▼ (7)エロじじい
賑やかなままに一日が終わった。明日もこのまま続けばいいと思い、布団へもぐりこむ。
と。
廊下の向こうから、こちらに近づいてくる静かな足音。けっこう大柄だ。太刀くらい。
「さにわ。起きているか」
掠れ気味の声は三日月さんだった。謀反はないだろうけれど、さすがに寝込みなので用心しながら返事をする。
「ん……まだ起きてるけど」
「今宵は月が綺麗だ。少し散歩をしないか」
「おじいちゃんってば、夜に徘徊?」
「ははは。夢遊病じゃあるまいに」
おかしそうな返事。こちらから開けない限り、障子を越えないつもりらしい。信頼してもいいことを示しているのだろう。
「今行く」
慣れてきたら、十一世紀生まれにもタメ口になった。私は髪を手串ですいて、寝巻きに着ている襦袢の前をきちんとあわせて、羽織り物をかける。これでいいか。障子を開く。
「おお。寝巻き姿は色っぽいな」
同じく寝巻き姿の三日月さんは嬉しそうに微笑んでいる。こちらは作業着と似た甚平だ。ただ、隙のある格好は色気を出すものである。
「あのさ、おじいちゃん。年寄りの冷や水だから」
「気持ちは若いつもりだ。年上は嫌いか?」
「……まあ、年上の方が好きだけど……」
「そんな気がしていたよ」
「適当なことを」
私は縁側を出て、ぶらぶら足を進めた。もう目は覚めてしまった。悔しいのでこちらが眠くなるまで付き合ってもらおう。
三日月さんは私の後をついてくる。空にも三日月が浮いている。なんだかニヤけ面のようでむかついた。
「いやいや。わかるものだ。さにわは、年の割りにしっかりして気を張り詰めている。だからこそ包容力のある年上に甘えたい。加州やら大和守やら宗三やら、子供っぽく見えるのではないかな」
探るような目つき。やばい。大当たり。亀の甲より年の功とは、これまさに。
「その顔は当たりか。可愛いやつめ」
大上段から構えて自慢げに笑う三日月さんは、私の頭を撫でてきた。
「やめてください」
なんだか癪だ。上半身を引いて避ける。
「ははは。さて。俺の眼を信じてもらったところで、おまけの話に入ろう」
ふざけた雰囲気から地続きでありながら、少しだけ目が厳しくなっている。
「宗三左文字……あれはいつまで隊長をさせるつもりだ?」
「次の遠征までだけど……。うちは隊長が当番性なんだ。経験を積んでもらおうと思って」
「なるほど。実に合理的だな。それなばらよいか」
「なんで?」
「いやな。手合わせしたときに、奴はちと難しいと思った。はっきり言って力量が足らん。あれならば、風流坊をちょいと鍛えてやったほうが使い物になるだろう」
風流坊……歌仙のことだろう。
確かに、私も、そう思う。歌仙は宗三の後にやってきたが、伸び代が十分にあった。おそらく宗三以上。最初から適度に強くもあった。
あまりにもストレートな言葉に、返事ができなくなった。反論もできない。対抗するための確固たる数値が欠けている。
私の返事を待っていた三日月さんだが、顔色を見て、次に行くことを決めたらしい。月に照らされた白い顔をこちらに向けて、優しいのに芯のある強い声で諭してくる。
「それぞれ実力に合った場所に配置するほうがお互いに幸せだぞ?」
「……わかる……けど……」
わかるけど。言葉が突き刺さってくる。
小夜君は悩んでいるし、負傷するけれど、戦場に立ちたいし、成績を上げている。宗三だって、あんなに前線に立てることを喜んで、戦うことで自信を持ったのに。それを力不足と言って奪うだなんて。
「んー……あまりいじめるのは好きではない。そう悲しい顔をするな」
三日月さんは困って眉を下げた。こんな顔もするのか。しゃがみこんで視線を合わせると、また、私の頭を撫でた。
「ごめん。なんか、けっこう、悩んでて」
「さにわはまだ若い。悩むのも当然だ。しかし、その迷いが間違いを生むことも忘れてはならない。ここにいる刀の主も、そうやって間違えてきた者の方が多い。間違えずに人生を全うするのも難しいことだ。だが、ここにいる刀達は、さにわが後悔をして悲しんだり苦しんだりする顔は見たくないのだよ」
厳しい言葉の後の、優しい言葉。
駄目だった。夜なのも、人目が他にないのも、悪かった。今まで溜め込んでいた分の涙が溢れてきた。涙腺決壊。我慢しようとする前に、泣いてしまった。
「三日月さぁん……」
「ははは。いいぞいいぞ、泣いてよし」
三日月さんは両手を広げて、私のことを抱きしめた。暖かくて、石鹸のいい匂いがした。
「お前は優しいさにわだ。俺はできる限りのことを手伝おう」
ああ、いいな。頼れる仲間はたくさんできたけれど、こうやって甘えさせてくれる人は初めてだ。頭を三日月さんの胸にすりつけてぎゅーっと背中に手を回す。
するりと三日月さんの手が私の腰を撫でた。ここまではさもありなんと受け流せる。そのまま、ゆるゆると下がって、お尻に指先を沈めんとやんわり力をこめてきた。
「どこ触ってる。エロじじい」
「いやすまん。ついな。すきんしっぷというものだ」
せっかく感動していたのに台無しだ。こいつ怖い。おじいちゃんじゃなくて普通にオスだ。油断できない。
「嫌か?」
「大きい声出すよ」
「んん〜。弱ったところでも駄目か。なかなか手ごわい乙女だ。けっこうけっこう」
笑っているから突き飛ばす。次からは人を選ぼう。
prev / next