体がだるくて嫌な感じなのは、昨日の今日だから。
幸い、土曜日につき学校は休業。卒業前の最後の休み。
友達と遊ぶ約束をしている。
布団から起きなきゃ。
私は気力を振り絞って、ずずずと布団から這い出す。
何にも知らない、だけど何かを気付いた母さんからは、「あんまり遅くまで遊んじゃだめよ」と学生時代を思い出すような調子で注意された。ごめんなさい。

「ん…」

携帯が鳴った。友達か。
寝ぼけ半分でも慌てながら手を伸ばし、受ける。

「千世?」

雲雀だった。
本日、最初に聞いた第一声。
とりあえず恋慕の情を抱いている相手。だけどもときめきなんてない。気分が落ちることもなく、ただひたすら苦い気持ちになるだけだ。またか、なんて鬱陶しさも感じないけど、もっと、と求めることもない。

「何…」
「寝起き? 随分な寝坊助だね」
「ほっといてよ…友達との用事があるから今から急ぐの」
「あ、そ」

ぷつん、と電話が切れた。唐突だ。
私は首を傾げ、右の電話マークを押す。
目が覚めたけどぼんやりとした頭で携帯の画面を意味もなく睨んだ。
…群れの臭いを感じたのか? まぁ、「用事をぶっちぎって来い」と言われないだけいいのかもしれないけど。
でも待てよ。何で呼んだのか、気にならないか?
…いや、呼ぶ内容なんていつも同じだ。
仕方がないヤツだ、なんて苦笑することもできない。
どうしよう。ぶっちぎるのは無理。卒業前の思い出は凄く欲しい。
…そうだよ。楽しいことの方が大切だよ。
世界は私と雲雀で出来ているんじゃないのだから。



新しい生活に入ったら疎遠になっちゃうんだろうなぁ、なんて感じてしまう友人達と散々遊んで、夕方も終わりかかった頃。カラスが鳴いても帰らない。
世界は私と雲雀で出来ていない。世界は優しい造りをしていない。それに、雲雀は私に優しくない。それでも、私が雲雀に優しくないわけじゃない。
道は覚えた。一人でてろてろと歩いてきた。ある曲がり角を境に、異次元に迷い込んだ錯覚。
私は雲雀のお家の前に立っていた。人気のない、幽霊が住むような住宅街は正直怖い。だけどもね、幽霊なんて怖くもないんだよ。本当に怖いものは人間の、ね。
チャイムを鳴らす。機械の間抜けな、そしてどこか不安定になる歪んだ音。
「ひーばっりくん、あーそびーましょー」

それらをごまかすように、チャイムの音に負けないくらい間抜けな呼びかけをする。

「…なにそれ、ギャグ? つまらないんだけど」

ゆっくりとした動作で扉が開き、しかめっ面の雲雀が隙間から伺うように顔を覗かせた。

「なによ、せっかく心配して来てあげたのにっ! この引きこもりっ」

ぷくーと頬を膨らませると、雲雀はフンと嫌味に片方の口元を吊り上げた。

「げっ歯類の頬袋かい」
「ハムスターなめんなよ、可愛いでしょ」
「脳みそ小さいけどね」

むきぃ! なんて憎たらしいヤツだ。可愛げというものの欠片もない。私を見習え、私を。一途で半ばテンパっているような一生懸命さは可愛らしさそのものじゃないか。まぁ、篠塚さんと比べると見た目は普通かもしれないけど。いい子だよ、私、いい子。
地団駄を踏む私を、雲雀は見下すように、少し可笑しそうにくつくつと笑った。言うなら、愉快、だろうか。

「雲雀は引きこもりだからそんなに暗くなるんだ」
「引きこもりじゃないよ。見回りとかしてるし」
「外で遊んだりしないの?」「殺し合いなら」
「だからそんなに暗くなるんだ」

にまっと、バカにしたような笑顔を作る。
プライドが高い雲雀はムッとする。非常にわかりやすく、への口。

「一緒に遊ぼうよ」

ね? と笑いかけた。それなりに素直なつもり。

「ヤダ」

取り付く島もないくらい素早い返事だけど、諦める気はない。押して押して押す。一途で一生懸命だから押し付けがましいのだ。

「二人で延々と鬼ごっこしようよ。暗いから迫力もでるよ。ちょっとしたサバゲー気取りだよ」
「バカか」
「バカじゃないもーん、荻窪さん家の千世ちゃんだもーん」
「三秒時間をあげる。去らないと熱湯処理させてもらうから」
「具体的には?」
「ぐつぐつと煮えたぎった熱湯を君の頭からぶっかける」
「うぎゃあ! いつの時代の占いだ!!」
「飛鳥くらい?」

だっけ? と思い出すように右斜め上に視線を向けて、記憶のポケットを探る雲雀。
その隙を突いて、雲雀の片手を取った。壁についている方の手。

「!!」

ドアに挟まれてしまう危険性があるから、雲雀は慌ててドアの方の手を前に押す。
玄関が開いて、雲雀は一歩前に出て、私が手を引いている。しっかりと握った手の平は冷たい。

「なにするんだ!」

一瞬の隙を作ったことが腹立だしいのか、単にびっくりしたのか。珍しいことに雲雀が怒鳴った。
普通に驚いて、それが普通の感覚であることが嬉しくて。彼の狂気に魅入られたけど、反面、彼を狂気から救い上げたい気持ちも存在することに気がついた。

「引きずり出したー」

にゃはは、と軽やかにふざけた笑い声をあげる私。ここで呆れて諦めてくれたら私の勝ち。
だけど、雲雀はふっと表情を翳らせた。視線は私を捉えているのに、何か違うものを見ている。
背筋に嫌な予感が走った。すぅ、と幾つか温度が下がる。さっきまで纏っていたものが、全て異質のものに変わってしまった。

「…か……ん…」

雲雀の声の半分は、空気の中に霧散する。聞き取れない。二音を繋ぐ言葉が、あるはずなのだけど。
するり、と解けるようにして私は雲雀の手を離す。ぱたん、と重力に逆らわない腕。脱力。

「ひばり…?」

静か過ぎて怖い。ひたひたと圧迫するように襲う恐怖。
はたりと雲雀の額から汗が流れ落ちた。

「僕は…」

外に向かない視線、存在の証明ができない声。虚ろ。
体の温度が下がっていく感覚、反対に息は苦しくなり汗が流れてくる。全身がぞくりと総毛立った。これは恐怖か恍惚か。

「僕は、あの日からずっと帰っていない。遊び惚けたまま、ずっと…」

息を吸う間はゆっくりと、だけど言葉は早く回る。そして言い澱む。ずっと、ずっと。
雲雀は歩き出した。一歩目、やたらと体が大きく傾く。どこか不自由な人にも見えた。だけども二歩目には危うさも消え、ごく普通の姿勢に戻る。

「雲雀、どこ行くの!?」

私の横をすり抜けた雲雀に、振り返って叫ぶ。

「帰るんだ、母さんのところに。里帰りついでに沙耶を紹介する」

酷く悲しげに雲雀は笑った。椿が花弁を落とすような、燃え尽きた生命の力が切なさを薫らせる。諦めにも似た、自嘲。開き直ることもなく、責め続けた先に生まれた笑顔。

「千世。迷う前に帰りなよ。帰れるなら帰りなよ」

何も言い返せなかった。引き止めたくて、でも、金縛りにあったかのように動けなかった。
ゆっくりと歩んでいく雲雀は、革靴の音を響かせながら闇の中に溶けていく。
光もない住宅街。角を曲がって、音も消えたら、彼の行方はもう知れない。
はらはらと散った。ぜんぶが。



(ボクノコワレタセカイ)

僕たちは本当の意味で互いを想い合うことができないと思う。
僕は僕を通じてしか世界を認識できない。相手だって、そうだ。
自分と異なるものを正確に認識できなくて、自分を本当に理解できるのは自分しかいない。
人は支えあっていなくて、一でしかない。
生活する、生きていく上では、もつれ合うように、重なり合うように、僕たちは利用し合っている。ギブアンドテイク。与え与えられ、奪い奪われ。
穏やかに群れあう草食動物なんていない。強かに互いの血肉を啜りあう、卑しい雑食性の動物ばかりだ。手を繋いでいるふりをしているんだ。
僕はもののあるべき姿、一を一として受け入れていただけだ。

…遠い日の手のひら。
幼い僕は母さんに連れられていた。僕たちはどこかに遊びに行っていた、が、それがどこかはわからない。ただ、日常的などこかへ遊びに行っていた。そこから帰っていた。
僕は生まれつきで体の調子が変だった。正確に言うと身体能力のリミッターがおかしかった。そして、幼いから手加減もできなかった。
友達はできない。みんな僕を異物扱いして、遠ざかっていく。一人ぼっちだった。
すがる相手は両親しかいなくて、でも、父親は僕から逃げていた。母さんだけは最後まで僕から逃げずにいてくれた。
小さいんだ。幼いんだ。一なんて孤独を知らずに、無償で与えられることを許されるはずなんだ。
だけど世界は優しくなかった。与えずに奪っていくのが世界だった。
母さんが僕の手を弾いた。それはきっと、事故だったのだろう。それでも、裏切られた気分だった。命綱を切って突き落とされたようなものだ。

…千世の手に引かれて思い出した。
僕が殺した。母さんを。幼い癇癪が起こした事故だけど。でも、僕の暴力は幼くない。簡単お手軽に人を殺せる。殴る、蹴る、人を殺せる。
世界はぐずぐずと糸を引いて崩れ始めた。
僕は底の底で、人間として育ちきれなかった。
これ以上僕を壊したくなくて、今以上世界を壊したくて、進む時間と平行しつつ僕は記憶を巻き戻して止めた。

沙耶は僕の底を優しく引きずり出した。
彼女の持っていた破滅願望…底が、僕の底と共鳴するところがあったのだろう。そうでなければ、僕は彼女を気に止めたりしなかったはずだ。僕にも破滅願望は存在した。自然に自殺したかったのだ。
一だった僕に同類ができた。彼女は僕と違う人間だけど、違う歪みを抱えていたけど、それでも同類だった。
それが嬉しくて、きっと、愛しかったんだと思う。
だから僕は彼女を殺した。嫉妬の対象は自分の中にも眠っていた想い出と重なり、彼女に僕を重ねた。本当は僕が死にたかった。誰も僕を殺してくれない。世界は優しくない。

僕は千世に感謝しなくてはいけないだろう。
全てを掘り起こしてくれた。目を背けてはいけないものに、一人ということ以上に向き合わなくてはいけないものに、対面させる機会をくれた。
彼女は自分の価値観を正しいと信じ込んで動く人間だ。僕もそのことについては同類だが、彼女は根拠のない自信だった。
自分が正義の人間。自分の正義を自分で肯定する人間。
確かに彼女は正義かもしれない。僕が世界を壊しきる前に僕を壊したから、正義の勇者様。ちょっと笑える。馬鹿馬鹿しくて。でも、それが世界というものだ。

これが望んだ最期なのかもしれない。僕はずっと消えたかった。
だけども、悔いる想いだってある。
もしも、僕がもうちょっと普通だったら。強かな人間様だったら。
そんなもの、余計、哀れになるだけでも。夢なんて泡だ。

ごめんね。
そして、死ね。
まっすぐに見つめて、思えるよ。空の月。

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