チャイコフスキーの『悲愴』が、頭の中で奏でられた。私の心情を現すには身に余るが、実際のところ、至極追い詰められていた。
ヴァイオリンを手にした私の腕は、休まることさえ許されない。目の前の男が、私の主導権を握っているのだ。名を斎宮宗というこの男は、腕を組んで私のヴァイオリン演奏に耳を傾けていた。いや、傾けるなんてものじゃない。私の身体全てに神経を注ぎ、節奏が気に入らないと、途端に容赦なく罵倒する。
「ノン!違うのだよ!今のところをもう一度、弾きたまえ」
「ええ、また?もう疲れたよ。休ませて頂戴」
私が口答えをすると、斎宮は頭を掻き毟る。乱れた髪も気にせず、大声で怒鳴り散らした。互いに立ちっぱなしで、かれこれ五時間は経過していた。私の喉は乾くし、疲労困憊だ。
「何を腑抜けたこと言っている。これは僕の芸術作品に関わる。いいから続けるがいい」
「はい」
それでも素直に返答して、ヴァイオリンを構え直した。
私は、斎宮に逆らえなかった。なんと、この男の助言通りにすると私の演奏は格段に音色が変わっていった。しかも、私の音楽を尊重しつつ、不足しているものを補うものだから、彼に依存した音楽にはならない。ぴったりと当てはまるパズルのピースを埋めた高揚感が、私の中で沸き起こる。
言われた通りに一曲を弾き終えると、斎宮は満足そうに頷いた。終わりの合図だ。
「いいだろう。全く、最初からその力を出せばいいものを、何で君は遠回りするのかね」
「喉が渇いたから力が出なかった」
「……」
斎宮は、少し罪悪感の滲んだ顔で、ペットボトルを渡してきた。ありがとうと言って遠慮なく水を一気飲みし、半分も残らないそれを返却した。
「それで、完成したのかね」
「うん、大体は」
「大体……?あと二週間なのだよ。影片の調整も含めると、そろそろ完成してもらわなくては困る」
そう言った斎宮は、麗しい顔の眉間にしわを寄せた。
そろそろというのも、私は斎宮から作曲を依頼されていた。と言っても、斎宮が今度披露するらしい演目の、それもヴァイオリンのカデンツァのみだが。
斎宮は、夢ノ咲学院の音楽科の定期演奏会で私を知ったらしい。ヴァイオリンのカデンツァを聴いた斎宮がインスピレーションを得たらしく、私に作曲を依頼することとなった。
私は私で、帝王と謳われた彼の存在は知っていたし、なんなら鑑賞したこともあるので、喜んで引き受けた。それの締切が迫られていたのだが、私がのほほんと作曲していたものだから、ズカズカと音楽科の音楽室に訪れた。斎宮は私の演奏を聞いたら、曲の催促も忘れて私の演奏につい口出しをしてきて今に至る。
深呼吸をして、ヴァイオリンを構えた。
「とりあえず聴いてよ」
私のヴァイオリンから、音楽が紡がれた。
斎宮宗が所属するユニット、Valkyrieを目に焼き付けた時の気持ちが蘇る。一方的に見せつけられたあの情景と、心臓を叩きつけるような律動が、今でも私の心に棘のように刺さったままだった。
さあ、斎宮宗。私の音色を聞いて頂戴。五時間も練習させられたんだから、一瞬たりとも聞き逃すことは許さない。
聴き終えた斎宮は、ため息をついた。
何かまずかっただろうか。
「これじゃダメだった?」
自信を持って披露した。あとは、斎宮の審美眼にかなうかどうか。
斎宮は、静まった部屋で一人拍手をした。
「想像以上なのだよ。名前のカデンツァを聴いた時の衝撃を彷彿とさせる、苛烈で優美な音色だ」
改めて自分のことを褒められると、こそばゆい。それにしても、苛烈と優美とはまた反対のような気がする。
「私の音楽っで相反しているの?」
「ああ。だが、そこが名前の魅力でもある」
そうか。斎宮にそう言われると、そうなんだろうなと納得してしまう。
「安心したまえ。君の音楽は、この斎宮宗が高尚な芸術として奏でてみせよう」
「そっか。客席で堪能させてもうね」
「何を言ってるのだよ。名前にも演奏してもらうから覚悟するといい」
「……分かったよ」
本番に向けての特訓で、地獄を見ることを容易に想像できた私は、辟易した。
それでも、斎宮の芸術の一部になれるのなら、私は演奏者として冥利に尽きるのであった。

20191118執筆




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