狗巻棘と人気アイドルの話1




きっかけは、テレビ番組で紹介されていたライブ映像を見たことだった。たまたまついていた番組で、興味を持っていたわけではないのに、ふとそれを見て視線を釘付けにされてしまう。画面の向こうで、歌って踊る女の子。ファーストライブだと紹介されているにも拘わらず、手を振ったりウインクをしたりとファンサービスはお手の物。ファンは大いに盛り上がって、女の子も心から楽しんでいるみたいに笑う。元々かわいい顔をしているけれど、何よりもきらきらと輝くその笑顔に目を奪われて、ライブ映像をじっと見つめていた。

***

学校も任務もない休日。いつもならパンダと寮でだらだらしたり、みんなで出掛けたりするのだけれど、今日は1人で買い物をして回ろうと街中をぶらぶらしていた。
自分の買いたいものはだいたい買って、パンダに頼まれたお土産のカルパスも抜かりなく購入済みだ。あとは、野薔薇に頼まれたマカロンか。動物の顔が描かれたそれは、見た目もかわいいうえに美味しいらしいと目を輝かせて話していたのを思い出す。所謂隠れ家カフェというやつで知る人ぞ知る店らしく、スイーツのテイクアウトもできるそうだ。マップでそのカフェを調べていると、街頭大型ビジョンから音楽が流れ始めた。音楽は初めて聞くものだけれど、声は何度も聞いているもので。ぱっとスマホから視線を上げてそちらを見る。今売れに売れている話題のアイドル、名字名前。俺がテレビで偶然見かけて虜になった女の子だった。

『名字名前、ニューシングル。◯月◯日発売』

またシングルを出すのか。笑顔はもちろんのこと、彼女の歌声も曲も大好きなのだ。今までに発売されたシングルやアルバム、ライブ映像のDVDも全て購入済みだった。今回も買わなきゃと彼女を画面越しに見られた余韻に浸りながら、マカロンを買うべくマップに視線を戻した。

***

隠れ家カフェということもあってか、マカロンはスムーズに買えて。野薔薇に頼まれていた分と、プラス7個。いろんな動物が描かれていたから被らないように買った。野薔薇を含めた後輩3人に、真希、パンダ、自分。当然パンダにはパンダが描かれたマカロンをあげようと思う。憂太も日本にいたら食べられたのにと残念に思いながら小さく息を吐く。因みにあと1個は悟の分だ。甘いものを食べているとどこから嗅ぎつけてくるのか、「いいもの食べてるね」なんて言いながら混ざり込んでいつの間にか悟も食べている。他の人の分を奪われないための対策だ。

目的も済ませたし帰ろうと歩き始める。ふと、路地裏に気配を感じて視線だけをそちらにやれば、そこに蹲っている女性がいて。まさか人がいると思わなかったからびくりと肩が跳ねたけれど、女性1人でこんなところにいるのは危険だからと、そろりとその女性に近づいた。

「っ!? ……誰、」
「!?」

向こうも驚いて肩を跳ねさせたあと警戒したようにこちらを見てきたけれど、それよりもこちらの方が驚いて足を止めてしまった。蹲っていたのは、あの名字名前だったのだ。いろんな番組に引っ張りだこで忙しいはずの彼女がどうしてこんなところに。マネージャーは一緒にいないのだろうか。それよりも、テレビで見るきらきらした顔とは明らかに違う、疲れたような表情。忙しさはその顔から見て取れた。

「……、」

疲れた顔に浮かぶ警戒の色。分からないけれど何か事情があるのだろうし、他の人に気づかれて騒ぎになってしまってもいけないから。とりあえず、まずは彼女の警戒を解いておいた方がいい気がする。

「おかか」
「? おか……?」
「すじこ、いくら」
「え、え……?」

戸惑い始める彼女から、警戒の色が薄れた。そのタイミングでスマホに文字を打ち込んで見せる。ファンということは今は隠しておいた方がいいだろう。

"たまたま通りかかっただけです。体調が悪そうだったので、気になって"
「……そう、ですか。ごめんなさい、失礼なことを」
"大丈夫です。それより顔色が悪い。病院は?"
「少し疲れちゃっただけなので大丈夫です。ありがとうございます」

ふわりと微笑む。窶れていてもその優しい笑顔はかわいらしくて、不謹慎だけれどきゅんと胸が鳴った。
でも今の言葉は、これ以上踏み込まないでほしいという彼女の意思のような気がして。売れっ子アイドルと一般人という大きな距離を感じて唇を噛んだ。他人のことに深く首を突っ込むのはよくないとは分かっている。それでも、いつも元気を与えてくれてわくわくさせてくれるこの子が苦しんでいるのに、何もできないことが歯痒くて情けなかった。

「そんな顔しないで、笑ってください。私は大丈夫だから」
"でも、"
「本当に大丈夫なんです。みんなが笑ってくれれば、私も元気になれるから」

ふふ、と笑って、小さく息を吸う彼女。俺にしか聞こえないくらいの声で、彼女のデビュー曲を歌い始めた。推しているアイドルの生歌をこんなに近くで聞けるなんて、こんな幸せなことがあるだろうか。ファンと言わなかったのはまずかったか、抜け駆けみたいでずるいかもしれないと思いながら、それでも歌ってくれる彼女の歌を真剣に聞く。前を向けとエールを送られているような歌詞に、明るくて何度も聞きたくなる曲調。どの番組でも彼女を紹介するときには絶対に流れる代表曲で、「リピート必至」なんて紹介されている曲だ。かくいう俺も、彼女の曲の中で3本の指に入るくらい好きな曲だ。聞きながら自然と笑顔になっていると。

「元気出ました?」

彼女を元気にしたいと思っていたのに、逆に元気づけられてしまった。頷けば彼女もあのきらきらした笑顔を向けてくれるから大きく心臓が跳ねる。頬に熱が集まるのが分かって、着けていたマスクを目のすぐ下くらいまで上げた。

「……実は、お仕事中だったんですけどちょっと疲れちゃって。休憩もらって抜け出してきちゃったんです。はやく戻らないといけないんだけど、しんどくて、」

俯いて絞り出す声は震えている。

「でもせっかくお仕事もらえてるのに、こんなことしてちゃ駄目だし……みんな応援してくれてるのに。だから、もっと頑張らなくちゃって」
"もう十分頑張ってるよ"
「え……」
"ファンには名前さんの気持ち伝わってると思うし、少しくらい休んでも好きなままでいてくれます"
「え、な……私のこと、知って……?」
「お、おかか!」

うっかり彼女のことを知っているとばらしてしまった。彼女が驚いたようにこちらを見る。下心で話しかけたと思われたかもしれないと、慌てて否定した。

"確かにファンですけど、下心で近づいたんじゃないです! 最初は貴女だって気づいてなかったんです!"
「……ふふ、そんなに慌てなくても。他意がないのは分かってましたから」

くすくすと笑う彼女に、ほっと息を吐く。と、徐に立ち上がって真っ直ぐ前を向いて。

「お名前、教えてもらってもいいですか?」
"狗巻棘です"
「狗巻さん、ありがとうございました。お仕事、戻ります」

あんなにしんどそうだったのに。驚いてじっと彼女を見つめれば、こちらに視線を向けて微笑んだ。その顔は、疲れを感じさせない、けれど無理やり笑っているのでもない心からの優しい笑顔だった。

「貴方のおかげで元気が出ました。頑張れそうです」

歩きだそうとした彼女の手を思わず掴んでしまう。同い年のはずなのに随分華奢で小さなその手に、驚いて小さく目を見開いた。

「狗巻さん……?」
「!」

はっとして手を離す。不思議そうな顔をする彼女に、どうしようかと考えて、先程買ったものを思い出す。紙袋の中からぱっと取れたマカロンを1つ彼女の小さな手へ。

"美味しいらしいのでよかったら"
「これ……! ありがとうございます!」

目を輝かせて嬉しそうに笑う。それは、今までテレビでもライブでも見たことのない、17歳の女の子の無邪気な笑顔だった。

***

寮の部屋に帰って、SNSをチェックする。タイムラインを見ていると、名字名前の文字。投稿されている写真を見て、どくりと心臓が鳴った。

"ずっと食べたかったけどなかなか買いに行けなかったマカロンを差し入れにいただきました!わんちゃんかわいい……元気と勇気も分けてもらいました。ありがとうございました!"

犬が描かれたマカロン。たまたま取れたのがそれだったのだ。それと一緒に笑顔で写真に写っている彼女。顔に熱が集まって、頬の筋肉が緩む。
彼女に会って話をして、名前まで呼ばれて。今日の出来事は全部夢だったんじゃないかと思ってしまうくらい幸せだった。浸りすぎて、野薔薇やみんなにマカロンを渡すのを忘れそうになったくらいだ。
でも、彼女の投稿を見て、夢じゃなかったんだと心が浮き立つ。嬉しくて仕方ないけれど、彼女が無理していたことを思い出して、先程の投稿にコメントを飛ばした。

"いつも名前さんに元気をもらってます。あまり無理せず休めるときはゆっくり休んでくださいね。"

程なくして、スマホの通知音が鳴る。何だろうと思って見てみれば、名字名前本人からのいいねがついていて。嬉しいけれど心臓に悪いことばかりだなと思いながら、緩む頬をそのままに彼女の投稿を何度も見返してしまった。

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