初恋が最後の恋



「腹痛いから保健室行ってくる。先生に言っといて」
「あ゛?」

3度目のこの言葉。倉持が眉間に皺を寄せて睨んでくる。

「逃げてんじゃねぇぞ」

これはマジギレだ。倉持の気持ちも分からないではない。
最初に俺が古典の授業をサボったときの伊織先生の反応は「そっか、分かった」だけだったらしい。けれど、2度目はあからさまに避けていると確信したらしく、「へぇ」とのこと。笑顔で静かに怒っているのが伝わってきてめちゃくちゃ怖かったとは倉持の談。あの倉持がげっそりしていたくらいだから、相当だったのだろう。授業中は普通だったらしいし、そのあとも俺以外の話題では倉持ともいつも通り話していたらしいけれど。その切り換えが逆に怖いと倉持は若干涙目だ。それでも、というかそれを聞いたからさらに、授業に出るのは勘弁してほしかった。

「いや、まじで先生と顔合わせるって思うと胃が痛くなってきた……。悪いけどよろしく、倉持」
「あ! テメェッ、」

倉持が何か言っているけれど、ダッシュで逃げる。保健室へ直行して、腹痛なんで休ませてくださいと言えば、ベッドを使うよう言われてカーテンを引いた。

***

授業終了のチャイムが鳴ったのを聞いて、あと5分くらい経ったらゆっくり教室へ戻ろうかなと思いながら身体を起こす。今から昼休憩だから、おそらく伊織先生は授業終わりに生徒から話しかけられて数分は教室にいるはず。ゆっくり戻っていれば会わなくて済むだろう。そう思っていると、ノック音のあとにがらりと保健室の扉が開く音がした。体調不良の生徒だろうか。

「あら、どうされました?」
「3-Bの御幸くん来てます?」
「腹痛だそうでベッドで休んでますよ」

まずい。聞き間違えるはずがない。今入ってきたのは体調不良の生徒ではなく、伊織先生だ。どうやって逃げるか、ぐるぐると考える。けれど、どうやっても先生のいるところを通らなければならない。どうしようと頭を抱えていると、もっと頭を抱えたくなるような会話が聞こえてきた。

「伊織先生。私、今から30分くらい席を外すんですが……」
「出るとき鍵閉めておくので大丈夫ですよ」
「助かります。よろしくお願いしますね」

がらりと音がして保健室の先生が出て行ってしまった。助けを求められる人がいなくなって、いよいよまずい。がちゃりと鍵を閉める音が聞こえた気がしたけれど、気のせいだと思うことにする。それより逃げる方法をと思っていると、カーテンが開かれて。ベッドに腰かけて逃げようとする体勢になっていた俺を見て、伊織先生がにっこりと笑った。ああ、倉持が言っていたのはこの顔かと納得する。これは確かに涙目になってしまう。

「どこ行くの」
「えっ、と……わ!?」

ぐっと腕を引かれてベッドに引き戻される。足の間に先生の身体が滑り込んできて、腕は両方とも壁に縫い付けられて。人生で壁ドンをされる日が来るなんて想像もしていなかった。というか、近い。伊織先生の綺麗な顔が目の前にあって、直視できなくて顔を横に向けようとすれば、顎に手を添えられて先生の方を向くよう強制される。因みに腕は両手首を先生の片手で押さえられている状態だ。一応鍛えているのにびくともしなくて、この人細身のはずなのにどんだけ力強いんだと驚いてしまう。

「御幸」
「っ……せんせ、」
「何で避けるの」

何で?そんなの決まっているじゃないか。覚悟はしていたけれど、やっぱり断られるのが怖いのだ。断られても普通の生徒でいられるかどうかが不安なのだ。ずっと、伊織先生のことを想ったままで迷惑をかけてしまったらと思うと怖くて仕方がないのだ。

「答えたくないならいい。けど、この間の返事は聞いて」
「ッ、聞きたく、ないです」
「聞きなさい」
「嫌だ!」
「みゆ「あーー!」」

自分でも驚くほど子どもっぽいことをしているとは思う。でも、手で耳を塞ぐことは出来ないから、叫んで先生の声をかき消すしかないのだ。何か伝えようと先生が口を開く度に、かき消そうと大きな声で叫ぶ。

「御幸、」
「あーー! ッんん!?」

それを繰り返していると、小さく舌打ちが聞こえた気がして。それでも気にせず叫んでいると、唇に柔らかいものが触れて、目の前に先生の整った顔があった。口づけられていると気づいたのは、先生の唇が離れるときで。驚きすぎて、頭の中が真っ白になる。固まっていると、唇を離した先生が真顔で言った。

「黙りなさい」
「……ハイ」

イケメンの真顔がこんなに怖いなんてこのとき初めて知った。

***

「落ち着いた?」
「はい」

逃げずにきちんと聞くことを約束すれば、腕を解放してくれて。俺はベッドに、先生はベッドの隣に置いてあった椅子に座って話し始める。俺も今度はさすがに黙って先生の話に耳を傾けた。

「順番が逆になったけど、俺の好きな子は御幸だよ」
「……、」
「立場上、御幸が卒業するまで待とうと思ってたんだけど、避け続けられるのはさすがにしんどいし」
「すみません……」
「それに、好きな子が一生懸命伝えてくれた想いに応えないわけにはいかないからね」

ふわりと頭を撫でられて顔を上げれば、視線がかち合う。ああ、この目。愛おしいものを見る優しい目は、俺に向けられていたのだと今さら思い知る。漸く実感が湧いてきて、嬉しくて頬が緩んでいくのを感じた。それと同時に恥ずかしさもあって頬が熱を持つ。

「かわいい顔してる」
「嬉しくて、信じられなくて……。伊織先生と付き合えるって思ってなかったから。夢じゃない、ですよね」
「ふふ、現実だよ」

御幸、と呼んだ先生がベッドに乗り上げて抱き締めてくれる。優しく触れられて、夢でも勘違いでもないんだと思った。

「伊織先生、好きです」
「うん、知ってた」
「……もしかして、気づいてました?」
「そりゃああんなに熱い視線向けられてたらね」

くすくすと笑いながら身体を離して視線を絡ませる先生。やっぱり気づかれてたのかと恥ずかしさで穴があったら入りたくなる。因みにいつから、と尋ねてみれば、最初の授業から2週間くらい経った頃かなと言われて驚く。倉持でも2ヶ月ほど経ってから気づいたと言っていたのに。

「ずっと見てたから」
「ずっと?」
「御幸が俺のことを好きになるより前から、俺は御幸のことが好きだったんだよ」

どういうこと、と聞けば、休み時間に俺がスコアブックを真剣に見ていた姿に一目惚れしたとのこと。しかも、時期を聞くと4月のはじめごろだと言うから、そんな頃からと驚いてしまった。

「御幸から恋愛感情が見えたときは嬉しくて。こういうこと出来るの、楽しみにしてたんだけど」

整った綺麗な顔が近づいてきて。キスされると分かった瞬間、かあっと顔に熱が集まった。恥ずかしいけれど、先生から求められることが嬉しくて目を閉じる。唇が重なるのを待っていたとき。

コンコン

「伊織先生、中にいらっしゃいますか?」

保健室の先生の声が外から聞こえて、ぱちりと目を開ける。伊織先生の顔が思ったより近くにあって驚いたけれど、それよりも先生が扉の方を睨んで舌打ちしたことに驚いた。溜め息を吐いた伊織先生は、俺の額に軽く口づけてカーテンを引き、保健室の鍵を開ける。

「すみません、何かの拍子に鍵かかっちゃったみたいで」
「いえ。あら? 御幸くん、まだ休んでますか?」
「ああ……もう治ったみたいなので教室連れていきますね。御幸、おいで」

先生に言われ、慌ててカーテンを開ける。赤い顔を保健の先生に見られないように俯きがちに歩いて、失礼しました、と頭を下げて伊織先生に着いて行っていると、空き教室に連れ込まれて。入るときに腕を引かれたから、バランスを崩して先生に抱きつく形になってしまった。離れようとしたけれど、そのまま抱き締められる。先生の匂いがふわりと鼻腔を掠めて、頬に熱が集まった。

「駄目だって分かってるけど、ごめん」
「俺も先生と2人でいたかったから」
「あんまりかわいいこと言うと襲うよ?」
「襲っ!?」

冗談だと笑いながら言うけれど、「襲うよ」の声が本気のように聞こえたのは気のせいだろうか。いや、気のせいだと思うことにしよう。

「御幸」
「ん、」
「俺は御幸が思ってるほど完璧じゃないし皆の前では取り繕ってばかりで、本当はすっごい性格悪いよ。いいの?」
「先生のそういうところ、これからはちゃんと見せてほしいです。……見ても、嫌いにならないから」

ありがとう、と言った先生から口づけが降ってきて。今度は邪魔が入ることもなく唇を重ねて、2人でふわりと笑い合った。



back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -