こんな想い知らなかった



3年生になった4月。授業担当は各教科、毎年度変わる。3-Bは今年度、現国で見事に片岡監督を回避し、小さく安堵の息を吐いたのはここだけの話。ちなみに沢村や降谷たちのクラスは当たってしまったらしいことを聞いたから、今日の部活のときにでもからかってやろうと思っている。

誰が授業担当であろうと、まあ真面目に受けるのだけれど、やはり1年間関わるのがどんな先生かは気になるわけで。今日の1限目は今年度初めての古典の授業。担当の先生がイケメンだと女子が騒いでいるのを小耳に挟んだ。何でも今年度から青道高校に来た先生らしい。クラスの女子がきゃあきゃあと嬉しそうに話すのを聞き流しながらスコアブックに目を通していると、本鈴が鳴ってクラスメイトが席についた。それとほぼ同時にガラリと教室の扉が開く。

入ってきた人物を見て、教室がざわつく。俺も、一瞬息をするのを忘れたくらいだ。綺麗な長めのアッシュブロンドを1つに結んだ髪、髪と同じ色をした吸い込まれてしまいそうな瞳、すらりと高い背丈。この世にこんな綺麗な人がいるのか、と驚いて見入ってしまった。

「はい、静かに。今日からこのクラスの古典の授業を担当します、伊織蒼です。よろしく」

静かで落ち着くのに、教室の一番後ろまでよく通る澄んだ声。そして、言葉のあとに続く綺麗な笑顔。授業中にも拘わらず、きゃあ、と小さく黄色い声があがった。それも仕方のないことだと思う。男の俺でも見惚れてしまったのだ。他の男子生徒だって、目を丸くして凝視していたり、俺と同じように見惚れていたり。

ただ、こういった反応に慣れているのか、本人は全く動じることなく今後の授業の進め方について説明を始めた。説明しながらさらさらと書いていく黒板の文字も綺麗で。説明も分かりやすいし、落ち着いた声も相俟って、頭の中に馴染むように言葉が入ってきて感心してしまう。それは皆同じようで、隣の席の女子生徒からもほぅ、と感嘆の息が漏れていた。

先生だって人間なのだから、いくら分かりやすい授業でも欠点の1つや2つあるもので。今まで受けてきた授業だってそうだったのだけれど、彼の授業は欠点なんて見つからないんじゃないかと思ってしまった。教室の空気は良い緊張感できゅっと締まっている。それなのに、彼の言葉にときどき笑いが混ざって、教室を明るい雰囲気にしていく。今日は導入だけのはずなのに、これからの古典の授業が楽しくなるのは間違いないと確信できるほどだった。

ああ、終わってほしくないな、なんて思ってしまうけれど、そういう時間ほどはやく過ぎるもので、授業終了の時間まであと10分。伊織先生は生徒の方へ向き直り、自己紹介のときと同じ綺麗な笑顔で、一部の生徒にとって地獄のような言葉を紡いだ。

「春休みの宿題、ちゃんとやってきてる?」

たいていの生徒はきちんとやってきているのだけれど、やはり忘れている者もいて。

「忘れた人は明日持ってきてね。明日も忘れたらペナルティで文法のプリント追加しまーす」

宿題を忘れた生徒から悲嘆の声があがる。「明日持ってきたらペナルティなしだから」と笑いながら宥めている彼は、生徒の扱い方が上手い。教室も授業中とは思えないほど明るい雰囲気だ。
春休みの宿題を集め終え、もう少しで授業が終わってしまう時間。伊織先生が「この学校は」と切り出した。

「教科の係がいるんだっけ。国語は……御幸一也くん?」
「は……あ、はい」

突然名前を呼ばれたから、驚いて返事が遅れてしまう。そういえば委員や係を決めるときに、じゃんけんに負けて引き受けることになったんだったか。たまたま残っていた国語係を必然的に引き受ける形になったのだ。

「宿題、職員室まで運ぶの手伝ってくれる?」
「わかりました」

俺がそう答えたところでチャイムが鳴り、休み時間に入った。伊織先生のところまで行くと、半分運ぶように言われたから、問題集を抱えて一緒に教室を出る。廊下を並んで歩いていると、周りからの視線が熱くて。全て伊織先生に向けられているものだけれど、本人は全く気にしていないらしい。話しかけられれば答えるものの、視線には反応せずといった様子で、今までずっとこうやって周りの視線を集めてきたのだろうなとひどく納得してしまった。
ただ、慣れているとは言っても、なぜかそのことに触れてはいけない気がして。かと言って何か話題があるわけでもなく、俺は黙って先生の隣を歩くしかなかったのだけれど。

「御幸くんは、野球部だっけ」
「あ、はい。そうですけど、」

先生の方から話を振られた。

「休み時間もスコアブック見てるって、他の子から聞いて。野球、楽しい?」
「ずっと小さい頃からやらせてもらってる、好きなことなんで。それに、面白い奴らと毎日好きなことできてるから。楽しいです」

練習はきついけれど。それでも好きなものは好きだし、楽しいものは楽しいのだ。野球部の仲間と、野球のことを思うと自然と笑顔になってしまう。そのまま伊織先生を見れば、彼は一瞬目を丸くして、ふっと微笑んだ。

「そっか。俺は野球のこと、あんまりよく分かんないんだけど。もしよかったらいろいろ教えて」
「は、……い」

自分に向けられた笑顔が、教室で見たものとは違う気がした。教室で見たのは、もっと綺麗で完璧な笑顔だ。けれど今向けられているのは、慈しむような、優しくて自然に出た笑顔のような気がしたのだ。その笑顔に、胸がきゅっと締めつけられる。嫌ではないそれの正体が何なのかは分からないけれど、今は彼の優しい表情にただただ見惚れることしかできなかった。



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