アポを取れとはいわない。自分の事をそういうタイプの忙しい人だとは思わないし。
だけど、突然やってきて深刻な顔で相談されても困るというものだ。風紀委員の職務に悩み相談を入れた覚えはないのだけど。ああ、風紀委員ではなく、彼女は僕個人に用があるのか。
仕方なくソファーに座ることを促した。表面は冷静に見えるかもしれないが、内心では何が何やらわからなくて少し混乱している。
篠塚沙耶と名乗った女子は、躊躇うように小さな呼吸をした。
次の瞬間、飛び出した言葉に軽い目眩が起きる。

「私を殺して下さい。」
「…ちょっと待って。何で僕が君を殺さなきゃいけないんだ?」
「私が殺して下さいと頼みました。それは立派な理由だと私は思いますが。」
「どうして僕に頼むんだい?」
「雲雀さんのお噂はかねがね伺っております。」

死にたいと言う人間にしては、やけに飄々とした態度だ。もう少し謙虚でもいいと思うのだけど。
健康にすくすくと育ったような外見。三食しっかり食べているような肌ツヤ。この先の将来に希望を抱けるような、整った顔と体型。確かに、普通に生きていたら寿命まで死ねないような風貌だ。

「…それをする事で、僕に何らかのメリットがあるのかい?」
「嬲り殺しでいいですよ。」

表情を変える事なく即答された。僕の顔がどうなったかは言うまでもない。

「…咬み殺してもいい?」
「元々、私はそれをお願いに来たのですけど。どんどんやっちゃって下さい。」
「…君は人を苛立たせるのに長けているね。意地でも嫌だ。」
「えぇ」

不満そうな声を漏らす篠塚沙耶。形の良い眉が僅かに下がったが、それで彼女の内面を読む事はできない。

「…まずはいきさつを話してくれ。いくらなんでもあんまりだよ。」
「話したら殺していただけますか?」
「考慮する。」

僕の返答は篠塚沙耶にとって望ましくないらしい。さっきよりもありありと不満が見えた。
本当は誰かに頼まれて殺すなんて癪に触るから絶対嫌なのだけど、追い返すにはいい材料だと思ったのだ。

「…あまり気は進まないのですが、というより、話さない方がいいのかも…」
「じゃ、帰ってよ。」
「…わかりました。最後までご清聴のほど、よろしくお願いします。」

慇懃に頭を下げた篠塚沙耶は、湿気っぽい表情でドラマみたいな家庭環境をとつとつと話し出した。
大意を要約しよう。
父親はリストラで毎日が日曜日の煙草ニート、母親はツンケンしたエリートで出稼ぎの上浮気。そんなだから夫婦喧嘩が絶えなくてとばっちりを食らう。もう見てられない、家嫌い、だそうだ。

「…子供は家から逃げる事ができません。昔に戻る事もできません。どこにも逃げられません。だから、死にたいのです。」

彼女は死の何に救いを求めるのだろう。何故今を耐える気にならないのだろう。気持ちを理解しようとして…止めた。

「よくわかったよ。」
「本当ですか?」

微かに期待を込めた声。

「ああ。頼むからもう帰ってくれ。」

僕はため息を付いて足を組んだ。
篠塚沙耶の表情が裏切られたように暗転する。

「どうしてですか?」
「死にたいなら勝手に死ねばいいだろう。飛び降りでもしたら?…学校で死ぬのは迷惑だから駄目だけど。」
「…冷たいです。」
「僕を誰だと思っているんだい?他でもない雲雀恭弥だよ。」

ムスッとする篠塚沙耶に、なるべく感情を表さないように淡々と告げる。

「君は僕が嫌いなものを知っているよね。弱虫の群れる草食動物。君の願いはまるでそれだよ。他力本願っていうやつだ。」

つまり、自殺ができないから殺して欲しいという訳だ。着眼点は彼女の悩みではなく、彼女の思考。
認められるものだったら少しは考えたものを。まぁ、殺して欲しいなんていうヤツにロクなのはいないと思うけど。
胸くそ悪い。願いがこれでなければ、今頃は立ち上がれないくらいグチャグチャに咬み殺していただろう。その方が僕の気も晴れるというのに。

「君の家庭なんてどうでもいい。干渉は好きじゃない。でも、聞いていて腹が立った…君にね。自分で何かをしようと思ったのかい?逃げてばかりじゃないか。」

篠塚沙耶は相づちすら打たなかった。
だけど、僕の、このどうしようもない憤りは言うところまで言わないと解消されない。

「他人に頼る前に自分でなんとかしろ。死のうが殺そうが好きにすればいい。君は君の思う以上に自由なんだ。そういう風に関わらないでくれ。」

…少しはすっきりした。暴力を行使せずに気分を晴らす方法、初めて知ったよ。次は御免被るが。

「…ありがとうございます。」

長い間を置いて、再び篠塚沙耶は深々と頭を下げる。
ようやくこの女から解放されるとホッとしたが、正面を向いた篠塚沙耶の表情は予想に反して清々しいものだった。
なんというか、暗雲晴れて悩みが解消したような。

「私、自分の間違いに気付きました…やっぱり、雲雀さんにお話してよかった。」
「…本当に?」

そう簡単に受け入れられるものなのだろうか。もしかすると、篠塚沙耶は恐ろしく素直な性格なのかもしれない。

「はい。本当にありがとうございます。」

にこり、と花のように笑う篠塚沙耶。初めて見た笑顔は惹きつけられるものがあり…反面、体の芯が安定しないような、そんな不安な気分になった。

「失礼しました。」

篠塚沙耶はしっかり礼をして、応接室を後にする。
…何だろうか、これは。
急に静まり返った室内で、僕は寒気に捕らわれた。
妙な胸騒ぎがする。虫の知らせというものか。今は秋といえ、鈴虫が鳴くような素朴な風流さなどない。
まさか篠塚沙耶に惚れてしまったのだろうか…否、そんな明るいものでもない。これは嫌な予感だ。極めて的中率の高い、ほぼ確定の。

「委員長。」

ノックの後、草壁が応接室に入ってきた。思考に溺れていた僕はハッとする。

「各部活動の報告書が上がりました。」
「あぁ…」

頷いて、ワニ口のクリップで止められた書類を受け取る。
僕の様子が気にかかったのか、草壁はくわえた葉っぱを揺らしながら視線を向けてきた。

「どうかしましたか?」
「うん…ちょっと。」

曖昧な返答に草壁は眉を少し動かした。

「さっき、応接室前で女子とすれ違わなかった?」
「あ、はあ…下級生の女子とすれ違いましたが…」
「その子、篠塚沙耶って言うんだけど。しばらく様子を見てくれないかな。」
「はぁ…」

不思議そうに草壁は頷いた。どんな仕事でも器用にこなすヤツだから頼みがいはある。とりあえず、黙って従うところは重宝していた。

それから丁度一週間経った夜。僕の予感はようやく現実のものとなった。
まさかこんな展開を迎えるとは、夢だにしていなかったが。

「こんばんは、雲雀さん。よいお日柄ですね。」

周囲はパニックになっているのに、篠塚沙耶はのんびりとそんな事を言った。
暗闇の手間で燃え盛る炎。逃げ惑う群れ。少し離れた場所で立ち尽くす僕と篠塚沙耶。
ウー、とサイレンの音が迫ってきた。

「私、自分でなんとかしました。戦いました。これからも戦います。生きるって戦う事なんですね。」

篠塚沙耶の白い頬も、闇夜のような瞳も、チラチラと燃える灼熱の炎の色に染まっている。
返事に困り、僕は黙った。こんな風に言葉を受け止められるとは…やはり慣れない事はしない方がいい。

「時間がありませんので手短に。私を導いて下さった雲雀さんに、心の底からお礼を申し上げます。」
「…君はこれからどうするの?」
「逃げます。明日はどこにあるのかわかりません。」

通学用のスポーツバックを僕に見せつけると、篠塚沙耶は遠い目をして虚空を眺めた。横顔がヤケに綺麗だ。
すぐさま戻って、燃える家を見つめる。
その目も、やはり近い場所を見てはいなかった。
このまま闇雲に去り行く彼女を見送る事が一番楽だろう。捕まって、警察に行って、罪を負って、更正して。少年犯罪だけど、どうなのだろうか、刑法など僕には関わりのない世界だから検討がつかない。
彼女の人生だ。僕にはわからない。分かち合えない。だけど。

「…僕が面倒見てあげる。」

篠塚沙耶の大きな目がきょとん、とした。言葉が飲み込めないらしい。

「僕の言う通りにして。良いね?」
「あ…はい。」

篠塚沙耶の右腕を掴んで引っ張る。その瞬間だけ重たいが、篠塚沙耶は素直に僕の後を付いてきた。
ぐるりと思考を回してどうするかを考える。とりあえず、あと二分ほどで消防車とパトカーが到着してしまうだろう。

「明日は、幸せになれるかな…」

篠塚沙耶がぽつりと呟く。
その言葉も、サイレンの音にかき消された。


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