100:捨てた想いと二人の決意



大会の表彰式が終わり、帰路に着く途中、しおりはいつも以上に上機嫌だった。
新開が全快とまでは行かないまでもトラウマ克服に一歩近づけたことが相当嬉しいらしい。まるで自分のことのように喜ぶ無邪気な姿が大変に微笑ましかった。

ただ、新開は時たま携帯電話に目をやってはそわそわしている彼女の様子が気になっていた。誰かからの連絡でも待っているのかと思ったが、どうやらそうではなくて、逆らしい。

彼女は、一緒に新開の練習を手伝った仲間たちに報告の連絡を入れたいのだがレース前にした『新開だけを見る』という約束を気にして連絡を入れようがどうか迷っているらしいのだった。

……てっきり彼女はレースに夢中になって、そんな約束忘れていると思っていたのに。

驚きつつも、今思えば自分は実に子供っぽいことをしてしまったのではないかと、じわじわ恥ずかしくなって来る。だって、いくらレース前で気が高ぶっていたとは言え『自分を一番に見て欲しい』なんて我儘を言うなんて、格好悪いにも程がある。

それでも健気に約束を守ろうと気を遣ってくれる姿に罪悪感を感じつつ「電話していいよ」と承諾すれば、彼女はパアッと表情を明るくしていそいそと誰かに連絡をし始めた。

……こんな時、真っ先に誰に電話をかけるのかは新開も非常に気になる所だ。
主将の福富か、携帯所持率が一番高いであろう東堂か。それとも実は一番熱心に新開の練習を手伝ってくれた荒北か……――

「あっ、もしもし福ちゃん?あのね、新開くんが……――」

どうやら繋がったのは福富の携帯らしい。実に無難な選択だ。
電話の向こうの福富に、嬉しそうにレースの様子やスプリント勝負の詳細までもを語っているしおりに、新開はこれは長くなりそうだ、と自分のことながらやれやれと息を吐いた。

白みがかった高い空を見上げながら、疲れでぼんやりとしている頭を休ませるように目をつむる。瞼の裏で思い出すのは、何と言っても先程のレースのことだ。

このレース。トラウマ打開の収穫は確かにあった。けど、まだまだ問題も多いように感じたのも事実だった。

恐怖で無駄な力が入ってペダリングは乱れっぱなしだったし、集団の真ん中に巻き込まれた時は見通しが悪い怖さで右も左も抜けずに動けなくなってヒヤヒヤした。
冷静な判断ができずにパニックにもなったが、あれは早急になんとかしないと下手したら大事故につながる。
あれだけ練習して、万全の体制で挑んだつもりだったのに、まだまだ足りないのだということが痛いほどわかってしまった。

――もっと練習しなくては。レースに出て、右抜きの経験を積んで、来年の夏に間に合わさなければ。

いま自分がしなければいけないのは、ただ強くなる努力をすることだ。自分たちの練習時間を削ってまで練習に付き合ってくれた仲間たちに報いたいと、いまは本気で思っていた。

来年は何が何でも彼らと肩を並べてインターハイに出る。その為ならなりふり構わずやってやる。その結果、誰かを蹴落とすことになっても、レギュラーナンバーは誰にも渡さない。

争いやいざこざが苦手で、なるべく穏やかに過ごしたくて、自分の意見を押し通すこともなく、流されるように生きてきた自分が今になってこんなことを思うなんて『箱根学園の潤滑油』としては失格かも知れない。

それでも。


未だ電話中の彼女の横顔を、目に焼き付けるように見つめる。すると、気づいたしおりが慌てたように福富に別れを告げ、電話を切ってしまった。
ああ、自分と同じく彼女に想いを寄せているであろう福富は、いきなり彼女に電話を切られてさぞガッカリしているだろう。わざとではないとはいえ、悪いことをした。同郷の彼には心の中で謝っておいた。

「悪い、急かしたつもりじゃなかったんだ……ただ、言っておきたいことがあって」

その神妙な雰囲気に、聡い彼女は何かを感じ取ったのだろう。先程までの浮かれたニヤけ顔をどこかに引っ込めて、いつもそうであるように、まっすぐ、新開を見つめてきた。

何年経っても変わらず、意志の強そうな瞳だ。
一度は光をなくしたが、また輝き出した彼女の色は自分が憧れていた時の……いや、それ以上に魅力的な色をしていた。

ずっと見ていると、心が揺らぎそうになる。好きだ、と。大好きだと、自分の想いをぶちまけてしまいそうになる。

……だから言葉にするのだ。もう引き返せないように。もう逃げられないように。自分を律するその言葉を、彼女へ。

「……強くなりたいんだ」

声が震える。でもこれでは足りない。全然、煩悩を断ち切れていない。

「強くなりたい。大切なもの、全部捨ててでも。今より……いや、前よりもずっと強く……――だからっ!!」
「『だから、協力してくれ』?」

言おうとしたことを先に言われて、新開は呆けたようにぽかんと口を開けたまま固まった。どうして、と動いた口は驚きのあまり言葉にはならなかった。
そんな新開を置いて、しおりはにっこりと笑いながら続ける。

「福ちゃんがね、前に私に同じこと言ったの。『インターハイで勝つためなら全部捨てる』って。新開くん、その時の福ちゃんと雰囲気がそっくりだったから。もしかしたらそうかなって」

もちろん全力で協力するよ、と意気込んで言ってくれた彼女の言葉は、もちろん新開が欲しいものだ。相違など何もない。

新開が口を噤んだのは、思いがけずに知ってしまった幼馴染である『彼』の事実に思わず絶句したからだった。

確かに秋口に入った当たりからガラリと雰囲気が変わった気がしていた。主将の責任だとか、過去の贖罪のために今まで以上に気合が入っているのかと、そう思っていたのだ。

彼は……福富寿一という男は。思うだけで、涙が出そうになった。

その決断を出すまでに一体どれだけ苦しんだのだろう。思い詰めただろう。自分と同様に、いや、それ以上に長い年月を彼女に入れ込んでいたのだ。
彼女が所在不明だった間も、ずっと探してレースに参加し続けていた。再開して、彼女と一緒に過ごすようになった彼は今までよりも一層自身に満ち溢れて幸せそうだった。

そんな彼が、彼女を諦めていた……?

硬派な福富と色恋沙汰の話をしたことなどないが、福富の想いを、自分はずっと隣で見ていたのだ。肌で感じて、自分の感情を差し引いても微笑ましいと思っていたのだ。

思わず自分のポケットから携帯電話を取り出して、福富に電話をかける。

《福富だ》

いつもと変わらない口調で出た彼の声に、どうしようもなく涙が零れ落ちそうになるのを何とかこらえた。

《どうした、新開。レースのことなら今しおりが……――》
「寿一、オレも捨てる。全部捨てるからな」

きっと福富もそれだけで察したのだろう。しばらくの沈黙の後、静かに「そうか」と一言だけ聞こえてくる声から決心じみたものを感じて、新開は何だか彼から強さを貰ったような気になった。

《新開、勝つぞ。インターハイ》
「オーケー寿一。どこまででも付いていくぜ」

この想いは報われないが、この決意だけは実現させる。
そんな2人の真意も知らず、情熱を語り合う男たちの会話にニコニコとしているしおりを恨めしくも思うが、それでこそ彼女だとも思う。

(これがオレの分と、寿一の分)

今回ばかりは意地悪く、自分たちの想いを込めておでこをペシリと叩いて笑ってやった。



 
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