▽学パロ

ふわりと生温い風がまるで頬を舐めるかのように滑ってゆく。
春先である為、昼間はいくらか暖かいもののさすがに一日薄手のカーディガン一枚で過ごすというのはまだこの季節には辛いものがあったようだ、何とも情けないくしゃみが一つ零れた。机と向き合って数学のプリントの丸付けをこなしていた霊幻先生は私のくしゃみを聞いてか、プリントから目線を外して深いダークブラウンの瞳をこちらに向けた。

「随分なまえにしては可愛いくしゃみだな、もしかして寒いのか?」

「おちょくらないでよ霊幻先生…まあちょっとだけ肌寒いかな」

全く、こんなに冷える前に早く言えよ、と一つ呟いて子供をあやすかのように私の頭を軽く撫でると先生は淡い朱色の光が零れる窓へと足を向けた。パタパタと先生が歩くたび僅かにスリッパが地面に擦れる音と開いた窓の隙間から入ってくる風の音だけが私と先生しか居ない教室に響いた。

広くてピンと背筋の伸びた先生の背中をこうしてあと何回見られるのだろう、壁掛けのカレンダーに視線を送ると既に真新しい年度のものに切り替わっていて何だか追い出されたような気分だった。

「だけどなまえも律儀だな、もう春休みだってのに未だにオレの補習を受けに来る暇な卒業生はお前位だ」

窓の隙間から僅かに入ってくる風がふわりと先生のミルクティー色の髪を揺らした。薄いガラス一枚の窓越しにすっかり朱色に染まった空を見つめている先生の表情は生憎こちらからは伺えないがその背中に哀愁を感じた。

本来はもう袖を通す意味なんて無い制服をまだ私は身に纏い、在校生だった頃のように毎日霊幻先生の補習を受けに来ている。こんな何故教師になれたかもような分からないチャランポランな先生の補習を受けに来る理由の正確な答えとすれば私は先生に抱いてはならない好意をこの三年間で培ってきたからであり、それを未練がましくもまだ諦められずに私を突き放さない先生に甘えているだけなのだ。

私は先生の優しさを利用してるだけ、喉の奥でその事実を飲み込むと心なしか苦い味がした。

「…何、迷惑ならはっきり言ってよ」

「ははっ、相変わらずひねくれてんなお前。そんなんじゃ大学行っても彼氏出来ねぇぞ、なまえちゃん?」

やっと窓から視線を外した先生はいつもと同じ笑顔で微笑むとまた私の頭の上に掌を置いて再び数学のプリントに視線を移した。会えて嬉しいなんてお世辞に決まってる、分かってるのに単純な私の脳みそは大喜びして顔が暑くなるのが嫌でも分かる。

「ねえ霊幻先生、私が先生を好きって言ったらどうする?」

不意をついて無意識に出た言葉だった。気付いた時には視界いっぱいに悲しげな表情の先生が映って罪悪感と喪失感が体を巡った。慌てて弁解の言葉を並べようとも後の祭りとはこのことだ、先生の深刻な雰囲気に何も言えなくなってしまう。

「…一時の気の迷いだろ、学生の頃は周りの男子生徒よりも違う雰囲気に憧れているだけで、言うなれば単なる熱病だ」

何処かのドラマで聞いたことのあるようなお決まりの台詞で初めて私をやんわりと拒絶した先生の横顔はやっぱり大人だった、だけど私も此処で涙を流して逃げるほど自分の気持ちに無責任じゃないわけで震える唇を隠すように言葉を紡いだ。

「私はもう子供じゃないよ。確かに最初は熱病だったかもしれない、だけど今はそんな浮わついた名前で量ることなんて出来ないよ」

「…こんな碌な大人じゃないオレの手を取ったって、幸せになれる保障はないぜ」

「こんなダメな教師を好きになっちゃった時点でそれって報われてないよ」

そう冗談混じりに先生に笑ってやると軽い溜め息を洩らして苦笑を浮かべた笑顔が返ってきた、その顔はやっぱり端整で私の好きなそれだけれど少し子供っぽい笑顔だった。

「一丁前な口利きやがって、お前って奴はやっぱり可愛げねーな」

先生の白く長い指が私の頬に触れた。先生の掌の柔らかい熱が肌に伝わってじくじくと甘い熱が広がってゆくのを頭の隅で感じた。自然と朱に染まる私の頬を見てそんなに頬を赤くして立派な熱病だな、なんてにやりと意地悪く笑う先生はやっぱり悪い大人だ。

「こんなダメな大人に惚れちまうバカなお前を幸せに出来んのは、お前みたいなガキに不覚にも惚れちまったアホなオレだけだろ」

甘くねっとりとした響きで囁いた先生の形のいい唇が優しく頬に触れる。自分の顔が熱くなるのが嫌でも分かってしまう。お返しと言わんばかりに逞しい腰に手を回すと、そのせわしなく早い先生の鼓動に思わず笑ってしまった。
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