(ボクノコワレタセカイ)


例えば、僕の作った世界に『法律』やら『刑法』というものがあると仮定する。
沙耶を殺した僕は重罪人だ。殺人は暴力の延長線上にあり、暴力より残酷で強い力を持つから。
裁判にかけられて豚箱行き、もしくは死刑なんてセンもあるかもしれない。死刑って首吊りなんだよね。仕事とは言え、善良な警察官が自殺の補助をするなんて哀れとしか思えないよ。
まぁ、人事なんだけど。
僕のいる世界、僕が自分のために構築した世界には他人の法律がない。
僕プロデュース僕のための世界。僕が法律。我が法律。
カミサマとかいうふざけた創造主は遠の昔にどこかへ葬ったし、人という字は支えあわずに一本で成り立っている。
…一本で成り立って、いた。

沙耶は僕の世界に迷い込んだ草食動物…そうだな、哀れな子羊、なんて陳腐なクリシェがある。強いて言うならそれだった。
か弱いただの人間が、ちょっと道を踏み外したところで僕みたいになれるはずがない。生物としての造りから違う僕と同じステージに立とうなんて冗談もいいところだ。
沙耶は大きな勘違いしていた。可哀想な勘違いだ。
羽がなければ空を飛べないし、エラがなければ水の中では暮らせない。無理なことをできると信じて身を滅ぼした哀れな子羊。篠塚沙耶。

僕は悪いことをしただなんて思っていない。沙耶は自爆というか自滅だと思う。
いつか死んでいたはずだ。幸せになんかなれっこない。
人を殺すことは悪いことか? 一般論から言えば悪いことだ。
だけど、僕にとってそんなことはどうでもいい。誰かが規定した善悪なんて存在しないし、他者の意見なんか必要としない。

つまり、僕が言いたいことはただ一つ。
殺したことを罪と思うか、思わないか、だ。
罪なんて言い方は、少し格好をつけているかもしれないけど。



携帯が軽やかなメロディを奏でる。お気に入りのオルゴールの音。
何気なく開くと、見知らぬ電話番号。誰だろう? 少し首を傾げながら通話ボタンを押す。

「やぁ。」

そっけないけど落ち着いた色気を漂わせた低音ボイス。雲雀恭弥だ。
私は思わず携帯を取り落としそうになった。が、慌てて両手で持つ。

「ど…どこで番号知ったの!?」
「そんなに驚くほど難しいことじゃないよ。教えないけど。」

嘘と言い聞かせていたこの間と同じだ。薄紙一枚を挟んだようなもったいぶった言い回し。
最中、暴言にも近い言葉を吐いたそれと全く同じ声。記憶はあやふやだが、アタマノナカミスカスカだのインランだのシネだの散々なことを言われた…ような気がする。
反射的に、じわりと手に汗がにじむのを感じた。

「長電話は嫌いだから用件だけ言うね。この間、車に乗せたところまで来て。」
「ちょ、そんなっ」
「どうせ暇でしょ? 暇じゃなくても強制だけど。じゃ。」
「まっ―」

…てはくれなかった。
ぴ、と無常な電子音。ツーツー、と鳥のさえずりに聞こえないこともない無言。
携帯を耳元から下ろし、私も電話を切る。気が重くて、しばらく立ち上がれなかった。



運転手さんは黙ったまま。誰よ、「タクシードラーバーは基本的に気がいいんだよね」なんて言ったの。
悪夢の道筋を辿るように全く同じルートを通り、雲雀の住む家まで連れて行かれる。
現実の再確認。この間から現実を誇張されている気がする。
玄関のチャイムを鳴らす。

「入ってよ。」

インターホンで幾分か音の悪くなった雲雀の返事。ブツリと切れる。
躊躇いがちに私は玄関のドアを開けた。

「お邪魔します…」
「どーぞ。」

心無いのはいつものこと。軽快な口調に反して冷淡な声が返ってきた。

「前回と同じくイスがないから部屋に上がって。」

前回と同じく。それじゃあどう考えても、続く流れも想像できてしまう。
今更何もかも遅いかもしれないが、それでも悪あがきをしてみようか。だって怖い。

「用事、何。なんで呼んだの。目的、何よ。」

普段喋る時とは違う、片言の拙い言葉が口から出てくる。バカみたいに怯えていた。実際、私はバカだし怯えているけれど。

「…目的?」

雲雀は少しだけ眉を寄せた。
怖くてまばらになってくる息をなんとか食い止めて、その分大きくなる声を吐き出す。

「あるでしょ、何か。じゃなきゃ絶対に呼び出したりしない! 何よ、校舎の見回りしてる時と同じ顔して、脅していいようにしようとかでも考えてるの!? そうでしょ!?」

不安定に肩が震えていた。怯えているように見せまいと、しっかり腕で押さえる。(効果は不明だが。)
考えるように視線を一瞬だけそらし、それから私を見つめる雲雀。瞳からは淡白な印象を受ける。

「…人恋しかった。」
「嘘! アンタ群れるの嫌いって言ってんじゃん!」

雲雀は不機嫌そうな顔をして、腹の底から搾り出すようなため息をついた。
あからさまな嘘をついてバレたからって、そんな態度を取るなんて大人気ない。

「…じゃあ、君を脅して力ずくで犯して肉奴隷にしようと思って呼び出した。これでいいの?」

無機質に見える瞳。だけど、その中に怒るような悲しいような色を垣間見た。
どこか諦めた風、一言一言が脱ぎ捨てられた靴下のように雑に散らばる。
…違う。私の求めていた回答とは違う。
私は雲雀を悪意の人だと思っていて、そうならば私の予想は当たりのはずで、でも外れてしまった。つまり、雲雀は悪意の人じゃない。
雲雀は悪意の人ではない。じゃあ、私はなんて酷いことを言ってしまったのだろう。しかし、雲雀だって私に悪意のある酷いことをしているし、そもそも人殺しだ。
何? どこまでが本当? 行動の理由には何がある??

「…わからない。」

混乱と、もしかしての罪悪感に涙が滲んでくる。よくわからないけど、急に胸が苦しくなってきた。
思考を振り払うようにしてふるりと頭を振る。
雲雀も何かを考えているのだろうか。じっと私を観察していた。

「わかんないよ。私には雲雀がわかんないよ。教えてよ。私バカだからなぞなぞ解けないよ。数学の例題みたいに一から道筋立てて教えてよ。」
「…君じゃ、算数がいいところじゃない?」
「それでもいい。暗い道を通るのは怖いの、もうイヤなの…!」

もうイヤだ。うざったいくらい泣き虫の自分が大嫌い。泣いたら不細工になるから。どうせ最初からブスだろうけど。
ほっぺたに伝う涙が口の近くを通る。涙はしょっぱいから嫌いだ。服の袖で拭うと、家で使っている洗剤の臭いがしてちょっと安心した。目の前の非日常が際立って、余計に涙が止まらなくなる。

「…僕だって、」

雲雀が手を伸ばす。それは私に向いていて、正体不明の何かに抵抗する防衛本能が上半身を少し下がらせる。
雲雀の手がためらうように宙で停止する。だけど、思い切ったように私の頭の後ろに回すと引き寄せた。
人のぬくもり。だけど、雲雀のは暖かくない。

「僕だってわからない。ずっと、一人で生きてくつもりだった。一人で生きられるつもりだった。だけど…ぬるま湯から、出られないんだ。僕以外の、安心できる場所…? …わからないけど、そんなものが、欲しい。」

弱々しい声だな、なんて思った。泣き虫の頭じゃ、雲雀の声を捕らえるだけで精一杯だ。

「沙耶は仕方なかったんだ。遅かれ早かれ、あの子は死んでた。自滅へひた走ってた。いいんだ、それはもう。問題は沙耶が僕に甘えの心だけ残して逃げていったことだ。」

すがるように、雲雀の腕に力が入る。苦しいくらいに。

「雲雀、さぁ…そんなに、カッコつ、けなくても、いいんじゃ、ないの…?」

上手く喋れなくてもどかしい。途切れ途切れの言葉を必死につむぐ。人の心に関係する意見を言うのは怖いことだけど、今の雲雀なら聞いてくれそうな気がした。
なんとなく、雲雀をフォローしてあげないと、と思った。
私は弱い生き物だけど、今は雲雀からも同じ臭いを感じる。それは、種類の違うものかもしれないけど。
息を吸い込む。落ち着け。ゆっくり喋れば、大丈夫。

「寂しいなら、寂しいって。怖いなら、怖いって。素直に言うのはそんなに悪いことかな? 難しくしたって、結局は同じだと思う。」
「…難しいかい?」
「難しいよ。だって、遠回りだもん。言い訳してるみたい。」
「言い訳、か…」

声に出した言葉の意味を味わうかのように、雲雀はニ・三回繰り返す。
雲雀の中で、何か引っかかる所があったのだろうか。

「僕は誰に言い訳しているんだろう?」
「知らないよ。」

知るわけがない。話の流れだけで言うのなら「自分自身」とかあるのかもしれないけど、私がそれを言ったとしてもどうにもならない。もし本当にわからないなら、自分で考えて答えを出さなくてはならないのだし。

「…ね、千世。」

雲雀の声にささやかな違和感。そういえば、名前を呼ばれたのは初めてだ。知ってたのか。
ちょっと頭が落ち着いてきた。なにかを忘れているような気がするけど、今は目の前のことに精一杯だ。ちょっとだけ自分に酔っているともいう。

「素直になるってどういうことかな。馬鹿になること? 強がる人間が利口だなんて僕は思えない。」

さっきまでの弱々しい声とは違い、しっかりとした切り口の口調。どうやら、雲雀の頭は難しい思考をしているようだ。

「どうして素直になることがバカになることだと思うの?」
「素直になれば上手くいかないことの方が多い。本音を見せたら首を獲られる。弱みを握られたら終わりだ。でも、強がったからって上手くいくわけじゃない。強がって自滅したら元も子もない。」
「そんなこというけど、雲雀はどっちなの? 素直じゃない、強がってる風に見えるけど。」
「どっちでもないよ。僕は人間じゃないから。」

またそれだ。どこが人間じゃないのだろうか。
確かにちょっと変わっているけど、でも十分に人間に見えるし思える。
魂の入れ物…体も人間。それの中身…精神も人間。
だって、人間って。

「どうして、人間じゃないって思うの?」
「僕は…」

少しだけ拙い口調でそういうと、雲雀は口ごもってしまった。
なぜか雲雀の腕に力が入る。

「ねぇ千世。フランケンシュタインは人間だと思う? サイボーグは人間だと思う? 言葉を喋る動物は人間かな?」

違うと思う。違わないとも思う。私にはわからない。答えられない。
だって、それでこそ人間じゃないですか。

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