日本号のちょい呑み配信7
連隊戦で忙しかった十二月もとうとう三十日を迎え、本丸内は別の理由で忙しさを見せていた。
「長谷部殿、餅米の次は練り物だっただろうか」
「ああ。長谷部の名で予約している」
十二月三十日ともなればいくつも寝る間もなく大晦日と元旦がくるもので、料理番はお節作り、その他の男士達は煤払いと買い出しに勤しんでいた。
そして俺は買い出し当番の一員として町へ出ているところであった。
「こういう時に刀工の名前がついていると良いよなあ。御手杵じゃあ予約するにも偽名は困りますって言われちまう」
「適当に人名を使えば良いじゃねえか。結城とか本多とか、縁ある姓辺りに良いのがあるだろう」
「自分は本多忠勝の槍とはいえ、本多を名乗るのは畏れ多いのだが……」
そんな会話をしているのは天下三名槍で、その内の蜻蛉切の脇には餅米袋が抱えられている。今年最後の買い出しは荷物が多いからと、買い出し当番には大柄の刀剣男士を選出したようだ。
「餅米、練り物に鶏肉と、後はなんだっけ」
「焼き物用の鰤だぜ」
「前回は鯛だったが今回は鰤か」
「鰤は鮮魚店で購入するのだが、そこで鰤以外にも寿司用の海鮮類も購入する」
「寿司って大晦日に食べる寿司か?」
御手杵が目を輝かせる。本丸では主の生家に合わせて大晦日に寿司を食べるのが恒例で、御手杵もそのことをしっかり覚えていたようだ。年に一度の事なので忘れている者も多いのだが、そこは本丸内でも健啖家と言われる御手杵というものか。
「そうだ」
「やったあ。大晦日で出る寿司は特に豪勢なんだよなあ」
「買い出し最終日もあって特に荷物が多いな。四振りで間に合うか?」
「練り物は口取り肴の蒲鉾と伊達巻きだから然程多くは買わない。問題ないだろう」
「鶏肉はどうなんだ?がめ煮のほかにも使わないのか」
「料理番からはがめ煮以外で使うという話はなかったな。練り物同様然程大荷物にはならない程だ」
「今回は雑煮に鶏を使わないのか……なら福岡の、いや、雑煮で使う魚も買ってないから……、」
首を傾げて考える日本号に密かに感心する。俺は鶏肉の用途を聞いても特に疑問を持たなかったが、そこから雑煮へ繋げられるのは流石料理をしているだけあるのだろう。それにしても鶏肉やを使用しない雑煮となるとどこの胴にだろうか。
思わず日本号のように首を傾げていると、いつの間にか御手杵と蜻蛉切が黙って俺を見つめていた。しかも二対の眼差しはどこか驚いているようで、返答する代わりに見つめ返すと蜻蛉切がこほん、と小さく咳払いをした。
「不快に感じたならすまない。その、長谷部殿にはがめ煮が通じるのだなと思ったらつい」
蜻蛉切が同意を求めるように御手杵へ視線を移す。
「そうそう。俺と蜻蛉なんて日ノ本から教えてもらうまでがめ煮が筑前煮だって知らなかったぞ」
「そう、か」
がめ煮とはそうだ、筑前での呼び名だとすっかり失念していた。こちらが身構えることなく話していたためか日本号はまったく気にしていなかったが、二槍の反応を見たらどう思うか。
恐る恐る日本号を確認すると、首を傾げたまま考え込んでいる様子だった。良かった。どうやら俺達のやり取りは耳に入っていないようだ。
周囲に気付かれない程度に息を吐くと、これから向かう店に続く道を指差す。
「さあ次の店に向かうぞ。時間に余裕があるとはいえ、混み合っているから予定通りいかない場合がある」
「練り物屋に行けば良いのか?」
「ここからだと鮮魚店が近い。そちらから向かう」
人混みの中を先導する。三槍揃って人混みからひょっこりと出る頭は非常に目立っており、同行者としては大いに助かる。
「長谷部殿!少々お待ちいただけますか!」
見えた蜻蛉切は困惑した様子で周囲を見渡している。日本号や御手杵もどことなく余裕のない表情をしていることに疑問を抱いては、人混みを上手く進めないのだと気付く。当たり前だが、目立つからといって人波を進みやすいわけではない。四苦八苦しながら進む三槍を確認しながら、距離があまり離れないようゆっくりと移動していく。そうして鮮魚店に到着する頃には、奴らはすっかり疲労していた。
「なんか買い出し始めより混んでないか」
「昼も近くなり、買い物でより多くの人が出てきたのだろう」
時間を確認すると間もなく正午を迎える頃。年末に限らず町が混む時間帯だ。避けられない混雑だろう。
「慣れない混雑だが休んでいる暇はない。さっさと目的のものを買おう」
「ちょーっと休んでもいんじゃないか?」
疲労を主張するように肩を竦める御手杵に、日本号が二の腕を肘で小突く。
「こんだけ人がいるんだ。焼き物の鰤は予約しているから兎も角、良い寿司ネタが買われちまうぞ」
「え?そうなのか?」
驚く御手杵の横へ蜻蛉切が移動する。
「そうだな。こうして話している内にも買われていく魚はあるだろう」
「えっ、えっ?じゃあ早く買いに行かないと!」
飛び込まん勢いで入店する御手杵を日本号と蜻蛉切は満足気に眺める。三名槍として特に付き合いがあるだけに、こういう場面での対応に慣れているのか。同行者としては頼もしいものだが、親しい間柄を垣間見たようで、なんとなく胸の内に言い様のない心地を覚える。
別にこいつ等が親しいからといって何がある。蟠りがないのは良いことではないか。そう考えながら、俺は御手杵を追うように店へと入っていった。
「お。ここ、鮟鱇売ってるのか」
予約していた鰤を受け取る傍ら、忙しなく寿司用の魚介類を吟味していた御手杵が声を上げる。会計を終えてそちらへ視線を移せば、三槍が大きな図体を屈めながら黒い魚を眺めていた。
なんだあの魚。魚、なのか? ごつごつした平たい岩に顔をつけたような見た目の生き物はよくよく見れば鰭がついており、珍妙な見た目ながら魚のようだ。珍しい魚だから三槍も揃って見ているのか。だが、見つめてひそひそ話すばかりで一向に購入しようとする様子がない。
「貴様等、買うなら早く買ってしまえ」
「ああいや、買いたいわけじゃないんだ。ただ、こういう鮮魚店なら鮟鱇が売っているんだなあと思って」
御手杵が話しながらちらちらと黒い魚を見る。
あの魚は鮟鱇なのか。本丸でも一度だけ食べたことがあったが、それは既に調理済みのものだった。まさかこんな見た目だとは思わなかったが、蛸や烏賊、貝類が食されているなら鮟鱇のような魚も食されていても不思議はないかと納得する。
三槍が買い物を終えたことを確認して退店すると、空からちらりと雪が降り始めていた。加えて風も強くなっているようで堪らず顔を顰める。
「まだ買い物があるというのに雲行きが怪しいな」
「そういえば今日の天気予報は雪だったぜ。積もる程ではないらしいが、この時期の天気予報はあまりアテにできないからな」
本丸内の気候はシステムにより調整出来るが町中ではそうもいかない。雪の予報ならば本降りにならない内に買い物を済ませるに限る。
ここから近いのは練り物屋だからそちらへ行って……とこれからの移動先を考えていると蜻蛉切が挙手した。
「早く買い出しを終えた方が良さそうなので、ここは二手に分かれてはどうですか。確か、残る買い出し先は二店の筈」
「成程」
残る店はどちらも予約していた食材を受け取るだけだ。鮮魚店の時のように好みの食品を選ぶことはないので、四振り揃って来店しなくても良い。
日本号と御手杵からも異論はなく早速二組に分かれようとすると、日本号が俺の隣へ移動してきた。なんだと思う間に俺と向かい合う形で蜻蛉切と御手杵が並び、いつの間にか俺と日本号が組んでいる状態になってしまった。
まさか俺と日本号が組むことになっているのか?いくら早く買い出しを済ませようとしている流れでも俺の意見は聞かないのか?とはいえ、急ぎたい手前「日本号以外と組ませてほしい」と主張する程大人気ないことをするつもりもない。
「……では、行き先を決めるか」
こほん、と仕切り直しとばかりに咳払いをひとつ話を進める。二振りになるとはいえ町中であるし、時間にしても長くて二十分程だろう。少なくとも気まずくなる場面はないと己に言い聞かせる。
短い話し合いの結果、蜻蛉切と御手杵は練り物屋へ、俺と日本号は精肉店へ行くことに決まり、それぞれ目的の店へ向かう。
「天気が悪くなっても人が減らねえな」
日本号が窮屈そうに人混みを進みながら周囲を見渡す。
「今日を逃すと大概の店が閉まってしまうからな。不便のない年末年始を過ごせるよう勤しんでいるのだろう」
「うちの本丸もだが、通販を活用するっていう手はないのかね。届くまでに多少時間を要するかもしれねえが、直接買い出しに出るより楽だろうに」
「飲み物始め日持ちするものは通販を利用して購入したとのことだが、足の早いものは年末年始の通販業では対応していないので店頭で買うことになったそうだ」
「ふうん。まあ、俺達も三ヶ日までは馬当番以外の内番と任務がないからな。世間も正月は規模を縮小して営業しているってことか」
二振りになって多少にも身構えていたのだが、思いの外自然に会話ができていることに安堵する。思えば俺ばかりが意識しているだけなのだ、下手なことをしなければ何事もないのかもしれない。
ほっとしたのも束の間、気が弛んでいた俺は人波に流されそうになる。
「おい」
流されかけた俺の体を大きな手が掴む。その手は誰と紛うことない日本号のもので、突然の接触に固まる。
だが、そんな動揺に気付いていない様子の日本号は俺を自身の後ろへ誘導する。
「ここからは俺が先導するから背中に掴まって歩け」
動揺する気持ちに閉口してしまい、言われるがままに日本号の背中に掴まる。
掴まって歩けなんて、まるで迷子になった子供にさせるようなことではないか。馬鹿にしているのかと怒りを覚えそうになったが、急いで用事を済ませようとしている場面でそんなことをするような奴ではないと思い直す。
あくまで善意なのだろう。それにきっと他の誰かが先程の俺と同じようになっても、あの大きな手を伸ばして引き寄せるに違いない。そういうことをやってのけそうなのがなんとも憎らしい。
掴まったせいで少し歪んだ背中の藤巴を眺めながら歩みを進めていく。手も大きければ背中も大きいもので、前方を確認することができない。歩きながら少し背伸びしてみると辛うじて道のりが見えた。そうして、人混みが変わらず多いのに、人波の勢いが落ち着いていることに気付く。
疑問に周囲を見渡してみたが特に変化はなく、再び掴んでいる日本号の背中へ視線を戻して……目の前の大きな体が己の盾になっているため歩き易いのだと気付いてしまった。
まさかこれを見越して後ろへ俺を誘導したのか?まさか、ではなく、確実にそうだ。わかってやっているのだ、この槍は。
そうとわかった途端、背中を掴んでいた手がさっと冷えてくる心地を覚えてくる。そして、掴んだ衣服の向こうに自分とは別の体温を感じて指先が震えた。
「寒く、なってきたな」
「そうだなあ。人混みで多少紛れているが、流石に雪が降ると身に染みるな」
震えを誤魔化すよう出た一言に返ってきた反応はいつも通りのものだ。それに安心しつつ、俺ばかり意識しているようで居た堪れない気持ちも顔を覗かせる。だが、背中を掴んだ手はどこにも行き場がなく、暫く俺は悶々としながら日本号に着いていくことしかできなかった。
ようやく目的地である精肉店へ到着すると、俺は即座に背中から手を離して一歩二歩と日本号から距離を置いた。かなり露骨な行動だったが、日本号は気にする様子もなく上機嫌に鼻歌を歌いながら店頭に並べられている肉を眺めている。どこまでも俺ばかり意識している状況に、意識し続けるのも馬鹿らしいと予約している鶏肉を受け取ることにする。
ここでの買い物が終わったら真っ先に先を歩こう。俺だって油断しなければそうそう人波に流されることはないし、四振りで行動していた時は俺が三槍を案内していたのだ。三槍に対して出来たのなら日本号だけでも問題ない。
そうだ。そうしようと意気込みながら鶏肉を受け取っていると、肉を眺めていた日本号が店員へ声をかける。
「この豚肋肉のブロック、ひとつ包んでくれないか」
「かしこまりました。お会計はあちらの鶏肉の方とご一緒で宜しいですか」
「いや、別々で頼む」
包んでもらっているのはそこまで大きくない肉塊だった。それでも日本号ひと振りで食べるには多いような気がする。
俺に続き会計を終えた日本号が包みを受け取る。規格外の手に乗ったそれはやはり大きい。
「その肉で良いのか?」
下手すれば俺の顔まで覆えそうな大きさに思わずそんなことを言ってしまうと、日本号の眉が心外とばかりにぴくりと跳ねる。
「これじゃあ足りないか?」
「むしろ多過ぎないか?つまみか何かで、食べるんだろう?」
疑問を伝えている内に、複数集まって食べることを想定していなかったことに気付く。
日本号ひと振りではなく、例えば日本号含めた三名槍で食べると想定したら多いといっても食べきれない量とは思わない。配信で誰かと一緒に飲んでいる話はよく聞くし、もしかしたらそうなのかもしれない。三槍で飲んでいる様子は容易く想像出来るだけに、先程投げかけた疑問は見当違いだったのかもしれない。
「こいつは帰城してから昼餉で食べようと買ったやつだ。お前さんも豚なら食べるだろう?」
「え?」
「なんだ。豚肉は好かねえか」
「別に、好かない訳では……好きか嫌いかなら好きな方だが、俺も食べる、とは?」
「こうして買い物に出ているからお前さんも昼餉がまだだろう?帰ったら一緒に食おうぜ」
日本号の一言に返す言葉を失う。一緒に、とは、その、どういうことだ?混乱しそうになるが、どうもこうもなくそのままの意味だと、頭の隅でどこか冷静に考える。
誰かと一緒に豚肉を消費するところまでは想像できたが、その「誰か」に自分である発想が全くなかった。予想外のことに遭遇して未だに口を噤んでいたが、日本号は気にすることなく言葉を続ける。
「年末年始は殺生を禁ずるとかで鶏と魚以外の肉が食えないだろう?今日を逃したら暫く口にできないと思うと買っちまった」
そういえばそんなことを料理番の誰かが話していたな。だからお節に使えるのは鶏と魚だけだとか、そういう……。聞いた時は鶏と魚は良いのか、と疑問を抱いたものだと当時のことを思い出していると、いつの間にか日本号が店の出入口まで移動していた。
「さて。買うもん買ったし、二槍と合流するか」
日本号と共に店を出ると待ち合わせの場所へ向かう。前方には既に日本号の背中があり、堪らず溜め息を吐いた。
精肉店に到着した時には俺が先導しようと意気込んでいたというのに、結局何も言えずに形になってしまっている。
別に、日本号と昼餉を共にするのは良い。と思う。多分良いのだと、俺は思っている。それなのに何も言えなくなっているのはどうしてなのか。日本号だって同じ買い出し当番だったから俺を誘った、それだけの筈だというのに。何をそんな気にすることがある。
「なあ長谷部。後ろにいるよな」
「ん。うん、ああ」
不意に話しかけられて、吃りそうになりながら返答する。
「背中に掴まったらどうだ」
「大丈夫だ」
俺がはぐれてしまうと思っているのか?流石にこの至近距離ではぐれる心配はないだろう。それとも俺が容易く人波に流されてしまうとでも思っているのだろうか。先程は油断していただけだと憤慨しそうになっていると、日本号がこちらへ振り向く。
「俺が大丈夫じゃねえんだ。お前さんの姿が見えないから気になるんだよ」
「……」
振り返った日本号が何とも言い難い表情をする。眉間に皺を寄せて唇を尖らせている様子はどこか拗ねているようにも見えて、堪らず奴の背中を盛大に叩くと藤巴を握りしめた。
「あて、」
「……掴まったから前を向いて歩け」
睨み上げると日本号は途端に破顔して前を向いて歩き出す。露骨な程の変わりように芽生えかけた憤慨の念が一気に失せ、代わりのように覚えたむず痒さに空を見上げる。
相変わらず雪がちらついており、時折頬や鼻先に振り落ちる。その冷たさも、落ち着く様子のないむず痒さも何故か不快ではなく、どこか夢を見ているような不思議な心地だった。
二槍と合流して帰城すると早速日本号は豚肉を手に厨へ向かう。そして俺は何もせず日本号の用意した昼餉をいただくのも気が引けて、手伝いを申し出て厨へ同行していた。
昼を過ぎた厨は空いており、見渡しても鍋を抱えた小豆長光がいるのみ。それなのに甘い香りが漂っており、空腹を覚え始めていた俺は食欲を刺激される。
「よお小豆。ちょいと飯作りたいんだが、一角借りても良いか」
「えんりょなくつかってくれ。わたしは栗金団をうつわにうつしてなべをあらうだけだから、もうすぐおわるところなんだ」
「栗金団作りとは年末だなあ」
甘い香りは栗か。鍋というと甘味ではあまり使わない印象があるだけに結びつかなかったが、あの中に栗金団が入っているらしい。
用意された器に向けて小豆が鍋を傾ける。とろり、と少しゆるめに作られた栗金団が注がれていくのを見ている内に、とうとう腹が鳴ってしまった。
人体とは憎らしい。時折こちらの意識が届かない行動を起こす。隠すように腹を押さえると、日本号と小豆が顔を見合わせて笑う。
「おなかがすいているようだね」
「だな。空腹のところあまり待たせるのも良くねえから早速調理を始めるか」
二振りはそれ以上腹の虫について口を出すことはなく、それぞれの作業を再開する。
「ところで小豆、昼餉の米飯って残っているか」
「さんごうほどおひつにのこっていたとおもうよ」
「三合か。少しばかり足りない気がするが……まあ、その分肉食ってもらうか」
「きみと長谷部、ふたふりいがいにもだれかたべるのかい?」
「俺達以外にも手杵と蜻蛉がいる」
「御手杵だけでなく蜻蛉切もいるとはなしがかわってくるかな。かれらはよくたべるからもういちごうくらいほしいね」
鍋を洗っていた小豆は二槍の名前を聞くと苦笑を浮かべる。
「御手杵は兎も角、蜻蛉切も結構食べるのか」
「そうだね。槍のみんなはしょくよくおうせいでよくたべるよ」
「槍で括ってくれたが俺はそこまで食わねえぞ」
普段の食事は把握していないが、配信で調理している量を考えるとごく普通だったと思い出す。博多も作る量が多いことを気にしても、少ないと言うことはなかったように記憶する。
「たしかに日本号はたべるりょうがすくなかったね。せんじつきた大千鳥もよくたべるものだからついまとめてしまったよ」
大千鳥十文字槍は今月中旬に顕現したばかりの刀剣男士だ。まだ軽くやり取りをした程度しかないが、結構な食欲の持ち主らしい。
すると槍の中でも少食だという日本号はどうやってあの巨漢を維持しているのやら。刀剣男士は人間のように痩せることはないが、食事を怠れば栄養失調による体の不調は出てくる。だが、日本号の戦いぶりは他の槍と遜色ない。もしかして酒で栄養を補っているのか?まさかそんなことあるのか。いや、しかし他の槍より多く摂取しているのは酒だし……なんてことを考えている内に小豆は鍋を片付け終えており、日本号と俺へ改めて声をかけて厨を出ていった。
「さあて。口だけでなく手もどんどん動かさねえとな」
肉を置いた日本号は調理器具を用意し始める。
「ところで何を作るんだ」
「やきとりにする。精肉店で扱っているだけあって結構良い肉だから簡単な味付けでいただくのも美味いと思ったんだ」
程良く焼かれて塩胡椒で味付けされた豚肉を想像してごくりと唾を飲み込む。食べる前から絶対美味いとわかるだけに一切の異議はない。
それにしてもやきとりか。調理工程は簡単だと思うのだが、本丸の食卓では滅多に見ることがない一品だ。最後に食べたのはいつだったか思い出せないが、少なくとも外食だった筈だ。
「俺は下処理をしているから、お前さんは付け合わせか汁物を用意してくれないか」
「……付け合わせ?汁物?」
予想してなかった日本号の指示に、奴の顔を見上げたまま固まってしまう。
付け合わせも汁物も流石にわかる。調理練習で付け合わせ料理と呼ばれるものや汁物を作ったりもした。多分、簡単なものなら作れるだろう。だが、具体的に何を作れば良いのだろう。日本号の想定した付け合わせや汁物とは。
俺が次の行動に移らないせいか何やら察した日本号は少し考える素振りを見せた後、口を開いた。
「ああ。じゃあ……中華風スープ作ってくれないか。冷凍庫のもやし、乾物まとめているところにあるわかめと白胡麻持ってきてくれ」
それだけで良いのかと思いつつ、何も浮かばない状況なので素直に従おう。
冷凍庫を開けて中のものを確認すると、奴の言った通りに袋に入った冷凍もやしが出てくる。よくも冷凍庫の食べ物を把握しているな。少し感心していると裏側に『日本号』と名前が書かれているのを発見して、本刃が予め入れていたものだったと知る。
以前冷蔵庫から日本号の漬物を発見したが、こうやって日頃から食物を備蓄しているのだろうか。配信以外でもつまみを作っているようだし、すぐに何か調理できるように用意しているのかもしれない。
こういうまめさがあるから料理ができるのか、それとも料理をしてきたからこそ培われたものなのか。そんなことを考えながら指定された材料を日本号のところへ持っていくと、大所帯の本丸では滅多に見ない片手鍋が用意されていた。
「鍋に半分くらい水を注いだら、今用意した材料を全部そこに入れて沸騰するまで中火にかけてくれ」
手元は動かしながら、ちらりとこちらを見た日本号は手短に指示を出す。その小慣れた様子に博多と会話をしながら調理している配信を思い出す。
やはり、あの配信の日本号はこの日本号なんだな。別にその事実が受け入れられないというわけでもないのに、配信で見てきた日本号がこんなに身近にいることが不思議に思う瞬間がある。どこか遠くの別本丸から配信されたものと勝手に思っていたせいかもしれないが、我ながら拗らせてしまったものだ。
凍って袋に貼り付いたもやしに苦戦しながら、言われた通りに材料を鍋に投入して火にかける。
「じゃあ次は調味料の準備だ。醤油と胡椒、鶏がらスープの素、胡麻油を頼む」
「鶏がらスープの素、とは」
「ああ。ええと、冷蔵庫のドアポケットを探してみてくれ。そういう名称の調味料がある筈だ」
「了解」
冷蔵庫のドアポケットというと市販のドレッシングや刺身用の醤油が収納されていた記憶がある。意識してみたことがなかったが、調味料を置く場所とされているのだろうか。教えられた場所を探してみると、日本号の言う「鶏がらスープの素」を発見する。そうして指示された調味料を持ってくると、日本号が切り分けた豚肉に串を打っていた。
肉を切るだけとはいえ日本号の手早さに内心驚きつつ鍋を確認すると、沸々と煮立ち始めていた。
「煮えてきたが火を止めれば良いか」
「吹き零れの心配がないなら弱火にするだけで良い。そこに醤油ふた回し、鶏がらスープの素三摘み入れてくれ」
具体的な分量を教えてくれ。そう言おうとして、配信で博多が分量を伝えるよう日本号に何度も指摘していたことを思い出して閉口する。
またもや配信のことを思い出してしまったのは仕方ない。なにせ連想させるものが多すぎる。そうわかっているとはいえ、そわそわむずむずと落ち着かない気分になってくる。もしもここが自室だったら、床に転がっていたかもしれない。
「……計量スプーンでいうと、どれくらいだ」
「なんだお前さん、博多みたいなこと言いやがって。ううん、と……、醤油が大匙二で、鶏がらスープの素は小匙二だな。多分」
最後の「多分」が気がかりだが、ひと回しより確かだ。早速計量スプーンを取り出して醤油とスープの素を量る。醤油が大匙二、スープが小匙で二……そういえば日本号は最初、スープの素を三摘まみと言っていたな。するとあいつのひと摘まみは小匙半分より多いのか。
これまでも大きい手だと感じる場面は何度もあったが、まさか計量してその大きさを再認識するとは。調味料を鍋に投入しながら、串を打つ日本号の手元をこっそり確認する。
日本号の手に乗る豚肉はごく普通の大きさに見えるが、あの手から離れたら結構大きいのかもしれない。自分が持ったらどう見えるのか。皿に乗ったらどう見えるか。そんなことを想像していると、突然日本号がこちらの顔を覗き込んできた。
「お前さんもやってみるか?」
「なにをだ?」
「串打つの。やってみたいんだろ」
鍋の方は俺が見てるから、とまだ串に打たれていない肉が乗った皿と串を差し出してくる。あまりまじまじと見ないようにしていたが、どうやら日本号が勘違いする程度には手元を見つめてしまったらしい。
別にやきとりの方は日本号に全て任せて良かったのだが、お前の手の大きさが気になって見ていた、なんてことも言えず、黙って差し出されたものを受け取る。
受け取ったは良いが、残る肉は数切れで殆どの肉は串に打たれている。日本号の手早さならこうしてやり取りしている時間で全ての肉を打てたのではないか。それなら俺の視線など無視してやってしまっても良かったのに。
そう思いながらも一度受け取ったものを突き返すのも違うような気がする。取り敢えず手を洗うと残り少ない肉の一切れを手にする。想像した通り肉は厚く大きく、やきとりでこの大きさはどうなのだろうと思う程だった。まあ、食べるのは俺と三名槍だけだし、大きいと咎める者はいないだろう。寧ろ御手杵辺りはこの大きさは喜びそうだ。
かちん、と日本号が鍋の火を止めた音に意識が引き戻される。いかんいかん、手を動かさなければ。
手に乗せたままだった肉に串を打っていく。大きいだけあって思ったより串は打ちやすいが、曲がらないよう細心の注意を払いながら残りの肉を打っていく。
「よし」
集中していた時間は数分程だったというのに、最後の一本を打ち終わると少しばかり疲れを覚えてふう、と息をついてしまった。
「お疲れさん」
笑い混じりの声がかけられて視線を隣に移すと、日本号が大きなフライパンに火をかけていた。
「焼き網ではなく、フライパンを使うのか」
「ああ。焼き網も良いが準備や片付けを考えるとフライパンが楽だからな」
そういうものなのか。焼き網で調理している様子は数える程度しか見たことがないが、俺の知らない手間があるのだろう。主体となって調理するのは俺ではないので、ここは日本号に任せてしまおう。
「辛いの苦手だったりしないか」
「大丈夫だ」
「それなら味付けは塩胡椒で大丈夫か」
肉の表面に塩胡椒を振るう。そして温度を確かめるようにフライパンの上へ手を翳すとその上へアルミホイルを敷いていった。そして再び手を翳すと「よし」とひとつ頷き、肉をアルミホイルの上へ乗せていく。小さくじゅわ、と音がして肉の水分が湯気として立ち上る。
湯気と共に仄かに豚肉独特の臭いがして、思わず凝視してしまう。
「気になるか?」
「少しだけ」
正直に答えると日本号は小さく笑い声を上げるとフライパンに蓋をした。
「じっくり見ているところ悪いが、蒸し焼きにしないと火が中まで通らなくてな」
「必要な過程なんだろう。俺のことは気にするな」
日本号の方を見上げながらそう返すと奴はまた笑う。
「楽しげだな」
「そりゃあまあ楽しいもんだぜ。なにせお前さんと一緒に料理をしているんだからな」
笑顔と共にとんでもないことを言い出したので、俺は咄嵯に目を逸らす。
俺と一緒に料理をするのが楽しい?多少覚束ないところがあったが、楽しさを覚えるような珍妙なことはしていない筈だ。それなのにどこで楽しさを見出したのか。
疑問と混乱に目を逸らした俺に日本号がどう思ったのか知らないが、返す言葉が見つからないのでフライパンを凝視する。
「さて。そろそろひっくり返すか」
無言の俺を気にすることなく、日本号はフライパンの蓋を開けてやきとりをひっくり返す。綺麗な焼き色のついた肉と脂の匂いにごくりと喉が鳴る。小さく油が弾ける音を聞きながら俺は再び視線を上げて、やきとりを焼いている日本号の横顔を眺める。
相変わらず口角を上げて調理する様子に胸がそわそわと落ち着かない。しかし先程とは違い、配信のことを思い出したからではなかった。
どうしてこんなに落ち着かないのか。よくわからないが、日本号の顔に笑みが浮かんでいるのがひとつの要因であることだけは、なんとなくだがわかっている。だが、日本号が笑顔でどうして俺が落ち着かなくなるのか、どうにもそこが繋がらない。
「お!良い匂いだなあ」
肉の焼ける音ばかりだった厨に元気な御手杵の声が響き渡る。反射的に厨の出入口へ視線を向けるとそこには御手杵と蜻蛉切が立っていた。やきとりが出来上がる頃合いだと厨を訪れたのか、二槍が立ち並ぶ姿に自然とほっと息を吐いた。
「早いお出ましだな。出来上がるまでもう少し時間がかかるから、取り敢えず椀と箸だけ用意してくれないか」
「応よ」
颯爽と準備にかかる二槍の様子に、ふと米飯の存在を思い出す。
「米飯はどうする。温めるか」
「そういや忘れていたな。米櫃に入っているっていうから各自食べる分を器に盛って温めれば良いんじゃないか」
「なあなあ日ノ本と長谷部で何作ったんだ?」
「匂いからして、先程買った豚肉を使ったものだろう?」
椀を抱えた二槍が俺の頭越しにフライパンを覗き込む。日本号だけでも大きいと感じる場面があるというのに、三槍に囲まれる形になれば圧迫感が凄まじい。俺だって決して小さいわけではないのだが、このでかい図体が並ぶと自分がとても小さい存在だと感じてしまう。
「献立はやきとりと中華スープだ。日本号はまだやきとりを焼いているから、貴様らは俺と一緒に器を食堂へ置きにいくぞ」
三槍に取り囲まれたような今の状況でなければ、あの規格外の図体も多少気にならないだろう。食堂へ移動しようとすると、何故か日本号除く二槍が不思議そうに互いの顔を見合わせている。
「どうした」
「いや。聞き間違えじゃなければ『焼き鳥』と言っていた気がして、」
「聞き間違えも何も、俺はやきとりと言ったが……」
俺の返答に二槍は相変わらず不思議そうにしている。なんだ、やきとりが何か良くなかったのだろうか。
「なんだ。お前さんがた、豚のやきとりは好かないか」
「豚も焼き鳥も好きだが、その」
蜻蛉切は日本号を見て、そして俺へ視線を移すと首を傾げた。
日本号が焼いているやきとりは塩胡椒で簡単に味付けしたものだ。決して凝った料理ではないが、それ故にある程度の旨さは約束された一品だ。
もしかしてやきとりの気分ではなかったか。だが、蜻蛉切も御手杵もそんなことで文句を言う質とは思えない。
「……まあ、焼き鳥と中華スープか!楽しみにしてるぜ」
首を傾げていた蜻蛉切の隣、御手杵がわざとらしいくらい大声でそう言うと米櫃を探し始める。そんな様子に蜻蛉切は一瞬固まっていたが、すぐに御手杵に続いた。
「変な反応しやがってどうしたんだ」
「他に食いたい豚肉料理があったんじゃないか?」
「そんなことで……しかし、他に心当たりがあるかっていえば何もないからな」
先程の蜻蛉切のように日本号が首を傾げる。二槍の反応には日本号も引っかかるらしいが、やはりはっきりした原因がわからないようだ。
気になるところだが二槍はこれ以上の話す様子がないようなので、取り敢えず俺はスープを食堂へ持っていくとしよう。何か伝えたいことがあればあの二槍なら後々言ってくれるだろう。
適当な器にスープを注いで食堂へ持って行くと、箸を並べていた御手杵と目が合う。
「なあ長谷部。変なことを聞くかもしれないが、鶏肉の串焼きのことは焼き鳥って言うよな」
「ああ」
「じゃあ豚肉の串焼きはなんて言う?」
「やきとりだろう」
「豚肉でも焼き鳥って言う?」
あらかじめ前置きされたが、確かに変な質問だ。やきとりはやきとりだと思うが、もしかして先程様子がおかしかったことと関係するのだろうか。
「それはそうだろう。鶏であっても豚であっても串に打って焼いた料理はやきとりだろう」
どういう意図があっての質問かわからないが素直に答えると、御手杵は「成る程!」と声を上げる。
「そうかそうか。いやあやっぱそっかー」
何やら納得したように何度も頷く御手杵にいよいよ俺は訳がわからずに内心戸惑っていると、米飯を盛った椀を手にした蜻蛉切がやってきた。
「蜻蛉。長谷部に聞いたんだけどさ、串焼き肉は鶏や豚関わらず『やきとり』なんだとさ」
「もしやと思ったがそうだったか。所変われば言葉も変わるものだが、そんな違いがあるとは面白いものだな」
「……どういうことだ?」
着地点のわからないやり取りに堪らず疑問を溢せば、二槍は少し申し訳なさそうに苦笑する。
「悪い悪い、こっちの話でさ。俺も蜻蛉も焼き鳥というと鶏の串焼きだけを指した料理と認識していたから、長谷部も日ノ本も豚の串焼きを『焼き鳥』って言うからなんかおかしいなあと思ってて。あんた等は串焼き全般を『やきとり』って言うんだな」
「長谷部殿と日本号が違和感なく口にした辺り、『がめ煮』と同じく筑前での呼び名なのでしょう……先程は行き違いが生じて至らない返答をして申し訳ない」
「いや。言葉の違いはよくあることだ、気にすることはない」
「そう言ってくれたが、本当は気を害しているのではないですか」
じっとこちらを見下ろしてきた蜻蛉切はどこか心配そうに眉の端を下げる。どうしてそんなに気にすることがあるのか、そう返そうとしたところにやきとりが盛られた大皿を手にした日本号が食堂へ現れた。
「待たせたな。三振りとも突っ立ってないで早く食べようぜ」
日本号の一言にはっとした俺を含む三振りは席につくと食卓の中央にどん、と大皿が置かれる。
「さあ。話はこれで終わりにして食事にしようではないか」
言葉なんて同じ国に在っても違いがあったり、時代によっても変わってしまうもの。琉球刀なんて未だに言葉が通じないことがあるが、その都度説明はしても謝罪なんてしてする者はいない。お互い違いを知ったのだからそれで良いではないか。
そんな俺の意図を汲んだのか、蜻蛉切は小さく一礼すると食卓へ視線を向けた。
「頂きます」
食べ始める二槍を傍らに俺も食べようとすると、不意に日本号が俺の顔をじっと見つめていることに気付く。見られると食べにくいのでやめてほしいと睨みつけると、あろうことか奴は俺の前髪を掬い上げた。そして指の腹でひたりと額を撫でてくると、僅かに顔を歪ませる。
「顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃねえか」
言われて咄嗟に頬を抑えると、確かに普段より熱い気がする。意識すると熱が上がったようで、堪らず頬を抑えていた手で仰ぐ。だが、そんな細やかな風で冷めるような熱でもないらしい。
「暑い。気がする」
「ん。こんな冬に暑いって大丈夫か長谷部」
ごくり、と食べ物を飲み込んだ御手杵と蜻蛉切がこちらを気にするように視線を向けてくる。三槍の視線が揃うといよいよ心地が悪くなってきて、抵抗の念を込めて額に触れていた日本号の手を振り払う。
「やきとりの熱気に中てられただけだ」
やきとりを手に取ると思いっきり齧り付く。しっかり焼かれた肉はまだ熱く、はふはふと口内に空気を送り込む。
まだこれだけやきとりは熱いのだ。俺の顔が赤らんでしまうのも仕方ない。他に理由なんてない。
「……なんでもねえなら良いが、取り敢えずゆっくり食べろ。火傷しちまうぞ」
「むぐ、」
口一杯に肉が入っているせいで上手く返答出来ず、口元を押さえながらなんとか短く返事する。日本号はまだ何か言いたげだったが、それには気付かないふりをして、ひたすら無心になって目の前のやきとりを食らい続けた。
「後片付けは俺と蜻蛉に任せていいぜ」
食後、いつもは茶を飲んで一服していることの多い御手杵が片付けを申し出てきた。どうやら食事前から蜻蛉切と示し合わせていたようで、二槍は空になった皿を集めていく。
「片付けなら俺もしよう」
厳密にいうと俺は手伝いをしていただけで調理らしい調理はしていない。共に片付けようと立ち上がると蜻蛉切に止められる。
「いえ。長谷部殿も日本号と同じく調理をしていたではないか。ここは自分達に任せてくれ」
「それが、主体となってやっていたのは日本号で、俺はその手伝いをしていただけだ」
「そんなこと言ったら俺と蜻蛉なんて一切調理に関わってないんだぜ。ここは俺達の顔を立てるつもりで任せてくれよ」
言いながら背中を押され、厨ではなく食堂の出入口へ促される。少々強引な気がしたが、奴等なりの気遣いなのかもしれないと思い直して片付けを任せることにした。
「じゃあ、申し出に甘えて後は任せるぜ」
日本号が二槍に手を振ると、こちらへ視線を移す。
「行こうぜ。長谷部」
「何処へ」
「何処へって、別に……互いの部屋で良いんじゃねえか」
日本号が何処かへ俺を連れ出そうとしているわけではないのはわかっているが、なんとなく突っかかってしまう。そんなことをすれば気まずい思いをするのは自分なのは承知しているので、それ以上何も言わず食堂を出ることにする。
そんな俺の隣へ日本号が続く。
「思いつきでやきとりを作ったがなかなか良かったな」
「まあ、悪くはなかった」
「口に合ったようで何よりだ」
ふふん、と得意げに笑う日本号は見るからに上機嫌だ。もっと素直な言葉を用いて感想を伝えてもらった方が嬉しいだろうに、こいつは俺の捻った返答でも嬉しそうにする。配信での話を聞く限り、料理を褒められる場面はそれなりにあるのが知れるが、もしかして自身の料理に対して評価が低いのだろうか。
「なあ長谷部」
思案しているところ、不意に名前を呼ばれてはっとする。返事の代わりに名前を呼んだ日本号へ視線を向けると、つい先程まで上機嫌に笑っていた顔は何故か神妙なものへと変わっていた。
まさかそんな顔をしていると思わず、動揺に足が止まりそうになる。
「あの。明日の夜、何か予定はあるか?」
「明日?年越し蕎麦を食べたりするが、予定は無いに等しいな」
明日は大晦日。除夜の鐘を撞きに出掛けるような男士もいるが、俺は夕餉が終わったら自室で寛いで過ごすつもりだ。年越し蕎麦にしても年越し間近に振る舞われるものなので、起きていたら食べに行こうくらいのものだ。
「そうか。なら、あのな。あんたが良ければなんだが……明日、部屋に遊びに行っていいか?」
予想外の申し出に俺は奴を見つめたまま固まってしまう。
部屋に遊びに行っても良いかと俺に尋ねたか。俄に信じられないが、聞き間違えるような内容とは思えない。
年末年始はゆっくりすべきだという主の方針で大晦日から三が日まで任務が一切ない。その上主は元旦の夕刻に新年の挨拶に訪れるので、実質それまでは自由に過ごして良いということだ。仲間内で集まって夜更かしするのも一興、日本号が誰かの部屋に遊びに行くという発想自体もわかる。
しかし声を掛けたのが俺となると別問題だ。どうして俺なんだ?日本号ならば他にも大晦日を過ごす奴は居そうだが。それこそ次郎太刀だったり、同室の御手杵や蜻蛉切だったり……。
「都合が悪いなら、断ってもいいんだぜ」
じっと見つめていた日本号はふい、と視線を前方へ向ける。向けるというより、逸らされたと言った方が適当に思えるのは気のせいか。だが、こちらから見える横顔にはすっかり笑顔が失せてしまい、俺は焦燥感に似た心境を覚える。
何か言わなくてはいけない気がする。それは何かはわかっているが、開けた口からはなかなか言葉が出ない。一旦口を閉じて咳払いをすると、息を大きく吸う。
「……あまり羽目を外さないなら、構わない」
言えた。言葉数は少なかったというのに、どっと疲労感を覚える。
俺に声を掛けてきた理由は謎だが断る理由もない。それに先程昼餉にも誘われたばかりだ、大した理由はないのかもしれない。
そう。大した理由はないと思って申し出に応じたのだ。それなのに日本号はこちらへ向き直るとぱっと破顔したものだから、俺は再び固まってしまった。
断られるより受けてもらう方がずっと良いとは思う。だが、そんな露骨に顔に出す程か。誤った判断はしていないのに気まずい思いをしている俺に気付いていないのか、日本号は嬉々としながら明日について話す。
「酒はあるし、食いもんも……まあ、そこそこあるか。明日はいつ頃なら部屋へ行っても大丈夫だ?」
「別に、予定はないに等しいから適当な時間に来ればいい」
「りょーかい」
鼻歌まで聴こえてきそうな日本号は髪の毛先まで楽しげに揺れている。俺の部屋に来たところで何もないというのに、一体どうしてこんなに楽しそうなのやら。
わけがわからない。理解が出来ないせいなのか、俺の気持ちはそわそわと落ち着かない。
日付が変わって三十一日の深夜帯。俺はこっそりと厨へ訪れていた。
日本号の申し出を受けてしまったが、来客の予定がない部屋には飲食物が一切なかった。日本号が酒やつまみを持ってくると話していたが、出迎えるこちらも何か準備しておいた方が良いと考えて厨へやってきたのだ。とはいえ、厨にあるのは大晦日から三が日にかけて食べるものばかり、安易に手を出してはいけないものが大半だ。流石にそれは承知している俺は、常備されている保存食を目当てにしている。保存食といっても様々だが、本命は魚や肉の缶詰。あれは薬味と合わせるだけで美味い。
さて。何があるかと収納棚を開けて確認すると目的の缶詰が数個出てきた。こいつは良いと思ったのは一瞬で、缶詰のひとつにとある刀剣男士の名前が書かれているのを発見してしまう。もしかして……残る缶詰を確認していくと、その全てに名前が書かれていた。
そうそう簡単にことは進まないか。仕方ないと他の保存食を確認してみたもののこれだと思うものが見つからない。こういうことなら普段から自分用に何かしら備蓄しておけば良かったと思うが、後悔先に立たずといったところだ。明るくなったら買いに行くか?近場で大晦日も開いている店といえば二十四時間営業の万屋くらいか。缶詰自体は売っているのは確実だが問題は中身である。
「……」
目当ての缶詰がなくても店に行けば何かしらある。最悪、菓子でも良いかもしれない。つまみを自作する日本号にとって少々物足りないだろうが、何もないよりはずっと良いと、思いたい。
こんなことなら断れば良かったのかもしれない。断れば、こうして深夜に厨へ来て戸棚を漁ることも悩むこともなかった。
そう思うものの上機嫌で笑う日本号を思い出すと断るのも違うような気がして、俺は夜が明けてからの行動を計画することにした。
『今宵も始まった日本号のちょい呑み配信。宜しく頼むぜ』
今年最後の夕餉を終えて、料理番を数振りいるだけとなった厨の片隅。火や水が飛ばない程度に離して置いたタブレットから再生されるのは日本号の料理配信だ。流石に大晦日に配信はなく、これは過去に配信されたものだが、今の俺はこの過去配信内容を目的としていた。
『今日は土鍋でおぼろ豆腐を作る。普通は大豆をふやかすところから始めるが、これから作るのは店でよく売られている豆乳を使う簡単なもんだ』
『最近すっかり寒うなったけん、温かかもんなよかね』
夜が明けて朝餉もそこそこに万屋へ行った。悪い予感ほど当たるもので、魚や肉の缶詰は無かった。そうして代わりに見つけたのが「ドリンクコーナー」と掲示された棚に陳列された豆乳だった。
『用意するのは豆乳、にがり、塩。これだけだ』
『シンプルやね』
『だろう?まさにちょいといくには良いもんで、材料を混ぜて熱するだけで出来上がるから調理も簡単だ』
この配信を覚えていたのはこの手軽さだった。これくらいなら出来そうだと、調理練習していた時も試しに作ってみた一品だ。
『まずは全ての材料を鍋に入れて軽くかき混ぜる。なめらかに仕上げたいなら、泡立てないように』
『おいしゃん。材料はどれくらい入れとうか数で言うてくれんか?』
『ああ。ううんと。あれだ。豆乳は四百竓、にがりは小匙いち、塩は……小匙半分。くらいか』
いつものやり取りに思わず笑いつつ、動画を一時停止して手を洗うと小さな土鍋を焜炉へ乗せる。厨には少人数向けの土鍋がなかったので、わざわざ次郎太刀のところへ借りに行ったものだ。借りる際やけににやにやと笑っていたが、既に酒が入っているようだから酔っ払っていたのだろう。
早速紹介された材料を量って鍋へ投入して静かに数回混ぜた後、動画を再生させる。
『鍋を弱火にかけて、表面がふつふつするまで加熱させる。一気に熱を入れるとぼろぼろになるから面倒でも少しずつ温めるのがいい』
説明通り弱火にかけて熱されるのを待つことにする。動画では雑談が始まっているが、俺はこの待機時間で調味料を用意する。
厨には一揃い調味料が常備されている。これを仕切り皿に用意するだけで少しは凝った演出ができる。些細なことだが、おぼろ豆腐以外用意しないのでこちらに力を入れるのが丁度良いだろう。
『おいしゃん、お鍋がふつふつ言うとうよ』
『そろそろ良い頃合いか』
そんなふた振りのやり取りが耳に入ったので、こちらの鍋を確認すると豆乳の表面がふつりと揺れていた。
『こうなったら火を止めて蓋をする。そしてそのまま十分ほど放置して出来上がりだ』
日本号の説明通り蓋を閉めると、博多が『楽しみやね』と言ってくれて少し得意な気分になってくる。楽しみだというのは動画で作られたおぼろ豆腐であるというのに我ながら調子の良いものだ。
もう少し観ていたかったが、今はいつ日本号が部屋へ来るかわからない状況だ。動画プレイヤーを消して準備に掛かる。鍋と調味料に取り分け用のお玉、そして取り皿に箸……皿と箸は俺と日本号のものだけで良いんだよな?他に誰か来るのであれば、昨日の話の段階で日本号から伝えられている筈だ。
自室で日本号と二振りで過ごすとは、何度も思うことだがとんでもない事態だ。別に日本号と一緒で何があるでもないのだが、むしろ何もないから問題とも言えるか。いや、ないわけではないが、それは……。
浮かんだものはひとつで、喉の奥に引っ掛かるものを感じる。
「お。部屋に戻ったと思ったらここにいたのか」
背後から聞こえた声に、引っ掛かりが一気に取れたように喉が鳴る。
「……日本号」
こちらがその名を言うのが先か、隣に日本号が立つ。噂をすれば影とはいっても何もこんな場面で来なくても良いではないか。しかしここは共同部である厨だ。用事があって訪れることだってあるだろう。それに数分もすれば自室で顔を合わせる可能性だってあったのだし、それが少し早くなったのだと割り切ろう。
至って何事もないように隣を見れば、少し大きめの丸盆へ複数の小皿を置いているところであった。
「丁度良かった。持っていこうと思っていたつまみを用意するんだが、苦手なもんはあるか」
「相当不味いものでなければ大丈夫だ」
「はっはっは、なんだその答えは。まあ、特に苦手なもんはねえってことだな」
日本号は冷蔵庫から複数の密閉容器を出してくると中身を小皿へ盛り付け始める。漬物に梅水晶、酒盗、チーズといった軽くつまめるものが続々と盛られていく。流石に夕餉を終えたばかりだと腹に溜まるものは避けたか。すると、おぼろ豆腐は悪くなかったかもしれない。日本号があまり腹の余裕がないなら少々多いかもしれないが、余った分は俺が食べればいいだけだ。
「ところで、お前さんも何か用意していたのか?」
「おぼろ豆腐を」
「おぼろ豆腐か。こっちは冷たいもんばかりだから丁度良いな」
そういえばそうだ。大晦日でも安易に材料が手に入ったからと作ったものだったが、結果として良かったようだ。
それぞれ用意したものを盆に乗せると厨を出る。どこかで誰かが大声で歌っている。普段なら大声の主を探して一喝するところだが、今日は大晦日ということで無礼講だと目を瞑ろう。
「結構盛大に騒いでいるが何も言わないんだな」
「今日から三が日までは思いっきり羽を伸ばしても良いんじゃないか」
「ふうん。あんたもそんなこと言うんだな」
「しばらく出陣や遠征もないのだから多少は良いと思っただけだ。流石に誰かの迷惑になる状況なら話は別だが、そこまでいけば他の奴が黙っていないだろう」
「それもそうか」
徐々に遠くなっていく声を聞きながら自室へ到着すると、日本号は丸盆を室内の食卓へ置いて酒を取りに行く。図体に似合わぬ早さで取りに向かう背中を見送ると、自然と口からは溜め息が出てしまった。
部屋へ来ることを了承したのは俺だが、いざその時になると緊張してしまったらしい。それでも部屋へ移動するまでの会話は特に違和感なかったので、あの調子で話せば良いかもしれない。ならば先程の大声のくだりもあるし、話題作りが出来る環境があるともっと良いな。
とりあえずタブレット端末でラヂオを流すことにする。五月蠅くない程度を心掛けつつ、沈黙が気にならない程の音量に調整していると大きな紙袋を抱えた日本号が戻ってきた。
「大荷物だな。一体何を持ってきたんだ」
「酒だぜ。猪口や酒燗器も入っているからちょいと大袈裟になっちまった」
酒やお猪口は兎も角、シュカンキとは聞いたことのない名称だ。興味をそそられながらも荷物が置けるように食卓の上を整理する。日本号はすぐにそこに置いても良いのだと察してくれたのか、食卓の前に膝を折ると紙袋の中身を置いてゆく。複数の小瓶にお猪口、徳利が並べられて、最後に見たことのない器具が出てくる。一体何だと疑問を抱いて間もなく、これがシュカンキであると気付く。
「このシュカンキはどう使うんだ」
底の深い器のような形をしており、側面に電源スイッチらしきボタンやレバーがついている。大きさは両手の平に乗る程度のあまり大きくないものだが、見る限りでは使用法がよくわからない。
食卓を挟んで日本号に向かい合うように座って伺えば、奴は小瓶の一本を開けて徳利へ注いだ。
「こいつは器みたいに窪んでいるところに徳利みたいな酒器を入れて使うんだ」
窪みに徳利を入れると小さく電子音が鳴る。それを確認した日本号はどっかりと胡座をかいた。
「燗付けするまで一分ばかり要するから待っていてくれ」
シュカンキとは酒燗器ということか。使用法がわかれば腑に落ちるもので、こんな便利なものがあるのかと素直に感心する。
「お前のことだから熱燗を作るなら湯煎でしっかりやるのかと思っていた」
「なんだその印象は……まあ、美味いもんにありつけるなら手間を惜しまねえが、手間を省いた上で美味いもんがあるならそっちを選ぶもんさ」
皿や箸を並べ終えると共に酒燗器から何かを知らせる音が鳴る。仕様なのか日本号は慌てる様子なくスイッチを切る。
「準備も出来たし乾杯するか」
「まだ酒が温まってないんじゃないか」
「もう上燗くらいにはなってるぞ。熱燗も豆腐も冷めねえ内に頂こうぜ」
ほれ。と手前に置かれたお猪口に徳利の酒が注がれる。慌てて持ったお猪口はほんのりと温かく、日本号の言う通り燗付けが終わっているのがわかる。一分ばかりでできると話してくれたが、比喩ではなくそのままの意味だったのか。
これは俺でも酒燗器を選ぶなと感心していると、日本号が自身が使うだろうお猪口へ酒を注ごうとしていた。
「待て。今日くらい俺が酌をする」
「……ほう?」
「言っておくが、一杯目から手酌させるほど俺は無愛想じゃない」
我ながら恥ずかしいことを言っている気がするが、口から出てしまったものは仕方ない。流石に手が届く範囲だというのに手酌させるのも意地が悪いと思っただけだ。
最低限のマナーみたいなものだと徳利を受け取ると、日本号は途端にふにゃりと笑ってお猪口を差し出してきた。
ご機嫌に笑う場面ではあるだろうが、酒も入っていない内にそんなに満面の笑みを見せるものなのか。まさかそんなに上機嫌な反応をされるだなんて想定してなかったのもあり、お酌をする手が震えそうになる。それをぐっと堪えながら酒を注ぎ終えると、徳利からお猪口に持ち換える。
「今年もお疲れさん」
「お疲れ様。この一年、主のために良い働きはできたか」
「まあそれなりに貢献したと思うぞ。それにしても乾杯の場面で主が出てくるとはあんたらしいぜ」
「刀剣男士の性分として主の存在は外せない」
「はっはっは、それもそうだな。そういうお前さんは……聞かなくてもわかるか」
「なんだ。それは褒めていると判断して良いか」
「そりゃあ勿論」
お猪口へ酒を注ぐとどちらともなくそれを掲げる。今年最後の乾杯はとても静かに交わされた。二振りでは流石に盛り上がらないものかと思いつつ、決して居心地の悪くない静けさにお猪口へ口付ける。つん、とした刺激があったのは飲み始めだけで、程良く温い熱燗はするりと喉を通っていく。
「飲みやすいな」
「だろう?がつんと応えあるもんも良いが、一杯目はこれくらいが丁度良いと思ったんだ」
果実酒のような爽快さがありながら確かな日本酒の味わいがある一杯は、美味いというより不思議という感想が真っ先に来る。酒気の強くなる熱燗だというのにすいすい飲めてしまい、あっという間にお猪口の酒がなくなってしまった。
「鍋の蓋も開けていないのに早いんじゃねえか。まだまだおかわりがあるとはいえ、加減して飲まないと潰れちまうぞ」
「わかっている」
流石に日本号を前に飲み過ぎることはない。と思いつつ、会話がなくなったら場を繋ぐために飲んでしまうかもしれない予感も覚える。しかし沈黙以上にこいつの前で酔い潰れる方が後々のことを考えると避けたい事態なので、ここは何があっても程々を努めよう。
仕切り直しとばかりに、今まで放置されていた土鍋の蓋を開ける。ほわりと微かな湯気が立ち、中身の豆乳は液体にはない張りを見せていた。そこそこ時間を置いていたのでしっかり固まっているようだ。
「早速よそっていいか?」
「ああ」
お玉で掬うともったりとゆるい豆腐が現れる。まさに朧気な豆腐の出来栄えに安堵していると、豆腐が盛られた皿を渡される。
「冷めねえ内に食べようぜ」
いただきます。と律儀に手を合わせて日本号が豆腐を食べ始める。
「美味い。普通の豆腐も良いが、このとろけるおぼろ豆腐はまた格別だな」
熱して固めただけの簡単な調理法だが、美味いと褒められると悪い気はしない。こそばゆい気持ちを覚えながら俺も続くように豆腐を食べる。時間が経って程良い温かさになった豆腐は口内で舌を動かすだけでほろほろと崩れていく。
「お。お前さんが用意してくれた胡椒味噌と合わせるとまた絶品だ」
「胡椒味噌は豆腐百珍で見かけて参考にさせてもらった。同じく味噌を使うもので山葵味噌もあったが、こちらの方が断然美味い」
「豆腐百珍の品は何かと葛が出てくるから使い所が迷うんだが、こういうのもあるのか。今度読み返してみるかね」
気に入ってくれたのか、日本号はまた胡椒味噌を豆腐に乗せて食べる。調味料は調味料でも、一手間加えてみようと用意したものだったが好評らしい。豆腐百珍の料理は調理練習でいくつか作ってみたが、しっかり成果があったようだ。
その後も案外に会話が弾み、気付いた頃には食べ物や酒が残り僅かとなっていた。加減しようと思っていたが、こればかりは用意された食べ物と酒が美味いのがいけない。なんて弁解しながら、ふわふわする頭を動かすと日本号が覗き込んでくる。
「そろそろ年明けだが蕎麦食いに行くか?」
「流石に腹がいっぱいだ……」
「それもそうか。俺も蕎麦食う程の余裕はねえな」
どっかりと俺の横に座った日本号はラヂオが流れるタブレットへ耳を傾ける。それに倣うように耳を寄せれば、ラヂオでは年越しカウントダウンを行っていた。
「あと、何分で年が明けるんだ?」
「十分切ったとだけは聞いた」
「もうそんな時間か」
どうも眠いと思ったらそんな時間だったのか。てっきり酒が入っているせいかと思ったが、そいつは仕方ないと床へ寝転がる。
「おいおい。寝るなら布団入った方がいいぞ」
「少し寝転がるだけだ。少しだけ」
日本号もいるし寝るつもりはない。少しだけ寝転がって寛ぐだけ。
布団に比べて硬い床はそれでも気持ち良くて伸びをしていると、日本号の大きな手が頭をぐしゃぐしゃと掻き回してきた。髪の毛が一気に乱れてしまったが、掻き回す手の動きが気持ち良い。
「布団は押し入れに仕舞ってんのか」
「ん?そうだが」
手が離れていき、隣の日本号も立ち上がって離れていく。もしかして夜も遅いから部屋に戻るつもりか。それなら見送ろうと起き上がれば目の前に布団を突き出された。
「布団出してきたんだが、適当に敷いて良いか」
「?ああ。ここは俺の部屋だ、好きに敷くといい」
「じゃあ端の空いているところに敷かせてもらうぞ」
日本号も結構飲んでいるというのに、酔いを感じさせない動きで布団を敷いていく。俺はもう頭がぼんやりしているというのにすごいもんだ。すっかり感心していると、日本号が布団へ移動するよう言ってきたので素直に従う。
押し入れに仕舞われていた布団は少し冷えていたが酔って熱った体には丁度良い。顔を埋めるように寝転がると大きく息を吐く。
「やっぱり寝るなら布団の方が良いだろう?」
頭上から日本号がそう言う。寝るつもりはないが、寝転がるには床より布団の方が断然気持ちが良くて反論できない。ここは素直に認めてしまおうと掛布団に包まると、存外近くから笑い声が聞こえた。
ちらりと上を見れば、こちらを覗き込む日本号と目が合う。奴は笑みを浮かべてとても楽しそうだ。
「なんかあったか」
「なんかって、どうした?」
「楽しそうに笑っているから」
「ううん。まあ、楽しいというより嬉しいから笑ってた」
「嬉しい?新年を迎えるからか?」
「まあ、それもある」
「そうか」
新年を迎えるのはめでたいので嬉しいことかもしれないが、そんなに笑顔になる程なのか。そんなに新年を重要視しているとは思わなかったが、これまで態度に出していなかっただけかもしれない。
そうか。嬉しいのか。ふわふわと心地が良いせいか、日本号が嬉しいと感じている事実に俺も引っ張られるように嬉しくなってくる。思わずふふ、と笑うと、日本号がまた髪の毛を掻き回してきた。
「この酔っ払いめ。酔ったらいつもこうなのか?」
「こうって、どういうことだ?」
「その……こうやって寝転がって無防備にされるがままなのかと……」
「無防備とは合点がいかないが、眠くなりやすいから早々に部屋に戻って寝ることは多いかもしれん」
「ふうん。まあ、部屋に戻るなら良しとするかね」
何を良しとするのか。先程までにこにこと笑っていた日本号が神妙な顔をしている。今の会話にそんな顔をする要素はあっただろうか。考えてみても思い当たらず、代わりのように欠伸が出る。
「布団の上だし、眠いなら寝ちまったらどうだ」
「んん。それも良いかもしれないな……」
目を閉じてみると一気に意識は眠りへと引っ張られていく。どうやら自分で思っていた以上に眠気を覚えていたようで、頭に触れる日本号の手の心地良さも合わせてどんどん深みへと落ちていく。
そういえば食器を片付けていなかったが大丈夫だろうか。そんなことが少し気に掛かったが、眠りの世界へすっかり落ちてしまった俺は目を開けることができなかった。