ふたりぼっち | ナノ



随分と冷たい空気が漂っている気がした。外の空気の匂いすら全く分からなかった。ただ視界が徐々に黒く塗り潰されていく。その感覚が広がっていくのみ。己の手を目の前に大きく翳しても、黒だけが支配していた。痛みは伴わないはずなのに、胸部の中心辺りにじわりとゆっくり広がる鈍痛が感じられた。黒に埋もれていく。揺らめく瞳は最後にその景色の彩飾を記憶にしていった。





「…大丈夫?」

柔らかいトーンが聴覚を刺激して醒めた。声からして女だろうか。今までオレは何をしていたんだ。数回ぱちぱちと細かく瞬きを繰り返してから、視界がクリアになれば目の前には此方をじっと眺める女が屈んでいた。光沢のある紅色のリボンを胸元に結って、紺色の上着にプリーツスカート、黒のソックスにぼろぼろな茶色の靴。鞄を地面に無造作に置いていた。見たこともない不思議な格好だ。辺りは自棄に静かで上方を向けば橙と赤で作られているグラデーションの空が何処までも広がっている。オレは深く長い夢を見ているのだろうか。怪訝そうな表情の女に負けじと訝しげに考えてみれば、やはりおかしい。つまり、これは正しく夢なのだ。
そのはずなのだが、腑に落ちない。死者がこんな見知らぬ女の夢なんて見るわけがねぇからだ。


「うわー、怪我してる」


『怪我なんかしてねぇよ』


怪我?それは最期の時の傷のことだろうか。不可解すぎる事に巻き込まれ、苛立ちを覚えていく。女は自分が怪我をしたかの様に顔を歪めた。同情なんていらねぇ。きつく睥睨をしても、それでも女は気にも留めず此方をただ見つめてくるだけ。
オレは一体なにをしているんだ。自身の最期の死に様もそれ以前の記憶もしっかり頭に入っている。幼い頃のことや暁に入ってからのこと、全て。オレはオレなのだから、そんなことは当たり前だ。けれど、オレは本当に死んだんだ。あの時核を貫かれ。なのに、何でこんなにリアルなんだ?さっきから乾いた空気や外の匂い、虫の音色、女、全てが鮮明でリアル。まさか生きてるのか?



「よし、連れていこう」


『………は?』

「私の家においで」

ほらっと桃色の唇が言葉を紡いでいく。さっきからおかしい。おかしすぎるんだ。何がって総てだ。オレが何故生きてるのかってことは勿論、目の前の変な女、その女から発せられる意味深な言葉も。柔らかく笑む女は両腕でオレを包めば、ふわりと身体が浮く感覚が全身に感じた。
だから、おかしいんだ。おかしすぎるんだよ。数倍大きな女の顔。抱き上げられ、下へと伸びる肢体。己の両腕の色。触れられている箇所がやたらと熱い。同時に視線を下方へ一瞥すれば、伸びる黒く長い尻尾。




「今から君の名前はカーヤ!」

数センチしかない距離まで顔を近付け、にこりと悪気なんて更々なく無垢な笑みを浮かべる女。鈍器で殴られたようにオレの脳内は意味不明な事態についていくことは到底不可能でいた。ただ間近にいる女の顔だけが瞳に焼き付くように映し出されていた。



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