普段なら絶対選ばないような上品で洒落たネクタイを固く締めて、しっとりとした息を吐き出した。

柔らかい祝福ムードに包み込まれた空気は華々しく鮮やかで、霊能力者とは名ばかりの詐欺師というけしてまっとうな世界ではない道を歩む自分には似合わなすぎて少し居心地が悪い。

密かな反抗としてスラックスの中に無造作に突っ込まれた可愛い封筒に包まれた招待状をぐしゃりと握り潰した。

「あれ、新隆くんだよね…来てくれたんだ」

昔と全く変わらない透き通ったソプラノの声の主がオレのジャケットを軽く引っ張った。振り向きたくない、でも振り向かないと此処に来た意味を否定することになる。

オレは意を決してゆっくりと視線を声のする方に向けるとそこには昔よりも少し大人びた女の表情で微笑む彼女――なまえがそこには居た。

「よお、結婚おめでとう…すげぇ綺麗になったな」

「新隆くんこそ凄くカッコよくなったよ。なんか、学生時代とは別人みたい」

「…そうか?オレは何も変わっちゃいねーよ」

嘘ばっかり、昔を懐かしむかのようになまえは瞳を細めて小さくそう呟いてまたオレの知らない笑顔で微笑んだ。

なまえは今日、結婚する。オレの知らない男と人生を誓って、本当にその男のモノになる。所詮オレはただの彼女の元カレ、オレはなまえの昔過ごした青春時代の思い出になる。なまえはきっとオレとの繋がりに踏ん切りをつける為にオレを此処に招いたのだろう。

何てオレは勝手な男なんだろう、彼女を幸せに出来る自信が無かったから彼女との縁を切ったというのに。

誰よりもまだ未練がましくなまえとの繋がりを絶ちきれないのは自分だというのに。だから、今度こそ彼女をオレから解放してあげなきゃいけない。

「…なぁなまえ、どうしても聞いてほしいことがあるんだ。今更じゃ迷惑かもしれねぇ、でもきっと今伝えないとオレ一生後悔すると思うから」

「うん…分かった。新隆くんの想い聞かせてよ」

なまえの身に纏っている純白のホワイトパールのドレスの裾が柔らかく揺れる。長い睫毛を落とした瞳は何処となく寂しげに見えて、彼女を突き放したあの日が重なって見えた。

あの時のように抱き締めたい衝動に駆られるが、オレにはもうなまえに触れる資格があるはずもない。思わず伸ばしそうになった行き場のない掌を固く握り締めた。

「オレはずっとなまえから逃げ続けてきたんだ。一方的な理由こじつけて散々泣かせて失った後に気付いてさ。だからもう、これで最後にする。」

オレは自分の中で一番の笑顔をなまえに向けて、もう一度しっとりとした息を吐き出した。もう、振り返っちゃいけない。

清らかな彼女の幸せを、なまえをこれ以上オレが壊してはいけない。

「ずっと、お前を愛した。遠回りしてごめん、オレに泣かされた分、幸せになってくれ」

どんなにオレ達の関係が変わっても相変わらず泣き虫なところは変わらないらしく、その柔らかそうな頬に真珠のような涙が伝う。

それは今まで見てきたなまえの浮かべたどの表情より、美しかった。
そんな彼女を何処か遠巻きに見る自分に、ようやく長すぎる初恋が終わったのだと感じる。

嗚咽を洩らしながら、かすかに揺れる小さな肩を背にしてゆっくりと足を踏み出す。結局最後までオレはなまえの涙を拭うことすらしてやれなかった。

「…ッ、さよなら。新隆くん」

小さな掠れた声の返事代わりにひらひらと片手を振って応える。
ありがとう、さよなら、なまえ。

*

教会の重いドアを開けて一歩外へ踏み出すと濃密な雨の匂いとむわりとした湿気が鼻孔を刺す。

やはり上品すぎてオレには似合わないネクタイを緩めてやると、雨とも涙とも分からないような大粒の滴が頬を濡らした。

教会の中から聞こえてくるやたらと見せ付けるように大きな鐘の音と負けない位に煩い雨音がオレの嗚咽を掻き消した。
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