今日は定時に仕事が終わり、問題も見当たらないまま帰宅。こんな言い方をするとまるでサラリーマンだ。サラリーマンは僕の嫌っている業種の一つなのだけど、似てしまうなんて一体どんな皮肉だろうか。
無言で家のドアを開けようとして、灯りがついてない事に気付く。とりあえず引いてみた。閉まっている。
…なぜ?沙耶はまだ帰ってきていないのか?
財布の中から家の鍵を出して、キー解除。物寂しい玄関の闇と静けさ。人気がない。

「沙耶?」

呼んでも返事がない、ということは気配を消している訳でもないのだろう。まぁ、沙耶に気配を消すなんて器用な芸当ができるとは思ってないけど。素直にいないと考えて良さそうだ。
…なんで?いない事よりそっちに疑問を持つべきだった。
携帯に電話をかけてみる。アドレス帳の篠塚沙耶を探し、コール。呼び出し音は焦らすように長い。ようやく受け取られてホッとした。…ホッとした?
しかし、沙耶の声を聞いてあまり安心できる状態でない事を知る。

「っ…雲雀さん」

苦しそうに詰まった息。ただ事ではなさそうだ。

「沙耶、どうしたの?今、どこにいる?」
「もう…家が目の前です…」

革靴を引っ掛けて、急いで玄関まで飛び出す。門柱の脇に立ち左右を見渡せば、少し遠くに沙耶の姿が見えた。ボロボロだ。朝方しっかりセットした髪型云々とかの話じゃなくて、青あざとか、制服の汚れ方とか。なんとか整えられた形跡はあるものも、痛々しくて見るに耐えない。

「沙耶!」

駆け寄る。沙耶はへらりと力無い笑みを浮かべた後、空気が抜けるように倒れた。間一髪でコンクリートに飛び込むのを阻止。肩を貸すよりは楽だろうとお姫様抱っこと呼ばれるもので沙耶を家に運ぶ。
とりあえず、沙耶の部屋のベッドに寝かせよう。傷に障らないようにそっと寝かせた後、埃とか血を拭くタオル、救急箱、水とかを持って再び部屋へ。

「沙耶?」

呼びかけてみるが返事はない。呼吸があるから生きている事は確かだ。
とりあえず、見える部分の泥や血を、濡らしたタオルで拭いた。傷や青あざが白い肌に幾つも刻まれている。
ああ、もしかするとこれ…仕方ないから脱がせる。こういうの、人形ならやりやすいのだろうけど人間となるとデカいし関節の方向とかあるからやりにくい。
目立った傷にガーゼを当てたり湿布を貼ったり包帯巻いたり。怪我なんてめったにしないから、実はあまり得意ではない。不器用という訳ではないけど。
正直、沙耶の裸体にドキドキするムードがないから仕事に追われている感覚だ。あれやってこれやって、と小忙しい。
沙耶の寝間着、どこだろう。下着も着替えさせた方がいいかな?などと考えた末の結論が、全部剥いて寝間着だけ着せればいいや、となった。せせこましくてつまらない。楽しめない。

ひとしきりの応急処置が終わり、ため息を一つ。静かに胸を上下させる沙耶の寝顔を眺めた。
やっぱり、いじめが関係してるのかな…僕のせいか?いや、僕のせいだったとしても、どうして僕が罪悪感を感じなければいけないのだろう。悲劇も苦しみも、僕には沙耶の一人相撲にしか見えない。だって、トリガーを引いたのは沙耶だから。
思考を切り替える。同情には値しない。それより夕飯どうしようかな。久しぶりに自炊か。面倒くさい。
ふと視線をそらす。机の上に伏せた写真立てがあった。バタバタしているうちに何かの拍子で倒してしまったのだろうか。
親切心と半ば反射で、それを立てる。…すぐ、間違いに気付いた。これはわざと伏せてあったのだ。
笑顔、とでも言おうか。幸せに満たされている家族写真だった。中央の沙耶は、赤いランドセルが体の大きさと同じくらいの年齢だ。
写真を床に叩き付けたい衝動に駆られた。パキ、と写真を保護するガラスに亀裂が入る。

「っ…」

指が切れた。チ、と舌打ちをして傷口を舐める。鉄の味が広がった。人の血は気持ち悪いが、自分の血は多少平気である。常に自分の体の中を巡回しているから、慣れみたいなものだろうか。
そんな僕に気付かず、沙耶は布団の中で未だ悪夢の中をさ迷い続けていた。


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