「一週間も出張なんて嫌になっちゃうわ」

小さなスーツケースに一週間分の衣類や化粧品を手際よく詰め込んでいく彼女の小さな唇から深い溜め息がひとつだけ漏れた。
たかが一週間、されど一週間。仕事だと割り切ってしまえば単にそれだけの話だろうが、もうすぐ付き合い始めて2年にもなる愛してやまない彼女を一週間もお預けされる恋人のオレにとっては死活問題だ。

寂しくなるね、と忙しなく動き回る背中に呟けば浮気すんじゃないわよとからかい染みた声音が返ってくる。お前だけだよ、なんて気恥ずかしいから絶対に口には出さないけれども。

パリッと糊の乗ったワイシャツに皺ひとつないスラックス。少し痛んだウェーブの掛かった明るい茶髪と甘ったるい香水の匂い。彼女は正真正銘大人の女性でオレはただのしがない大学三回生。
そもそも魅力的な彼女と色気なんてからっきしな学生の自分が釣り合っているかすら定かではないが、それなりに愛されている自覚はあるし愛している自覚もある。
それでもこうして彼女と離れることに不安を抱かないといったら嘘になる、もしかしたら出張じゃなくて見知らぬ男のところへ会いに行っているのでは?もっと大人で包容力のある男がいいんじゃないだろうか?
不安は、募るばかりである。

「ちょっと何情けない顔してんのよ。一週間したらちゃんと帰ってくるんだからそんな心配しないの!」

「・・・もう、からかわないでよ」

「なまえってば照れちゃって可愛いんだから・・・ほら、いってらっしゃいのキスして」

「ん、気をつけていってきてね」

いつも通り彼女のキスに応えてやり、ビジネス用の重たいキャリーバッグを引いてずんずん歩いてゆく背中が小さくなるまでひらひらと手を振って見送る。
一人分のぽっかりとあいたスペースに底知れぬ虚しさを感じつつ、自分は自分でたまった家事をこなさねばならない。
幸いお目当ての講義は午後からなので、午前中はゆったりと家の仕事に専念することが出来る。

気を引き締め直して部屋まで続く寂れた廊下をふらふらと歩いていると、足元に違和感。無意識に何かを蹴ったようで、何気なくそれを拾い上げたところでオレは奇妙な感覚にひとり目を剥くこととなった。

「何だこれ・・・彼氏缶?」

これがオレと彼――岸辺露伴の出会いだった。

*

彼氏缶とは付き合うまでのまどろっこしい愛育を省いて、缶を開けて中に詰まった液体を風呂で三分間煮立てれば誰でも簡単に理想の彼氏が出来るようだ。それではカップラーメンかぶれもいいところだ。
蛍光色のどピンクで加工された缶詰めのラベルをひとしきり読んではみたものの、何処をとっても怪しすぎるそれに寒気すら覚えた。

ちなみに彼氏の性格や容姿なども事前に選べるようで、ラベルの裏側に「キシベロハン」の文字と少し取っ付きにくさを感じさせる端整な顔写真がプリントされていた。
「キシベロハン」は俺と同じ大学三回生の美大生でなんと16歳の頃に漫画家デビューを果たしている期待の星らしい。
性格は容姿が語る通りの傲慢で厳しい変わり者。

ううむ、どうしたものか。
生憎オレには現在可愛い彼女もいることだし人肌に飢えているわけでは更々無いし、男色を好んでいるわけでもない。
だが固い缶の中で眠る「キシベロハン」に興味が無いかといったらそれは否である。無意識に彼に思いを馳せる自分がそこにいた。

気付けば缶のプルタブの部分に指を掛けて薄汚れた狭い浴槽にこれもまたどピンクの粘っこい液体を流し込んでいた。

少しの期待と馬鹿馬鹿しさが占拠する脳内で風呂場を一旦出て、さりげなく洗面所で「キシベロハン」が誕生するまでの三分を悶々と過ごした。

「おいなまえ、聞いてるのか。風呂からあがるからバスタオル寄越せよ」

一心不乱に時計の針を凝視していた時だった。
不意をつかれて少し苛ついたような第三者の声、否「キシベロハン」の声が通った。
ぎょっとしつつ、風呂場の様子を伺うと逞しい男のシルエットがぽっかり浮かんでいる。

「ま、まじかよ…」

「やっぱり聞いてなかったんだろ。使えないなぁ、君は」

「い、いや聞いてたよ。分かってるよ、タオルね」

じわりと滲む脂汗を拭ってバスルームで苛立ちを募らせる「キシベロハン」の更なる辛辣なお言葉を回避するべく、近くにあった洗いたてのバスタオルを放り込んだ。
想像通りの不機嫌な顔でタオルを受け取った「キシベロハン」は形のいい柳眉をあげてまじまじとその華奢ながらも逞しい筋肉のついた美しい肢体を凝視するオレを煩わしそうに視界にいれた。

「なんだよ、人の体をまじまじと見て。その熱の篭った目なんかまるで初夜の処女だな」

先ほどまでの不機嫌な仏頂面は何処へいったのか、打って変わってにやにやと意地悪く舌舐めずりしてみせる「キシベロハン」はたまらなくいやらしくみえる。
生理現象的に熱くなっていく頬を隠すように急いで風呂場の戸を閉めて、足早に去った。

「キシベロハン」とオレの長い長い一週間がようやく始まろうとしていた。


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