逃げ道なんて作らせない




学生の頃に初めて出会ってから、尊敬してやまない人がいる。自分で言うのもどうかとは思うけれど、学生の頃は随分ひねくれていたし先生にもよく怒られていた。先生の言うことは聞かないのに彼の言うことは聞くから、よく彼が呼び出されていて。彼と会うために頻繁に悪戯をしていたのも事実だった。そんな彼──名字名前さんは、何度呼び出されても嫌な顔一つせず、淡々と「悪戯のやりすぎはよくない」と言って聞かせるのだ。
彼をよく知らない奴らは彼のことを"無愛想"と言う。確かに寡黙で表情もほとんど変わらない人だけれど、彼をしっかり見ていれば誰よりも優しくて思いやりのある人だと分かるのに。

「名前さんさぁ、何であのとき何回呼び出されても怒んなかったの」

向かいのソファーに座ってコーヒーを飲んでいる名前さんが視線だけをこちらに向ける。何を突然、と言いたげな視線だけれど、僕からすればずっと疑問に思っていたことだった。

「別に……任務の報告に寄ったついでだったからな」
「それにしては頻繁に寄ってたよね? 寮に住んでるわけでもないのに」
「高専から近いところに住んでるし」
「実はかわいい後輩のために来てた、とかじゃないの?」
「……今日は質問ばかりだな」

いつもはお前がずっと喋っているのに。
ぽつりと呟いてまたコーヒーカップに口をつけた。ブラックコーヒーを顔色一つ変えずに飲むその姿はイメージどおりと言えばそうなのだけれど、見るだけで苦そうなそれに大量の砂糖を入れてやりたくなる。僕が飲めるくらいの甘さにしたら、彼はどんな表情をするだろうか。

「それ、美味しい?」
「ああ」
「絶対苦いでしょ」
「悟には苦いかもな」

名前を呼ばれてどくりと心臓が跳ねる。そもそも必要最低限のことしか言わないからだろうけれど、あまり人の名前を呼ばない名前さん。こうやって稀にさらりと言葉の中に混ぜてくるからずるい。クソ、録音しておけばよかった。

「僕はさ、名前さんのこと尊敬してるし好きなんだよね」

僕がいつもの目隠しではなくサングラスをつけているということもあって、ぱちりと目が合う。その吸い込まれそうな漆黒の瞳が、いきなり何を言い出すんだとか、何の脈絡もないとかそんなことを言っているような気がした。確かに突然話がとんでしまったとは思う。けれど、それにはかまわず続けて口を開いた。

「だから、あんたの言うことだけはいつも聞いてる」
「尊敬する要素がどこにあるのか分からないが。……それで?」
「あんたを尊敬してやまないかわいい後輩のお願い、聞いてくれないかなって」

真意を探るように見つめてくる名前さんが「聞くだけは聞こう」と告げた。叶えてくれるかは別らしい。まあ、彼は僕がどういう性格をしているか知っているから、二つ返事で了承してくれるとは思っていなかったけれど。言っても叶えてくれるようなお願いでないことは分かっている。好き、というさらりとした告白もスルーされてしまったし。それでも言わないより言って後悔する方がいい。

「抱いて」

真っ直ぐ名前さんを見つめる。彼もまた、僕を見つめてくる。驚くでもないその表情に、少しくらい動揺するとかしてほしかったなとは思うけれど、名前さんらしいと言えばそうだった。
暫くの沈黙。「無理だろうしいいよ」と告げようとしたところで、先に彼が沈黙を破った。

「それは、"かわいい後輩のお願い"では聞けないな」
「ま、そうだよね」
「かわいい恋人のお願いとしてなら叶えられなくはないが」
「は……?」

思いもよらない言葉に、聞き間違いかと自分の耳を疑った。それはつまり、恋人になれば聞いてくれると。いや、自惚れだろうか。恋人のお願いは聞くけれどお前はただの後輩だから聞けない、単にそう言われただけかもしれない。彼の言葉に頭が混乱したまま、それでも彼の言葉を待つしかなくて。

「後輩、やめてみるか?」
「……恋人になれってこと?」
「理解がはやくて助かる」

顔が熱い。どくんどくんと心臓が脈打つ。嬉しさと恥ずかしさと本当に現実なのかという疑心がないまぜになっていく。惚けてしまっている僕に、ブラックコーヒーを飲んでいた名前さんが「どうする?」と尋ねた。

「あんたの言うこと全部聞いてきた僕がそれ断れると思う?」
「思わないから提案したまでだが」

ふ、と小さく笑う名前さんに、敵わないと思いながら「なる」と伝えた。少し拗ねたような言い方になってしまったけれど、珍しくくつくつと喉を鳴らして笑った名前さんを見て、まあいいかと思うのだった。


title by Ruca


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