君と私の物語 | ナノ



オイラがこっちの世界に来て、優月の家に居座ってからどのくらい経っただろうか。その間、家の周辺を案内してもらったり家で一人の時は電話やインターホンが鳴っても出なくていいとか教えてもらったりした(オイラはガキか)どうやら優月は一人暮らしをしてるらしい。その所為か、料理やら家事全般を軽々しくこなしていた。居候している身なのに、何もしないのはよくないかと思い簡単な手伝いはするが、今までそんなこと全くと言ってしたことがない為(家事当番は鬼鮫だったからな)足手纏いになってるのは事実だ。それでも、あいつは嫌々せずにありがとう、と毎回笑顔と共に添えていた。
なんつーか、女とこんなに長く接したのは初めてで警戒を強めていたがいつの間にか全くなくなってしまった。あいつ、だからかもしれないが。
こんな平凡な生活に徐々に順応してきたが、未だに腑に落ちないことが一つ。何故、オイラは生きていて異世界に居てのうのうと暮らしているのか、ということだ。これは猶予期間なのだろうか?だからといって、こんな疑問を抱えていたところで誰かが確実な正答をくれるはずがないが。


「…遅せぇーな」

テレビから聞こえてくる賑やかな老若男女の笑い声。視線を時計に移すと、既に九時すぎを回っていた。
優月はバイトの日は帰宅してくるのは遅いが、ない日は大抵早く帰ってくる。だけど今日はバイトはないと言っていたのに、帰って来るのが遅い。しかも、夕方頃から雨が降り始めていた。暗くてよく見えねーが、耳に届いてくる雨音と風の音は強く激しい。確か、朝は晴れてたからあいつ傘持っていかなかったよな。駅からここまで距離あるのに大丈夫なのかよ?雨の所為で余計寒いってのに、まさかずぶ濡れで帰って来ないよな?

「…って、オイラ心配してるのか?」

まさかあり得ねぇ…よな。大体、今までは他人の心配や助けることなんか甚だしいくらいしたことがないんだ。何時だって自分のことだけを考えて生きてきた。忍はそうだと思っている。ふと脳裏に過るのは一尾を捕獲した時のこと。九尾の人柱力やらがやたらと救済しようと必死だった。あん時は、何であいつ等がそんなに心配で助けようとしてるのかオイラには理解できなかった。でも今心の隅に優月の存在があり、心配しているのは確か。果してこの細やかな焦燥はあの九尾と同じなのかは皆目検討つかないが。ただ優月には色々と良くしてもらってるし、一緒に居て楽しいのは事実。先日だって不意に手が触れた時なにか変な気分になった(言っとくが、イヤらしい意味じゃないぞ)別に嫌じゃなかった。どこかでそれを認めたくはない自分がいる反面、やっぱりそれでも素直に嫌じゃないと感じてしまう。故に心配してしまうのだろうか。モヤモヤしている矛盾の気持ちを抱きながらも数分後、オイラは上着を羽織り傘を取って鍵を締めてから、大雨の中へと出ていった。







「こりゃあ、見つけたら奇跡かもな」

外灯が一つもなく真っ暗。あのオイラが倒れていたらしい道を歩いていた。界隈は自棄に静かで雨音だけが響き、木々だけが目につく所為かまるであっちの世界に帰ってきたような、戻れたような気に陥る。優月はいつも帰宅する道は近道になる為ここを通っている、と近辺を案内された時に言っていた。あん時は昼間だったからここを通った時は何も思わなかったが、ここを夜に女が一人で通るのはかなり無防なんじゃないのだろうか。
息を吐くと白くなり冷たく湿っている空気に溶け入った。その時、前方から足音が微かに響き渡る。それは徐々に近くなり、立ち止まって目を凝らした。


「優月か?」

「……デイダラ?」

前方から歩いてきた者に声を掛ければ、優月の声らしき者がオイラの名前を紡いで、目の前で立ち止まった。暗さの所為で、姿はよく見えねぇが声からして優月だということは明確だ。近くまで行けば、何故か息を酷く切らしていて、予感が的中したのか案の定優月は傘をささず、ずぶ濡れ状態。オイラは傘を優月の方に寄らせて、急いで上着を脱いで着させた。すると微かに寒さの所為でか震える声色が雨音に消えた。ありがとう、と。


「…よし帰るぞ!」
「あ、…あの、早く帰ろう」
「なんでだ、うん?」
「ほら、寒いし…風邪ひいちゃうから」
「それもそうだな」

上着を貸したからか、その分余計寒さを感じられたのもありオイラと優月は早足で家路へと辿った。それまでの間、普段なら優月は下らないことを喋るはずなのに今日に限って一言も喋らず、オイラも話掛けずにお互い無言で家に着いた。
バタンと扉が閉まり、オイラが慌ててバスタオルを持ってくると優月は未だに玄関の前にボーッと佇んでいる。


「どうしたんだよ、うん?」

不思議に思ってそう声を掛けた後に、今まで伺えなかった優月の姿を視界に入れると目を見開いた。あっ、と優月は漸く気付いたかのように必死に羽織っていた上着で覆い隠す。

「…お前、」

「…っ」

確かに見てしまった。優月の服が所々破けていたり乱れているのを。しかも、首筋には痣が幾つか付いていて腕は赤くなって、足が小刻みに震えている。そこから何があったのかを予想するのはあまりにも容易く、顔を顰めた。いつもは明るく笑っている優月が今は顔を辛辣そうに歪めている。そして黙ったまま俯いて、全身までを震わせて、オイラはただただタオルを頭から被せた。それだけの行動に優月は体をビクリと反応させた。現状から予測して、男を怖がるのも無理はない。その傷痕を修復するのはそう簡単にはいかないのだろう。ただ犯罪者である自分だが、無理矢理女に手を出すのだけは許せねぇ。何より気に入らねぇ。そんなに欲情してるなら、そこらにそれを満たすことができるとこがごまんとあるはずだ。なのにこんな手段をとるのが気に食わない。


「…風邪ひくぞ」
「…っ」

ポタリポタリと床に落ちる雫。無気力な優月をタオルで何度か髪を拭いてやると、急に視界がぐらりと動いた。優月に抱き付かれたということに気付いたのはすぐだった。突然なことに呆然とどうすればいいのか混迷していると、優月はごめんね、と何回かそう消え入りそうな声で呟き胸に顔を埋めてきた。泣くのを我慢しているのか、たまに鼻を啜っている音が微かにする。突き放すことは簡単だ。けれど、できない。同情したのかもしれない。このままそっとしたほうがいいのかもしれない。だけど、優月の背中を優しく擦った。


「泣くなら泣いたほうがいいぜ、うん。それじゃあ辛いだけだろ」

「……デイダラっ」

強がるんじゃねぇ、と呟きゆっくりまた背中を擦ると、優月は哀咽しながら泣き始めた。
忍はどんなことがあっても情を表出せずに、例えば苦渋な事があっても常日頃冷静を保つことが当たり前。けど、こいつは忍とは違う。普段は明るくよく笑うくせに、抱き付かれて初めてこいつの体が自棄に小さく、酷く脆くってまるで硝子のように感じられた。

だから今泣きじゃくるこいつの傍にいてあげることが、唯一オイラにできることなのかもしれない。




無理せずに、泣きたい時に泣けばいいんだ。お前はただの人なんだから。