初恋は叶わない、ジンクスさえも憎い



2限目の体育はグラウンドでサッカーだった。チームごとに分かれ、交代で試合をしたり審判や応援をしたりと、かなり盛り上がっている。

「次俺ら応援?」
「おー」

試合が漸く終わり、同じチームの倉持に聞けば肯定が返ってくる。応援といいつつ、グラウンドの端で休むことがメインだ。地べたに座り込んで、何を話すでもなくぼんやりと他チームの試合を眺めていた。

ふと、グラウンドの向こうに男性の歩く姿が見える。遠くても分かる、見かける度に目で追ってしまう人だった。恋心を自覚してすぐはどんな顔をしていいか分からなかったけれど、今は普段通り話せている……はずだ。倉持からは、まだ表情に出ていると言われてしまったけれど。
グラウンドの向こうを歩く伊織先生をじっと見ていると、彼は学校の敷地の外に出ようとしていた。荷物を持っているわけではないから、出張や休暇取得での帰宅というわけでもないだろう。気になってしまうともういけなかった。

「倉持、俺腹痛くなったから保健室行ってくるわ」
「は? さっきまで元気だったじゃねぇか、って、おい!」
「先生に言っといて」
「いや、保健室と方向逆だし……ぜってぇサボりだな」

倉持の言葉を無視して伊織先生を追いかけるべく、門を目指して走った。

***

正門を出て少し行ったところで伊織先生の後ろ姿を見つけた。声をかけると授業を抜け出してきたことが分かってしまうから、距離を保ったまま尾行してみることにする。そのまま暫く歩いて、河川敷のところで先生は歩みを止めた。建物の陰に隠れて、先生の様子を見つめる。

──何してんだろ。

じっと息を潜めて見ていると、先生はポケットから何か取り出した。目を凝らしてよく見てみる。彼が口に咥えたのは、

「煙草……?」

驚きすぎてつい声がもれてしまった。小声だったからおそらく聞こえていないと思うが、開いた口が塞がらない。嫌悪感はないけれど、伊織先生が喫煙者とは思ってもみなかった。
……それにしても、画になる。伊織先生と煙草と言われても疑ってしまうけれど、実際にその姿を目にしてみると似合いすぎるほどに似合っていた。ギャップは大きいけれど、煙草を吸う姿も綺麗で見入ってしまう。ふぅ、と綺麗な唇から煙草の煙が吐き出される。その姿から目が離せなくてじっと見つめていると、ぱちりと目が合ってしまった。

──あ、やっべ。

「御幸ぃー?」
「っ、すんません」

バレてしまっては仕方ない。隠れるのをやめて、伊織先生のところまで歩を進める。先生はまだ長めの煙草を携帯灰皿に入れた。

「吸わないんですか」
「さすがに生徒の前で吸えないでしょ。それより授業は?」
「あー、いや……」
「サボったな?」

ははは、と乾いた笑いをこぼして目を逸らした。

「片岡先生に怒られるぞ」
「言わないでもらえると助かります……」
「ふふ、言わないよ。おいで」

伊織先生はその場に座り込んで、俺に向かって手招きをした。ふわりと笑った顔が優しくて、きゅうっと胸が甘く締めつけられる。

「戻れって言わないんですか」
「先生としては言わなきゃだけど……まあ、たまにはいいんじゃない? 尾行は褒められたことではないけどね」

意地悪な顔をして笑う先生に、かっと頬が熱を持った。尾行していたのを知っていたということは、おそらく正門を出た辺りから分かっていたということで。気づいたうえで咎めずに着いて来させたということか。

「すみません、勝手に踏み込んで」
「いいよ、気にしないで。それより何か聞きたいことがあるんじゃないの?」

踏み込まれるのが嫌いなのだろうということは、毎日彼を見ていれば分かることで。あからさまに嫌だという態度をとるわけではないけれど、困り顔ではぐらかしているのを今まで何度も見たことがあった。だからこそ、尾行して先生の中に踏み込んでしまったのは不味いと思ったのだ。けれど、予想に反して先生はあの困り顔はしていなくて。そのうえ聞きたいことがあるなら言いな、とまで言ってくれる。いいのかななんて思いながら、一応許可を取ってみる。

「先生のこと聞いてもいいですか」
「いいけど、答えられないことには答えないよ」

踏み込んでもいいと言われたような気がして、嬉しくて。思わず顔が綻ぶ。何を聞こうかと考えたけれど、2限目終了までそんなに時間はないだろうから、気になっていたことを遠慮せずに聞いていくことにする。

「伊織先生って、恋人いるんですか」
「え?」

驚いたように目を丸くしてこちらを見る伊織先生。聞いちゃ不味いやつだったかと思って誤魔化す言葉を探していると、先生がくつくつと笑った。

「ごめん、御幸からそんなド直球な恋バナが来ると思ってなくて。ふふふ、あー、びっくりした」

振ってはいけない話題ではなかったらしい。よかったと安堵して先生をちらりと盗み見る。

──あれ……?

そういえば、こんなに笑っている先生を見るのは初めてだった。いつも微笑むことはするけれど、こうやって声を出して笑う姿は見たことがなかったのだ。表情は柔らかいのだけれど、そういえば教室で見せるものは完璧な笑顔と口元に笑みを湛えた顔、そして困り顔の3つくらいのもので。個人的に話すときには、授業中に見せるのとは違った優しい笑みをするけれど、思い切り笑うところは見たことがなかった。優しい笑顔も好きだけれど、こうやって笑ってくれるのもいいなと思いながら見つめていると、彼が口を開いた。

「質問の答えだけど、恋人はいないよ」
「えっ」
「いると思ってた?」
「あ、いや……でも先生モテるから」
「まあ、告白はあったけど」
「青道来てから? 誰からされたんですか」

意外と恋バナ好きなの? なんて聞きながら、先生は青道に来てから女子生徒にも同僚にも告白されたことを教えてくれて。これだけイケメンで人当たりもよくて優しければモテないはずがないよな、なんて思う。それでも、たくさんの人から告白されたという事実を聞いて少し焦った。想いを伝える前に先生が誰かと付き合ってしまったら、伝えることも出来なくなってしまうのではないだろうか。そもそもこの気持ちを伝えるかどうかはまだ決めていないし、伝えたところで断られるのは分かっている。それでも。

「先生って、好きな人いるの」
「……いるよ」
「っ、そっか」

胸がチクリと痛む。いるんだ、好きな人。どんな人、と聞こうとして、聞く勇気は出なかった。暗闇に突き落とされたような感覚。ぐっと気分が沈むけれど、気づかれないように表向きだけは努めて明るく言うようにする。声は震えてしまったけれど。

「同性の恋人とか、どう思う?」
「恋愛に性別は関係ないと思ってるよ」
「じゃあ、」

──今、俺に告白されたらどうする?

口を開いて、その質問を音に乗せようとしたとき。

キーンコーンカーンコーン

校舎の方からチャイムの音が聞こえた。勢いで尋ねようとしたそれは、チャイムにかき消されて発することも出来ずに俺の中にもやもやしたものとして残る。口を噤んだ俺を見やった先生が、目元を緩めて徐に口を開いた。

「行こうか」
「……はい」

立ち上がって、ゆっくりと隣を歩く。この時間が終わってほしくない。終わらせたくない。止まりそうになる足をなんとか動かして、校舎へ向かう。

「ねぇ、御幸」

呼ばれて先生を見上げれば、今まで俺に向けられてきたものより何倍も優しい笑顔で。ああ、これは愛おしい人を思い出している顔なんだろうなと、なんとなく理解できた。

「俺の好きな子、男の子だよ」
「そ……う、ですか」

なら俺にもチャンスありますか、なんて。思っても聞けなかった。先生の表情を見れば、"好きな子"をどれだけ想っているかなど痛いほど分かる。この人にこれだけ想われるなんて、どんな幸せ者なんだ。どれだけ徳を積めばそんなことになるのだろうか。

──初恋は実らない、なんて言うけれど、

本当にそうなのかもしれない。



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