私は悪くない。私のせいで篠塚さんが死んだワケじゃない。
私は悪くなくて、雲雀が悪い。雲雀が篠塚さんを殺した…殺した。
人を殺して、真っ当な生活を送れるのだろうか? 真っ当な精神でいられるのだろうか?
否。私は無理だと思う。
だって、私がきっかけで篠塚さんの自殺があったなら、私は罪の意識にさいなまれて、苦しくて苦しくて、きっとどうにかなってしまったのだと思う。だから狂気を目の前にしてあんなに必死になった。危険信号を無視することができた。
…故に、今は雲雀恭弥が純粋に怖かった。



寝不足のまま学校への登校。
テスト前の一夜漬けなんてざらで、徹夜に免疫がないわけでもない。だけど、こんな風に逃げたくなるような恐怖に怯えながら夜を明かしたのは初めてだ。精神面で憔悴していた。
ぼんやりとした頭で下駄箱を開ける。ああ、学校休みたかったなぁ。
上履きの上に二つ折りの白いメモ帳が置いてあった。
何だろう。ラブレターじゃないよね? 古い手法だし。
知り合いの姿がないことを確認し、私は紙を開いた。

「っ…!!」

空気の塊が喉を通過する。ごくり。胸に不快なもやもやが生まれて、破裂した。散らばった欠片が、汗と震えになって出て行くような気分だった。

「千世ちゃんおはよー…どしたの?」

クラスメイトの女の子が(私は男子とはあまり親しくない)不思議そうに私の顔を覗いて来る。

「うんん!! なんでもない!! おはようっ!!」

さっと紙を隠してとってつけたような笑顔を浮かべた。
その子は探るような目つきで私を見、ニヤリと下世話に口の端をつりあげる。

「もしかしてーラブレターだったりするぅ?」

それ、私も一瞬考えたのだけど。だったら全然良いのだけど。

「今時そんなことする純情君なんていないよっ、虫がいたの!」
「うぇえ、虫ぃ!?」
「そ。飛んでっちゃったけど、びっくりしたぁ。」

なんて笑い飛ばして普通ぶって。
…こんなこと、相談できるワケない。相談できないことばかり。



授業が終了する合図。
帰りのHRも終わり、みんなは部活に向かったり、友達とお喋りしたり、まっすぐ帰宅したり。
私はゴー・トゥ・ヘルだったり。
…下駄箱の中に入っていた手紙は、雲雀による私のための指定席特急地獄行き切符だった。
二度目の応接室前。昨日は何とかして帰ってこれたけど、今日は片道切符かもしれない。
空気を吸う、吐く。吸う、吐く。やっぱり落ち着かない。怖いものは怖い。
震える手でドアをノックした。返事は聞こえなくて、扉を横に動かす。

「…」

入り口のすぐ横、雲雀は腕を組んで寄りかかっていた。視線だけが私を捉える。
驚いて半身引くが、蛇に睨まれたようにそれ以上動けなくなってしまった。

「話がある。君が聞きたかった話だ。」
「私の…」

…恐らく、昨日の話の続き。私は既にお腹いっぱいです。あれ以上、聞きたくない。
嫌だ、と目で訴える。声として口から出てこなかった。
少し高い場所から雲雀が見下ろしてくる。ダメ、と。



タクシーで連れてこられた先は閑静な住宅街で。本当に閑静な、というか、人気のない住宅街。周囲の気配が死んでいた。いや、自ら隠しているのかもしれない。
一見普通のちょっと大きな家。玄関の表札には何も書いてなかい。
雲雀はそこの鍵を開けると、中に私を招いた。リビングまで誘導される。
…生活感のない室内。家具は少ない。そういう造りの家なのか、汚れも見当たらなかった。

「…そうだ。来客用のイスがない。」

思い出したように雲雀は言う。四角い机にイスが一つ。どこかに不自然さを感じる風景だ。間違い探しをするには、その違和感はささやか過ぎて難しいのだが。

「仕方ないな。部屋においで。」
「え、いやそれは…」

雲雀は平然と言い放つが、できれば遠慮願いたい。
前に少し触れたかもしれないが、男の子への免疫が少ない性質故に、どこまで安全でどこまでが安全じゃないか私は掴めていない。正直、家に入った時点で雲雀への恐怖とは違う恐怖でびくびくしている。

「ここまで来ておいて?」

片方の眉だけ寄せて雲雀は笑った。やはり見下されている。カチンときた。
やれやれ、というように肩をすくめる雲雀。

「君、ちょっと問題あるね。そんなんじゃ傷ついても文句言えないよ。」
「なっ…!!」

言い返そうとして、できない。確かに私は隙がありすぎる。でも、雲雀に逆らえないから私はついてきたワケで。
…そうだ、雲雀は男の子で、法に裁かれない殺人鬼で、どう考えても関わっちゃいけない相手で。
今更になって、どうして逃げなかったのだろうかと後悔した。諦めないで逃げればまだ手段はあったかもしれないのに。どうして可能性に賭けなかったのだろう。
いや、今からでも遅くない。頑張ればきっと…

「ああ、そうそう。外に見張りの風紀委員がいるんだ。安全で快適な環境だね。」

廊下に出て、階段を上ろうとする雲雀は振り向いた。
玄関の方を見ていた私は息を飲む。

「嘘だけど。」

ニヤっと。美しい顔に浮かぶ美しい笑みは、底知れない。
私の逃げる気力は根こそぎ持っていかれてしまった。



リビングと同じ、落ち着いてこざっぱりとして何もない印象の部屋。
本棚とテーブルとクッションとベッド。目に付くものがそれしかない。
全体的に黒と灰色で統一されていて、殺風景を際立たせていた。本の背表紙だけがやけにカラフルに思える。
一つしかない灰色のクッションを渡された。多少の配慮というものか。

「さて、どこから話そうか。」

ベッドに腰掛けた雲雀はのんきな口調で呟いた。
私は警戒と恐怖をむき出しの目で雲雀を睨む。さして気に留められることはなかった。

「そうだな。結論から言おう。沙耶は僕が殺したよ。」

沙耶。フルネームから名前のみに変わっている。この差は一体?
雲雀は恐ろしいことをさらりと認めていたが、私にとっては事実の再確認にしかならなかった。怖いことには変わりない。

「このベッドに押し倒して、首を絞めた。死因は骨折だけどね。首の骨ってさ、太いじゃないか。だから衝撃が大きいんだよ。こう…ごきって感じ。」

流麗に、滞りなく。雲雀は手でジェスチャーをつけながら話していた。どこか陽気にも見えてしまう。
背中に冷たいものがこみ上げてきた。

「で…も、首の骨なんて、どうやって手で折るの…?」

声帯が張り付いているような、そんな感覚。声が掠れて震える。さっきみたいに嘘だと言って欲しい。

「それは僕だから。僕、人間じゃないし。」

コノヒト、ナニヲイッテイルンダロウ。わかるけどわからない言葉。
いきなり非人間発言。雲雀はどこをどう見ても人間だ。
…人間じゃないと言えばカタがつくところもあるけど、それはあまりにも横暴な論ではないか。
雲雀は私から視線をそらし、壁にかかっているデジタルの時計を眺めた。

「沙耶との同棲は…うるさかったけど楽だったな。全部沙耶に家事をやらせてた。家にいるときの沙耶は、普段はいつも笑ってた気がする。夜中に押しかけたり、部屋ノックしても着替えてたり変な子だったけど。だけど、ライター…100均に売ってるような安っぽいライター見ると火事を思い出すみたいでさ、ぎゃあぎゃあ騒いでたな。」
「それじゃあ、やっぱり、火事の真犯人て…」
「察しの通りだ。どんなに憎んでても、やっぱり後悔したみたいだよ。普通の人間が殺しなんて考えちゃいけないんだ。」

薄ら笑いのような横顔は変わらず。時計の数字はふっと切り替わる。

「雲雀はどうなの。後悔しないの?」
「どうだと思う?」

刃物のような瞳が私を捉えた。思わず怯えて身を小さくしてしまう。

「や…やっぱり私帰るっ!!」

立ち上がった。
おかしい。コイツは頭がおかしい。狂ってる。
人を殺したときのことをまともに話せるだろうか。否。
人を殺して正常でいられるだろうか。否。
再び、逃げようと思う気持ちが私に働きかける。
ドアのノブに手をかけた。

「ここまで聞いてタダで帰るなんて、そうは問屋が卸さない。なんてね。」

軽口を叩きながら雲雀は私の腕を掴んだ。遠慮ない力のため、痛いし振り払えない。顔をしかめてしまう。
ずるずると引っ張られる。右足も左足もまともに歩いていないのだから、この表現は正しいはず。

「離してっ…!!」

驚くほど小さな声しか出なかった。気が強い気でいたのに、いざって時はなにもできないヘタレだと、悲しい自己の確認をする。
柔道の足技で引っ掛けて転ばされるように、私の体は柔らかい布団の上に落ちる。ホテルのベッドのような、生活感のない匂いがした。

「選択肢をあげる。」

雲雀は私の手を押さえつけ、見下ろしてくる。表情にどろどろとした影がさしていた。短い髪が頬にかかって邪魔そうだ。

「沙耶みたいに死ぬ? それとも、生きる?」

ゆっくりと、低い声で、脅しながら。
篠塚さんみたいに死ぬ、つまりは、殺されて行方不明になる。
単純に、恐怖だった。

「ヤダ、死にたくない…!」

目頭が熱くなり、涙が溢れてくる。後悔する余裕もなく、ただ怖くて生きたくて早く逃げたい。

「ふぅん、そっか。」

予測の範疇内と雲雀はあっさり頷いた。

「じゃあもう一個。痛いのと痛くないのとどっちがいい?」

言葉の意味が飲み込めず、考える。が、まともに思考が働かず、涙だけがぼろぼろと流れる。
雲雀の目は少し興奮して少し面白がっていて、そして、淡々としていた。

「抵抗するなら痛くなるのは仕方ないよね。」

そうして意味を理解する。
しゃくりあげるように一瞬息が止まった。ひ、と悲鳴がもれる。

「痛いの、ぃやっ…!」
「普通はそうだね。」

…やっぱり、雲雀の返事は平然としていた。



嘘だよ、と言ってくれるのは嘘だけ。これは現実。
頭が真っ白になって、という表現はいささか間抜けだ。疲れているのか他の何なのか、私の頭は思考を拒絶している。

「そんなにショックだった?」

隣の男は既に着衣の乱れを整えている、なんとも機械的。
そこに全く愛はないというもので。私の夢描いていたハジメテとは対極にも近く。

「…なんで、こんなこと、したの。」

私の言葉は拙くなっていた。幼児に戻ったのではなく、何かがぽっかりと抜け落ちているというか、何かを調節するネジが吹っ飛んだというか。肉体的にではなく、精神的に力が入らないというか。

「なんだろう…責任、うん、責任を取ってもらおうと思って。落とし前、とかでもいいけど。」

前半をぶつぶつと、言葉の形が決まった後半ははっきりと、雲雀は言った。

「おとしまえ…?」

秘密を知ってしまったこと? いや、そもそも、あれは秘密だったのだろうか?
みんな知っていた。私だけではない。雲雀に突撃をかましたのは私だけだが、秘密は大勢に知られている時点で秘密ではない。突撃が理由になるとは思えなかった。
雲雀はニヤニヤとした表情で私を見ない。何もない壁を見ていた。

「…小さな子供が取り返しの付かない失敗をしたとする。その子供が大人になったら、昔犯した失敗を忘れるだろうか? いいや、傷になってたら、きっと一生残ると思うんだ。取り返しがつかないから、いくら手当てをしたって消えないし膿んでいく。それってとっても苦しいよね?」

突然の抽象的な独白。
ぼろぼろになった私は、ぼろぼろになってしまった理由を知ろうと必死に耳を傾ける。言葉の意味は入ってこなかった。

「でも、どうしようもない苦しさとずっと戦うなんて馬鹿馬鹿しいじゃないか。だから、痛いってことを忘れるんだ。忘却は人間の美徳だよ。忘れたら見えなくなるし感じなくなる。」

痛い、という単語が耳に残る。私も諸々が痛かった。

「だけど、傷は傷。痛いってことを思い出したら痛いんだよ。そこに存在することは確かなんだから。」

ベッドの脇に腰掛けている雲雀は、おもむろに自分のYシャツの第二ボタン辺りを掴んだ。と思ったら、ボタンをいじっているだけだった。親指と中指でころころと転がす。俯いた顔は、笑っている、けど、痛ましく見えた。

「…きっかけは、君。君が僕に倒れこんできたのが悪いんだ。思い出しちゃったじゃないか、君のせいで。ホントに、なんてことするんだ。」

感情論。責任転嫁。正当化。言い訳。いい迷惑。そういえば、昨日の私もそんな理由で雲雀の元に乗り込んだ。
解説は終わったのか、しばしの沈黙。雲雀の口元だけが笑っていた。
私はそろそろ寒くなってきた。まだ何も着ていない。

「だから、君にも何か傷を作ってやろうと思った。八つ当たりだよ。ちょっとだけフォローしてあげる。君が今みたいな傷を作る理由は、ただの運だよ。もちろん、君にも落ち度はあったけどね、っていうか抜けすぎだけど。どの道、痛い目にあってたと思うよ。」

襲われた相手に説教される私って何。すごく上から目線、何。
不条理に腹が立って、同時に、薄ぼんやりとしていた心が不意に悲しさに染まった。

「さ、服着て帰るといいよ。誰かと暮らすのはもう懲り懲りだから。」

雲雀の手が私の頭を撫でる。頭の天辺、髪をかき混ぜるようにゆっくりと。
ああもう、一体何なの。何、何、何をしたいの。
アンタの言葉は何を隠しているの、ごまかしているの。

「意味わかんない、最悪、死んじゃえ…!」

呟いて、自分が泣いていることを理解した。また泣いてるなんて、目とか鼻とかヤバイような気がする。
不意に雲雀が悲しそうな顔をする。私には悲しそうに見えた。
だけど、同情しようとは思えなかった。

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