「…だから甘いって。」

沙耶の『お帰りタックル』をかわしつつ左腕で受け止め、いつもの間抜けた笑顔を見る。人殺しのクセに、よくもまぁ平然と笑えるな。

「今日こそは私をいただいちゃいます?」

ぶん投げる。びたん!と音を立てて廊下に寝転ぶ沙耶。

「痛いですぅ…」

嘘臭いすすり泣きが聞こえた。僕は無視して靴を脱ぎ、揃えて端に置く。

「…雲雀さん、ご機嫌ナナメですか?」
「さぁね。」

相手にされない事がわかると、沙耶は顔を上げた。額が赤くなっている。受け身もとれないのか。
適当に返事をしたが、確かに僕の機嫌はよくない。箸が転がってもイラついてしまうレベルだ。

「あ…シャツに血がついてます。」
「…それがなに。」

不機嫌の本を言い当てられると、なんだか気持ちを読まれているようで更に気分が悪くなった。心象風景は、曇り空に風が吹いて草がさざめいてる感じ。

「染み抜きしましょうか?」
「できるのかい?」
「はい。こう…トントン、と。」

転がった体をよいしょと起こし、沙耶は右手を小さく上下に動かした。

「できるなら…任せようかな…」

沙耶を『便利』ではなく『使える』と思ったのは初めてではないだろうか。
乱闘はわかだまった気分がスッキリするから好きだ。しかし、人間の体には真っ赤な血液が流れている。向こう見ずに人を殴ると、その返り血がどこかに付いてしまう。それは最高に気分が悪い。人の血は汚いだろう?鼓動に押されては酸素を運んで不純な体内を半永久的にぐるぐる循環し続ける赤黒い液体。そんなものが自分の体や服に付着する。気持ち悪い。もしそれが下ろしたてのシャツに付いたら…不機嫌も当然だ。

「学ランもお洗濯しましょう、汚れてるかもしれませんよ?」
「うん…着替えてくるよ。」

沙耶の笑顔に癒やしを覚える日が来るとは。僕、以外と現金なのかもしれない。軽く自己嫌悪だ。

いつもの黒ジャーに着替えると、洗濯機に入れる前に沙耶に渡す。
嬉しそうな顔をして沙耶は受け取った。

「シミって、こーやって抜くんですよー」
「ふぅん。」

確かにトントン叩いている沙耶の手を眺める。

「なれてるみたいだね。」
「はい!傷の手当てとかも得意です!」
「なんで?」

なんとなく聞いた言葉に、沙耶の笑顔は凍った。なるほど、追及は野暮だな。

「今日の夕飯、なに?」

優しい僕は気を使って話題転換をする。沙耶の口元がほっとしたように緩んだ。

「サンマを焼こうかなー、と考えてます。」
「ワオ!季節を感じるね。」

だからと言って弾む事もないのだが。
僕と沙耶の関係はある地点で止まっていた、もしくはループしている。共存できる互いの妥協点というところか。僕としては馴れ合いに思えて嫌なのだが、切り出すきっかけを見つけられずに機会をうかがっている状態。こうやって家事をこなしてくれる便利さにプライドが負け始めているのかもしれないけど。怠惰は心をダメにするものだな。
シミが綺麗にとれたシャツを光に透かした沙耶は、満足そうに笑った。まとめて学ランを持ち、立ち上がる。

「あれ?なんかポケットに入ってる…?」
「すっかり忘れてた。多分、持ち物検査で没収したヤツだよ。」
「あー、ありましたね、今日。」

沙耶はためらいなくポケットに手をつっこんだ。

「このまま洗濯機に入れたら大変ですよー」
「そうだね。」
「もー、雲雀さんのうっかり者!」

多少ムッと来たけど反論できず、舌打ちをしたい気分で目を背ける。
何かを小さな物を落とす音が聞こえた。
息を吸う一拍。後、微かに漏れる悲鳴で異変を察知。沙耶は椅子から転げ落ちた。
真っ青な顔をしてアヒル座りをした沙耶は、肩を抱いて脱力したようにうずくまっている。周りに没収した細々しい物と学ランが散らばっていた。

「どうしたの?」

慌てて立ち上がると、沙耶の方へ向かい顔を覗き込んだ。目の焦点がブレている。小刻みに体が震えているが、寒さからではない事は明白だ。

「私、悪くないよ…!」

ぽつりと小さく、だけど激情を覗かせるはっきりした声で沙耶は呟いた。途端、その瞳に涙がたまり、大粒の雨のようにポタポタと彼女の膝に落ちていく。
一体何だって言うんだ?瞬間にして察知したのは沙耶のトラウマ、もしくはそれに準ずるもの。火事?殺人?それ以前?思考を巡らせてきっかけになりそうな物がないかを探す。間違いなく没収した物の中にあるはずだ。飴、化粧品、携帯ゲームのカセット、ライター…これだ。火事=ライターの簡易な方程式が成り立つ。安っぽい、100円で三つ買えるような青いスケルトンのライター。この中ではこれが原因としか思えない。

「悪くない悪くない悪くない…酷いのはあっちだよ!私は幸せが欲しいの…!!」

頭をぶんぶんと振って、何を振り払おうというのか。沙耶の姿は冷静に見つめるほど、悲しい。僅かな同情が沸き起こった。
僕は青いライターをジャージのポケットに入れると、沙耶の頭を優しく叩く。

「沙耶、何が怖いの?」
「違う、怖い、じゃない!嫌い…」

未だ震え続ける沙耶の細く薄い体を、僕は包み込むようにして抱きしめた。生きているにしてはひんやりとしていた。耳元で嗚咽のようなものが聞こえる。

「大丈夫だよ。」

沙耶の震えはだんだんと収まってきて、静かになった。
ぎゅう、と沙耶が僕の背中に腕を回す。僕も腕に力を込めてみた。折れそうだ。…実際、折ることは可能だけど。

「雲雀さん、もっと、ぎゅって、してください。」

ぐり、と沙耶が胸板に顔を押し付ける。

「死にたいの?」

髪を撫でた。ふみゅう、みたいな鳴き声が聞こえたけど返事はない。
心隅に妙な冷たさを感じながらも、今はただ、柔らかい髪と徐々に暖かくなる沙耶の体温が心地よかった。

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