保護

日本号のちょい呑み配信2



 目の前に広がるのは見事な藤。その下では短刀達が歓声を上げながら花を楽しんでいる。
「やっぱり藤の景趣は壮観ね」
 隣に並び立つ主がまるで眩くものを見つめるように目を細める。
 本丸を出れば汗ばむこともある初夏の兆しに、季節の移ろいを大事にする主は藤の景趣を設定した。前日まで庭を彩っていた桜とはまた違う藤の香りは甘ったるくて、俺は思わず言葉を詰まらせる。しかし幸いにも主は俺の異変に気付いていないようで話を続ける。
「陳腐な感想になるけど、この時期に咲く花はどことなく憂いを秘めた色気があって良いのよねえ」
「そうですね」
 そうなのだろうか。藤を見ると何よりも先に思い浮かぶものがあるだけに、残念ながら主の言う憂いや色気はよくわからない。藤というものは綺麗でありながら力強く成長してゆく繁栄の象徴、少なくとも憂いとは正反対な印象を抱いている。
 主に失礼ながら別の話題にならないかと願っていると小さな苗をいくつか抱えた村正がやってきた。
「アナタに頼まれていたカシスの苗、持ってきまシタ」
 カシスというのは彼が手にしている苗なのか、その存在を認めた主は喜びの声を上げる。
「ありがとう村正! わざわざ信濃国までお遣いいかせてごめんね」
「huhuhuhu、お安い御用デスよ。育てるのならば知っていると思いマスが、外来種なので種の扱いに気をつけてくだサイ」
「本丸内で鉢植えの栽培にするつもりだし、桑名にも育成法を相談するから大丈夫よ」
「ふむ。アナタひとりでは不安でしたが桑名江が相談役ならば問題ないでショウ」
 そのようなやり取りをして主は村正から苗を受け取ると、大事そうに抱えてどこかへ行ってしまった。多分に先程名が出た桑名のいる江の部屋に向かったのだろう。
 かつて土壌状態を確かめるために土を食んだ桑名を見て以来、作物関連で主が奴を頼る時は素直に引き下がっている。それに、俺は栽培について助言はできないが手伝うことはできる。そちらの面で主を手助けしていくつもりだ。
「――みんな、そろそろ昼餉ですよー!」
 不意に聞こえた一声に顔を上げると、鯰尾が手を振って藤の下にいる者たちを呼んでいる。ゆっくりと藤を眺めていたら、もうそんな時間になっていたのか。今日は非番だったせいか、何もすることがないと時間の感覚が曖昧になっていけないな。
 ばたばたと俺の横を走り抜ける短刀達の後を追いかけるように食堂へ入ると、既に何振りかの男士が席について昼餉にありついていた。その中には日本号の姿もあって、視線を無意識の内にそらしてしまう。
「今日は天ぷらだから来た奴からどんどん持ってってください!」
「遠征部隊が土産に採ってきた漉油とたらの芽の天ぷらだぜ。早く来た奴には針槐樹の花もついてるぞ……おうい長谷部、突っ立っつないで取りに来いよ!」
 皿を両手に厨から出てきた獅子王が声を上げる。明け方に獅子王率いる第四部隊が遠征に出ていたが、彼らが山菜類を採ってきたのか。
「はい、長谷部。塩は食卓の上にあるけど、天汁が良いなら厨にあるから自分で持って行ってくれよ」
 獅子王から天ぷらが乗った皿を受け取って席へ向かうと、よりによって日本号と対面の席が空いていた。別に離れて座ってもいいが、あまり露骨に避けると悪目立ちするだろうか。それにこれから他の男士も食堂へ集まるのを配慮すれば席を詰めた方が良い。
 食卓を挟んで向かいに座ると、既に殆どの天ぷらを食べていた日本号がちらりとこちらを見た。
「なんだ」
「別になんでも」
 素っ気ないやり取りに、どうしてか俺はいつかの日本号の言葉を思い出す。そして、首の後ろがひやりと冷たくなり、周囲の音が一瞬聞こえなくなる錯覚に襲われた。
『お前見るとたまに折りたくなる……黒田家には義理があるんでな』
 向かいに座る大槍にそう言われたのはいつだったか。どこかの合戦場から帰城する途中だったのは覚えている。世間話の延長のような、普段と変わりない声音で言われたそれは、じっくりと胸元に穂先を刺すように逃れられない恐怖を与えた。
 日本号は「折りたくなる」と言いながら、俺の結論を否定することはなかった。
 いっそのこと突き放してくれたらどれだけ気楽だっただろう。諦めたのか、それとも気を遣われているのか。否定しない彼の意図がわからず、俺は出来うる限り日本号を避けて今日に至る。
 極端に鈍感でもない日本号は俺が避けていることに気付いていると察するだけに、顔を合わせるだけでも気まずい。配信で見る日本号はあれだけ何度見ても大丈夫なのに、我ながら現金なものである。
「お前さん、今日は出陣じゃなかったのか」
 俺は気まずいが日本号はそうでもないのか。まさか会話が続くと思わず、返答に至るまで少しの間を置いてしまう。
「非番だ。そういう貴様も、非番じゃないのか」
「今日は第四部隊で短期遠征だった。七つの頃に出てさっき帰ってきたところだ」
 第四部隊といえば獅子王の部隊、すると今食べようとしている山菜のいくつかはこいつが摘んだものかもしれない。ただ、その話を展開させても話が弾むとは思えなかったので、俺は会話を中断して食事を開始する。
 刀剣男士は持ち主に似てゆくのか、季節のものを大事にする主がいるこの本丸ではよく旬のものが食卓に上がる。それを堪能しているためか、俺は他の本丸のへし切長谷部より季節のものに詳しいと自負している。
 だが、漉油とたらの芽に並んで見慣れない天ぷらを目にして箸を止める。衣を纏ってわかりにくいが、どうやら房状の食物らしい。先端に付く白いのは花弁のようにも見えて、形は藤の花に近いもののようだ。
 箸で切り分けて一口食べてみると微かな青臭さと花の香りを感じ、確かめるようにもう一口。味わいから花であることは確定だが、食用花にしては蛋白なもので食べやすい。本丸内では食用花は育てていないし、これも遠征部隊が採ってきたものだろうか。
 じっくり咀嚼しながら天ぷらを味わっていると、いつの間にか食事を終えた日本号がこちらを見つめていた。
「……なんだ」
「別に、なんでもねえよ」
 先程も似たようなやり取りをしたな。そんなに俺を見て何があるのやら不思議で堪らない。
 もしかしたら大した意味はないのかもしれない。俺が意識しているだけで、向かいに俺がいるから目に入るだけとか、そのような些細な理由かもしれない。
 それならば俺は気にせず食事すればいい。日本号の視線を無視してたらの芽を口に放り込むと食べやすいはずのそれは何故か苦く感じられ、俺は思わず眉間に皺を寄せるのだった。

 腹ごなしに陸奥守と手合せをして自室へ戻るとタブレット端末に通知が来ていたようで、ちかちかと光が点滅している。
 非番の昼間、連絡が来ることは稀であるが誰からだろう。まるで見当がつかないまま通知を確認するとそれは日本号の配信開始を知らせるもので、俺は思わず手にしていた端末を落としそうになる。
 いつもは夜の配信なのに誤信か? そう思いながらも手は素早く動画配信アプリをタップして、間もなく動画プレイヤーが表示される。夜に比べて視聴者が少ないのか、いつもより早く読み込み終えた配信にはいつもの光景が映る。
『……酒は好みのもんでもいいが、初心者は焼酎甲類がいいな。乙類だと仕上がりの味が変わっちまう』
『指南書だとホワイトリカー使うとるのはそのためやね』
『だろうな』
 どうやら酒の話をしているようだが一体何を作っているのだろう。説明を求めてコメントを打ち込むとすぐに何人かの視聴者が反応し、コメント欄に『アカシア酒』の名前が並ぶ。
「アカシア酒?」
 アカシアといえば花の名前だが、花の酒を作っているということか? しかしそんなものを厨で作れるとは思えず、俺は配信を見ながら別の通信端末を手元に引き寄せると『アカシア酒』について調べ始める。
『定番はホワイトリカーだが、今回はウォッカで漬けていく。煮沸消毒した瓶にさっきバラした花弁とウォッカひと瓶分、氷砂糖ひと握り入れる』
『おいしゃんおいしゃん、数値で説明しないと』
『うーん……ウォッカは二リットル、氷砂糖は百グラムだ』
 百グラムの砂糖とはそれなりの量の筈だが、あの大きな手に収まってしまうのか。まさかこのような形であの大槍の大きさを認識するとは。
 そんな驚きがあった間にも空いた手はアカシア酒について調べていて、いくつか指南書が掲載されたページが表示される。指南書を確認すれば作り方は簡単なもので、花を酒と砂糖で漬けて作る混成酒のことだった。
 配信の日本号は大きな手で豪快にアカシアの白い花弁を瓶に投入していく。はて、アカシアとは黄色い花だったようだが記憶違いか? こういうものには詳しいと思っていたが、間違えて覚えているとは……まだまだ勉強不足だな。
『材料を全部入れたら軽く混ぜて蓋をする。これで三ヶ月花を漬けたらそれを取り出し、それから更に三ヶ月以上寝かせたら出来上がりだ』
 そうなると半年? 漬かるのに時間を要するのはわかるが、あまりに長過ぎないか。そんな感想は視聴者も抱いたのか、俺と同様のコメントが流れてゆく。
『時間かけてじーっくり寝かせるのが良かよ』
 撮影しつつもミラーリングしているのか、博多がコメントへ返答する。
『果実酒やジャム作ったことあるならわかると思うが、氷砂糖の分量が多いほど漬かるのが早くなる。できるだけ早く飲みたいなら氷砂糖を多めに入れるといい、二百グラムくらいだったら花を漬けるのは一週間ほどでいい』
 俺は甘過ぎるのは飲めないから時間かける方を選ぶけどな。そう言いながら、これで出来上がりとばかりに瓶を画面全面に出す。
『これくらい作るとまあなかなか無くならねえ、仲間内で飲む時にどうぞ』
 仲間内とは、特別愛想が悪いわけではない日本号ならば盃を交わす飲み仲間はいくらでもいるだろう。なかなか無くならないと言いながらあっという間に飲み切るに違いない。
 そう考えると胸に何か引っ掛かりを覚えて、庭にある藤の香りがやけに気になって仕方がなかった。


   ◆◆◆


 がちゃがちゃと、広間に何やら釣り道具が広げられている。それを手にするのは間もなく遠征へ出る脇差部隊で、通りすがりの俺は思わず立ち止まる。
「骨喰ぃ、保冷箱に釣餌入れた?」
「海老粉なら入れた。磯目は鯰尾が持っている」
「磯目だけ?磯目持つなら釣餌全部一纏めに持ってよ」
「……貴様等、これから遠征だというのに何をしている」
「何って、その遠征準備ですよ長谷部さん」
 そんなこと聞いてどうしたんですか? まるでそう言いたげに見上げる鯰尾を始めとした脇差連中に溜息をつく。
「今回は物資運搬の任務だった筈だ。釣り道具は必要ないだろう」
「物資運搬の帰りに釣りに行くと報告受けていないかい?」
「主さんには前もって許可を貰っていたから、長谷部さんなら知っていると思ったんですけど……」
 顔を見合わせるにっかりと堀川が首を傾げる。
 主には朝一に挨拶をして、その後に談話を交えつつ今日の任務を確認した。その時に脇差部隊が朝餉の後に遠征へ出ることも、しっかりと内容含めて確認したのだ。
「現代遠征だから記録に残さなかったのかもしれない」
 首を傾げる二振りの隣にいた骨喰の一言に暫しの静寂の後、それぞれ納得の表情を浮かべた。
 確かに、これから脇差部隊が出るのは現代遠征であった。それと脇差連中が釣りに行くことが報告されていないことにどう結びつくのか、この本丸にいる男士なら安易に想像がつく。
 現代遠征は歴史遡行する遠征と違い、転送ゲートの手続きや予定滞在時間の報告、本部の荷物検査が不要である。これから脇差部隊が行う現代での物資運搬ならば、本部には部隊構成と運搬物の内容、目的地を報告すれば良いだけだろう。つまり遠征目的を果たせば、帰りに寄り道しようが釣りに行こうが主の許しがあれば自由であり、本部への報告は必要がないわけだ。
「主さん、また記録に残していないんですね」
 ただ、報告の必要はないが、本丸内の記録には残してもらわないと支障が出る場合がある。遠征によっては危険を伴うものもある。想定するより帰城が遅くなった場合、事故や奇襲に遭ったと連想する遠征もあるだろう。だが、それも理由あって時間を要していると予めわかっていれば大事に取らない。そのため、記録だけは詳細をしっかり書くよう主に何度もお願いしているのだが……まあ、遠征に出る前にわかったので良しとしよう。
「記録には俺が書き留めておこう。釣りを行う場所と戻りの時間はどう予定している」
「沿岸部の日向港で釣り、昼七つの頃に戻ります」
「了解した。事故には気をつけて、何かあったら執務室かこんのすけに連絡するように」
「はーい」
 部隊と別れると俺は早速執務室へ向かう。ただいま主は会合のため近侍の太郎太刀と共に外出している。普段主が不在の時は近侍が執務室で業務にあたるが、会合となると護衛のため近侍が付き添う。そのため今は太郎の代理がいる筈だ。
 誰が代理か知らないが、主不在ならば執務室に遠慮なく入ることができる。
「失礼する」
 執務室の扉を軽く打つと、小さく低い声が「どうぞ」と返ってきた。その声は誰のものかわからなかったが、何やら悪い予感を覚えつつ入室する。すると目の前一杯に大きな藤巴が出迎えたので、入室のために進めた足がぴたりと止まった。
 そんな俺に振り返ったのは藤巴を背負った日本号だった。よりによってこいつが代理なのか。奴も訪れたのは俺だと気付いていなかったのか、振り向いた瞬間身構えるよう背筋を伸ばした。
「……あんたか。主も近侍の太郎太刀も不在だぜ。伝言があるなら受け付けるが、直接会って用を済ませたいなら入相の頃に来るんだな」
「遠征記録を修正するだけだ」
 近侍用に設置された文机の上に乗る端末機を立ち上げると、遠征記録を取り扱う項目を選択する。
「おい、無断で弄っていいのか」
「脇差部隊が帰りに釣りに行くというのに記録されていないのだ。後々大事になるより、勝手に書き加えて小言を言われる方がマシだ」
「そんなもんかねえ。本丸に残るお前さんが釣りに行くこと知っているなら、別に問題ないんじゃないか」
「皆が確認できる遠征記録に書き留めておいた方が、何かあった時に脇差部隊の行方をいちいち説明するより手間にならないだろう」
「まあ、そりゃあそうだな」
 小言を言われるとはあったが、主は記録物に関心が薄いので脇差連中とここで会った日本号が何も言わなければ気付くことはないだろう。主にはもう少しだけでも良いから関心を寄せてほしいものだが、細かいことを気にしない大らかな性分がそうさせているのだから仕方ない。
 手早く加筆を終えて端末機の電源を落とすと、退室のため踵を返す。
 目的は達成された、ここには日本号しかいない。急ぎの用事はないが長居して良いことはまずないだろう。しかし日本号はそう思っていないのか、まるで俺の行き先を遮るように目の前に立つ。
「なんだ」
 どけろと言う代わりに見上げると、奴の眼差しは避けるように明後日の方へ向かう。そうして小さく唸りながら顎を擦るので、らしくなさを覚えてしまう。そのらしくなさは俺を足止めさせるのには十分なもので、思わず日本号の次の行動を待ってしまう。
「あんた、ちょいと茶を飲む時間でもあるか」
「茶を飲む時間? 時間があったら何なんだ」
 時間があるかと言われたらある。だが、俺に時間があったところでこいつとどう関係あるのだろうか。そんな疑問からの返答に、控えめに話していた日本号の口が「へ」の字の形になった。
「別に、なんでもない。聞いただけだ」
 なんでもないような口には見えないが。そう言ってやりたくなったが、ここで思うがままに言って話が下手に進展しても退室の機会を逃す可能性がある。幸いにも日本号は「なんでもない」と言っている(顔は何か言いたげだが)ので、会話を終えるには良い場面だ。
 離れるなら今だ。俺は日本号の大きな体の横を通り抜けると、少し歩みを早めて自室へと戻ったのであった。

 
 日付が変わった頃、布団の中でうとうとと眠りの淵を彷徨っていた俺の耳に「ぽん」という音が聴こえた。それは聞き間違えることのない日本号の配信通知を知らせる音で、眠い目を擦りながら暗がりの中でタブレット端末を探す。画面の明るさに瞬きしながら通知を確認すれば、そこには『日本号のちょい呑み配信』の文字があった。
 これまでどんなに遅くても深夜の配信はなかったというのに、どういう風の吹き回しだ。
 布団の上でだらりと寝転がりながら動画プレイヤーを再生すると、いつもとは少々違う光景が映し出される。
『遅くにこんばんは、日本号のちょい呑み配信だよー。撮影者はお眠な博多に代わり次郎さんです!』
『どうも、日本号だ』
 気怠げな日本号の挨拶と共に大きな手が力なく振られる。それはいつもと違って俯瞰から撮影されており、撮影者が博多より随分大きい次郎太刀であるのが知れる。
『それで、今日は何を作りますか日本号大先生』
『俺ぁ大先生じゃなく正三位だ』
『では正三位の日本号さん、今日は何を作るの?』
 この、いつもとどこか違うやり取りは何だろう。深夜配信といい何か違和感を覚えるが、その違和感の正体が掴めない。すると深夜だというのに流れの早いコメントが『酔っ払いか』と突っ込んでいるのに、違和感は酔いから来るものだと気付く。
『今日は豆腐の味噌汁だ。材料は豆腐、出汁、味噌。以上だ』
『出汁と味噌はともかく豆腐だけ? わかめとか玉葱は?』
『呑みの〆にするんなら豆腐だけで十分だ』
 成程、今日は飲んだ後の配信だからこの時間になってしまったのか。そうなると奴等が酔い気味なのも頷ける。
『鍋に適当な量の水を用意したら続けて出汁を入れる。顆粒の場合は水が十分に温まってから入れた方がいいかもな』
 そんな説明をしながら日本号は水の入った鍋に、不織袋に纏められた出汁を投入する。
『これが福岡の茶商が作ったっていう特製出汁?』
『そう。隠し味に八女茶が入っている』
 八女茶とは、輸出品としても人気の高かったあの八女茶だろうか。今の時期ならば新茶も出回る頃、それを隠し味に使うとはなかなかの贅沢品ではないか。
『出汁を三分煮出したら取り出して味噌を溶く』
 贅沢な品であっても出汁は出汁なのか、鍋から取り出された不織袋は小皿に乗せられると端へ寄せられた。
『特製出汁なら煮付けとか、もう少し凝ったものに使えば良かったのに』
『特製出汁だから味噌汁に使いたいってもんだ……次は豆腐を適当な大きさに切る。そこんとこは好みだから大きくても小さくてもいい』
 日本号の手に乗った豆腐は危なげなく均等な大きさに切られてゆく。話しぶりは酔っ払いの片鱗を見せたが、もしかしたらあまり酔いは回っていないのかもしれない。
『豆腐を入れたら沸騰しないように注意しながら温めて出来上がり』
『いやあ、豆腐だけの味噌汁に特製出汁使っちゃうあたり正三位だよねえ』
『褒めたって何も出ねえぜ』
 映し出される味噌汁に、眠気の合間から食欲が顔を覗かせる予感を覚える。まだ夜は肌寒く感じるこの季節、温かな味噌汁は非常に美味いのは明らかなだけにそそられてしまう。
『あるでしょ、とっておきのネタがさ。それ出してくれないわけ?』
 画面が傾き、画面端に一瞬だけ日本号の顔が映る。それは俺が知る日本号と同一のもので驚いたが、刀剣男士なのだから見目の個体差がないのは当たり前だと思い直す。
『とっておきのネタ?』
『この特製出汁、万屋向かいの茶葉販売店で茶葉買わないと貰えない非売品。つまりはお店で茶葉を買ったってことでしょ……どうして茶葉なんて買ったのか教えてほしいなって』
 アンタ、茶を自分で淹れて飲むタマじゃないでしょ?そう続けた次郎の言葉に、日本号が画面外へ引っ込んでしまう。それは誰から見ても「逃げた」とわかる行動で、コメントがざわつくように流れが早くなる。
 確かに日本号は自分で茶を淹れたり、誰かに茶を淹れてもらうために茶葉を購入するような奴とは思えない。茶葉を買う金があるなら、酒瓶一本買うだろう。
 それがどうして茶葉を買ったのか。次郎が疑問に思うのは理解できる。
 だが、それでどうして日本号が逃げることになるのか、コメントがざわつくのかよくわからず、俺は暫くだんまりと端末を眺めていた。

 
 突然耳に飛び込んできた煩わしい音に苛立ちを覚えると、それは起床時間を知らせるアラームだと気付く。窓を見ればすっかり外は明るくなっている。
 いつ頃寝てしまったのか。すっきりしない頭のまま枕元に投げられていたタブレットを片付けて身支度をする。今日は巳の刻を迎える頃に出陣する予定のため、あまりのんびりはしてられない。
 着替えを終えて洗面所へ向かうと、立派な寝癖を拵えた博多と鉢合わせした。
「おはよう博多」
「おはようしゃん……今日は一緒の部隊やね、ふぁ」
 博多は大きな欠伸をひとつ、目をしきりに瞬かせる。
「眠そうだな。夜更かしでもしたか」
「今日は早かことは決まっとったと。だから早寝したっちゃけど、夜中じろしゃんに起こされてしもうた」
「じろしゃ……次郎太刀か。就寝しているような時に何の用があったんだ」
 博多が寝ているのは粟田口が集まる大部屋、そこから次郎の自室はかなり離れていた筈だ。少なくとも目的がなければ次郎は訪れないに違いない。
「ううん。それが眠うてよう覚えとらんばい」
 いち兄がすぐ追い返してしもうたし。続いた一言に、にこやかな顔のまま次郎を追い返す一期一振が安易に想像出来て、なるほどと納得する。一期のことだ、訪問した理由が急用でない場合は博多の睡眠を優先するだろう。それなら次郎が訪問したのは些細な用件か。
 追求するほどではないかと手早く身なりを整えると博多と共に食堂へ移動する。既に数振りの男士が食事を始めており、その中には本日同部隊になる者もいた。
「おはよう長谷部に博多。今朝は先着二十振り限定で鯵の大葉巻きがあるよ」
 朝餉の当番らしき歌仙が厨から手招きしてくる。限定二十振りとは、百振りを超える刀剣男士が在る本丸の食事にしてはあまりに少ないな。こういうものは稀だが、何か訳ありのものだろうか。
「もしかして昨日釣った鯵と?」
「そうそう。脇差部隊の釣果が良くてね、こちらにもお裾分けが来たんだ」
 脇差部隊と聞いて、釣り具が並ぶ広間の光景を思い出す。脇差部隊が任務帰りに釣りへ行ったこと自体知っていたが、しっかり釣果を出していたのか。そうか、脇差部隊が……それを知ると六振りで自分達の分け前とは別に、二十振りが食べられる程の鯵を釣ったとは大漁ではないか。
 感心に似たものを覚えていると、既に一揃いの食事が乗せられたお盆を渡される。
「はい。冷めない内にどうぞ」
 朝にしては心なしか多い品数に、にやりと口角が上がってしまう。食について興味関心はそれ程あるわけではないが、出陣前の食事が豪華だと士気が上がるというものだ。
 誰だったか、本丸での食事が美味いと言葉ではない激励や労いを感じるなんて話していたな。一体誰が話していたのか思い出せないが、今しがた覚えた心境なのかもしれない。
 成る程と納得しながら席につくと早速食事にする。
 さて、鯵の包み焼きとはどれか。主食と汁物に漬物と見ていき、平皿に乗る大葉に包まれた肉のようなものに目が留まる。肉のようだと思ったが、大葉巻きというからこれが探していた鯵か。
「うまかぁ、旬の走りとは言うたもんばい」
 鯵を食べようとした矢先、隣の博多が声を上げる。
「鯵は年中釣れるんじゃなかったか」
「長谷部ん言う通り鯵は年中釣れるんばってん、初夏から美味うなるばい」
 そうか、旬とはそういうものか。魚によっては秋口が美味いものがあったが、鯵の旬は夏頃なのか。
 旬を意識しながら大葉巻きを頬張る。大葉特有の癖のある風味を感じたかと思えば、魚の臭みと旨みに口元がにやけそうになったので、誤魔化すように米飯を口へ放り込む。
 うまい。どうしてこうも風味の強い食物と魚の組み合わせは美味しいのだろう。茗荷と鰹、鰯に梅干し、臭橙に白身魚……鯖と生姜もいいな。思い巡らすだけで直ぐに色んな組み合わせが浮かび、再び大葉巻きを一口食べる。
「うまい」
 鯵には大葉か、覚えておこう。わざわざ覚えようとしなくても忘れることはなさそうだが、こういうのは意識するのが大事だ。
 大葉巻きを堪能し、ようやく他のおかずに手を付ける。今朝はポテトサラダに青菜と鶏の卵とじ、胡瓜と人参の浅漬けだ。夕餉と比べると控えめだが、毎朝よく用意するものだと感心してしまう。
 食事は好きだが作るとなると別だ。自分が料理番になってもこのような朝餉を作る様は全く想像出来ず、ゆっくりと朝餉を堪能しながらこれからの任務に向けて考え巡らせていった。

 太陽が頭上高く昇る頃、任務を終えて帰城する。
 今回の任務は厚樫山防塁破壊を計画する時間遡行軍の迎撃。本丸から離れた時間は僅かながら、現地には一週間程滞在する勤務だった。長い任務になると滞在期間が十年を越えるものもあるのでまだ短い方ではあったが、現代の生活に馴染んでしまった俺含む部隊員は本丸に戻ると安堵の溜め息を吐いた。
 刀剣男士という性質上、戦闘に身を置くことに心地良さすら覚えることもあるが、人に近い肉体は快適な居住空間や食事が恋しくなるもので、主へ戦果報告へ向かう部隊長以外の面々は自室や厨へ直行する。そんな姿を見ながら、今回部隊長ではない俺は取り敢えず自室へ向かうことにする。
 これから本丸でどう過ごそうとも、まずは風呂に入って体を綺麗にすることにしよう。任務先では二、三日に体を拭く程度しか身を清めることができなかった。潔癖の気がなくとも体の不潔さを覚えるというものだ。それに、本丸にいれば主と鉢合わせすることもある。報告など優先することがない限りは綺麗な姿で対面したいところだ。
 足早に自室へ向かっていると、不意に鼻に届いた臭いに歩みが緩まる。生臭いこの臭いは魚のようなもので、一体どこからだと周囲を見渡す。しかし今いるところは厨から離れた大部屋が並ぶ廊下、魚と無縁の場所である。
 それなら他に何かあるかと考えても思いつかず、十中八九魚の臭いで間違いないと思うが……いや、この生臭さが魚のものだったとしても少しは気にする者はいないのか。
 刺激臭という程ではないにしてもあまり良い匂いとは思えず顔を顰めていると、一緒の部隊だった博多がやってくる。
「臭か!」
 俺の近くまで来たところで、大きな目を更に大きくして叫ぶ。周囲に誰も居ないので俺ばかり気にしているのかと思っていたが、どうやら博多としても異様な臭いのようだ。
「帰ってきて早々聞くのもあれだが、一体何の臭いか心当たりあるか」
 大部屋の並ぶ廊下というのもあり、粟田口の大部屋もすぐ近くにある。少なくとも俺よりは臭いの原因がわかるかもしれない。そんな考えで尋ねれば、博多は思い当たるのかすぐに「ああ」と声を上げる。
「この臭いはきっと鯵の味醂干しばい。出発前にずお兄が味醂に漬けた鯵ば干すて言いよった」
「鯵、」
 出発前に鯵を食べたことを思い出す。あれは確か脇差部隊が釣ったものをお裾分けしてもらったと聞いた。すると自分達で調理して食す鯵もあるということで、自室の軒先下に干される鯵を想像して合点がいく。
「もし粟田口の部屋で鯵が干されていたら、よく換気するよう伝えてくれ。干すこと自体は良いが、廊下まで臭うのは近場の者に迷惑だろう」
「そうやね。よう言うとくばい」
 部屋へ向かう博多を見送り、徐々に薄まる魚の臭いを感じながら自室へ戻ると手早く着替えを用意して浴室へと移動する。そうして念入りに洗身して湯浴みを終えると任務での緊張が解けてきたのか、眠気を覚えて欠伸が出てしまった。
 任務中も体調に支障が出ない程度に休息を取っていたのだが、本丸で休むのに比べるとどうしても疲れが溜まりやすいのだろうか。任務終わりもあってこれからの予定はないので自室へ戻り次第寝ようかとも思ったが、あまり早い時間に寝ると後々調整が面倒だ。早く寝るにしても夕餉時にした方が良いな。
 浴室から廊下へ出ると空を仰ぎ見る。陽は西側へ傾いているが、まだ空は青くて昼と断言して良い明るさだ。丁寧に湯浴みしていたが然程時間を要していなかったのか。
 さて、そうするとどうやって眠気を誤魔化そうか。ならば読書でもするかと一瞬考えて、腰を落ち着けて静かにするより手合せで体を動かした方が確実に眠気が飛ぶと判断し、踵を返して手合せが行われている道場へ向かう。
 毎日道場には誰かしらいるものだが、今は誰がいるだろうか。道場に居そうな男士の予想をあれこれ考えながら道場に到着すると、鶯丸と大包平の古備前二振りが向かい合って床に座り込んでいた。その内の鶯丸は俺に気付いたのか、ひらりと片手を振ってくる。
「やあ長谷部、手合せに来たのかい。どれ、休憩している俺達は除けるから遠慮なく使ってくれ」
「それが相手がいなくてな。誰か居れば手合せ願おうと思ってここを伺ったんだが、どちらか俺の相手をしてくれないか」
 申し出に二振りが顔を見合わせた後、大包平がすくりと立ち上がる。
「ならば俺が相手になろう」
「休憩中にすまない」
「なに、この大包平は手合せなどでそうそう疲弊しない。労りから油断するなよ」
「配慮はすれど、遠慮する気はない」
 にやりと笑った大包平に、先程までの眠気が覚めて周囲が静かになったような気がした。俺は備え付けの木刀を手にすると、大包平から少し離れた位置でそれを構えた。
 太刀と打刀、武器としての性能差はあまりない。戦い方は俺とそう変わらないだろう。三日月や鶴丸のようにひらりと舞うよう剣を振るうものもいるが、以前大包平と同部隊になった際はそのような動きはしていなかった筈だ。
 床を強く蹴り、大包平が飛び出してくる。木刀の先はこちらに真っ直ぐ向かっており、容赦なく急所を突こうとするそれを薙ぎ払う。反動で揺れる木刀に、びりりと腕に痺れを覚える。刀装なしでこれほどの力が出せるとは流石は太刀といったところか。俺が「へし切」といえど力での真っ向勝負は不利だな。一歩引いて間合いを整えると利き腕を狙って木刀を振るう。それを大包平は飛び退いて避けると、間を取ることなく胴を狙ってきた。
 かん、かん、と木刀がぶつかる音の合間に足が道場の床を擦る音が混じる。戦場では聞くことのない音にこれはあくまで手合せと実感するというのに、向かってくる大包平の気迫は凄まじい。奴の性分を考えると手合せだからと加減するつもりがないのは承知している。だが、これは眠気覚ましにしては刺激が強すぎる。
 いつの間にか俺は本来の目的を忘れて無心で手合せをしていると、誰かが俺と大包平を呼んだ。その声に一気に緊張は解け、どちらともなく木刀を下ろす。すると耳の裏から首筋へ汗が流れる感覚があり、自分が汗をかいていることに気付く。
 呼んだのは鶯丸で、その手には茶碗が乗ったお盆がある。道場に来た時はなかったものなので、手合せ中に持ってきたものだろう。
「手合せを始めて二十分は経っているが、まさか休みなく木刀を交えていたのか」
「多分」
 曖昧な返答をする大包平についらしくないと突っ込みそうになったが、自分もまさか二十分近くも絶え間なく動いていた感覚がなかっただけにだんまりを決め込む。実戦ではそれだけ長く動くことはあるが、手合せでは長期戦を想定しない限りなかなかないだろう。
 しっとりと汗で濡れてしまった衣服に不快感を覚えていると、鶯丸が茶碗を差し出してきた。
「熱心なのは感心だが一息つこうじゃないか。八十八夜の頃に摘まれた八女の玉露だ」
「玉露とは……茶の一種か」
「そうだ」
 茶については普段用意されたものを飲むばかりで詳しくない。八女茶は知っていても、玉露などと言われても一体どういうものなのやら。それを察してくれたのか、鶯丸が玉露について手短に説明する。
「茶といっても栽培や製法が違ってな。玉露というものは栽培に手間をかけた茶なんだ」
「ほう」
「そしてこれは湯の温度も玉露に合わせた自信の一杯。手合せに熱中するのも良いが、励むものこそ休み休みにやる方が集中できるというものだ」
 大層な理由で手合せをしていたわけではないが、鶯丸にはそう見えてしまったのか。大包平の気迫を見てしまえばそれも仕方がないか、なんてことを思いながら差し出される茶碗を受け取って一口飲む。普段飲む茶に比べて温く思えたそれは、苦みが少なく口内を潤してするすると喉を通っていく。汗をかいていたためか、喉も乾いていたのかもしれない。仄かな茶の香りと共に水分がじんわりと体に染み渡るようで、ほっと息をつく。
「この茶は苦みが少ないな。玉露の特徴なのか?」
 俺と同じ感想を持った大包平が鶯丸に尋ねる。
「ああ。茶の苦みも味ではあるが、苦みが少ないことで茶葉が持つ旨みがわかりやすい」
「ふむ。旨みとはよくわからないが、どことなく香りが違うような気がするのはそのせいか」
「よくわからないと言いながらようくわかっているじゃないか。旨みは香りにも影響していて、良い玉露は青海苔に近いものになるんだ」
 青海苔のような香りと言われ、半分ほど残っている茶の香りを嗅いでみる。確かに青海苔のような香りがしなくもないが、少ないのもあってかわかりにくい。だが、近くで茶を堪能する鶯丸は満足そうに香りを嗅いでいるので、これは良いものなのだろう。
 また一口飲んでみる。美味いには美味いが、普通のものと何が違うのかと考えてみても、苦みが少ないから食事と合いそうくらいしか感想が持てない。
 まあ、幸いにも茶を提供してくれた鶯丸が感想を求めてくるわけではないから気にすることでもない。美味いものは美味い。それだけでもわかるだけで良いじゃないか。
 そんな開き直りのようなことを考えながら、茶をもう一口飲んではほっと息を吐くのだった。

 本日二度目の湯浴みで手合せでの汗を流してさっぱりした頃、地に近い空は朱色に変わり始めていた。湯上がりで火照った肌を緩く撫でる風は少しひんやりとしていて、夜が間近であることを実感する。
 ようやく寝ても良い時間帯になったかと欠伸をかみ殺していると腹が盛大に鳴る。その音に驚きつつ周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると腹を摩った。早めに寝るからと食事を摂っていなかったせいかすっかり腹が減ってしまったようだ。
 夕餉まで待つか、小腹を誤魔化す程度に食べ物を摘まむか。若しくは空腹を我慢して布団に入ってしまうか。あとは寝てしまうだけなのでどちらでも良いのだが、さてどうしようか。
 自覚すると一気に空腹感が増したようで、何か食わせろとばかりに再び腹が鳴る。
「おう。腹の虫が元気だな」
 腹が鳴り終わる間もなく聞こえた声にぎくりと肩が跳ねる。しかもこの声は間違えようのない、よく知った声なのもあり、腹を摩っていた手が不自然に固まる。
 頭上近くへ大きな影が近付き、俺の顔を覗き込む視線とぶつかった。
「……日本号、何の用だ」
「近くを通ったら呼ばれた気がしたんだ」
 呼ばれたとは暗に腹の音が大きいという皮肉か。なんて言い返しそうになるのをぐっと堪えて顔を逸らす。声を掛けてきた日本号にどんな意図があろうとも、ここで反応したら俺にとって良くない展開になる予感がしたのだ。
 だが、そんなことはお構いなしに日本号は俺の胸元に何かを押し付けてきたので視線を落とすと銀色の丸い塊があった。何だこれはと思うより先に、あろうことかそれを押し付けていた日本号の手が離れてゆく。
 落ちる。と思うと同時に俺の手は素早く塊を捕まえると、見た目に反して柔らかく温かい。予想していなかった感覚に塊を落としそうになる。すんでのところでそれを持ち直していると、いつの間にか日本号はこちらへ背を向けていた。近付いて何かを押しつけてきたかと思えば背中を見せる、こいつは一体何がしたいのか。
 先程の皮肉のような一言もあり、顔が不機嫌に歪むのが抑えられない。不機嫌が広がり銀色の塊を握り潰しそうになっていると、背中を向けていた日本号が片手を挙げる。
「腹減ってんだろう? その余ってる握り飯で良ければ食えよ」
 握り飯? そんなものあっただろうか、と一瞬考えて、持っている塊のことを思い出す。食べ物とは縁遠い色合いと光沢を持つ銀色に金属の類いかと無意識下に思っていたがこれはアルミ箔に包まれた握り飯か。すると金属にあるまじき柔らかさと温かさも納得できる。成る程と握り飯へ視線を注いでいる内に、日本号の姿はすっかり見えなくなっていた。
 現れるのも突然だったが去るのも突然だな。気まぐれに振り回されているようで面白くないと思ったものの、下手に長々と構われるよりは良いかと息を吐く。
 さて、と改めて握り飯を見る。空腹のところ食べ物を貰うなど日本号に借りを作ったような気もするが、アルミ箔の中に温かな食べ物があると思うと口内に唾が溜まってくる。不満に近いものは多々あるが食べ物に罪はまったくないのだし、これは素直にいただいてしまおう。
 足取り早くあっという間に自室へと到着すると、文机の前にどっかりと座る。そうして机上に握り飯を置くと両手を合わせて一礼する。日本号から貰ったものというのは気掛かりだが、食べ物に罪は無い。ぺりぺりとアルミ箔を取っていくと、混ぜ込みご飯で作られた握り飯が現れる。途端に鼻に届いた美味しそうな魚の匂いに、思いっきり齧り付く。米と濃いめに味付けされた魚の味わいを想像していたところに、梅干の酸味ががつんと襲ってくる。どうやら魚の臭み消しも兼ねて梅干が入っていたようだ。思わずぎゅっと眉間に皺を寄せて酸味に耐えつつ、もう一口二口と食べていく。
 出陣前に魚を食べて実感したことだが、薬味と魚の相性は良いものだな。もぐもぐと絶えなく咀嚼を繰り返しては、組み合わせの美味さも噛み締める。
 それにしても……と、改めて今食べている握り飯を見つめる。結構食べ進めた筈だというのにまだ片手で持つには余る大きさの握り飯は兎に角大きい。それもあって日本号から言われるまで食べ物だと気付かなかったくらいだ。料理番がいつも握ってくれるものは適度な大きさなので、これは別の誰かが握ったのだろう。それは誰かと考え、即座に日本号の顔が浮かぶ。あの日本号の大きな手なら納得の大きさな上に、これをくれたのは日本号だ。だが、納得する反面、認めたくない自分がいて咀嚼する口が止まる。だが、それはすぐに再開し、ごくりと飲み込むとまた一口頬張る。
 美味い。美味いからこそ面白くない。握り飯は具材が美味しければほぼ確実に美味しいものになる分、他のものより簡単だといっても、あいつの手によって美味いものが出来て、その美味しさを堪能している自分がいるのがこそばゆいような、どことなく落ち着きのない心地を覚えるのだ。どうしてそのような心境に陥るのか、上手く説明できないのもあり、胸の奥がもやもやしてくる。
 そんな自分の心境とは裏腹に口はしきりに動いており、あっという間に握り飯はなくなってしまった。
「ふう」
 心境はどうあれ美味しかったと一息、文机の周囲を見渡す。いち早く食べようと自室へ直行してしまったが、飲み物も欲しかった。それこそ、魚と梅干の握り飯だったら手合せの時に飲んだ玉露がとても合うに違いない。あの玉露の良さはよくわかっていないが、この濃い味付けの握り飯には合うと断言しよう。
 そんなことを思いながら俺は握り飯を包んでいたアルミ箔をくしゃくしゃと丸めて屑籠へそれを放り投げる。
 あいつが作った握り飯にせよ、美味しくいただけたのであればそれで良いではないか。余り物を持っていたところ、偶然にも腹を空かせた俺と遭遇したので渡した。それだけじゃないか。
 変に意識することはない。そう自分に言い聞かせながら俺はそそくさと寝る支度をすることにした。

 
   ◆◆◆


 この本丸の近侍は日替わりで交代される。それは顕現順で行われるため、主が私用のため殆ど本丸にいない日にぶち当たることもある。
 今日は不幸にも夕餉後にならないと主がこちらに戻らない日で、俺は一通りの業務を終えてぼんやりと文机へ向かっていた。
「おーい大将! いるかー?」
 そんな憂鬱な気分を吹き飛ばすが如く執務室の扉が開け放たれ、紙袋を抱えた厚藤四郎が入ってきた。
「……声をかけて反応があってから扉を開けるものじゃないか」
 呆れた様子の俺に、厚はそれすらも気にしないとばかりにからから笑う。
「悪い悪い、今日は長谷部が近侍か。大将は席を外しているのか?」
「ああ、今日は夜まで戻らないぞ。伝言で済む用件なら俺が聞こう」
「大将の許可をもらわなきゃならないからまた夜に来るよ」
 主の許可がいる用件といえばかなり限られてくる。特別任務に就いている者ならば色々あるだろうが、現在特に何も任されていない厚ならば外出許可といったところだろう。
「粟田口の連中と遊びに行くのか?」
「まあな。来週、弟たちと他の何振りかで釣りに行こうと計画しているんだ」
「近場の外出ならば俺が代わりに許可をもらってもいいぞ」
「申し出は有り難いけど、もらうもんはちゃんと顔見せてもらわないとな。許可の意味がないだろう?」
「それもそうだな……ならば主が戻ってきたら連絡を入れよう。今夜は夜戦も出ない筈だったな」
「そうしてもらえると助かるけど良いのか?」
 じっと見上げてきた眼差しについ笑ってしまう。呼び出すことくらい大した労力でもないというのに、何を気にすることがあるのか。
 そう言う代わりに厚の頭をかき混ぜるよう撫でる。
「急ぎの業務もないから問題ない。夕餉が終わる頃に主が戻る予定だ、その時間帯はすぐ対応できるようにしておいてくれ」
「へへ、了解!」
 歯を見せて笑う姿は短刀ならではのあどけなさがあり、日本号の配信を視聴している時の心境に似たものを覚える。
 それが何だか気恥ずかしくて手を離すと、厚が「そうだ」と一言、胸元に抱えていた紙袋から何かを取り出す。厚の小さな手の上に乗るのは天辺を捻って巾着状にされた白い布巾で、中に何か入っているようだ。
「クッキー貰ったからお裾分けだ」
 クッキーが入っているという布巾を受け取ると、仄かな温かさと共に香ばしい焼き菓子の匂いがする。それに惹かれて天辺の捻りを解くと、平たく丸いよくある形のクッキーが数枚出てきた。
「これは……」
「美味そうだろう? 休憩する時にでも摘んでくれよ」
 じゃあ宜しくな。そう退室する厚を見送ると貰ったクッキーを文机の端に置いて、執務室の窓へ視線をやる。
 外の陽は少し西に傾き、時間にすると夕刻を迎える頃だろうか。今できる業務はやってしまい主はまだ帰る頃ではない、休憩を取るなら今が一番良いかもしれない。そうなれば厨で茶の一杯でも淹れようかと考えていると、懐に入れていた携帯端末が震えた。
 この時間帯に通知が来るとは合戦場の部隊か主かか。すぐさま端末を取り出して画面をタップすると、そこには部隊でも主の知らせでもなく、日本号の配信開始を知らせる通知が来ていた。
「あ、」
 時折明るい内に配信をすることもあるが、まさか近侍を務める時に限って配信をするとは主不在にしても今日はとことん不運だ。普段から配信はアーカイブで残るので、夜にゆっくり見返しできるが……これから俺は休憩するところで、執務室には主もいない。
 連絡や来訪者があってもすぐ対応できるよう、配信の音量を調整して視聴すれば問題ないのではないか?
 携帯端末で動画プレイヤーを読み込んでも咎める者はいない。間もなく繋がった配信画面を見ながら、なんとか聴こえる程の音量に絞る。
『呑むにはあまりに外が明るいが始まったぜ。日本号のちょい呑み配信、付き合ってくれよ』
 いつもの低く落ち着いた声と共に、大きな手が挨拶するようにひらひらと振られる。
『おいしゃん、今日はどうして早う始めたかまず説明ばしよ!』
『応よ。今日作るもんは呑みの前に用意するにはちぃとばかり時間がかかるんでな、この時間に配信することになった』
『やけん、いつもより長かお付き合いお願いします』
 今日の配信は長いのか。いつもは四半刻もないが長いとなると半刻程か、そうなるとここで配信を観るのは厳しくなってくる。これは時間を見て、途中で切り上げなければならないかもな。
 それにしても時間がかかるものとは、煮付けや蒸し物だろうか。
『今日は塩昆布チーズクッキーを作る』
 どん。と画面一面に小麦粉が映し出される。
 はて、日本号のちょい呑み配信は題名にある『ちょい呑み』のお供の肴を作るものだ。それがクッキーとは、番外編みたいなものだろうか。
『初めての焼き菓子やね、甘かっちゃ?』
『いんや、砂糖は隠し味程度の塩辛いクッキーだ。大般若から教えてもらったアイスボックスクッキーを参考にしたもんだが、こいつはぬる燗に合って良いぜ』
 説明しながら材料を並べてゆく。小麦粉にほんのり緩くなったバター、少量の砂糖が並び、それに続いて粉チーズと塩昆布が出てくる。
『まず材料を混ぜる前にオーブンを熱しておく。この過程は焼き菓子ならではだな』
 日本号が画面上から消えて微かな電子音が響く。その後すぐに戻ってきた彼は調理器具を手にした。
 木箆で切るように材料が混ぜられ、見る限り粉気なく柔らかくなってきた頃、粉チーズと塩昆布が投入されてゆく。この様子ではどうやってもクッキーの魔改造にしか感じられず、視聴者のコメントも賛否が分かれるものになっている。クッキーといえば甘いものという印象が強いだけに、まるで想像がつかない。
『生地ができたら筒状に固めて冷凍庫に半刻程入れて凍らせる』
 半刻? まさかその待ち時間があるから時間がかかるというのか? まさかそれは流石にどうなんだと思っていると、今まで用意していた生地が端に寄せられて、既に筒状になったものが画面中央に引き寄せられる。
『料理番組といえば差し替えばい!』
『前もって凍らせておいた生地があるから、今回はそいつを使っていくぜ。こいつを均等な厚さに切っていく。厚さが違うと仕上がりにむらができるから気をつけろよ』
 流石に半刻待たせることはなかったか。
 俺がほっとしている内に、配信の日本号は生地を包丁で切ってゆく。さく、さく、と粉物の生地を切っているとは思えない音がしたが、切られたそれは綺麗な円型となっていた。
『切った生地を天板に並べて十七分から二十分焼く』
『ここは差し替えなか、焼けるまでしばらくお待ちください』
 ここは待つのか……半刻待つよりは大分短いがそれでも長いな。待つ間は日本号と博多で喋り続けて場を持たせるのだろうか。
『待っている間は適当に話しているから、便所行きたい奴は行っとけ』
『良かったら話のネタ投下してほしか!』
 突然の振りに視聴者のコメントが動揺したように流れが早くなる。それでもすぐに質問や話題を振るものが増えて、そのどれも興味そそられるものだった。流石同じ視聴者、気になることも共通するというわけか。
『大般若長光とはよく飲むんですか? クッキー教えてもらったのは大般若しゃん言うてたけど、そこはどうなんか?』
『まあそれなりに。よく飲むようになったのは最近だなあ。あいつも料理をやるクチらしい、聞けば色んなつまみを教えてくれるぜ』
 いつかまた大般若考案のつまみ作るかもな。日本号がそう続けると、今後の配信を期待するコメントが多く寄せられる。その中にちらほらと日本号の交流について問うものがあり、俺は思わずそれらに注目してしまう。
 この配信の日本号も俺のところにいる日本号も社交的な印象がある。だが詳しいところはよくわからない。それは主に俺が日本号を避けているせいなのだが、気になるものは気になる。
 博多が次にどのコメントを拾ってくれるのか。これからどんな発言があるか配信に注目していると、突如ノック音が聴こえきた。
 いけない。ここは自室ではなく執務室、誰が来てもおかしくないのに熱中してしまうとは。
 頬をぱん、と軽く叩いて気持ちを切り替えると、動画プレイヤーを閉じて来訪者を迎える。
「……主、お早い帰城で!おかえりなさいませ」
「ただいま長谷部、留守番ありがとう! 用事が思ったより早く終わって――」
 主が戻ってくれば執務室に通知が来る筈だが……もしかして配信に熱中して気付かなかったのか? 気をつけていた筈が何たる失態、俺は申し訳なさに深く頭を下げた。
 その頃には貰ったクッキーの存在を忘れており、文机の包みに主が気付いた時にはすっかり冷え切ってしまっていた。


2023.04.10 23:26


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