申しマス」

名乗られた瞬間、東堂の顔がサッと青ざめる。慌てて自分も自己紹介して、老舗旅館仕込みの綺麗な直角九十度のお辞儀を披露していた。

巻島には連絡を入れていたとは言え、ライバル校に乗り込んでいるところを監督に見つかるだなんて、気まずいなんてものじゃない。
たぶん、巻島も部活に監督が来ている状況に気を遣ってわざわざ校門前で出迎えてくれたのだろう。心遣いには非常に感謝しているが、いまは冷や汗が止まらなかった。

「そんなに畏まらないでクダサーイ!わざわざ来てくれたんですから、オチャでも飲んで行って。ホラ巻島クン、案内シテアゲテ!」
「ショオ……」

巻き込まれてしまった巻島も大分に気まずそうだ。
かくして逃げ遅れたしおりと東堂は、ライバル校の応接室で監督とお茶をする羽目になってしまったのだった。





*********







「ソレデ、その時の巻島くんの顔と言ったら、モウ傑作でね〜!」
「ハハハハ!それは本当か巻ちゃん!」

通された席で、ピエール監督は大きく身振り手振りをしながら総北の自転車競技部の話を聞かせてくれた。
特に巻島の話をすると東堂がすごい勢いで食いつくということに気がついてしまったのか、話の半分以上は巻島のエピソードだ。
話のネタにされた巻島は堪ったものではない。むっすりと、不機嫌を隠しもしないで「登りに行きたいッショ……」と現実逃避するようにボソボソと呟いていた。

「巻島くん、巻島くん」

ピエール監督と東堂が盛り上がっている中、しおりは巻島の肘をひょいひょいと突いて彼を呼ぶ。大げさにならないように、少しだけ巻島の方へ体を傾け顔を寄せる。それだけであまり大っぴらな話にしたくないのだと察してくれたのか、彼も同じように少しだけ体を傾けてくれた。

「あのね、手帳のことで気になることがあるんだけど」
「なんだあ?言っとくがオレは本当に見てねえからな」
「わかってる。けどこれだけ確認させて」

しおりは潜めた声で言いながら手に持っていた手帳を指でトントンと叩く。

「これ拾ったのって、もしかしてピエール監督?」

途端、ギクリと彼の肩が震えたのが見えた。何度か誤魔化すように視線を右往左往させ、どうにか言葉を綴ろうとしていたようだが、案の定ウソをつけない性質らしい。観念したようにソファの背もたれに上半身を預けると「そうだ」と白状してきまり悪そうにしおりから視線を外した。

……やっぱりか。

予想はしていたとはいえ、それが真実とわかってしまうとダメージが大きい。東堂にはこの手帳のメモを他校の生徒に知られた所で問題ないとは言われていたが、それが監督ともなると話が違ってくる。
なにせ総北高校は部員こそ少ないとは言え自転車競技のインターハイ常連校だ。生徒たちを育ててきた監督の腕だって相当なものだろう。少しだけ収まっていた不安がまた溢れてきて、胸の中でグルグルしていた。

しおりの深刻そうな表情に気がついたのだろう。巻島はいつも困ったように下がっている眉を更に下げて、気まずそうに頬を指でかいていた。

「黙ってて悪かった。言わないほうが良いと思って隠してたッショ」
「ううん、元をと言えば自業自得だから。気遣ってくれてありがとね!」

口角を上げてニカッと笑えば、それでも少しは巻島の罪悪感を取り除けたのだろう。彼はほんの少しだけ口元を緩め、机の上の紅茶に口をつけた。

「でもどうして監督だってわかったッショ。オレ一回も監督の話なんてしてねえよな?」
「それは……」

気がついた理由は何個かあった。
まず、先程巻島が電話をかけてきた時。手帳はレース会場に落ちていたのに、彼自身はレースに来ていたわけでも、参加していたわけでもしていないと言っていた。この時点で誰が拾ったかはわからない。でも、巻島以外の第三者が拾っていたのだということは予想がついていた。

次に、巻島の出迎え方だ。
わざわざ何時に来るかもわからないしおりたちを待って、校門前まで出てきてくれていた。これは敵同士である箱学の生徒が総北の部室に来て騒動が起きないように配慮してくれたとも言えるが、彼の様子はそれよりも『誰か特定の人に合わせたくない』という感じだった。
いまならわかる。その『誰か』がピエール監督だったのだ。

『Oh〜!手帳の持ち主、無事見つかったのデスカ?』

しおりが手帳を受け取ってその場を去ろうとした時、ピエール監督は確かにそう言った。
その発言は落とし物の手帳の存在を知っている人にしか出来ない。となれば巻島が手帳の監督に言ったか、もしくは監督自身が拾った本人かの二択になるわけだ。

もちろん前者の可能性もあった。けれど、巻島は電話越しでしおりが取り乱しているのを知っているし、先にも言ったとおりしおりが自分以外の誰にも出くわさないように待っていてくれるような人だから、わざわざしおりが不安になる種を増やすことはないだろうなとは思っていたのだ。

「となれば消去法で、監督が拾ったってことになるでしょ?」

そんな推理を披露して、はあ、とため息をつく。
できれば当たって欲しくなかったけれど、残念ながら名推理。大正解だったらしい。

ポカンと口を開けて呆けている巻島に苦笑して、自分も紅茶を口に運べば、乾いた喉に心地の良い苦味と風味が広がってホッと息を吐いた。




 
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