保護

日本号のちょい呑み配信4



 
 人が行き交う盛り場に蝉の鬱陶しい鳴き声と共に生温い風が通り抜ける。見上げれば快晴が広がっていて、自分が覚えている不快感はどこから来るものなのかと顔が歪む。梅雨明けはした筈なんだがこうも空気が湿っていると気温が高くなってきたのもあって不快感がより増している気がする。
 不足した文具を買いに万屋へ向かっていたのだが、戦闘服のまま街中に出たのは失敗だった。額に滲む汗を拭い、上着を脱ぐといくらか不快感は軽減された気がしてほっと息を吐いた。
 早いところ用を済ませて帰ろう。システムによって環境が整えられた本丸内の快適さを思い出しては、自然と歩みが早くなる。そのままの勢いで万屋へ入ろうとしたが、店の前で注目を集めている人物がいて歩みを止めた。
 あいつは人間ではなく「大槍」か。思わずその「大槍」を睨み付ければ、季節を過ぎた筈の白藤がこちらへ向いた。その白藤は時折日本号が着る軽装を彩るもので、注目されていた大槍もとい軽装姿の日本号が俺の姿を認めて傍へ寄ってくる。
「よう。こんなところで会うとは奇遇だな」
「奇遇も何もここは本丸から最寄りの万屋だ。お互い万屋に用があれば鉢合わせにもなるだろう」
「それこそが奇遇ってもんだ……それとも、ここで会ったのは必然だったとでも言うのかね」
「な、」
 買い言葉に売り言葉の如く深く考えず返した言葉が思わぬ形で打ち返され、続く言葉をすぐに放り出せない。無様にも音無く口を開閉させていると、日本号が為て遣ったりとばかりに笑った。
 これは小馬鹿にされる流れかと口元を引き締めていると、近くを歩いていた一般人が足を止めてこちらを見ていた。そして日本号と俺を交互に見ると何か言いたげに笑ったので、俺は日本号の袖を強く引きながら万屋へ入店する。
「おい、引っ張るなって。皺になるだろうか」
「それを着ている貴様が悪い」
 ただでさえその容姿で目立つというのに、白藤の柄物に紋付き羽織を纏っているとくれば刀剣男士に見慣れた者でも目を奪われるというものだ。戦闘服や内番では機能性重視した服装をしているのに、普段着る機会の多い軽装は何故あんな目立つものにしてしまったのか。それが似合ってしまうから尚のこと憎らしい。主と一緒に並ぶことを想定しているなら申し分ないものだが、自分が並ぶとなるととんでもないものだ。
 さて、再び誰かの目に留まる前に買い物を済ませて帰ってしまおう。袖を手放しそそくさと文具を探しに行こうとすると、視線の端に大きな影がついてきた。それが何なのかわからない程愚鈍ではない俺は歩みを早める。
 だが、その影は離れることなく着いてくるものだから、俺は堪らずその影に向かって肘打ちを向ける。それは容赦なく当てるつもりだったが影は易々と避けてしまう。
「っと、危ねえな」
 何が危ないんだ。動きにくい軽装でそこまで動けたら何も危ういことはあるまい。そんなことを内心思いながら肘打ちを向けた方を見上げると、危うさを微塵も感じさせることなくこちらを見下ろす日本号と目が合った。
「俺は買う物があるんだ。邪魔をするな」
「俺だって買い物に来てるんだ、邪魔しているつもりはねえ」
「……ほう? 一体何を買うんだ?」
「氷菓子だ。粟田口連中から土産もんをもらってな、そのお返しだ」
「俺は文具だから売り場は離れているな。同じく買い物を目的としているが、同行する必要は無いだろう」
 はっきり突き放してしまえば流石については来ないだろう。奴の反応を確認することなく足早に文具が置かれている場所へ移動すれば、日本号の姿はどこにもなかった。
 そのことに安堵しつつもどことなく腑に落ちない心地を覚えながら、俺は目的のものを手に会計を済ませる。その間にも周囲を確認していたが、あの目立つ大槍の姿はどこにもなかった。
 あいつは氷菓子を買うだけ、早々に買い物を済ませて店を出たのだろう。再会したところで気まずさが勝るだけなので助かる。さて、帰ったら主へ挨拶をして、それから翌朝からの出陣の準備をして、それから……。
 これからの予定を考えながら万屋を出ると大きな黒い壁が俺を出迎えた。なんだこれはと思うが先か、その塊が振り向いたので、俺は半ば反射的に後退る。
「遅かったじゃねえか」
「貴様、何故ここに……」
 黒いのは羽織を纏う日本号の背中。一瞬壁と錯覚する程広い背中を持つ彼は、あろうことか驚きに後退する俺の二の腕を掴んで引っ張ってきた。
「何故って待っていたんだよ。あんたもあとは本丸に帰るだけだろう?」
 一緒に帰ろう。そうは言わなかったが、腕を引いて歩き始める日本号に俺は抗う暇を与えられず一歩二歩と前進していく。衣服越しに感じる奴の手はその大きさに反して掴む力は弱い。それは俺が容易く振り払える程のもので、これは強制的なものではないと伝えてくるようだ。
 もしかしたら奴なりの気遣いなのかもしれない。だが、それがかえって気まずさを募らせると気付いているのだろうか。腕に痕が残る程力強く握られていたなら思いっきり抵抗できたというのに、これは日本号の策略なのかと思いたいくらいだ。
「……」
 実際、これが策略だったら大したものだ。もっと強引なものだったら文句のひとつも言えたのに、何を話していいかわからない。幸いにも万屋を出て暫くは盛り場だが、本丸へ近付くにつれて人通りが少なくなる。その時はどうやって日本号との場を繋ごうか。
 こいつと俺は同じ本丸にいるだけで、特に共通点は無い。
 羽織の下から時折ちらつく白藤が眩しくて目を細めている内にも周囲の建物が少なくなり、人の行き来も比例して少なくなってゆく。別にだんまりと帰路を歩いても良いというのに、どうして何か言わなければならない気になってくるのだろう。
 徐々に落ち着かない気分になってくると共に、暑さや湿気から来るものとは違う汗が滴る。思わず額を手の甲で拭っていると、数歩前を歩いていた日本号が振り返った。
 拭ったはずの汗がひやりと冷たくて、耳の裏からとくとくと心音のようなものが聴こえてくる。
「お前さん、珈琲味の甘味はいける口か?」
「? 別に食べられるが」
 脈絡のない話にとりあえず素直に答えては、何故そんなことを聞いてきたのかと疑問を抱く。すると日本号は歩みを止めると掴んでいた俺の腕を解放した。
 突然自由になった腕はどうすれば良いかわからず進行方向へ僅かに伸ばした形のまま固まっていると、日本号は手に下げていた袋を漁り始めた。
「珈琲味の氷菓子が食べたくて買ったんだが、生憎二人分でな。余らせて駄目にしちまうくらいならあんたに食ってもらった方が良いと思ったんだ」
 それなら残ったものは冷凍庫で保管すれば良いだろう。そう言おうとした瞬間、口に何かを突っ込まれて仰け反りそうになる。驚きに固まっていると、口に予想しない冷たさと甘さが襲ってきた。
 これは……今しがた話していた氷菓子か? 口に突っ込まれたものを手に取って確認すれば、いつか本丸の誰かが食べていた円筒状の氷菓子だった。
 話し振りからして俺に食わせるつもりだったようだが、あまりに強引過ぎないか。俺は食べるとまだ答えてなかったし、もし食べるにしても本丸に帰ってからでも良かったものだ。
 だが、既に口を付けてしまったものを押し返すこともできずにいると、日本号も同じように氷菓子に口をつけた。
「歩き食べなどして……」
「歩きながら酒飲むよか可愛いもんだろう?」
「それはそうだが、ながら食べは感心しない」
「誰も見ちゃあいないんだ。そう固いこと言うなよ」
 日本号の言う通りいつの間にか辺りは行き交う人間はひとりもなく、俺と日本号だけが氷菓子を口にして道端に突っ立っている状況だ。
 そのことに気付いた俺は居たたまれなさに右往左往しそうになるのを堪えて、氷菓子に口を付けながら本丸に向かって歩いてゆく。そんな俺を追いかけるよう少し後ろを日本号が歩いていて、視界の端にちらりと羽織の裾が揺れた。
 氷菓子など欲しくはなかったが、こいつを食べるため口が塞がっているせいで会話をしなくて済むのは助かる。
 もしかして日本号はそんな俺の心情を見越してこれを渡したのだろうか。そう考えるとすべて見透かされている心地がして、あくまでも奴の言う通り氷菓子を余らせるのが嫌で俺に寄越したのだと内心自分に言い聞かせるのだった。
 

『始まったばい!』
『どうも。今夜も日本号のちょい呑み配信、付き合ってくれよ』
 低く落ち着いた声はいつもの配信で聴く日本号のものだというのに、気恥ずかしくなるのは万屋から帰城するまでの出来事のせいか。あの大槍め、変なことをするから配信を純粋に楽しめないじゃないか……この恨み、どこで晴らしてやろうか。
『今日のつまみは海扇稚貝の酒蒸しだ。時期的に成貝も旨いが、酒蒸しにするには稚貝の方がいける』
 帆立は食べたことはあるが、『チガイ』とは食べたことどころか聞いたことがないな。話しぶりから察するに子供の貝だろう。珍味の部類なのかと視聴者のコメントを眺めていると、何故か本丸特定を心配するものがいくつか流れてきた。
『うちの本拠地は特に隠してなか、心配せんでも大丈夫たい』
『そこんとこは食材を扱う配信をやる以上、大体の場所はバレても仕方ねえとここの主も了承しているからな。あとはあんたらの良心次第ってとこだな』
 ひらひらとこちらに手を降る日本号を見て、特定して迷惑をかける奴がいるだろうか。いや、この配信は良心的なコメントも多いのでいないに違いない。うんうんと画面に向かって頷きながら、食材で本丸の所在がわかるとは博識な者もいるものだと感心する。
 ボウルいっぱいに入った帆立が画面真ん中に置かれる。その帆立は記憶するより一回り小さくて、確かに稚貝であると知れた。
『今回使うのは養殖ものなので砂抜きは不要だ。もし、天然物を食べるなら砂抜きを忘れるなよ』
『あの水ん中かちゃかちゃ動いとるの見たかぁ』
『そういや前に浅蜊の砂抜きした時には暫く見ていたな、ああいうの好きなのか』
『うーん……好いとるというより面白かちゅうほうが近いかもしれん。あの、動いとる虫ば観察する感覚たい』
『ああ、興味惹かれるわけか』
 そんな話をしながら、日本号の大きな手が束子でがしがしと帆立の殻を洗ってゆく。
『洗ったら水を切って鍋へ投入する。貝が開きやすいように重ねて置くなよ。その上に塩ひとつまみに酒適量、切昆布一枚を入れて強火にかける』
『おいしゃん、お酒の種類と分量!』
『これは好みだからなあ……酒は好みの清酒をひと回し。酒臭いのが良いならふた回しかね。沸騰してきたら弱火にして蓋をして八分程蒸し焼きにして出来上がりだ』
 材料をすべて鍋に投入して火にかける。
『今回は簡単やね』
『簡単だが旨いんだこれが。煮立ち始めた頃に酒と海扇の匂いもまた旨そうでな。ああ、旨いといえば注意点として食べる前にウロを取ってくれよ。あれも旨いには旨いが下手なもんだと腹を壊す危険がある』
『忘れず取って食べてほしいばい!』
 ことことと小さく音を立てて煮え始める鍋の近くにぐい呑みが置かれると、先程鍋に投入していた清酒が注がれる。それを日本号の手が掬い上げると、煮え立つ音に紛れて微かに何かを飲下す音が聴こえた。どうやらつまみが完成する前に一杯始めたようだ。
『……さて、注意点を話してもまだ八分にはならねえか。何か適当にネタを拾って話すかね』
『今日はおいしゃんに聞きたいことあるけん、それでも良か?』
 僅かに表示画面が上向き、撮影者である博多が日本号を伺っているのがわかる。画面左上にはぐい呑に口付ける日本号の口元がちらりと映り、先程の予想が当たったようだと知れる。
『俺に聞きたいこと?』
『うん。最近おいしゃん……長谷部に餌付けしようと目論んどるん?』
 邪気の色は微塵も感じられない博多の問いに、画面の日本号とそれを見ていた俺が噴き出す。俺の聞き間違いか? そう思いながら咳払いをひとつしたが、ざわめくコメントと画面の向こうの日本号が盛大に噎せている様子に聴覚は正常だと確認する。
 日本号が俺に……いや、この配信先の本丸にいる長谷部に餌付けしようとしているだって?
『けほ……、……なんでまた急に、』
『いやぁ、この間長谷部が夜遅くの帰りだって聞いてお夜食作ったり、今日は一緒ば買食いしとったところ見かけたって青江から聞いたんよ』
『あー……まあ、どちらも事実だが、それって餌付けになるのか?』
 確かに、それだけでは餌付けと繋げるには厳しいのではないだろうか。
 それにしても、この日本号とへし切長谷部は買食いする程仲が良いのか。俺とうちの日本号は帰路を歩くのすら気まずいというのに、違う本丸にいるため関係性の違いも出るとはわかっていても不思議な心地だ。
『それだけじゃなか。わざわざ福岡の茶屋から仕入れた新茶を長谷部のため用意しとったり、試作で作ったクッキーを粟田口経由でどうにか食べてもらおうと企てていたじゃなかと?』
『いやいやいや!確かに滅多に手ぇ出さない新茶頼んだりしたがね、あいつは関係ないぞ。だから餌付けなんかしてない』
『……ふーん、関係なかかぁ』
 博多の顔も、日本号の顔もどうなっているか画面ではわからない。だが、日本号が博多の追求にたじろいでいるのだけはわかる。そんな様子に俺は少し笑った後、彼らとへし切長谷部の仲を垣間見て、明らかな羨望の念を覚えてしまったのだった。


   ◆◆◆


 
 季節は夏真っ盛りと言っても過言では無い程の陽の照りよう。その日差しを一身に受けた畑の作物はいつの間にか花を落として実を大きく膨らませていた。成長の早さは凄まじいもので、ここ数日の畑当番は草抜きもそこそこに収穫に勤しんでいた。
 しょき、しょき、と不規則な鋏の音が聞こえる。本日畑当番である俺はその音に耳を傾けながら黙々と収穫をしていた。今日の収穫物は甘唐辛子と玉蜀黍、枝豆の三種の作物で、それらは既に収穫籠に半分以上入っている。
「はせべぇ、もう充分採ったんじゃないか?」
 話しかけられた方へ振り向けば、俺と共に畑当番である御手杵が窮屈そうに身を屈めながら甘唐辛子を採っている。槍を扱うのに向いた手足の長い体では屈んでの作業は苦痛なのか、顔には飽きより苦痛の色が濃く浮かんでいる。
「甘唐辛子は良いが、枝豆と玉蜀黍がまだ足りない」
「結構あると思うんだけどなあ」
「玉蜀黍はひと振り一本、枝豆は五鞘食べるとしよう。それで足りるか?」
 御手杵は収穫籠の中身を暫し見た後、何か思い出すよう斜め上を見上げた。
「……俺は玉蜀黍は三本、枝豆は少なくとも二十鞘食べたい」
「ならば明らかに足りないとわかるだろう。玉蜀黍は少なくとも収穫籠ふたつ、枝豆は籠一杯に欲しいところだ」
「それで足りるか?」
 先程俺が投げかけた台詞を御手杵が返す。こいつは本丸の中でも特に大食いなのもあってか、俺が提示した量では物足りなかったらしい。御手杵に限らず食べ盛りの男士が多いので、御手杵が足りないと感じたのなら多少多いくらいが丁度良いかもしれない。
「足りないと思うなら十分だと思うくらい採るんだな」
「じゃあまだまだだな……はああ、こうも屈んでいると腰が凝ってくるぜ」
 立ち上がった御手杵が目一杯体を伸ばすと、ぼきぼきと面白いように節々が鳴る。俺が思うより無理をした体勢で作業していたのか、凝りを解すよう体を伸ばす御手杵にある提案をする。
「少し休憩にしよう」
「いいのか?」
「夕餉の準備まで時間はある。それに無理を強いて効率が落ちる可能性を考えると休む方が良いだろう」
 人の身であると長時間の畑仕事は疲労が蓄積するだけでなく熱中症の危険もある。昼餉以外にもどこかで休憩を取るべきと考えると、今この場面であっても構わないだろう。
「じゃあ休憩にするか! 厨からお茶持ってくるぜ」
 枝切り鋏と軍手を放り投げた御手杵がばたばたと軒下へ走って行く後ろ姿は元気そのもので、先程見せた苦痛の表情は何だったのかとさえ思えてくる。
「午前から畑に出ているっていうのに手杵の奴は元気だなぁ」
 背後から聞こえた呟きに背筋が強ばる。そんな俺の緊張に気付いていないだろう声の主はしょきり、と鋏を鳴らした。
「それにしてもお前さんから休憩を提案するとは意外だな」
 何が意外なのか。御手杵が疲れているようだから休憩を提案した。そう考え至るのは何も可笑しいことはないと振り返ると、泥がついた軍手を脱ぐ日本号の姿があった。
「疲労が溜まっていい加減な働きをされるより、休憩を挟んだ方が効率が良い」
「へし切長谷部とは休みなく働くもんかと思ったが違うんだな」
「創作物の見過ぎだ」
 どこのへし切長谷部の話をしているんだ。俺のことを把握する程関わりも無いくせにいい加減なことを言う奴だ。確かに「へし切長谷部」とはそのような印象を持たれがちだが、他の男士を巻き込んでまでそのような無茶はしない。
「それよりも、いつまで畑にいるつもりだ」
「ん?」
「今日の畑当番は俺と御手杵だけで、貴様は違うだろう」
 内番は基本的に二振りで行い、今日の畑当番も収穫物は多くても増員は無かった筈だ。それなのにいつの間にか「酒のあてを探しに」とこいつがひょっこり現れて、暫く三振りで収穫を行っていた。こいつの手を借りるのは不本意ながら、人手が多いのは助かると黙っていたが……酒のあてならば十分採れた頃だというのにこいつは一向にここから立ち去らない。
「そりゃあそうだが、貰うもんだけ貰って退散するのも感じが悪いだろ。それに収穫するなら手が多いに越したこたあねえ、最後まで付き合うぜ」
 じっと俺を見つめてきた日本号に俺はたじろぎそうになるのをぐっと堪える。だが、奴の言葉に反論することが出来ず、情けなくもごもごと口を動かすことしか出来ない。実際人手が増えて助かっていただけに、今更突っぱねるのも無礼に近いものである。かといってこのまま口を無様に蠢かせているのもどうなのか。
 反論出来ないにしても何かないのか。誤魔化すように口元を押さえていると御手杵の声が聞こえてきた。
 どうやら御手杵が戻ってきたようだ。第三者の登場に安堵した俺は御手杵が脱ぎ捨てた軍手を拾い上げる。
「日ノ本ぉ、麦茶持ってきたんだがあんたも飲むよなあ」
「応よ! 酒ばっかだと口煩くなる奴がいるしなあ」
「な、」
 この場に居るのは俺と日本号と御手杵で、日本号が言う「口煩くなる奴」とは俺だとすぐにわかって思わず声を上げてしまう。
「誰が口煩いだと?」
「お前さんのことだが?」
 俺が反応するのは想定内だったのか、日本号は特に悪びれる様子もなく御手杵の方へ向かっていく。別に奴を驚かせるつもりは毛頭にもなかったが、あまりに薄い反応が癪に障って小走りで奴を追い越して御手杵のもとへ向かう。
「御手杵、茶を一杯貰おうか」
「なんだなんだ、あんた喉が渇いていたのかあ。そう急がなくても大きめの水差しにいっぱい入れてきたから三振り分あるぞ」
 へらりと笑う御手杵は安心感の一言しかなく、黙って御手杵の持ってきたグラスを並べて麦茶を注いでいく。麦茶は冷蔵保存していたらしく、硝子製の水差しは薄ら白んで冷たい。その冷たさに自分の体が自覚しているより火照っていることを実感しつつ、麦茶を注ぎ終えるとそれをがぶ飲みした。ごくりと飲み下した麦茶は口内を潤すよりも腹をひやりと冷やして、半ば反射的にグラスから口を離してしまう。その拍子に口の端から麦茶が零れ落ち、顎を伝って内番着を濡らしてしまった。
「茶に足が生えて逃げるでもなしに、そう勢いよく飲むなよ」
 俺も手杵もあんたの分は飲まねえよ。言いながら日本号は俺の顎に触れてきた。撫でるように動く日本号の腹の指はどうやら麦茶を拭っているらしい。その指は俺と一緒に陽の下で作業していたにも関わらず少し冷たい。
 明らかに自分のものとは違うものが触れてきていることに、冷えた筈の腹の中が煮えたように熱くなってくる。それが溜まらなく喉の渇きを誘って、俺は日本号の手を払うとグラスに残っていた麦茶を飲み干した。


 夕餉時の食堂は窓を開け放しているというのに夏虫の鳴き声を掻き消す程騒がしい。夕餉の主役は昼間収穫した玉蜀黍と枝豆を茹でたもので、既に幾つもの玉蜀黍の芯と枝豆の殻が皿に積み上げられていた。
 幸いにも休憩終わりに御手杵が「ひと振り一本じゃ絶対足りない」と、予定より随分多めに玉蜀黍を収穫してくれたお陰で茹で玉蜀黍はまだまだ沢山大皿に乗っている。これならば俺が余計に貰っても問題ないだろうと、三本目の玉蜀黍を手にして齧りつく。
 突き立てた歯が玉蜀黍の粒を破き、茹で玉蜀黍の甘塩っぱい味が広がる。もしゃもしゃもぐもぐ、そんな音が聞こえてしまいそうなくらい咀嚼を繰り返してその味わいを堪能する。男士の中には小柄のような刃物を使ったり、器用な者だと指の腹で粒を取り分けていくが、俺は玉蜀黍については齧りつき一択だ。ぼろぼろと食べて家禽の餌でも拵えているのかと言われても構わない。ちまちま食べるのは好かないし、齧りついたところで玉蜀黍の旨さは変わらない。
 余すところなく囓りついていると少し離れた席で同じように玉蜀黍を食べて……否、玉蜀黍の粒を指で削ぎ落としている日本号がいた。
 あいつ、あんなでかい手をしているのによくも綺麗に粒を取れるものだな。俺と日本号の席はそこまで近くはない。それでも粒を潰すことなく取っているのがわかり、奴の皿には玉蜀黍の小さな山が出来つつあった。
 図体こそ大きいが、元より細かな作業が苦にならない質なのだろうか。
 日本号を眺めながら、頭の片隅では配信で見る別本丸の日本号を思い出す。あいつも大きな手を器用に動かして料理をしていたものだ。しかし大きい割に指はすらりとしていて、細かな動きは得意なのかもしれない。
 あんな指であの大槍を握って戦っているのだから不思議なものである。まあ、そんなことを言えばあの美しい本身は人だけでなく虎とも戦ったなんて逸話もあるのだから、人の形を得る前から結構奇妙な奴であるのかもしれない。
 玉蜀黍を食べ終えて枝豆を数鞘手に取って皿に移す。そうして一鞘を手にすると口元に持っていって、豆を押し出した。固めに茹でられた豆の歯応えと絶妙な塩加減がまた旨い。玉蜀黍も枝豆も、茹でて塩を加えただけだというのにどうしてこうも旨くなるのだろう。もしかしたら俺が知らないだけで料理番ならではの秘訣があるのかもしれない。
 そんなことを考えながら枝豆をもう一鞘取っていると、視線の先の日本号がどこからともなく酒を取り出して飲んでいるところだった。つまみは先程削ぎ取っていた玉蜀黍と枝豆、飲んでいるのは普段奴が飲んでいるものと違って少し白濁としているものだ。
 また酒など飲んで……と一瞬思ったが、これを食べて酒を飲まないのも如何なものかとまた枝豆を一鞘口に寄せる。俺は翌朝早いので酒は飲まないが、明日非番であったなら一杯くらいは良かったかもしれない。
 しかしアルコール度数の低い麦酒の一杯なら飲んでも……いやいや、それが明日には抜けているとは限らない。だが、そこまで酒に弱い質でもないし、寝る前に水や茶でも飲めば……。
「……」
 悩んでも仕方がない、飲みたいなら飲めば良いではないか。日本号だって酒を飲んだ翌日、けろりとした様子で出陣しているのだ。麦酒の一杯くらいどうってことはない筈だ。
 周りを見渡すと、少し離れた位置に王冠が抜かれた麦酒瓶が数本置かれている。中身は空のものもあったが、半分以上残っているのもあり、俺は手持ちのグラスを空にすると麦酒瓶を引き寄せる。
 すると突然一期一振がひょこりと顔を寄せてきて、驚きに体を仰け反らせる。
「そのように驚かなくとも良いのでは。私はずっと長谷部殿の隣で食事をしていたではありませんか」
「それはそうだが」
 明るい頭髪を揺らして首を傾げた一期が片手を挙げる。
 彼の言う通り、会話をしていなかっただけで一期はずっと俺の隣にいたのだが、まさか顔を突き合わせるとはまったく想定していなかったのだ。だからこれは不可抗力だと弁解したい。
「こうして隣になったのですからお酌のひとつでも。大勢いるというのに手酌というのも味気ないですから」
 決して強引ではない一期の手が、するりと麦酒瓶を俺の手から掠め取っていく。そして注ぎ口をこちらへ向けてくるので、これは断る方が手間というものかとグラスを手にして一期の方へ傾けた。
「ありがたくいただくが、酌をしてもらうだけでは俺が落ち着かない」
「勿論、長谷部殿にお酌をしてもらうつもりです」
 麦酒を注ぎながらにっこりと笑う一期の顔に粟田口の面々の顔が被る。口調や佇まいで生真面目な者かと思っていたが、改めて考えてみれば個性派揃いの弟達の兄にあたる太刀なのだ。俺が知らないだけで、ただの生真面目で済む奴ではないのかもしれない。
 今度は俺が一期から瓶を受け取り酌をする。とくとくとグラスに注がれた麦酒は存外に泡立っており、俺が注ぎ口を上げると共に一期が慌ててグラスへ口を寄せる。
「お、」
 小さく啜る音の後、グラスを口から離した一期の鼻下には泡がまとわりついていた。その姿は白い口髭をたくわえたように見え、俺は衣嚢から懐紙を取り出して一期へと渡す。
「かたじけない」
「いや、それはこちらの言葉だ」
「ははは、長谷部殿は案外気にする質のようですな」
 笑顔を崩さず一期は口周りを拭く。髭泡もすぐに拭われて、ほっとしては自分が立ち膝であったことに気付いて腰を落ち着けた。
 俺はただ麦酒の一杯が欲しかっただけなのにどうしてこうなってしまったのか。一期はまったく気にした様子がなかったのは幸いだが、これならば失礼を承知で断っても良かったのかもしれない。
 ……まあ、気にして時間が過ぎても麦酒が生温くなるだけだ。気持ちを切り替えようと麦酒を飲んでいると、誰かの視線を感じて隣の一期をちらりと見る。だが、彼はこちらが見ていることにも気付いていない様子で、気のせいかと視線を戻そうとして……日本号と目が合った。
 グラスの中の麦酒が揺れ、勢い余って溢れて手を濡らす。麦酒の匂いに湿ったものが混じり、手は濡れて不快感さえ覚えてもおかしくないというのに、俺は気にすることなく日本号を見つめ続けている。
 訂正するか。日本号を見つめることしかできない程動揺している。
 きっと先程の視線の正体は日本号のものだろう。俺があいつの姿を見ることができたのなら、あいつの視界に俺が入ることも有り得る。それはまあいい。だが、そうなると一期とのやり取りも見られていた可能性がある。
 まだ少しばかりの麦酒しか飲んでいないというのに顔から首にかけて火照ってきたような気がする。それは麦酒とは違うものからくるものだと自覚するより先に、視線の先の日本号が俺に向かってお猪口を傾けてきた。
 それが意図することとは? 考えるだけで身が焦げるような羞恥心が襲ってきて、俺は麦酒を一気飲みすると隣の一期へグラスを突き出すのだった。


 自分が纏う匂いが酒臭くて、頭ばかりが鮮明だ。
 あの後、一杯で済ます筈だった麦酒を勢いのまま四杯飲んでしまった。どうしてこうなってしまったのかと聞かれたら「勢いのまま」としか返せないのが辛い。
 ……本当のことを明かせば、日本号の視線が引き金であるのだが、それは折れて鉄の塊になっても言うつもりはない秘密だ。これは苦い経験として記憶の隅に留めておこう。
 寝支度もそこそこに水を片手に自室へと戻り文机の灯りだけつけると、そこに寄りかかるように座り込む。
 朝が早いのはわかっているが、暫し腰を落ち着けたい。決してこのまま寝るつもりはない。少しの間だけ落ち着きたいだけ。頭の中でそう弁解しながら文机に突っ伏していると「ぽん」という音が聴こえてきた。
 これは……日本号の配信通知の音だ。時間的には配信があってもおかしくないだけに、俺はのろのろとタブレット端末を取り出して画面に触れる。そして動画プレイヤーを読み込むといつもの光景が映し出された。
『今夜も始まったぜ。日本号のちょい呑み配信、今日は先に飲んじまっているから次の機会で出すつまみを作る』
『今日はおつまみに恵まれたけん、飲んでしもうたよね』
『ああ。夏はやっぱつまみにするもんが多くていいな』
 それは確かに。夕餉に食べた玉蜀黍や枝豆を思い出していると、画面の向こうの日本号が枝豆と甘唐辛子を取り出す。
『ということで今日は夏と言えばこれぞという品、「枝豆の浸し豆」と「冷し甘唐辛子」を作る。浸し豆は知っている奴も多いだろうが、冷し甘唐辛子とはいうのは二十世紀末から福岡で局地的に流行った「パリパリピーマン」というもんだ』
 パリパリピーマンとは聞いたことがないな。福岡にいた時は自由に出歩くことが出来なかったから当然といえば当然なのだが、同じ立場であった日本号が知っているということはそれなりに有名なものなのかもしれない。それにしても、ぱりぱり、とは、響きからして食感を表したものだろうか。
『まずは枝豆の浸し豆を作る。材料は茹で枝豆十鞘ほどに昆布一切れ、醤油と味醂を大匙二に水一杯だ』
『おいしゃん、水の分量』
『……大体大匙四くらいだな』
 説明しながら日本号は燗付けに使用するような小鍋を用意して、昆布と調味料、水を投入していく。
『まずは枝豆以外の材料を鍋に入れてゆっくり煮立たせる。その間に茹で枝豆の豆を取り出して薄皮を剥いていく。薄皮については剥かなくてもいけるが、剥いた方が味が染み込みやすいからこっちを薦めるぜ』
 話している間にも枝豆の鞘から次々と豆が取り出されていく。その器用さは夕餉に見た日本号の姿を連想させて、俺は背筋を伸ばして首を振った。
 どちらも日本号なので連想するのは仕方ないにしても、この場面で思い出すのはいただけない。折角落ち着いてきた羞恥心がこみ上げてきそうで、せめてもの抵抗だと文机に額を擦り付ける。しかしまだ記憶に新しいそれは容易く誤魔化されることなく、脳裏にはお猪口を自分の方へ傾ける日本号の姿がちらつく。それはどんどん鮮明になっていき、想像の中の日本号が俺を見て笑いかけた。
『次は……、…だ。まず……』
 微かに聞こえる日本号の声を借りて、脳内の日本号が何かを言ってくる。それは聞き取れなかったが、羞恥心を煽るのには十分なもので、俺は配信が終わるまで顔を上げることができなかった。


   ◆◆◆


 日が短くなってきても暑さは続き、帰城した第一部隊は真っ先に食堂へ向かう。その足取りの真っ直ぐなこと、誰として主のいる執務室に向かうことはなく、傍らで掃除をしていた俺は思わず部隊員の一振りである南泉一文字を呼び止めた。
「なんにゃ」
 呼び止めたというのに南泉の歩みは止まることなく、俺は並び歩いて奴を足止めしようとする。
「なんにゃじゃない。帰城した部隊は先ず主へ報告しに行く義務があるだろう」
「それなら大丈夫だ。こっちに戻る前にこんのすけに連絡した時、帰城したら直ぐに水分補給するようにって主から言われたんだ。ねっちゅうしょう、という病気だったか。あれになるかもしれないから報告より先に休息を取れって」
 ここひと月ほどラヂオでも熱中症予防の呼びかけが流れていたな。人間の肉体を持っている以上刀剣男士も気をつけなければならない夏の病であり、この本丸でも注意を促されているものである。
 幸いにもここではこれまで熱中症になった男士はいないが、自覚症状が出てくる頃には手遅れの場合もあるという。刀剣男士となれば死ぬことはないが、それでも数時間起きられないほどの重症となるだろう。
「南泉君、お茶の用意が出来たから早くおいでよ!」
 食堂からひょっこりと顔を出した燭台切がこちらに向かって手招きしてくる。そして南泉の隣に俺の姿を認めると、人の良さそうな笑みを浮かべた。
「長谷部君も一休みしないかい? 屋内であっても定期的な水分補給は必要だよ」
「まだいい」
「そう言わずにさ。今なら日本号君お手製の糠漬けもあるよ」
「日本号……?」
 唐突な日本号の名に思わずそれを口にしてしまうと燭台切の笑みが深まった。しまった、ここで反応すると断りにくくなる。そう思うが先か、燭台切は俺の傍へ素早く近寄ると背中を押してきた。
「そうそう。日本号君が作っている土佐鷹茄子の糠漬けなんだけど、これがさっぱりして美味しいんだ。お茶とすごい合うから是非食べてほしいなあ」
 この話を聞いたら勿論食べるよね? そんな嫌みたらしいことをこの燭台切は言わないし、そんなことを微塵も思っていないのはわかっている。嫌味でもなんでもなく、ただただ「美味しいから食べてほしい」という純粋な気持ちからこんな話をしているのだ。
 良い奴なんだこいつは。だからこそ背中を押す手が強引なものではないのに俺は抗うことが出来ず、あっという間に食堂へと連行されてしまった。
 食堂には既に何振りかの男士が席についている。
「南泉遅かったけどどうかしたの?」
「いんにゃ、何でも」
 南泉に続くよう席につくと、すぐさま目の前に冷茶と小鉢が置かれる。小鉢にはつるりと光る茄子が数切れ乗っていた。
 これが日本号が作ったという茄子漬けなのか。見た目は何の変哲も無い茄子漬けだが、それを作ったのが日本号というだけで特別なものに思えるから不思議だ。
 しかし何故糠漬けなんて作ったのか。そう疑問を抱いたのは一瞬だけで、つまみ目的だと直ぐに気付く。塩気があって保存も利くとなればつまみとして優秀だ。
 だが糠漬けとは管理が面倒だと聞いたような気がするのだが、そこのところは奴にとって些細なことなのか。それに面倒というのも聞いた話なので、俺が知らないだけでそこまで手間ではないのかもしれない。
「うまかあ。これ本当に土佐の茄子っちゃ?」
 どこか博多に似た訛りで誰かが声を上げる。それは食卓を挟んで斜め向かいに座っていた豊前で、奴の隣に座っていた篭手切も同じように声を上げた。
「林檎みたいな甘さもありますね。土佐鷹は癖がなくて食べやすいと以前桑名から教えてもらいましたけど、評価に違わぬ味わいですね」
 茄子漬けにしては奇妙な感想に俺は水分補給もそっちのけで箸を手にする。一口大の茄子をひと切れ。記憶する糠漬けよりも明るい色合いに浅漬けにも見えたが、口元へ寄せるとつんと糠の臭いがして、これは正真正銘の糠漬けであると知れた。
 手製の糠漬け、漬け方次第では色合いも変わってくるのだろうか。青みが映えるそれを口へ放り込み咀嚼すると茄子漬けにしてはしっかりした歯応えを感じ、思わず小鉢の中を確認する。しかしそこにはどう見ても茄子しかなく、今食べているものがどんなものなのか確かめるようゆっくり咀嚼を再開する。歯応えは胡瓜に似ているが味は確かな茄子のものである。そして塩味は漬物にしては仄かなものであり、共に篭手切の言う「林檎みたい」な甘さを感じた。
 ……これは茄子かもしれないが、俺の知っている茄子と違う気がする。土佐鷹と言ったか、その種は甘みが強いのだろうか。これはあんな奇妙な感想になるというものだ。それでも糠の塩気と茄子の甘みの組み合わせはとても合い、箸と口が止まることを知らない。それは他の男士も同様なのか、いつの間にか黙々と茄子漬けを食べている。
「日本号君の糠漬けはどうだい?」
「はい、とても美味しいです!」
 燭台切の問い掛けに篭手切が眼鏡の向こうの瞳を煌めかせて応える。
「でしょう? 今回が初めての糠床だっていうんだけどあまり塩辛くなくて美味しくてさ、お裾分けで貰ったんだけど僕だけで食べるのも惜しくてこうして出してみたんだ」
「これが初めてなんですか? 味が安定する前に失敗する方もいると聞きますけど……」
 どうやら俺の認識は合っていたらしい。糠床作りがどれだけの難易度かはわからないが、そう簡単にできないものであるのは確かなようだ。
「料理の一手間が苦にならない性分なのかな……流石は日本号さん、よくおつまみを自作しているだけありますね」
 篭手切の一言に黙って茄子漬けを食べていた俺はついその口を止めてしまう。
 時折つまみを自作しているようであるのは察していたが、そこまで交流が深いとは思えない篭手切が知るほどあいつは料理をしているのか。薄らと予感はあったが、日本号という刀剣男士自体料理好きなのだろうか。知っている日本号はここの本丸の奴と配信の日本号しかいないので断定はできないが、基から酒を嗜む性分だっただけに食関連も凝るのかもしれない。
 日本号が料理好きであることについて不確かなことだというのに、奴について少し知った気分になってむず痒くなってくる。もしかしたら俺の勝手な思い込みかもしれないのに。そうわかっているからこそ気持ちが落ち着かなくなってきて、俺は残りの茄子を一気食いしてはそれをお茶で流し込んでしまった。
「……」
 茄子漬けがなくなった皿を見て、ほんの少しだけ胃の心地悪さを覚える。胃袋は結構丈夫な方だが、漬物数切れでこうなるとは……口当たりが良くても塩気が多かったのだろうか。
 労るよう腹を擦りつつお茶を飲んでいると、ばたばたと慌ただしい足音が聴こえてくる。この重さは打刀か、太刀もあるだろうか。少し重量あるそれは徐々に大きくなり、足音の主の目的地がここだと気付くと同時に白い塊が転がり込んできた。
「光坊いるか!」
 ばさりと鳥の羽根のようにはためく白い袖に、反射的に立ち上がってしまう。
「鶴丸! 貴様は年長者だというのにその落ち着かなさはなんだ!」
「やあ長谷部、これには深いワケがあってだな」
「深いわけだと」
「鶴さん、僕に何か用?」
 詰め寄ろうとした俺の前に、まるで宥めるように出てきた燭台切が鶴丸へ声をかける。勢いを殺された俺は口を閉ざすのに反して、鶴丸は食堂に入ってきた勢いそのままに燭台切へ話しかける。
「先月購入した手持ち花火の残り、光坊が保管していたろう? そいつを出してくれないか」
「良いけど……今? まだ昼間だけど花火なんて使うのかい?」
「使うのは夜なんだが、今見せてほしいんだ。今夜、来派と粟田口の連中がそれぞれ残った花火を持ち寄って花火大会しようと計画していてな。それを聞いて、俺達が余らせた花火も使ってもらおうと思ったんだ」
「それで、出してほしいと来たんだね。ちょっと待ってて、部屋にある筈だけど……」
 食堂を出る燭台切に追いかけるよう鶴丸が続く。すると茄子漬けを食べていた南泉が呼び止める。
「あの、一文字の部屋にも花火あるんだ。それも使ってくれないか、にゃ」
 南泉の後ろにいる山鳥毛と、最近顕現されたばかりの日光を思い出して、一体誰が買ったのかと先程と違う意味合いで言葉が出ない。まあ……あんな見た目だが、刀剣男士は好奇心旺盛な奴が多いから一文字の連中も案外花火をするのかもしれない。かつて黒田に在った日光も「季節の娯楽」だと南泉のために用意しそうな質だと考えると、購入理由はいくらでも出てくる気がする。
 俺がそんなことを考えている内に話は徐々に盛り上がっていき、気付く頃には本丸全体が参加する大きな花火大会へとなっていっていた。


 火花の音と共に短刀達の叫び声が庭に響く。
 夕食後、すっかり暗くなった夜空の下、予定されていた花火大会が開催された。参加者は遠征部隊を除いた全男士で、庭から縁側にかけて花火を楽しむ者で賑わっている。
「こら、花火を振り回したら危ないぞ」
 危ないと言いながらのんびりした声音で呼びかけるのは大般若で、蛸の絵型花火を手元でくるりと回している。
 短刀連中と比べて控え目だが、彼奴の動きも少し危ない気がするんだが。まあ、周囲には誰もいないし何かあっても大般若が火傷をするくらいだから俺は何も言わないでおく。
 大掛かりな花火大会になったため結局は新たに手持ち花火を買い足したそうだが、全く興味のない俺は縁側から少し離れたところで花火を楽しむ連中を眺める。自分でもやってみれば少しは楽しい気分になるのはわかるのだが、時期的に今年最後の花火になりそうだから興味がある者が優先的に楽しんだ方が良い。
 これも付き合いと参加しているが、もう少ししたら自室に戻ろうか。眺めているだけでつまらないというわけでもないけれど、俺が居なくても皆は楽しんでいるようだからな。
 いつ頃部屋に行くかと考えていると、首の後ろにひやり冷たいものが触れてくる。予告なくやってきた刺激に文字通り飛び上がる。
「……っ!」
「ははっ、流石のお前さんも驚くもんか」
 よく知った声に驚きの念が失せて微かな怒りが湧き、その声の主がいる方へ拳を振り回す。しかし拳に全く手応えがなく、思いっきり空を切った。
「折角の花火大会にどうしたんだ」
「貴様のせいだ」
「そいつは悪かったな」
 言いながらどっかりと無遠慮に俺の隣へ座ったのは日本号で、その顔は全く悪気ない様子で笑っている。近くにはこいつ以外いない辺り、俺を驚かせたのは日本号に違いない。
「花火してねえなら手が空いてるだろ。旨い爽酒があるから付き合え」
 目の前に出されたのは日本号の手中に収まりそうなくらい小さな硝子杯で、仄かに酒の匂いがする。だが、いつも日本号が飲んでいるようなものとは違う爽やかな匂いで、思わず杯に鼻を寄せる。その行動を「飲む」と判断したのか、杯を手元に押し付けられる。
「酒だけじゃ足らないというなら、つまみもあるぞ」
 そうして差し出されたのは小鉢に乗った豚肉だった。一口大に切られたそれは適度に焼き色がついており、見るからに美味しそうで凝視してしまう。
 夕餉はしっかり食べたのだが、食後に酒を片手に腹の足しにならない程度につまむ誘惑はなかなかにくる。それに、日本号からの誘いを断る理由は特にない。
「……一杯だけなら。それ以上飲みたいなら他の奴を誘え」
「あんた以外、花火に夢中でな」
 俺以外誘えそうな奴がいなかったということか。確かに花火で盛り上がっている奴と縁側から離れて周囲を眺めているだけの奴がいたら、俺でも後者に声を掛けるだろう。わかりやすい理由に納得した俺は肉をひと摘み口へ放り込む。噛みしめると少し塩辛めな味付けで自然と酒を口へ運んでしまう。きゅっと酒を飲み込むと塩気と豚脂のくどさが流れていったように、口内が酒の旨みでいっぱいになる。あまり酒は詳しくないが、これは絶え間なく飲めてしまうやつだ。
「改めて聞くが、花火はいいのか?」
「お前こそ酒につまみに手を塞いで。折角の花火、一本でもしないのか」
 少なくとも、俺よりはこういう季節のものを楽しむ性分だと思ったのだが。短刀達のように噴射する花火に歓喜することはなくとも、線香花火の散り菊を愛でる姿は容易く想像できる。
「今夜は飲む方を優先したいんだ。それに、風に乗って流れてくる火薬の匂いで一杯するだけでもなかなか良いもんだぞ」
「そんなものか」
「そんなもんさ。さあ、残り僅かな夏の夜に乾杯」
 既に杯へ口をつけて始めているのに乾杯して良いものなのか。杯を掲げるのを躊躇していると、日本号が持っていた杯が近付いてきて、それが俺の杯にかちりと合わさる。
 こういう時、構わず乾杯して良いのか。難しく考えることはなかったのだとほっと一息つく。
 では乾杯も終えたので二口目に行こうとすると、日本号が存外に近くにいることに今更気付いて杯を落としそうになってしまった。


 日本号から貰った一杯を終えてほろ酔い気味に部屋へと戻ると、文机の上に乗っているタブレット端末がちかちかと光っていた。それは通知が来た時に光るもので、この時間帯の通知とくれば大概は日本号の配信だと予想できて俺は素早く端末の画面をタップする。
 通知表示すれば予想に違わず配信を知らせるもので、早速動画プレイヤーを起動した。
『今日も始まったぜ、日本号のちょい呑み配信。今日は豚の粕漬け焼きを作る』
 日本号の声と共に、動画プレイヤーに材料らしき食材が並べられた厨が映し出される。どうやら花火をしている最中に配信があったようで、俺はほっと息を吐いて文机に向かって座り込む。前回の配信は暫く集中して観られなかっただけに、こうして一息ついたところで配信を視聴できるのは有り難い。
『今回粕床を使うが、粕床が無い奴はただの酒粕を代用してもいい』
『きっと粕床持ってる人の方が少なかよ』
『俺はあるぞ』
『最近おいしゃん「漬け」にハマってるけんねえ。今日使うのも、この間作った粕床使うん?』
『応よ。作ったからにはどんどん使わねえとな』
 漬けとは。うちの日本号は糠漬けだったか、流行か何かなのか。野菜の旨い時期、漬物にすると良いものばかり揃うだけに作る奴が多いのだろうか。
『先ず粕床ひと握り、味噌と味醂大匙いち、砂糖小匙いちをボウルに入れて混ぜ合わせる』
『おいしゃんのひと握りはどれくらいと?』
『んん……大匙四くらいかね』
 用意されていた全ての調味料がボウルに投入される。その中のひとつに見慣れない白いものがあったが、あれが粕床というものだろうか。それらが木篦で丹念に混ぜられると、日本号の手が分厚い豚肉が乗った皿を引っ張ってくる。
『今混ぜたもんに豚肉を包むように満遍なく広げると冷蔵庫で五時間程漬ける』
『ということで今日の差し替えたい!』
 博多の小さな手が画面端から平皿を差し出してくる。その上にはラップフィルムに包まれた肉らしきものが乗っている。それを日本号が受け取って一旦傍へ置くと、フライパンに火をかける。
『あとは漬けた肉を焼くだけだが、焼く前に肉に塗ったもんをしっかり拭い取れよ。このまま焼くと食えない程塩辛くなる上に焦げるからな』
 フィルムから肉を取り出すとそれを水でざぶざぶと洗い始める。大きな手が珍しく豪快に肉を洗い、あっという間にまとわりついていた調味料が洗い落とされていく。その肉は紙でしっかり水気を拭われるとフライパンへ投入される。途端にじゅうと焼ける音が聞こえて、食欲をそそられた視聴者のコメントで溢れる。
『最初蓋はせずに弱火で二、三分程焼き、表面に焦げ目がついたらひっくり返してまた二、三分焼いて蓋をして火を止めて余熱で三分置いて完成だ』
『下拵えに時間かかるけどあとは焼くだけ、今回は簡単に仕上げたんやね』
『まあ、それだけ粕床が優秀だってことだ』
 顔は見えないが、肉が焼ける音の合間微かに鼻で笑ったような音が聞こえた。もしや得意げに笑っているのだろうか。その顔は想像して笑ってしまっては、誰が見ているわけでもないのに口元を押さえる。
 誰も居ないが、誰も居ないからこそ笑っていては奇妙だからな。こほんと咳払いをひとつ、配信へ再び集中する。
『優秀なのはわかるけど……粕床だけじゃなか糠床まで作ってなんかあると?』
 なんだ、この日本号も糠床を作っているのか。糠床は手間がかかるとは昼間のやり取りでよくわかったが……ふたつも管理して大変ではないのだろうか。
 しかしつまみのために下拵えが出来るのだから、配信の日本号にとってはそう手間ではないのかもしれない。俺には到底出来ないな。食べるのは好きだが、そのために手間をかけるのはあまり気分が乗らない。
『なんかって、まあ、すぐに出せるつまみが一品くらいあれば、誰かを誘って飲む時に楽だと思ってな』
『ふうん?』
 博多がまだ何か言いたそうな声を出す。それは幾人かの視聴者も同様なのか、追及するようなコメントがちらほら見られる。
 だが日本号があっさり反応を変えるようなことはなく、話は続くこと無く焼かれた豚肉が皿へよそわれる。
『こいつには何でも合うが特に爽酒が合うな。もし手元にあるなら合わせてみてくれ』
 ああ、これはこのまま終わる流れだな。それは博多もわかっているのか追及の言葉はなく〆の挨拶を述べる。そして日本号も何もなかったかのように挨拶をすると、動画プレイヤーに薄らと自分の顔が映った。それは配信が終わって画面が暗くなったのだと気付き、文机にタブレット端末を置いた。
「漬けか」
 すぐに出せるつまみが一品くらいあれば。と日本号は言った。そして俺もそれ以上の理由が思いつかない。だが、何か引っ掛かりを覚える気がして俺は思考を巡らせる。
 しかし残念かな、漬物は専ら食べるばかりの俺には思いつくことは特にない。あったとしても昼間に食べた茄子漬けの旨さで、俺は唸りながら首を捻るしか出来なかった。


2023.04.16 22:48


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