96:王の向かう道



二人で並んで歩いていた。
取り留めもないことを話している彼女の言葉に相槌を打ちながら、福富は背後から差しこむ夕日が作り出した長い影に目を落としていた。

福富が考えていたのは、先ほどの金城とのサイクリングのことだ。

インターハイで不正を行ってしまった自分に対して再戦を誓ってくれた金城の寛大さ。話をしたのはほんのわずかな時間ではあったが、福富は彼の強さを再確認し、そして自分の弱さを思い知った。

『今の自分では彼には到底勝てない』

――そう、痛感したのだ。



「福ちゃん、良かったらうちに寄って行って!夕飯一緒に食べてから帰ろう」

無邪気なしおりからの誘いが聞こえて、無意識に頷く。

「うちの両親も喜ぶよ。昔っから福ちゃんに会いたがってたから」
「そうか」

このままでは駄目だ。強くならないと。実力も、精神も、今以上に鍛え上げなければならない。
そのためには何が必要だ?どんな練習をこなせばいい?

今までどおりでは駄目だということはわかっていた。
慢心は、油断しか生み出さない。これからはそれを一切取り除かなければいけない。でないと勝てない。

アイツに、金城に……――

その時少しだけ、二人の間に沈黙ができた。

それまで今日ここに来るまでの東堂からの着信の数だとか、珍しく誤字の多い荒北からの焦りを感じるメールだとか、空気を読まない新開からのウサ吉の写メの話を面白おかしく話していたのに、それが急に止んだのだ。
条件反射的に思わずしおりを見れば、彼女は口元に笑みを浮かべながらも、少し俯いて二の句を継いだ。

「金城くんは、すごい人よね」

まるで心を読んだようなタイミングにドキリとした。
もちろんそんなことはあり得ないのだが、彼女はたまに、こちらが何も話していないのに何もかも理解してしまったような物言いをするので、本当に心が読めるのではないかと思ってヒヤヒヤするのだ。

例えば柄にもなく弱気になっている時。
彼女は必ずと言っていいほどの確率でそばに来て、自分に自信が持てるように色々なところを褒め、アドバイスをくれる。

例えば静かに怒りを溜めこんでいる時。
彼女は普段は決してしないであろうバカを自らやりだし、周りを巻き込んで、いつの間にか怒りの元などどうでも良いと感じるほどに楽しませてくれる。

孤独と感じる時には傍にいて、泣きたい時には先にわんわんと声を上げるほど泣いてくれた。
きっと、異常に鋭い持ち前のカンと、マネージャーで培われた周囲を観察する能力のおかげで身に付いた特技なのだろうが、それにしたって時にはバレてはいけない感情までバレてしまうのではないかとヒヤリとしたことは一度や二度ではない。

今も、隣の彼女は自分の反応や声色から何かを読みとっているのだろうか。
動揺をどうにか取り繕いたくて、福富はなるべく平然と聞こえる声色で彼女の言葉に短く同意した。

「金城は、もう一度オレと正々堂々勝負してくれると約束してくれた。あんなことをしたオレにだ。オレはその言葉に報いたい」

――金城と。金城のチームと、全力で戦いたい

思わず熱が入って己の拳を固く握りこむ。そんな福富に、彼女は応えるように小さく、けれども力強く頷いてくれた。

表情が分かりにくいと言われるのが常なのに、一を言えば、十を察してくれる理解力が好きだ。

幼い頃から変わらない、疑いなく自分を信じてくれる目が好きだ。

意志の強いところも、強がりなところも、負けず嫌いなところも、本当は涙もろくて感情が高ぶるとすぐに泣いてしまうところも。




――鉄仮面と呼ばれた自分に、この感情を教えてくれた彼女が、大好きだ。

じわりと心が熱くなるのを感じて、喉が震える。

「しおり」

呼べば見上げてくる大きな黒い瞳。
伝えるべきは、今だと思った。

「インターハイが終わったら聞いて欲しいことがあると言ったのを覚えているか」

もちろん、と頷いた彼女の視線は逸らされない。歩みを止めて福富の言葉に集中している。吹く風が、伸び始めた彼女の髪を揺らして、空気を読むようにピタリとやんだ。

「協力してくれ」

自分は、強くならなくてはいけない。誰よりも強くならなくてはいけない。金城が許し、与えてくれたこのチャンスを必ずモノにしなければならない。そして、そのために自分がこれからどうするべきなのかも分かっていた。

彼女に伝えるべきは、当初の考えとは真逆のそれだ。

「オレの願いは来年のインターハイで勝つことだけだ。それ以外はいらない。全部捨てる」

そう。全部だ。
欲も、感情も、焦がれてこじらせた、彼女への想いも。

「だから協力してくれ。オレが……箱学が、勝つために」

向き合うふたつの影はほとんどくっついている。そして実際の自分たちもそれとほぼ同様。これが自分たちの距離。昔の自分が欲しくてたまらなかった、彼女との距離だ。

それを捨てることの大きさが誰にわかるだろうか。きっと、誰にもわからないだろう。自分以外には、きっと。

「わかった」

応えたのは凛とした声。静かで、迷いのない響き。

「福ちゃんが決めたなら、もちろん全力でフォローする。私にできることなら何だってする」

返してくれたのは、何より頼もしい言葉だ。
酷く真剣なその表情が、彼女が自分の味方であるという何よりの証拠であった。

彼女はこの目標のために、きっと全力でサポートしてくれる。この目標を達成するためだけに、今まで以上に傍にいて、支え続けてくれるだろう。

福富にとって、それはとても幸福で、そして少しだけ寂しくもあった。


勝利を夢見る少女の瞳には、どこまでも続く真っ赤な空と雲が映りこんでいる。
何よりも美しい情景と、胸を締め付けるこの気持ちを、彼は生涯永遠に忘れないであろう。



 
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