▽兄妹設定
もう、この光景を目にするのは何十回目だろうか。最初のうちは酷い吐き気と眩暈に襲われたこの光景だが今となってはただただ呆れた感情しか沸いてこない。
深い溜め息をついて開きっ放しにされたポストの蓋を少し乱暴に閉めた。
せっかくの清々しい朝だというのにすっかりと害されてしまった気分を今日一日ずるずると引きずっていくのかと思うとそれだけでまた一つ溜め息が漏れた。
*
私には、物心ついたころからいわゆるストーカーに付き纏われていた。
最初のうちは恐怖と嫌悪感を背負ってひっそりとした生活を送っていたが、もうこんなことが何年も続けばいい加減に慣れるものだ。
かくゆう今日も家のポストには真っ赤なハートのシールのついた宛名の無いラブレターが何十通も送られていた。
それでも今日はまだ良いほうで、酷い時には青臭い男の物と思える下着が突っ込まれていたこともあった。
この前といえば私がいつも通りに目を覚ますと、ぬめりのある青白い精液が体中にぶちまけられていた時はさすがにゾッとした。
だがいくら何年経ってもこんなことを平気でやってのけてしまうストーカの存在に慣れはしたがやはり恐怖は残る。体を走る目眩と吐き気に思わず涙が出そうになる。
「おー、朝から早ぇななまえ。はよー・・・」
結局朝刊を取り損ねてよろよろと家に戻ると、既に一人先客がリビングにいた。緩いスウェットを身に纏い、寝起きのせいかねぐせのついた栗色の髪の持ち主はまだ眠そうに私にゆるりと笑いかけた。
「あ、兄さん。今日は早いんだね、おはよう」
兄さんのふにゃりとした笑みに思わず私も笑みが零れてしまう。先ほどの目眩と吐き気が嘘のように溶けていき、強ばっていた体の力もスッと抜けていく。
兄さんも起きてきたしそろそろ朝食でも作るか、足をキッチンへ向けるといきなり後ろから腕を引っ張られて気付けば兄さんに抱き締められていた。
「・・・いつもより顔色が悪いな、何かあったのか?」
「やだなあ・・・何もないよ、心配性だね兄さんは」
兄さんの問いを簡単に笑って流すと、一層きつく抱き締められてびくりと体が震えた。正直なところ、何としても兄さんにだけは心配を掛けたくない。
昔から私を助けてくれた優しくてカッコいい大好きな兄さん。無意識に涙が零れて兄さんの腕を濡らした。
「何を隠してるかは知らねぇけどよ、たまにはオレを頼えって」
兄さんの少し不機嫌そうな声が鼓膜を揺らして、それに追い討ちを掛けるように塞き止められていた涙が溢れ出た。
年甲斐もなく泣きじゃくる私によしよし、と優しくあやしてくる兄さんの暖かい掌が心地よくて堪らなく安心した。
「大丈夫・・・なまえのことはオレが守ってやるから。ほら泣くなよ、可愛い顔が台無しじゃねぇか」
そう言って微笑んでくれた兄さんにありがとうと伝えたくて口を開くと首に奇妙な圧迫感が走る。
身動きの取れない体で視線を下に下げると、目に入ったのはスウェット地の袖口と見慣れた暖かい掌。
── そんな、まさか、うそだ。薄れゆく視界の中で兄さん、と呼ぼうとすると頭上から降ってきた声によって書き消された。
「だけど、せっかくプレゼントしたラブレターなんだから捨てちゃ駄目だろ?でもこの前の枕元に散らした精液は泣いてまで喜んでくれるんだから嬉しかったぜ。ああ、可愛いななまえ、愛してるぜなまえ」
視界の端で最後に見つけたのは歪んだ兄さんの笑顔だった。