放課後。現在、応接室の扉の前。
すぅ、と深呼吸を一回する。
…やっぱり、止めよっかな。
ここまで来て怖気づいてしまった。あんなに悩んで、ようやくした決断だったのに。散々考えた末に自殺しようとして、だけど急に怖くなって挫折してしまうのと似ているのだろうか。
身の危険に関わることについては、脳が直前でストップをかける。そのストッパーが感情だ。感情が引き金になっているのに、いざというときは感情が止めてしまうのだから、面倒くさいというか、ややこしいというか。
…もしかすると、いないかもしれない。いるかもしれないが、いないということにして帰ってしまおう。そうしよう。
百八十度ターン。前を見ずに一歩踏み出す、が、前方を確認したら行進を始めようとするポーズのまま固まってしまった。
三歩先に雲雀さんがいる。
音もなく、気配もなく、姿を確認するまで気づけなかった。忍者というよりは、まるで幽霊のように。

「わああああああああ!?」

私はジャンプするようにして一歩後ずさった。背中が応接室の扉に当たり、カタンと音を立てる。

「…君、誰? 不審者?」

綺麗な形をした眉がぐっと寄った。
気づいた途端、雲雀さんの存在は独特の圧迫感を持って私を威圧する。

「あ、あの、その! 怪しいものじゃ! いえ、あの、そんな目で見ないで下さい!!」
「頭大丈夫?」

一方は声を裏返して、一方はあくまで冷静に。
胸の前で握った拳、手のひらにじんわりと汗が滲んでいた。
凍えるような視線がじっと私を射抜く。感情の動きは全く見えない。怖い瞳だった。
…二度目の深呼吸。

「雲雀さんにお伺いしたいことが、ありまして。いなかったので、帰ろうとしたところなんです。」
「…ふーん。」

どこか引っかかる相槌。雲雀さんの瞳の光が一瞬揺らぎ、すぐに戻る。

「とりあえずそこどいて。入れない。」
「ああっ、はい!」

横っ飛びに近い動きで退いた。
雲雀さんはすたすたというよりはすいっと扉の前まで歩み、手をかけてスライドさせる。扉だけがうるさかった。

「入りなよ。」

無駄のない動きで私の方を向いた雲雀さん。
はい、なんて魂の抜けた返事をして頷く私に、こう付け足す。

「…言っておくけど、風紀委員の仕事に悩み相談は入ってないからね。」
「…はい?」

この人は何を言っているのだろう? 以前、人生相談をされたことがあるのか。一般人は怖くてそんなこと、できないと思うのだが。
頭の中で結びついたのが篠塚さん。火事の少し前に応接室の前で見かけたという話だ。
…本当に。噂のままだったら、どうしよう。
一抹の不安が私の頭の中を過ぎった。



向かい合った黒いソファーの廊下側に座ることを促された。雲雀さんは対面に座る。今から写真でも撮るような姿勢の良さに驚いた。

「話してよ。僕に用なんだろう?」

面倒くさそうな、いら立ったような、そんな雑な言い方。
んん? 私は何か気に触ることをしたのだろうか。
少しだけ不安になって、心臓が嫌に鼓動を打つ。
だけども口を開いた。ここまで来たら引き返せない。

「篠塚さんは本当に行方不明なんですか?」

雲雀さんの表情に動きは見られなかった。反応が得られるまで続けてみる。

「もっと踏み込んで言うなら、篠塚さんは誰かに殺されたりしてませんか? 例えば…」
「僕とか?」

言葉の端を取るように。
不意を突かれて間を取ると、切り込むように雲雀さんが喋りだした。

「冗談。僕には関係ない話だよ。確かに篠塚沙耶は応接室に来たりしたけど、だからってなに? 僕が殺す理由は? 大体、どうして篠塚沙耶にそこまでしなくちゃならないんだ。」

タン、タン。連続で銃を撃たれているような錯覚。そんな攻撃性を備えた口調だった。

「ただの噂と推測ですけど…殺したのは邪魔になったから。篠塚さんにユーワクされた、のが出会いかな、とか。」
「趣味悪い。」

雲雀さんはソファーに深く体を預けると、長い足を組む。偉そうで威圧的な態度だった。彼の傲慢さがちらりと覗く。

「君は何でそんなことに興味を持つのかな。ロクでもない理由だったら咬み殺すよ。」

…私は私刑決定なのか。どんな理由でも最悪の結末は避けられないことを悟る。
最初の脳内エマージェンシーにもう少し早く従っておけば。野生的直感は正しいことが多いと知っているのに。
…腹を括ろう。怖いけど、今すぐ逃げたいけど、きっと逃げられない。

「ま、前置きをします…これは偶然の話です。」
「弁解? 見苦しいな。」

小馬鹿にするように雲雀さんは鼻で笑う。この矮小め、とでも言うように。
私はごくりと空気を飲み下した。

「…雲雀さんと篠塚さんの同棲の噂を流したのは、私です。」

きつく拳を握る。怖くて緊張して、体が強張る。しかし歯を食いしばっては話が進まないので、なんとか堪えた。
罪悪感で雲雀さんを見れず顔を伏せているが、視線は突き刺さるほどに感じる。

「学校の帰り、どうしても欲しい本があって、新刊で、どこも売り切れで、だからちょっと遠くまで出かけて、迷って…篠塚さんを見かけて、話しかけて、それで…」

ごめんなさい、と私は呟いた。

「ふぅん。展開はなんとなく読めた。うっかり他の草食動物に喋って、一気に広まったワケだ。で、篠塚沙耶はいじめられた。君はそのことを後悔していると。大方、卒業前に重荷を下ろしたかったとかそんなのだね? つまり、僕に『殺した』と言って欲しいってことか。」

苦笑するような調子で雲雀さんは流暢に私の心を読む。どうしてこんなに的確に当てられるのだろうか。…怖い。

「弱虫は嫌いだ…僕に君を救う理由はないよ。だから認めない。それに、彼女はただの行方不明だよ。」

すぱり。やけにあっさりと雲雀さんは言い切った。
…でも、私にだってそれなりの裏づけはあるというもので。
少しの自信と、追い詰められた論と。言葉は自然に溢れてきた。

「じゃあ…なんでこんなに不自然な点が多いんですか? 火事だって、本当は寝タバコなんかじゃなくて篠塚さんが点けたんじゃないですか? お父さんが警察に勤めてる子がいるんですけど、その子が言ってました。正義は権力に敵わないって。あとあとっ、行方不明はおかしいですっ! 篠塚さんは男子に…酷いことされて…そんなすぐ回復するわけない! 死ぬにしてもそんなに遠くには行けないはず! 死体は見つからないしっ!! 隠したんでしょ!? 殺して隠したんだっ!!」

いつの間にか立ち上がっていた。座っている雲雀さんは私より低い位置に頭があって、それでも全然余裕の姿勢を崩さない。
自分の息が乱れていることに気づく。もう、怖くなんかなかった。

「ワオ、キレキャラ。」

茶化すように雲雀さんは言う。完全に馬鹿にされていた。

「殺したのはアンタなのに、よくもまあ平然としてられるね! この人殺しっ!!」

雲雀さんの眉がぴくりと動く。それは怒りではない気がした。
しかし、やはり一瞬のことだ。

「君だって元凶のクセに、偉そうなことをいう。自分を正当化したくてしょうがないみたいだね。」

相手が正しかろうが間違っていようが、読みはその通りすぎて、言い返せなかった。相手が認めない限り終わらない戦い。しかし両者は一歩も引く気がなくて。
頭に血が上っていた。
私は反射的に雲雀さん…雲雀に平手打ちを食らわせたくなって、机を隔てた向かいのソファーまで大股で歩く。
が、私はいまいち鈍臭かった。机の足につま先を引っ掛けてしまったのだ。

「っわ!?」

バランスをどこで取っていいのかわからなくなり、そのまま雲雀の元へ倒れこんだ。最悪としかいいようがない。
雲雀も逃げるなんて行動をとらず、そのまま私を受け止めるというか、下敷きになるというか。驚いた目が無防備で印象的だった。

「ご、ごめっ…!!」
殴るつもりだった相手なのに謝ってしまう。あまりのことに怒りが冷めてしまったらしい。
挫いたとまではいかないが机にとられた方の足首が痛く、両手で体を起こし離れる。

「…」

雲雀は泣きそうな顔をして一時停止をしていた。
…様子が、変だ。
疑問に思った瞬間には、いつもの飄々とした態度より険のある雲雀がそこに。

「…君も、死にたい人なのか?」

『君も』。
前例があるようだ。例えば篠塚さんとか。

痛む足も気にせず、私は飛び退いた。転げるようにして応接室から飛び出す。
リアルな感覚をなくしたままどこかで鞄を持ち、靴を履き替え、いつの間にか家に帰っていた。気づいたら寝巻きで布団の中だったから。


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