とうらぶ 江雪 | ナノ



▼ 5

 病も死も唐突に降ってくるものだ。小夜の死も唐突だった。
 前田を庇ったのだ、と、長谷部が言った。彼も半死半生で戻ってきた。現れた検非違使は通常よりも強固で、予定をしていた戦力では敵わず命からがら逃げ帰ってきたのだという。
 前後関係は把握していたのだが、審神者には三日ほど記憶がなかった。あまりにもふさぎこんで時間の流れがわからないままぼんやりと過ごしてしまったのだ。
「江雪さん。私、本当はのんびり暮らしたいの」
 布団に腰掛けた審神者は、寝ずに横へついていた江雪へぽそりと呟く。下ろした髪は江雪が綺麗に透いてくれたが、食事は喉を通らず、唇は乾燥して割れていた。眠れない夜のせいで目の下は真っ黒だ。
「能力者だからってこんな仕事をしているけれど、でもね、本当は、結婚して、家庭を持って、旦那様と子供がいて、犬も飼えたら嬉しいわ、そんな生活がしたかったの。毎日お料理を作って、お家を綺麗にして、お繕いをして、ときどき贅沢をして。私、もういや。こんな悲しい仕事したくない。どこかに逃げてしまいたい。それができなければ、もう、死んでしまってもいい。だって、一人にしたら小夜は寂しいと思うから」
「……死んではなりません」
 審神者の髪をすきながら、江雪は蚊の鳴くような声で呟いた。小夜が死に、審神者にまでそう言われてしまい、切なさと情けなさで涙が出そうだった。他の者に会いたがらない審神者に代わり、仲間を疑えども尻尾は掴めず、人格が変わってしまったかのように鬱々とした審神者につきっきりという、ほとんど二人だけの世界の中で精神的にも体力的にも追い詰められていた。
「ここから逃げたい」
 呟く。審神者の心は既にここに在らず、だった。

*****

 最初に置手紙を発見したのは長谷部だった。
 隊長の江雪に代わり、本丸の指示と監督を長谷部が担当していた。報告はきっかり定時に行っていた。幽霊のような審神者と憔悴しきった江雪の顔を見て若干の胃痛を感じていたのだが、その姿が見えないとなればささいなストレスでは済まない事態だった。
「大変だっ!」
「どうしました。とうとう胃に穴でも開いて喀血しましたか」
 部屋に飛び込んだ長谷部を軽口で迎え撃つ宗三。いつもと変わらない風に装っているが、瞼がはれているのは昨夜も泣いていたせいだろう。先ほど長谷部が見かけたときはサッシの埃を雑巾でこそぎおとしていた。気を使って当番をはずされているのに、好んであちこち下働きを手伝っているのは、体を動かして気を紛らわしている他ない。
 不意の茶化しにも勢いをそがれることなく、柄にもない動揺のまま長谷部は声を張り上げた。
「ふざけるなっ! 審神者と江雪がいないんだっ!」
「はああっ? なんだそりゃ、どういうことだっ!」
 犬歯をむき出しにして怒鳴りながら立ち上がった和泉守は、長谷部の襟首を掴んだ。殴らんばかりの剣幕はお互い様である。
「やめろ!」
 長谷部は和泉守の手を振り払い、手に持ったままの紙片を差し出す。何の飾り気もない白い便箋に墨で小さな文字が書かれていた。
「部屋に手紙があった」
 和泉守は奪い取るように手紙を引き寄せる。
「旅に出ます、探さないでください……だとぉ!?」
 だんっ!
 足を踏み鳴らす和泉守。ぐしゃりと手紙を手のひらで握り潰す。
「なんだよっ! 夜逃げかよ! 何が旅だっ! 畜生っ! ふざけやがって!」
「いや、世を儚んで心中するかもしれない……笑い事じゃないぞ! 探さないと!」
 すっかり血の気のうせた長谷部は青い顔で和泉守の肩を掴んだ。
 心中、という言葉に、和泉守も顔がこわばってしまう。
 水を打ったような空白に、宗三の気だるい声が割り込んだ。
「ギャアギャアうるさいですね。ただの駆け落ちじゃないですか。大丈夫ですよ。放っておきましょう」
 あまりにも落ち着き払った声に、長谷部も和泉守も毒気を抜かれてしまった。
「あの人も思い切ったことしますよねぇ。でも、そうしたいなら、させてあげればいいじゃないですか」
「お前は……なぜそういう風に言える?」
「わかりますからね。そういう気分にもなりますよ。どうしても思い出しますから……でしょう?」
 長く在ればこそ、それぞれに違えども心当りはある。人の姿になって、無機物であった頃と比べて感情の扱いづらさに戸惑うことすらある。聞き返されて、長谷部はあまり心地よくない同意に顔をしかめてしまった。
「彼女は僕らから見ればまだまだ子供ですから、仕方のないことです。兄も看病なんて慣れないことをしていましたからね」
 宗三の楽観的とも言える姿勢は、動転した彼らが黙るくらいの力があった。
「兄は強いですから、いざというときでもそうそう困ったことにはなりませんよ。子供でも作って帰ってくるんじゃないですか」
「馬鹿言うな」
 和泉守が早口で呟いた。
「冗談です。それより、不在の間の職務について考えないといけませんね」
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