射抜かれた恋心
大人しいけれどよく笑う子。控えめに笑う、その笑顔が印象的な女の子。それが名字名前だった。感じのいい後輩。1年生の良心のような存在。ただそれだけ。そこに特別な感情はない。
「はい、狗巻先輩」
「こんぶ?」
「今日バレンタインでしょ。何よ、覚えてなかったの?」
「しゃけ」
「一応男子に配ってんのよ。ありがたく貰っときなさい」
「すじこ」
作業みたいに渡して1年生の教室に入っていった野薔薇は、今度はこれまた作業のように悠仁と恵に配っていた。きちんとラッピングされたチョコレートが、義理といいながらもイベントを楽しむ野薔薇らしい。
「お、棘も貰ったのか」
「ほら、私からはこれだ」
後ろからやってきた同級生2人の方へ振り向けば、真希にチ◯ルチョコを渡された。真希らしい。そういえば昨年もチロ◯チョコだったような気がする。美味しいし、貰えるものに文句はないけれど。
「ありがとな、名字!」
「サンキュ」
教室の中から1年生2人の声が聞こえて教室を覗き込む。今度は名前がチョコレートを渡しているらしかった。パンダと真希も気になったらしく、一緒に覗き込んでいる。名前も相当楽しんでいるんだなと思う。少し意外だけれど、後輩たちが楽しんでいる姿を見てほっこりした。
「あっ……狗巻先輩、」
視線を感じたらしい名前がこちらを向いて俺の名前を呼ぶ。気づけばパンダと真希は側からいなくなっていて。なんだか覗いてしまっていたのが申し訳なくなってきて、気まずさを感じながら姿を見せた。
「先輩、あの」
「?」
駆け寄ってきた名前が目を伏せて頬を赤く染めている。そこにいつもの笑顔はなくて、少し不安そうな表情でこちらを見つめた。
名前の向こうからは悠仁、恵、野薔薇の、後ろからはいなくなっていたはずのパンダと真希の視線が感じられる。なんだ、この状況。何が始まるんだ。
「っ……チョコレート、受け取ってください」
差し出されたのは、先ほど悠仁と恵に渡していたものとは明らかに大きさもラッピングも違うものだ。彼らに渡しているのを見ていたけれど、いつもの柔らかい笑顔で、友人への対応だった。少なくとも、こんなに不安そうにはしていなかったし、指だって震えてはいなかっただろう。
チョコレートの見た目が違うのは俺が先輩だからかと一瞬そんな考えが過ったのは、今まで恋愛なんてものをしてこなかったからだと思う。恋愛なんて縁遠い存在で、今までもこれからも自分には関係のないものだと思っていたから。
──これ、明らかに……
名字名前は、かわいい後輩だ。ただそれだけのはず。どくどくと心臓が鳴るのは、彼女の緊張が移っただけだ。
「す、じこ」
少し辿々しいお礼になりながらもそれを受け取れば、名前が安心したように、嬉しそうに笑う。その表情に、どくりと大きく心臓が跳ねた。
「よかったぁ……」
かわいい。今抱き締めたら、この子はどんな表情をするのだろうか。安堵が一気に緊張に変わって、真っ赤になるかもしれない。みんなに見られているのも忘れて、そんなことを思ってしまった。けれど、伸ばそうとした手をぐっと堪える。
一時の感情でそんなことをすれば、自分のことを本気で想ってくれているこの子に悲しい思いをさせてしまうかもしれない。そんなことは絶対にあってはならないのだ。
「名前!」
「へっ!?」
お礼を言って教室の中へ入ろうとする名前を呼び止めた。驚いたように目を丸くして、ワンテンポ遅れて顔を真っ赤に染め上げる彼女。そういえば、名前を呼んだのは初めてだったかもしれない。
「高菜、明太子、ツナマヨ」
「はい……待ってます!」
ちゃんと考えるから、待ってて。
そう伝えれば、彼女はいつもとは少し違う、嬉しそうだけれどちょっと泣きそうな笑顔で頷いた。
title by Ruca
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